THE WORLD OF THE DRAMA 演劇の世界
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近松門左衛門 『弘徽殿鵜羽産屋』(こうきでんうのはのうぶや)

 近松門左衛門が紫式部の「源氏物語」を江戸時代に劇化した時代物浄瑠璃「弘徽殿鵜羽産屋(こうきでんうのはのうぶや)」は、近松の劇作術を知る上でとても参考になるし、平安時代から江戸時代までの過去現在の歴史性を知り尽くした上での自由奔放な想像の飛躍が実に面白いので、ぜひとも上演してみたい作品である。
 最初から原文を読むのは、死語になった江戸時代の言葉が多く、浄瑠璃を読み慣れた人以外はなかなか登場人物の関係性や物語の推移が理解できないと思うので、まず〈あらすじ〉を記した上で、各段ごとの〈解読〉をしながら「弘徽殿鵜羽産屋」のドラマツルギーを考察することにしよう。

◆第一段の〈あらすじ〉と〈解読〉

〈あらすじ〉


 平安時代の中期、第65代天皇である花山の帝は、美しい女が多い中で、二人の女を愛していた。
 一人は正二位為光の娘の弘徽殿、もう一人は官務忠平の娘の藤壺である。どちらも「源氏物語」に登場する女である。
 この二人の後宮の女御は、同じ月日に懐妊した。生まれてくる子は、王位継承のためには男子でなければならないので、悪鬼を払う六月祓えの神事のついでに、加茂川で男子出生の祈願が行われる。
 祈りの師は、弘徽殿側が芦屋道満(あしやどうまん)、藤壺側が安倍晴明(あべのせいめい)である。
 川岸には二人の女御を乗せた御所車に、女ばかりのお忍びのお供の車が並んで見物している。
 道満が弊串(へいぐし)を逆手に取り、小川を一文字、横にあてて切ると、川水が二つにさっと別れ、上と下とに流れる。道満が勝ち誇って
「川水が左右に流れるのは、弘徽殿のご懐胎は王子に疑いなし」
 と言うと、晴明は、
「川水が両方に別れて流れるのは坤の卦(こんのけ)の形、晴明が祈る川水が離れず流れるのは乾の卦(けんのけ)の形。乾道は男、坤道は女だから道満が祈る弘徽殿は姫宮、わが祈る藤壺は確かに王子」
 と言って幣串を川に投げると、幣串は玉の冠に変貌する。
「負けてなるものか」
 と、道満が弊串を投げると、幣串は女の振分髪(ふりわけがみ)に変貌する。道満は苛立って
「晴明、驕り高ぶるな、藤壺の身に過ちがあるぞ、慎め」
 と負け惜しみを言って退散する。
「弘徽殿には姫宮誕生」
 と占いが出た弘徽殿側の女たちは動揺し、藤壺方を恨んで御所に帰ろうとした時に事故は起こった。
「やあ、あれは誰の車、今をときめく弘徽殿の御車に並べるとは無礼、あの車引いて除けよ」
 と、藤壺の車を強引に除けようとすると、
「負けてなるものか、女房たちそれ」
 と、男勝りの藤壺の乳兄弟(ちきょうだい)清滝(きよたき)が言うと、双方押し合いとなり、弘徽殿の腰元の因幡(いなば)が、汗で手をすべらせ、足をつまずいて倒れ、車輪に轢かれて死んでしまう。
 そこへ弘徽殿の伯父左大将早岑(はやみね)がやって来て、
「王子懐妊の弘徽殿の御車、帝に無礼も同然、その女逃すな」
 と清滝を捕らえて縛り、さらに、
「藤壺を車から引きずり出せ」
 と騒いでいるところへ、京都守護源頼光(みなもとのらいこう)の家臣、渡辺綱(わたなべつな)が供を連れて来て、
「ご懐妊の女御お二人は同じ位(くらい)、藤壺に無礼があれば、弘徽殿にも無礼がある。どちらに道理があるかは判断はできぬが、清滝を縛られたのは因幡が死んだせい、それなら彼女の母、藤壺の乳母の治部卿(じぶきょう)に預けておき、その上で公家と武家の詮議を待とう」
 と言うと、左大将早岑は、
「それなら、公家方、武家方双方から見張りの番をさせる。二人の懐胎の女が御所にいると、腰元下女までが妬みあい紛争のもとになる」
 と口実をつけて、藤壺は皇子誕生まで乳母の治部卿に預けられることになる。
 藤壺は父母の形見の古屋敷に、乳母の治部卿に預けられ、清滝は庭の古木に縛れている。
 見張り役は公家方が平次兵衛盛重(へいじびょうえもりしげ)、武家方が小余綾新左衛門尉景春(こゆるぎしんざえもんのじょうかげはる)である。
 壬生寺の入相の鐘が響くと、藤壺は清滝が心配になって走り寄って縄を解こうとすると、清滝は、
「そのようにあなた様は美しい心ですから弘徽殿がわがまま放題をするのです。あちらには左大将早岑、芦屋道満と、頼りになる後ろ楯がいるのに、あなた様にはいらっしゃらない。母治部卿は老齢、今度の事故はわたし一人の過ちにして、あなた様は参内して帝にお訴えください。お位は王様でも夜を明かして言えば、あなた様の男。悋気嫉妬は禁止されてはいませんから、生きながら蛇になるくらいの強い気持ちをお待ちください」
 と、泣きながら言う。すると藤壺は、
「見かけは気弱に見えるかもしれないが、誰も知らない心の鱗、玉体に纏いつき、弘徽殿に喰らいついても、負けはしない」
 と思わず声が高くなり、番所より平次兵衛が声を聞きつけて来るので、藤壺は奥に入る。平次兵衛は清滝が声を出せないように、引きちぎった袖を口に押し込み、爪先がつかぬほど枝に釣り上げられる。これを見た小余綾は、
「拷問同然の戒め、納得がいかない」
 と反対するが、相模の国から四、五日前に京都に着いたばかりで事情がよくわからず、平次兵衛に、
「ごぶんは武家方の頼光の命令を、我は公家方の仰せに従う」
 と言われると、仕方なく番所に下がる。
 月が山の端にかかり、夜が更けてゆく。桐の葉が落ち、蛍が飛ぶ深夜に、廊下の障子に人影が…、忍びの者と思われる姿が映り、続いて直垂(ひたたれ)の袖を結んだ者が抜き刀をさげて、藤壺の寝所に入ってゆく。
 庭の清滝はこれを見て急いで寝所に行こうとするが、体を縛られているから動けず、口もふさがれているから声を立てることもできない。
 すると寝所に太刀音がして、血が障子にさっと飛び散り、治部卿が飛び出して来て、
「何者かが藤壺さまを斬り殺し、わらわも深手」
 と叫んで息絶える。
 屋敷は大騒動。旅の疲れで番所に寝ていた小余綾もはっと目を覚まし、公家方の見張り役の平次兵衛を見ると寝ている。小余綾は平次兵衛を揺り起こし、刀をつかんで寝所へ行こうとして驚いた。なんと刀は鞘ばかり。平次兵衛の刀と入れ代わったのかと見るが、じぶんの刀の鞘に間違いない。小余綾は不審に思うが、殺害の現場に早く行かなければならない。小余綾は現場に駆けつけるとさらに驚いた。藤壺の遺体に止めを刺してある刀こそじぶんの刀ではないか。小余綾は思わず刀を抜こうとしたが、
〈いやいや、刀を抜いても取り調べが始まればじぶんの刀が凶器であることは確か。じぶんは殺してないと言えば、武士の魂である刀を奪われたのも気づかなかった痴呆者(うつけもの)と見なされ、わが武名長く朽ち果てる、命を捨てるか、名を捨てるか、一世(いっせ)の不覚一期の浮沈、どうすべきか〉
 と思っているところへ、検使として源頼光の家臣、坂田公時(さかたのきんとき)を先頭に、碓井貞光(うすいのさだみつ)、卜部末武(うらべのすえたけ)がやって来た。卜部が、
「止めの刀を刺したまま逃げたのは、他人の刀を盗んで斬ったのに違いない」
 と、小余綾の犯行ではないと言うが、刀を盗まれたとなると武士として不名誉。坂田公時に、
「こりゃ小余綾、ごへんが斬ったとなれば、罪は逃れず命がすたる、一方、刀はじぶんの刀で、斬らないと言えば、命は助かり名がすたる。命を捨てるか、名を捨てるか、命が惜しければ縄を解いてやろう、名が惜しければ縄にかかれ」
 と追いつめられ、小余綾はついに、
「いかにも藤壺と治部卿は、この小余綾が殺害したり」
 と、嘘を言って犯行を認める。国にいる子息の将来を考え、命を捨てても武士の名誉を守りたかったからである。
 坂田公時が清滝の縄を切って、小余綾を源頼光の所へ連れて行こうとすると、自由になった清滝は、小余綾を殴ろうと飛びかかる。公時はそれを押さえて、
「小余綾はもはや天下の囚人、傷をつけてはならない。殴りたかったら、猿ぐつわをかけた平次兵衛を殴れ」
  と言う。平次兵衛は怒って、
「かたじけなくも左大将早岑公の仰せを受けた平次兵衛盛重を知らないのか」
 と言うと、公時はこの平次兵衛の公家の権力を傘に着た言い方が気にくわないので、
「さあ清滝にぶたれるか、それとも公時の拳を頂くか」
 と言う。清滝は、
「よう猿ぐつわをかけた。覚えておれ、覚えておれ」
 と言って、平次兵衛を何度も殴る。小余綾は縄で縛られて引かれてゆく。
 弘徽殿が住む御所の庭。秋だというのに、軒端の松に季節はずれの藤の花が咲き乱れ、まるで絢爛たる春のようである。
 どうしたのか、弘徽殿は急に寒気がして病に苦しむ。
 左大将早岑は藤壺の死を弘徽殿には知らせていなかったが、
〈弘徽殿が病気になったのは、藤壺の怨念にほかならない〉
 と恐ろしく思い、護身の加持祈祷をさせるために芦屋道満を呼ぶ。
 花山の帝もやって来て庭を見ると、藤の花が風も吹かないのに靡く。帝が、
〈僧正遍昭が「よそを見て 帰らん人に 藤の花 這いまつわれよ 枝は折るとも(古今和歌集)」と詠んだ言葉も人の姿も懐かしい〉
 と思っていると、
「いや、懐かしとは偽りの、人の心の裏表、裏葉を見せて藤壺が、恨み晴れんと来たりたり」
 と、藤壺の怨霊が現れる。
「忘れもしない水無月の、加茂の御祓(みそぎ)の車争い」
 と、加茂川での屈辱を語り、弘徽殿に絡みついて、
「恋には人目も恥をも思わない。わたしだけの妬みの罪」
 と恨み、
「伝え聞く唐土の秦の始皇の御顔に、巫山(ふさん)の神女(しんにょ)が吐いたという、つばきの花の仇心、恋には王位も畏れない。生きても死んでも恨みはつきない弘徽殿、憎し憎しこの黒髪を、手にからめて」
 と、弘徽殿を連れて行こうとする。  
 芦屋道満が数珠をおし揉んで祈ると、怨霊は、
「これはおかしい。道満、おまえにこそ恨みがある。見物しろ」
 と梢に上ると見えるが、楊貴妃のような芙蓉の顏(かんばせ)柳の眉は変貌して、毒蛇の眼(まなこ)の光となり、藤の花は40メートルばかりの大蛇となって、雲に聳え風を巻いて、道満めがけて追い廻す。道満は一目散に逃げる。
 勅使が立って安倍晴明が呼び出され、かれの祈りによって、やっと怨霊は退散する。

〈解読〉

 第一段は、三場で構成されている。
 一場は、弘徽殿と藤壺の二人の女御が同時に懐妊したために、皇子誕生の祈願による 弘徽殿方と藤壺方の車争い。
 二場は、壬生屋敷での藤壺と乳母治部卿の暗殺と小余綾新左衛門の武士の生き方と名誉。  
 三場は弘徽殿における藤壺の怨霊の出現。  
 となっている。
 一場の車争いと三場の怨霊の出現は、周知の通り「源氏物語」の六条御息所と葵の上との間に起こったドラマを受け継いでいて、二場は、平安中期の武将源頼光の世界を借りて、江戸時代当時の武士の生き方を示している。
 このように近松が「源氏物語」や「源頼光」という過去の物語を踏襲しているのは、あくまでも江戸時代当時の現実を写し出すための手段であって、六条御息所=藤壺、葵の上=弘徽殿という対比によって、「源氏物語」での女性像は、近松によって変貌される。つまり、藤壺に六条御息所の嫉妬心を与えることによって、藤壺がより普遍的な女になったといえるのである。  
 二場で坂田公時に、
「こりゃ小余綾、ごへんが斬ったとなれば、罪は逃れず命がすたる、一方、刀はじぶんの刀で、斬らないと言えば、命は助かり名がすたる。命を捨てるか、名を捨てるか」
 と二者択一を迫られ、小余綾は命を捨てる選択をするが、これは江戸時代当時の武士の生き方を示した江戸時代の現代劇といえる。  
 三場で藤の花が40メートルばかりの大蛇となって、雲に聳え風を巻いて、とあるが、これは作者が25歳の時に書いた『藤壺の怨霊』から取ったものである。藤を育てた人ならわかるが、あの藤の美しい紫の花は、実は咲く前は蛇のような異様な姿をしていて、とてもあのような美しい花が咲くとは思えない。近松はこの藤の二重性を藤壺の二重性に移したのである。


◆第二段の〈あらすじ〉と〈解読〉

〈あらすじ〉


 清滝を恋する男がいた。御所の御門を警護する衛士(えじ)の又五郎義長(またごろうよしなが)である。清滝を好きになった又五郎は、衛士をやめて、清滝の母の治部卿の所に奉公し、清滝を口説いていたが、それを治部卿に見つけられ、
「主人を恋する無礼者」
 と追い出された。又五郎は
しかたなく近江あたりをさ迷っていたところ、藤壺と治部卿暗殺の報せが届く。
〈清滝は、女主人藤壺と母の死をきっと嘆いているだろう。恋心を見せるのはこの時〉
 とばかりに都に帰って清滝を捜していたところ、左大将早岑の屋敷の庭の改修工事をしていたので、
〈もしかして、清滝の行方を聞き出せるかもしれない〉
 と思い、日雇い人夫になった。
 今日も屋敷に来ると、雑務係の黒壁権の太夫(くろかべごんのたいふ)に、
「おまえは横着者、昨日も今日も昼から来て、賃金は一日分もらっていく。急ぎの工事で人が足らない、早く庭へまわれ」
 と叱られ、
「そう言われるのはもっともですが、夜の商売がひどく、つい朝寝します」
 と弁解すると、
「夜の商売、なにをしてる」
 と問われるので、
「いや、商売してるのはわたしではなく、周りの者で。実はわたしは女房も持たない裏長屋の一人住まい。近頃東隣に若い女房が来るし、西隣には年寄りの女が男を連れ込む。壁の後ろは奉公人の出会い宿。真向かいは後家のお針、鬼怒川温泉屋の息子が泊まりに来る。そんな時に突然、夜中の鐘がごんと鳴り、世間は静かなのに、こちらは大騒ぎ。三方四方から責められては、五戒を保つ長老でも朝寝しないではいられないのです」
 と笑わせて庭へ行く。
 その時、白川の下屋敷に隠れている弘徽殿の女御の所に行って帰って来た芦屋道満は左大将に、
「『こういう山近い所では朝夕寂しく、ご養生もできないと、伯父君様もご心配なさり、それに藤壺の怨念もまた来ることがあるでしょう。左大将公のお屋敷にお移りください』
 と、お勧めしましたが、弘徽殿様は、
『伯父と姪が一緒の屋敷にいては窮屈ですから内裏で養生します。藤壺の怨霊も、わたしは潔白ですから、晴明が祈った後は見えません。帝様も毎晩お見舞いにお越しになるので別に淋しいこともありません』 
 と、移転を承知なさらないので、それがしの才覚で、台所にある瓜や茄子に魂を入れ加持して帰りましたので、今宵夜が更けてさまざまな化け物が出現したら、夜の明けるのを待ちかねて、ここへお移りになるはず。ご安心なされ」
 と報告する。左大将早岑は礼を言い、道満に近寄り小声で新たな相談を持ちかける。
「いくら弘徽殿をご寵愛といっても、色好みの帝のこと、ほかの女に心が移り、その女が皇子を産めば、わが望みは達成できぬ。帝が毎晩白川の屋敷に行っているとは、これほどの好機はない。帝を待ち伏せして殺害すれば、弘徽殿が皇子を産めばもちろん、姫宮なら女帝と仰いで、弘徽殿は国母、われは外戚となり、政務を思うままに日本を支配したいと思うが、どうだ」
 と囁くと、道満は大いに喜び、
「考えれば考えがあるもの。今夜にも決行、討っ手は誰を」
 と尋ねると、左大将は
「おお、それも考えておる。今来た人夫をここへ」 
 と言って又五郎を呼ぶ。左大将は又五郎に、
「おまえのことはよく知っておる。衛士の又五郎よな。藤壺の乳兄弟清滝に思いを寄せ、衛士をやめて清滝の母に奉公したのに追い出されたと聞いているが、この頃、人夫になってこのあたりをうろついているのは、主人の敵を討ちたいからだろう。おまえにその気があれば、この左大将が加担して討たせてやるが、討つ気はあるか」
 と言う。又五郎はとぼけて、
「生まれてこのかた、博打は一文二文さえ打ったことはないが、相手によっては打つこともあります。いったい誰が藤壺を斬ったのです」
 と言うと、左大将は、
「それをおまえに語るのも恨めしい。すべて帝の心より起こったこと。ある女をご寵愛になり、その女の嫉妬によって、小余綾新左衛門に藤壺と治部卿を殺害させ、今度はわが姪の弘徽殿を殺そうとしている。帝はわれには姪の敵、おまえには主人の敵、恋しい清滝には親の敵主人の敵。帝を討たないでは男ではない。どうだ、帝を討つか。すべてを打ち明けた以上、断れば、おまえを生かしてはおけぬ」
 と言い、太刀を引き寄せると、道満も柄(つか)に手をかけ、背後の家来も殺気だつので、又五郎は逃げることはできないが、その場しのぎに、
「おっしゃるとおり、主人の敵なら帝様でも王様でも討たねばなりませぬ。だが勝ち負けは時の運、運尽きて死んでも、我は軽い命だが、おまえ様はなにものにも代えがたい名誉あるお方、なにか良い方法はありませぬか」
 と言うと、左大将は、 
「なにも心配するな。おまえを源頼光の郎党、渡辺綱でも坂田公時でもいいが、どちらかに扮装させ、頼光からの宿直(とのい)の番として、夕方から白川の屋敷に入れておく。帝がやって来たら、
『頼光の郎党四天王の誰それ』
 と名乗って討て。たとえ仕損じても、頼光が科になり、この方の罪にはならぬ。そればかりか我が家来黒壁権の大夫に、腕のある侍をそろえて、屋敷の周囲に置いておくから、仕損ずることはよもやあるまい。どうだ、肝をすえて討つ気があるか」
 と迫る。又五郎はもはや絶体絶命だが、それでもあえて、
「拙者が坂田公時になるなど無理なこと。四天王の中でも公時は強力無双の勇士、色白の拙者では赤っ面の公時に似せることはできませぬ、ああ、愚かな仰せ」
 と言うと、左大将はそんなことはまったく気にしないで、
「色白なら紅粉(べに)か丹(たん)を塗ればいい。目を見開き、肘を張って、握り拳、歩き方は、このようにのっさのっさ、のっさのっさ」
 と言って坂田公時の顔つきや所作動作を真似ると、又五郎は、
「そうか、公時は仁王を演じればいいのか」
 と納得する。左大将が又五郎に烏帽子、装束、太刀刀などの扮装の道具を与えると、又五郎は、
「『外見が変われば心も変わる』
 と世間で言うのも道理。日雇いの又五郎、もう公時の気になった。どんな王でも帝でも、狙う敵はただ一人。たとえ変化でも化物でも、鬼神と組んで手柄がしたい」
 と、足に力を入れて、勢いよくどうっと踏み、口ばっかりは頼もしい坂田公時、一方鬼より怖い左大将早岑。又五郎はなんだか病気になったような気がして急いで退散する。
 白川の屋敷では弘徽殿が藤壺を慕い涙に沈んでいる。
〈お気の毒な藤壺。可愛らしい性格だから、お互いに仲良くしていたのに、殺害したのはわたしの仕業と最期には思い込み、怨霊(おんりょう)になるほど恨まれるとは。世間でもわたしの嫉妬が原因と、わたしを鬼のように思っているが、なんと思われようが、胎内の宮がご誕生なるまでは内裏にも帰らないことにしよう。今日も道満が伯父様の所へ参れと言ったが、あんな邪険な伯父様の心ではわたしまで語り草になって笑われる。ああ、なんの生き甲斐もない」
 日が暮れると、坂田公時に扮装した又五郎が白川の屋敷にやって来た。
〈手で叩いては公時らしくない〉
 と、石で門をがたがたと叩き、
「ここ開けたまえ」
 と言うが、女房たちは怖がって出て来ない。又五郎は門をなお強く叩いて、
「開けよ開けよ、開けなければぶっ壊す」
 と叫ぶと、やっと大炊の局(おおいのつぼね)が恐々(こわごわ)出て来て、
「女中の御殿、夜中に慌ただしい。名を聞かねば開けぬ、何者じゃ」
 と言うので、
「我は源頼光の家来、四天王の一人、坂田公時。この御殿には藤壺の怨霊や化け物が出て弘徽殿を悩ませるから、宿直して退治しろとの主君源頼光の仰せでやって来た。我は坂田公時、坂田公時、本物の坂田公時なる」
 と、やたら坂田公時と自慢して言う。人々は、
「おお、強い味方、鉄(くろがね)の楯が来た」
 と喜んで、招き入れる。女房たちは、
〈あの名高い坂田公時〉
 と、目を離さずじっと見つめている。
「珍しそうにご覧になる。公時が山姥の子だからというので、鬼のように思われる。山姥も元は人間。産屋も山だから産婆もいなく、母が産湯の湯加減を見極めず、熱湯で殺すところだったとか。そのため顔も五体もこのように真っ赤っか。だが、その代わりにこの腕に千人力、この腕にも千人力、幼い時から山に住み、朝晩猪(いのしし)と相撲をとり、熊と腕相撲。怨霊でも変化でも現れてみろ、木っ端微塵にしてやる」
 と手柄話をするが、女房たちは噂に聞いてたより優男なので半信半疑である。
 夜が更けていくと、芦屋道満がまじないをかけておいたので、屋敷がゆさゆさと鳴り響いて揺れ、女房たちは気が動転し、
「のう坂田殿、公時殿」
 と逃げ惑う。
「心配ない心配ない。みな公時につかまっていなさい」
 と言うので、女房たちはすがりつくと、
「これ公時殿、そなたもひどく震えている」
 と驚く。
「いや、これは武者ぶるい、武士の意気込み。いくら体は震えても、変化(へんげ)が出たら粉々にしてやる」
 と強がりを言うが、やはり恐ろしさに震えるばかり。
 変化の女の影なのか、なにかがおぼろに立っている面影に、弘徽殿も恐ろしさに気を失う。そこで女房たちが慌てて、
「公時はどこ、公時、公時」
 と捜しまわると、又五郎はいつの間にか妻戸の影に抜け目なく隠れている。
「なんのための宿直ぞ、口先だけの公時」
 と女房たちに侮られるが、
「そうか、これは道満の呪いだったのか」
 と気づいてあたり見回すと、変化が左右に揺れ動いて、まるで三枚組の掛け物のようである。
「正体は知っておる。坂田公時が姿を見せてやろうか」
 と、大声を上げて、
「中に立っている面長は、瓜の精だな。姫瓜もいるな、面(つら)は青売り。冬瓜(とうがん)の粉ふき化粧見たくない。こいつの口のお歯黒を、面まで塗って初めて実った茄子(なすび)、まるかじりにされたいか。立ち去れ」
 と必死に睨みつけると、瓜と茄子の化物(ばけもの)は一度にどっとけらけらと笑い消えてなくなった。
 弘徽殿はようやく額を上げ、女房たちもほっと息ついて「なんとまあ公時、お手柄お手柄、まずはお酒でも夜食でも」
 と、皆で歓待する。
「いやこれしきの化物、いつものこと。怖い怖いと思うから瓜や茄子も性根が入って現れる。今の浮世にないものは、化物と正直者。とかく人が恐ろしい。何事もこの公時にお任せ、ゆっくりご休息くだされ」
 と申し上げると、弘徽殿は、
「恨めしや、憂いのあるわたしだから、その弱みにつけこんで霊的なものが邪魔をするのは当然。毎晩帝様が忍んで来られるが、お怪我のないように頼みます」
 と言って奥に入る。女房たちもそれぞれの部屋に入る。
 又五郎はじぶんのことながら、じぶんのことがまったく納得いかず、
「左大将が恐ろしく、公時になることはなったが、
『帝を討て』
 という左大将は、大悪人の朝敵。又五郎の軽い命でも、前世で十の善をなした帝に奉るのが本望。屋敷の周りに侍が見張っていても、後から討っ手が来ても、帝のお味方はこの又五郎」
 と決めて待っていると、山から続いている竹の垣根の隙間をくぐって怪しい人影が……。
〈帝に違いない〉
 と思うと、人影は剣に手をかけ弘徽殿の寝所の方へそろりそろりと忍んで行く。又五郎は、 
〈おかしいな〉
 と人影の後を抜き足でついて行き、人影が部屋に入ろうとしたところで抱きとめ、
「御声(おんこえ)を出されるな。帝の身で剣を携えるとははしたない。どんなお考えが」
 と言ってよく見ると、なんと恋しい清滝ではないか。
「清滝、清滝さまではないか」
「御身は誰」
「こんな姿だからわからないのも当然、又五郎でござる」
 と言うと、
「又五郎か。すでに夫婦(みょうと)になっていれば、こんな辛い目はしないものを。いかに母様(ははさま)のご機嫌を損ねたとはいえ、すぐに出て行って、それですむことか。わたしに言ったことはみな嘘か」
 と涙ながらに言い、さらに、
「藤壺さまと母上とが同時にお亡くなりになり、その敵弘徽殿を一太刀にしようというのに、助太刀しなければならないそなたが、顔を真っ赤に塗って、抱きとめるとは情けない」
 と言うので、
「話は長いが、かいつまんで言えば、弘徽殿には少しも罪はなく、伯父左大将の悪心に道満が手伝い、帝がここに来たなら、我に坂田公時と名乗らせて帝を殺害させ、その罪を源頼光に負わせる企み。我はわざと加担して、帝と女御を助け、時節を伺って、お主の敵、天下の敵、左大将を討つつもりだ。おまえも我と一緒に」
 と言うと、
「我と一緒にと言っても、もう女房がいるのだろう」
「女房なんかいない。おまえは男がいるのか」
「おかしなことを。男が一人いるのに、どうして二人も男を」
「その一人の男とは」
「ええ、じれったい、ここ、ここにおる、ここにおるではないか」
 と、清滝は又五郎に抱き、つく。又五郎も感無量で清滝を力いっぱい抱く。危険な時の逢瀬こそ、一層恋が身に染みるのである。
 その時、無動寺の夜半の鐘が鳴り、笹をかきわけかきわけ帝が裸足で慌てて逃げてくる。
「誰か、誰か」
 と叫ぶのを聞いて、弘徽殿が走り出て来て、
「どうして義懐(よしちか)惟成(これなり)はお供をしていないのですか」
「源頼光が謀反だ。貞光、末武、綱、保昌(ほしょう)と名乗り、大勢に取り巻かれ、三種の神器が心配だから、義懐(よしちか)惟成(これなり)両人はひとまず内裏へ帰した。敵は追っつけここへ来る。武士の手にかかって軽率な名を流すより、これまで」
 と懐の剣を取り出すと、又五郎と清滝が走り寄って刀を押さえ、
「ああ、みだりに玉体を殺めては、後の世までの恥辱。これは頼光の謀反ではなく、左大将早岑の逆心。我は元衛士の又五郎と申す者、左大将が我をたらし込み、坂田公時になって帝を殺害せよと頼まれたが、天命を恐れ、朝恩を重んじ、君に命を捧げるのが我らが喜び、ここは我ら夫婦に任せて宮殿にお帰りください」
 と申し上げるやいなや、黒壁権の大夫を先頭に、平次兵衛盛重、兵卒百騎ばかりがどっと門に押し寄せ、
「公時、帝はただ今ここへ入った。手にあまって討ちかねるか。渡辺の綱、平井の保昌が加勢するぞ」
 と叫ぶと、又五郎は門に駆けて行って、
「いや、これしきのことで加勢頼む公時ではない。帝はこの世の最期に、伊勢神宮に暇ごいをしておられる。しばらくお待ちを」
 と叫んで帰って来て、
「お急ぎください。御衣(ぎょい)を脱いで清滝に下され、帝殿は女御の小袖を召して、弘徽殿さまと一緒にお逃げください」
 と、帝に弘徽殿の小袖を着せると、帝は弘徽殿を連れて逃げて行く。
 その間に又五郎は、帝の御衣を清滝に着せる。清滝は偽の帝になるのを納得し、又五郎は偽の帝に合掌する。そして又五郎は
「綱、保昌、これを見ろ。帝を討ち奉る」
 と大声を上げ、太刀を振り上げて打ち下ろす。二、三度、四、五度振り上げて打ち下ろす。言うまでもなく殺すふりをしているだけである。
「やれやれ王位は怖いもの。、眼(まなこ)がくらんで討つことができぬ。罰を受けて無駄死にし、主君の忠にはならぬ。その陣引け」
 と叫ぶと、平次兵衛、
「いやいや、近くへ寄って影を踏めば罰もある。遠くから矢を射ろ。遠くから射ろ」
 と騒ぐので、清滝も、
〈もはやこれまで、もう逃れられない〉
 と口に念仏、目に涙。又五郎は恋する妻だから、
「帝に命を奉る」
 とはとても言えない。
「かすり矢でも当たったら、おのれら一人も逃さじ」
 と汗を握って立っていると、敵は帝めがけて雨のごとく矢を射るが、日月山陵を織りつけた帝の御衣だから、当たっても矢が砕けて飛び散るだけ。黒壁が、
「だめだ。装束ではなく、頭を射ろ」
「心得た」
 と矢を射ると、清滝の髪の髷(まげ)に当たる。、
「当たった、当たった」
 と兵卒は喜ぶが、黒壁は、
「頭に当たったのは、帝ではなく偽物。又五郎は裏切った。討ちとれ」
 と又五郎を討とうとするが、
「左大将の言うことを聞き、その気になる又五郎と思ったのか、馬鹿者ども。仮にも公時を真似たれば、心もまさに公時、女たちは刀で戦え
 と築山に飛んで下り、追っ手を相手に〈山廻り(めぐり)〉をする。
「山姥の息子に似合ったように山廻り、春は梢に咲くと待っていた花の梢を、えい、やあっとねじ折って山廻り、秋は清滝、敵を捜して首折ってやろうと山廻り、夫婦が眼にさえぎる奴は、頭の脇の髪を切って山廻り、めぐりめぐりて輪廻を離れぬ猛勢(もうぜい)の雑兵(ぞうひょう)、切り払ったのは山姥が忰(せがれ)、我らがためには姑(しゅうとめ)、山姥の手並みを見よ」
 と笑う。
 ここで劇は〈山廻り〉となって異次元に変容するので、能の『山姥(やまんば)』を知らない人には奇異な感じがするだろうが、作者は能の手法を利用して、又五郎と清滝夫婦が坂田公時伝説のように大奮闘して敵をなぎ倒したことを表現したいのである。
 敵は又五郎夫婦に追い散らされ、散り散りに逃げて行く。
「帝への忠節は、草葉の陰で
藤壺さまも母治部卿もお喜びだろう。まず内裏へ。それから頼光へ訴えよう」
 と、夫婦は手を取り合って行くが、やはり最初に行くのは、二人の愛が交わせる所だろう。

〈解読〉

 第二段では新しい人物が登場する。御所の門を警護する衛士で、今は日雇い人夫の又五郎義長である。この男が以下の4シーンを引っ張ってゆく。
① 左大将早岑から帝の暗殺を頼まれた又五郎。だが、帝が毎晩やって来る、弘徽殿が隠れている白川の屋敷に入るには、日雇い人夫というわけにはいかない。そこで又五郎は、源頼光の部下坂田公時に化ける。これがこの場の出色で、色白の優男の又五郎が、赤っ面の勇猛無双の勇士に化けるという、現実の世界ではあり得ない、芝居ならではのアンバランスなおかしみがある。
② 白川の屋敷に乗り込んだ又五郎は、坂田公時伝説を踏まえた大言壮語を語るが、芦屋道満がかけておいたまじないで、家が鳴って振動すると、女房ばかりか又五郎もぶるぶる震える。こんなに気の弱い又五郎だが、ふと道満が瓜や茄子を化け物にしたことを思い出し、必死に化け物たちを睨むと退散する。これによって又五郎は、大悪人の朝敵は左大将で、命を捨てても帝を助けなければならないことを悟る。
③ 弘徽殿の寝所に怪しい人影が、刀に手をかけて入ろうとする。又五郎が抱きとめると、意外にもそれは恋しい清滝であった。清滝は藤壺と母の敵として弘徽殿を殺そうとしたのだ。又五郎は事情を話し、藤壺の敵は弘徽殿ではなく左大将で、
「左大将を討つつもりだ。おまえも我と一緒に」  
 と言うと、
「我と一緒にと言っても、もう女房がいるのだろう」
「女房なんかいない。おまえは男がいるのか」
「おかしなことを。男が一人いるのに、どうして二人も男を」
「その一人の男とは」
「ええ、じれったい、ここ、ここにおる、ここにおるではないか」
 と、清滝は又五郎に抱きつく。①②のおかしみは、ラブシーンに変容する。
④ 帝が左大将の部下に追われてくる。又五郎と清滝は帝と弘徽殿を逃がし、追手を騙して追い払う。
「左大将の言うことを聞き、その気になる又五郎と思ったのか、馬鹿者ども。仮にも公時を真似たれば、心もまさに公時、女たちは刀で戦え」
 と築山に飛んで下り、追っ手を相手に〈山廻り(めぐり)〉をする。
「山姥の息子に似合ったように山廻り、春は梢に咲くと待っていた花の梢を、えい、やあっとねじ折って山廻り、秋は清滝、敵を捜して首折ってやろうと山廻り、夫婦が眼にさえぎる奴は、頭の脇の髪を切って山廻り、めぐりめぐりて輪廻を離れぬ猛勢(もうぜい)の雑兵(ぞうひょう)、切り払ったのは山姥が忰(せがれ)、我らがためには姑(しゅうとめ)、山姥の手並みを見よ」
 と笑う。  
 ここで劇は〈山廻り〉となって異次元に変容するので、能の『山姥(やまんば)』を知らない人には奇異な感じがするだろうが、作者は能の手法を利用して、又五郎と清滝夫婦が坂田公時伝説のように大奮闘して敵をなぎ倒したことを表現したいのである。
 これが①②③④の概要だが、①②③④を通じて浮かび上がってくるのは、又五郎の成長物語である。気の弱い男が恋をすることによって勇気が芽生え、敵を追い散らし、帝まで助けることになる。
「公時を真似たれば、心もまさに公時」
 とは、
「外形を真似ると、心も変わる」  
 ということだが、これが貴種流離譚などの主人公がさまざまな体験をして、内面的に成長する〈成長物語〉と違うところである。


◆第三段の〈あらすじ〉と〈解読〉

〈あらすじ〉


 
源頼光は、二条大宮に評定所(司法機関)を建てさせ、平井の保昌が大目付の別当、四天王の末武と貞光が相談役、綱と公時が批判の役である。
 保昌が月番の時に四天王にこんなことを話す。
「三年前に藤壺の女御を殺害した罪によって、首をはね獄門にさらした小余綾新左衛門のことだが、これは源頼光が取り調べを十分にしなかった誤審、犯人は別にいるのに、小余綾の罪にして、領地を取り上げ、妻子(つまこ)まで流浪させている、『頼光一代の軽率な処罰』と、京中で噂しているらしい。これについて皆の考えをうかがいたい」
 これを聞くや公時は腹を立てて、
「誰がそんなことをぬかす。あの時の検使は貞光と末武が 応援の役、この公時が当番で素直に白状させて、君の御前に引き出し、十分にご詮議の上、罪科間違いなく、獄門に処した。あの時はなにも言わないで黙っていて、三年も経った今になって、誤審だの軽率な処罰などと風説するのは、我が頼光の君か、この公時に恨みのある奴。ええい、そいつの首引き抜いて、獄門にかけてやる。誰がそんなことを言っている保昌、その名を言え」
 と言う。
「それがしが評定所で偽りを申すと言うのか。京中で噂している。心を静めてよく考えろ」  
 と言うと、
「京中を駆け回って、風説をする奴をかたっぱしから首を引き抜いてやる」
 と公時が飛び上がって行こうとすると、末武と貞光が、
「また持病の虫が起こったか」
「待て、待て、まず待て」
 と制すると、
「おお、いかにも持病が起こった。首二、三十、引き抜かなければ、気がおさまらぬ」
 と駆けて行く。渡辺声を荒らげて、
「狂ったか公時、そんなことをしたら、頼光の誤審の噂を嫌がっていると、悪名の上塗り。君のためにはならぬ。ここに座っておれ」
 と、たしなめると、公時はやっと静かになる。
 しばらくして渡辺が、
「方々どう思う。巷の風説だといって聞き捨てにはできぬ。ご存じの通り、去年羅生門に鬼神が棲むとの風説は本当だった。だから、もしかして逆心ある奴が、わが頼光の君を煙たがり、頼光を誹謗して遠国へ身を引かせようと言い始めた風説ではないかと思うが、いかに」  
 と言うと、そこにいる人々は、
「それはよき推量」
「左大将の謀(はかりごと)に違いない」
「芦屋の道満や平次兵衛らが、言い囃しているだろう」
 などと言う。すると渡辺が、
「左大将や道満が怪しいのは言うまでもないが、証拠がない。それがしが気になるのは、羽倉伊賀介久国(はねぐらいがのすけひさくに)のことだ。去年までなんの功績もない侍が、左大将の推挙によって北面の武士に登用され、千石の領地を賜るという異例の出世。その上、女房まで迎えると聞く。きゃつが一味の張本人。まずきゃつの家に犬を入れて探ろう」
 と言うやいなや、また公時が、
「いや、犬も猫もいらぬ。早速踏み込んで詮議せん」
 と、飛んで出るのを、
「また虫が起こったか公時。踏み込むのは証拠をつかんでからだ。それがしの考えでは、世間には我々は評定所にいることにして、保昌一人ここにいて、残る四人は火消しの姿をして証拠をつかもう。火事装束をつけていれば御所の門も出入り自由だからな」
「おお、それは絶好の考え。先に延ばして秘策が漏れ、裏をかかれたらまずい。今日すぐにも」
「もちろん」
 と、四天王は早速評定所の長櫃から火事装束を取り出して身につける。渡辺が、
「貞光は左大将の、末武は平次兵衛の、公時は道満の身辺を探れ。それがしは羽倉の身辺を。怪しまれるな、不覚を取るな。それぞれ情報を集めたら、羽倉の屋敷で落ち合おう。合点か」
「合点だ」
 と四天王は約束し、四方に別れて身辺を探る。
 さて羽倉伊賀介の屋敷では、去年の秋からこの家に勤める下女のお竹を正妻にする婚礼の日である。お竹は昨日まで下女であったのに、今日からじぶんより位の上だった奉公人から、
「奥様」
 と呼ばれるのが気恥ずかしいが、殿である伊賀介の体面を考えてじっと気持ちを押さえている。ところが、中居のお玉はお竹の出世を妬んで、
「中居の玉が手をついて、奥様にお辞儀するのは恐れ多いのですが、部屋の棹に揺れているおまえが昨日まで使っていた前掛け、あれはどうしましょう」
 と皮肉を言う。これを聞いた家の磯太夫(いそだいふ)が金ぴかのはげ頭を振って、
「やい、無礼者、何を言う。おまえも女子のうちと思っておるのか。のこのこ御前に出るな」  
 と叱ると、お玉は、
「なにを言わっしゃる磯太夫。わたしだって、この家で年季奉公を重ねた女子。奥様でもわたしでも、変わらないことが一つある。雨、霰、雪、氷と名前は違っても、解ければ同じ谷川の水になる、変わりはない」
 と精一杯の反抗をする。
 祝儀を挙げた伊賀介は奉公人たちに、
「皆よく聞け。このたびこの者を本妻にしたことによって、伯父や甥を名乗って親類縁者がやって来るかもしれないが、お竹の出世につけこむ騙りが多いから用心しろ」
 と言い渡す。
 そんな時に、破れた笠をかぶった十六、七の少年が台所を覗いて、
「この家の飯炊き女、お竹と申す女子衆(おなごしゅ)に会いたい」
 と言うので、お玉が聞きつけて走って来て、
「お竹様の幸せを早くも嗅ぎつけたか、良い鼻だの。お竹様の甥か、弟か、いや、きっと騙りだろう」
 と言うと、
「騙りとは情けない。名は小文吾と申す者、この声が聞こえぬか」
 と、恨んで叫ぶと、奥で腰元が聞きつけて、
「奥様、見覚えがあるかどうか、覗いてご覧なされませ」
 と言うので、お竹が物陰からのぞくと、なんと国に置いてきた我が子の小文吾である。お竹はすぐにも駆けて行って、
「母ぞ」
 と言って抱きたいが、
「いかにも甥に間違いない」
 と言って、息子だとはあえて言わない。小文吾も、
「父母と離れて頼りにするのは、この伯母一人」
 と母と口裏を合わせるので、伊賀介はお竹を信じて、
「伯母と甥、他人がいては遠慮があるだろう」
 と一同に席をはずさせ、じぶんも奥へ立ち去る。
 小文吾は草鞋を脱ぐや母に抱きつくと、母子は顔を見合わせてわっと泣く。
「どうして上京して来たぞ。本国を別れる時、言い聞かせたのを忘れしか。
『父こそ浅ましい罪に沈んでも、代々由緒ある小余綾の家、母が都で奉公してそなたを元の武士にしょう。それまでは家名を隠して辛抱しや』
 と、氷川神社の神主に奉公させたのに」
 と、さめざめと泣くと
「いや、お言葉は忘れねども、家名を隠そうとしても悪事は千里を走る。あれが藤壺の女御を殺害し、獄門にさらされた小余綾の倅と知れて、神主に追い出され、雨にうたれ露に濡れながら、
〈母様の台所での水仕事のご苦労、お気の毒や〉
 と心配しながらやって来たのに、お手紙とは違うこの住まい、一筆知らせてくだされば、これほどには心配せぬ。親は子を思えども、子は親を思わぬと思われるとは、つれない母様や」
 と膝にすがって泣く。母も涙を流して、
「『小袖を着飾れば、心の中に苦しみはない』
 と、そなたに思われるのが情けない。恥ずかしや。去年の秋にこの家へ奉公に来たときから、そなたを世に出すために、主人はもちろん奉公人に気にいってもらおうと熱心に勤めるあまり、主人伊賀の介に口説かれる。
〈ああ、うるさい〉
 と思いながらも、
〈すべては我が子の出世のため〉
 と、子の愛しさには代えられず、馴染みを重ね、再び夫を持つことになった。今日は本妻披露というので、着飾ったこの小袖、赤や紫に色々に染めわけしても、母が身の因果の花。見るも情けなく浅ましい」
 と泣くと小文吾もわっとばかりに泣く。しばらくして小文吾は涙を抑えて、
「ところで母様は聞いておられぬか。都に来てみれば、
『小余綾は藤壺を殺さないのに、頼光の誤審によって獄門にかけられし』
 という噂でもちきり。無実の罪で亡くなった父のために犯人を捜して討とうとは思えど、父を処罰したのは源頼光だから、当面の敵は源頼光。門内に入って一太刀振れば本望。母様のお顔も見ることができたので、もはや心残りはない。これが今生のお別れ」
 とにっこり笑って立って行くのを、
「頼光の所へ行って、無駄死にしたいか。世には根も葉もない噂がある。まず静まれ」
 と、お竹が引き止めると、
「いやいや、これが漏れて先を越され、捕らえられては無念。お離しくだされ」
 と、小文吾が振りきればお竹すがりつく。そこへ主人の伊賀介が障子を開けて来て、
「声が高い、高い。さては汝らは小余綾の妻と子であるか」
 と、親子をつくづくと見て、涙をはらはらと流し、
「藤壺の女御を殺害したのは、汝らが父小余綾ではない。この羽倉伊賀介久国だ」
 と言う。小文吾ははっとなって母をかばうが、まるで夢のようである。
「驚くのももっとも。山に茂る木でも、きこりは真っ直 ぐな木を切って板や柱にし、歪んだ木は切り残すというが、小余綾の真っ直ぐな心は、刀を取られたのを恥と思い、罪を受け入れて処罰された。この羽倉は切り残された歪んだ木といえるが、今汝らが手にかかり、侍の名を焼き焦がす薪と割られて砕かれる。元々我は小心者、母が大病を患い、命をとりとめるには異国の薬が必要だが、高価で買えないでいたところ、藤壺殺害を頼まれ、難なくやり遂げ、その礼金で薬を手に入れたが、我が母ばかりの命を惜しみ、人の命を省みない天罰なのか、母はわが悪事を聞いて気を失ない、一口も薬を飲まないで亡くなってしまった。道を踏み外す孝行は、かえって不幸の罪となる。まして我が手で藤壺を殺し、我が心で小余綾を殺し、我が因果で母を殺すとは、長い時間あらゆる地獄をめぐっても、悪業は尽きない」
 と、さめざめと泣き、
「我が犯人と名乗って出て、
『頼光が誤審で小余綾は成敗された』
 と言いたいが、
〈名将と呼ばれる頼光の名を傷つけるのも、もったいない〉
 と、北面の武士となり、栄華を極めたが、忘れることのできぬ罪業、
〈今日言おう、明日言おう〉
 と思ううち、小余綾が後家とも知らずに夫婦となる。罰と言うのか、恥と言うのか、今こそ約束の誓いは守る。夫の敵を討つという、これ以上の望みはない。母でも子でも我を討て。討て」
 と、刀を投げ出して討たれようとするが、親子は脇差しに手をかけながら、母にとっては伊賀介は夫、小文吾には義父、討つことをためらう。
 そこへ火事装束の四天王が現れ、
「武将のお呼び、さあ参れ」
 と言う。
「伊賀介をお呼びなら、身なりを整えてから伺う。町人扱いは見苦しい」
 と言うや、四天王は頭巾を脱ぎ捨て、公時が、
「ご馳走でもてなすわけではない、ちっと怖い強飯(こわめし)」
 と大声で言って捕らえると、屋敷の人々は、
「狼藉者」
 と騒ぐが、四天王は、
「頼光殿の仰せ、仰せ」
 と、問答無用に伊賀介を源頼光の記録所に連れて行く。
 小文吾は歯ぎしりして、
「大事の敵を頼光に討ってもらってはなんにもならぬ。敵は頼光」
と駆け出すと母が、
「これを見よ、せめての形見と盗んで置いた獄門の高札、これを証拠に頼光に腹を切らせん。いざ来い小文吾」
「おお、四天王も頼光の後を追って切腹させん、いざござれ母上」
 と、高札小脇に挟んで後を追って行く。
 記録所には四天王が控え、白州には伊賀介。源頼光が出てきたところに、お竹親子が走って来て、
「我は小余綾新左衛門の妻、これは我が子小文吾と申す者。藤壺の女御を切ったのは、この羽倉伊賀介。それなのにこの高札には、
『相模の国の住人小余綾新左衛門尉景春、藤壺の女御ならびに乳母治部卿を殺害した罪によって首をはね、かくのごとく処刑するなり』
 と書かれている。獄門にさらしたとはどういうことだ。ええい大将軍、身分軽い小余綾だから、命も軽く扱われたか。天下の武将の命も同じこと。さあ新左衛門を返してたべ。我が夫を返してたべ。返せないなら大将の切腹を見るまでは、絶対にここを動かない」
 と大声を上げて恨む。頼光は親子を見ることもなく、
「伊賀介、おのれが藤壺を討ったのなら、小余綾を罰する時に、武士ならどうして名乗って来なかった。小余綾が斬った藤壺を、おまえも斬ったと言うのか。嘘を撒き散らして女童をたぶらかし、頼光が政道を愚弄する愚か者、本当のことを言え」
 と言う。伊賀介は、
「この方より名乗って出るくらいなら、別に大将のご詮議を仰ぐ必要はない。
『罪もない小余綾を処刑した頼光』
 と、末代までの非難をかばおうと、彼ら親子に討たれようとしているのに、無用の四天王のお節介、ばかばかしくて話にならぬ」
 と笑って言う。頼光は機嫌を損ねて、
「頼光が末代の非難をかばうなどとは、分をわきまえぬ無礼者。おのれらを頼むような頼光ではない。小余綾はすでに白状した。止めの刀は小余綾の刀、これが証拠だ。おのれが藤壺を切った証拠はなんだ」
 と言うと、
「止めの刀が証拠とは浅はかな推量、小余綾の枕の刀を盗み、罪を彼に負わせるために、わざと止めをさし捨てたのに。我らが討った確かな証拠は、藤壺は安部晴明が祈った刃除(やいばよけ)のお守りを肌身離さず身につけているので殺すことができぬ、このお守りを盗んでから殺したからだ」
 と、伊賀介は麹塵(きくじん)の守り袋を、 御前にさし出す。大将よくよくご覧あり、御手を打って、
「ははあこれぞ覚えある守り、この証拠を詮議せんと、三年このかた心神を砕いたり、頼光が一世の本望これに過ぎず、藤壺を害せし伊賀の介罪科は決定(けつじょう)、それからめよ」
 と、ご錠の下より雑色取って引っ伏せ、高手小手に締めつける。小文吾親子は泣きこがれ、
「さあ科の本人極まるからは、小余綾を受け取ろう、大将が暗ければ、従う人も皆盲(めくら)、やい公時の赤面、見事な検使の仕様、おお結構な四天王、夫を返せ父返せ」
 と、御前もわかず泣き叫べば、四天王も伏し目になり、公時が赤い顔、青ざめてこそ見えにけれ、その時大将保昌を召され、
「汝に預けし不老不死の名酒、蔵を開き彼らに勧め、心をなだめよ」
 と宣えば、
「やあ人の大事の命を取り、酒を飲ませてなだめよとは、あんまりなお言葉、ただ小余綾を返されよ、さあ返されよ」
 と猛るうち、保昌小姓衆酒瓶(さかかめ)舁(か)きて出でたりけり、
「公時渡辺それ打ち割れ」
 畏まって握り拳四つ五つ、かんかんと当てければ、瓶二つにさっと割れ、色なましらけ骨痩せて、髪は赤熊(しゃぐま)の弱法師、
「実(まこと)の人か幽霊か」
 と見れば、死んだはずの小余綾新左衛門。
「か、か、景春殿か」
「にょ、女房か、あ、あれは我が子か」
「父上か」
 と、走り寄って抱きつき、顔を見てはわっと泣き、
「本当に真の小余綾殿、夢ではないか幻か」
 と、人が見ているのも御前なのも忘れて嬉し泣きに泣く。小余綾は呆然と、妻子の嘆きを見て一緒に泣く。母はやっと涙を止めて、
「小文吾、母はそなたを世に出すために、女の守る道に背き、伊賀介に枕をならべ、身を汚した。父がこの世におわすれば、母も安心。これ以上生きていては、親子三人共に恥辱。跡を頼む、さらばや」
 と、懐刀で死のうとすると、貞光と末武が、
「御前を知らぬか無礼者、門の外では死なれぬのか」
 と止める。お竹は、
「真、ここは遠慮しなければ」
 と自殺を思い止まる。頼光がさらに、
「〈小余綾は藤壺を殺してはいない〉
 これほどのことを知らないで天下を取り締まることはできぬ。この守り袋を証拠に犯人を捜し出そうと保昌だけに内情を話し、牢番に誓わせて盗賊の首を切って面を汚し、小余綾新左衛門と高札に記して、獄門にさらして、事件は落着したように見せかけていたのだ。伊賀介が罪を告白したのは、善悪必ず明らかになる天の道、伊賀介が魂に入って、心の中の罪を吐き出したのだ。きゃつは牢屋へ連れて行け。小余綾は身を清めろ。その後で、領地のことは申し渡す」
 と言って座を立つと、小文吾が進み出て、
「重ね重ね恐れ多いことですが、母は思わず女の道を背き、恥に耐えかね自害と決めたのは、どれほど悲しいことか。ぜひお慈悲を、罪をなだめてくだされ」
 と涙ながらに言うと、頼光は睨んで、
「それはできぬ、できぬ。武士の妻として貞節に背いた女をなだめては、天下の法は成り立たぬ。囚人伊賀の介の財産、領地は没収。女房ももちろん没収、この方へ召し取ったり。さて、没収した女房は、小余綾が妻女に与える。連れて行け」
 と、急転直下の裁決に
「はっ」
 とばかりに親子はまるで夢のよう、天を仰ぎ地を拝し、頼光に礼をして、喜びの錦を故郷にひるがえし、小余綾の家を再興する。

〈解読〉

 第一段の小余綾新左衛門、第二段の又五郎義長に加え、第三段では、羽倉伊賀介久国(はねぐらいがのすけひさくに)が新たに登場する。  
 小余綾が源頼光によって処刑され、その首が獄門に晒されてから三年経った。京都の町では、
「小余綾の処刑は誤審で、犯人は別にいるらしい」
 という噂でもちきりである。どうして三年も経った今になってこんな噂が流れるのか。源頼光の家臣、渡辺綱、卜部末武、碓井貞光、坂田公時がその噂の出所を話し合うと、渡辺綱が、
「最近異例の出世をした、北面の武士の羽倉伊賀介が怪しい」
 と言う。
 ここから劇は多層的に急変する。
① 四天王は、どこでも出入り自由の火事装束を身につけて、貞光は左大将、末武は平次兵衛、公時は道満、渡辺は伊賀介の身辺を探る。これは火付盗賊改方、長谷川平蔵を踏まえている。
② 伊賀介宅では、下女のお竹を正妻にする婚礼の日である。お竹は実は小余綾の妻である。
③ そこへ息子の小文吾が母を訪ねて来る。
④ 母は息子を故郷に残して都へ出て下女奉公をしたが、その勤めぶりから伊賀介に認められ、本妻になったことを泣きながら息子に話す。ここで近松は、江戸時代の親子の情愛を徹底的に描いている。
⑤ 親子の会話を立ち聞きしていた伊賀介は、藤壺を殺したのは小余綾ではなく、じぶんだと白状する。
⑥ 伊賀介が藤壺を殺したのは、母の病気を治す異国の薬を得たい金欲しさからだった。だが伊賀介の母は、悪事をして手に入れた薬を一口も飲もうとしないで亡くなった。
⑦ 伊賀介は、小余綾親子に討たれようとするが、母にとっては伊賀介は夫、小文吾には義父、討つのをためらう。
⑧ そこへ四天王が現れ、伊賀介を頼光の記録所に連れて行く。
⑨ 小余綾母子は追って行き記録所で頼光に、
「藤壺を殺害したのは伊賀介だが、父を殺されたのは頼光のせい、父を、夫を返せ」
  と叫ぶ。
⑩ そう言われても、頼光はまだ伊賀介が犯人である確かな証拠を得ていない。頼光はこの三年、殺害現場から紛失した藤壺のお守りを探し続けてきたが、未だに見つからないのだ。
⑪ 伊賀介は藤壺のお守りをさし出す。これは安倍晴明が祈願した刃よけのお守りで、これがあっては藤壺を殺すことができないので、伊賀介はこれを盗んでから藤壺を刺し殺したのだ。
⑫ 伊賀介が犯人なら、小余綾を獄門に晒したのは誤審、小余綾母子は
「父を返せ、夫を返せ」
 と頼光を問い詰める。
⑬ 頼光は平井保昌に命じて大きな酒瓶(さかがめ)を持って来させる。瓶を割ると、やつれ果てた小余綾新左衛門が現れる。
 酒瓶の中に小余綾がいたというのは、子供だましのようだが、酒瓶は頼光が退治したという〈酒呑童子〉の酒好きからの発想である。
⑭ 親子三人は涙の対面をするが、母は伊賀介の妻になったことを恥じて自害しようとする。
⑮ 小文吾は母を失ないたくなく、頼光に母の恩赦を願い出る。
⑯ 頼光は、
「武士の妻として貞節に背いた女をなだめては、天下の法は成り立たぬ」
 と断るが、
「囚人伊賀の介の財産、領地は没収。女房ももちろん没収、この方へ召し取ったり。さて、没収した女房は、小余綾が妻女に与える。連れて行け」  
 と、逆転の判決を下す。  
 このように第三段は目まぐるしく変わって、⑨からは源頼光による裁判劇になり、今読んでも面白いが、実はこれも近松の独創ではなく、『大岡政談』の「小間物屋彦兵衛」を潤色したものである。   
 近松の独創といえば、この段で三人の男、小余綾新左衛門、又五郎義長、羽倉伊賀介の生き方を示したことである。三人共、藤壺暗殺、帝暗殺の場面で、人生を決断しなければならなかった男たちである。
① 命を捨てても武士の名誉を守った小余綾新左衛門。
② 悪人の脅迫と怨霊の恐怖から勇気を獲得した又五郎義長。
③ 金の誘惑に負けて悪に手を染めた羽倉伊賀介。
 この三人を描くことによって、「源氏物語」「源頼光」という歴史性に対比する江戸時代の現在性が浮かび上がってきたといえる。  
 
◆第四段の〈あらすじ〉と〈解読〉

〈あらすじ〉


 春の花や秋の紅葉でさえ、いつまでも色や香りはないものなのに、帝は弘徽殿をひたすら愛し、生老病死の理も忘れていらっしゃるのはどうしようもない。
 弘徽殿はご懐妊三十余か月にもなるというのに、出産の兆しもないので、
〈仏神の咎めか、人の妬みが積もったのか〉  
 と、世の中を見限り、里がちに暮らされるので、帝も何事もつまらなく悩んでいらっしゃった時に、御局の上臈たちが慌てて、
「弘徽殿の女御さま、明け方よりお部屋にも、東西の対の屋、お庭を捜してもいらっしゃらず、お髪(ぐし)を切って、こんな書き置きが」
 と、形見の唐櫛笥(からくしげ/化粧箱)と一緒にさし出すと、帝は、
〈これは〉  
 とだけ言って、魂も消えそうに、お髪を顔に押しあてて嘆かれるのを、控えている公卿や殿上人も思わず涙を流す。その中でも、中納言義懐 (よしかね)と左大弁惟成(これなり)が、
「お嘆きになるのはもちろんですが、この世にさえいらっしゃれば、捜し出すことも。まず書き置きを」
 と二人で同じことを申し上げると、帝は書き置きを開いてご覧になり、
「これを見よや方々、
『北面の伊賀介が藤壺を殺害したのは、伯父左大将に頼まれたからと白状。伯父の悪事を夢にも知らなかったとはいえ、冥土の恨みも世の非難も、罪は我が身一人が負う。汚れていない心を示して、世の疑いを晴らすために、深い淵に身を沈め、死んでしまおう』
 と書いてある。いつまでも二人は一緒と約束したのに、深い淵の底までも、どうして一緒に行けない。我一人生きて、いくら理想の帝の位にいても何になる」
 と身を投げ出してお嘆きになる。義懐と惟成はいろいろと慰めて、
「ちょうど安倍晴明が大学寮の番で来ています。占わせましょう」  
 と、安倍晴明を御前に呼ぶ。晴明はしばらく考えてから、
「弘徽殿の身の上、前に絶壁、後ろに高い山があり、進まないで止まっているという易(えき)、生死の間をさ迷っていらっしゃいます。蹇(けん・六十四卦の一つ)は東北に利なく、西南に利あり、西南に出られたらお命は無事、もし北東に出られたら、もはや生きてはいられない」
 と、一つずつ考えて申し上げると、帝は一層お嘆きになり、
「生きているなら、どんな山の奥や海の果てであろうと、訪ねて行くだろう。死んでいるなら、冥土の便りをいつ聞けるだろう」
 と、また流す涙は乱れた糸のようである。義懐と惟成とは、
「ああ、お心が弱い。天の下の主人である帝にとって叶わないことがあるでしょうか。唐の帝は楊貴妃との別れを慕い、方士という道士に命じて、楊貴妃の魂のありかを訪ねられたが、方士は蓬莱宮(ほうらいきゅう)に入るというので、日本の熱田神宮に到り、亡くなった楊貴妃と言葉を交わし、形見の鈿(かんざし)をもらって帰ったとのこと。このように唐土の人の魂さえ来て住む日本蓬莱宮、まして弘徽殿の魂が日本を離れることはない。晴明よ、汝が行力(ぎょうりき)にて女御の魂のありかを訪ね、帝を慰め奉れ。一刻も早く」
 と言う。
「わかりました。仙人の術を会得した方士ほどではなくても、帝のご命令なら、亡き魂も現れるでしょう。上は青空の彼方、下は黄泉の国までも女御の魂のありかを尋ね、お返事をいたしましょう」  
 と、晴明が了解すると、帝は頼もしく思われ、おやすみになる。涙にくれていた公卿、殿上人も皆退出する。
 義懐と惟成も寝ていたが、夜半過ぎに、貞観殿の小さな門から女の衣を被った人が忍び足で出て行こうとする。
「おかしいな」
 と二人は走り寄って、唐衣を引き除けると、帝である。二人は、
「どうなさったのです。気は確かですか」
 と呆れ果てるばかり。
「姿はおかしいが、気は確かだ。たとえ晴明が亡き魂の便りを告げてくれても、姿を見る世があるのか。会えば必ず別れがあり、愛する人との別れが辛いのは帝も同じ、生ある者は必ず死ぬと教えて先立つ女御は仏(ほとけ)、我は煩悩の迷いから抜けられない凡夫、この度現世を捨て、仏門に入るために、花山寺で髪を剃り、出家と決めた。汝ら止めるなら、七生まで恨むぞ」
 と、言い捨てて出て行かれるので、義懐と惟成も力なく跡を追う。御所の名残の月も雲に隠れて雲ってゆく。

〈解読〉

 第四段は、帝と弘徽殿の物語になる。  
 弘徽殿は懐妊三十数ヶ月絶っても出産の兆しもないので、世の中を見限って、内裏を出る。後に残された遺書と形見の切った髪を顔に押しあてて、花山帝は涙を流して嘆く。側近の義懐と惟成が慰めても嘆きはおさまらず、安倍晴明の占いで、
「弘徽殿はもはや生きてはいられないかもしれない」
 と聞くと、夜が更けてから女の姿を装って貞観殿の小門から出て行く。義懐と惟成が不審に思って引き止めると、帝は、
「生ある者は必ず死ぬと教えて先立つ女御は仏(ほとけ)、我は煩悩の迷いから抜けられない凡夫、この度現世を捨て、仏門に入るために、花山寺で髪を剃り、出家と決めた」 
 と告げる。    
 この花山帝の出家は、藤原兼家の陰謀によって花山寺で出家させられた史実を近松なりに潤色したものである。   
 潤色と言えば、唐の楊貴妃と日本の熱田神宮とを結びつけているのも、それである。義懐と惟成が、
「唐の帝は楊貴妃との別れを慕い、方士という道士に命じて、楊貴妃の魂のありかを訪ねられたが、方士は蓬莱宮(ほうらいきゅう)に入るというので、日本の熱田神宮に到り、亡くなった楊貴妃と言葉を交わし、形見の鈿(かんざし)をもらって帰ったとのこと。このように唐土の人の魂さえ来て住む日本蓬莱宮、まして弘徽殿の魂が日本を離れることはない」  
 と帝を諌めるところである。これは周知の通り、白楽天の『長恨歌』をベースにしているが、蓬莱宮の所在を日本の熱田神宮にしたのは、近松の独断である。これは、斉の国の徐福が秦の始皇帝に
「海の向こうに蓮菜という仙人の住島があります。そこに行って,不老不死の薬を探して来ましょう」  
 と申し上げると、皇帝は喜んで徐福に船を与えて仙薬を探しに行かせたという伝説から想を得たもので、中国の東方の島といえば、日本以外にはないから、それで近松は熱田神宮を蓬莱宮としたのだろう。

◆花山院道行の〈あらすじ〉と〈解読〉

〈あらすじ〉


 身分の高い人も低い人も、愛し合っている人の別れほど、この世で哀れなことはない。もったいないことに帝は、十善の位を捨てて、履いたこともない草鞋に足を痛め、義懐と惟成をお供にして、恋路に迷うはかなさ、水の泡と消えた人の面影は、夢でさえ見ないので、手枕をして話し合った言葉が耳に残っていて懐かしい。忘れもしない激しく燃え上がった恋、わが身は変わらないけれど、約束した人がいないので、
〈「月もない」
 と嘆くのは、なるほどもっともだ〉
 と思われ、心細い時だから、目の見えない烏の浮かれた声に、
〈我を訪ねるのか〉
 と思われて、あわれを催す道のあたりに、一晩中灯す蛍火の、それぞれ思いがあるからこそ、虫だって胸を焦がすだろう。なるほど在原業平が旅をしている時に、
ゆく蛍 雲のうへまで いぬべくは 秋風吹くと 雁に告げこせ(飛んでゆく蛍 雲の上まで行くなら 秋風が吹いていると 雁に伝えて) 
 と詠んでいるのはあわれである。ただでさえ雨が降り、晴れることもない空に、小田の蛙の鳴く声が加わって、道もはっきりと見えないので、涙を道しるべに、やっとのことで進まれると、雲がたなびく夜明け前に、今日出家なさる山寺にたどり着かれる。
 茅葺き屋根の軒の下で、濡れている着物の裾をしぼり、足などを洗って、しばらくおやすみになる。
 悉達太子(しったたいし/釈迦の太子名)は十九歳で王宮を出られたが、今この帝も同じ年、壇特山と恋の山、麓の道は違っても、最終は一つの法(のり)の門である。
  捜しに行く方士(幻術士)がいてほしい、そうすれば人づてにでも弘徽殿の魂のありかを知ることができるのに。露をかき分けて石清水に着いた陰陽の頭(かみ)安倍晴明は、紙の燕を作って、それに秘文を封じ込んで空に放すと、この鳥はまるで生きているように飛んで、八幡宮の宝殿の東の御殿の玉簾に止まって囀ずり、形は同じ紫の御簾の房に隠れた。晴明は、
〈それでは弘徽殿はまだ生きていて、ここにいらっしゃるのか〉
 と思い、宝殿に向かって、
「日本国の帝の勅使安倍晴明、ここまでやって来ました。弘徽殿の女御はいらっしゃいますか」
「なに、わが帝の使い、どうしてここまで来たのです」
 と、美しい花模様の帳(とばり)を押し除けて、玉の簾を持ち上げて、出ていらっしゃる姿は、剃り落とした髪で、昔の花の色はないが、匂いが残っているお顔、寂しそうな目に涙を浮かべているのは、春雨に濡れる一枝の梨の花か、海棠(かいどう)の花のようである。
「あら、懐かしい晴明、帝に名残は尽きないけれど、この 身が浮草のように頼りなく、淵に身を投げて死のうとしたところ、清滝夫婦に助けられ、世話をしてもらっているけれど、ごくわずかなわが命、とても長くは生きられないから、帝には、
『もうこの世にはいない』
 と申し上げてください」
 と涙を流してお泣きになる。
「これはもったいないお言葉、帝は少しの間の別れさえ耐えられないお嘆き、
『亡くなった』
 と申し上げれば、帝は生きてはいられないでしょう。晴明が使者に選ばれながら、なんのしるしもなく帰ることはできないのです」
 と遠慮なく申し上げる。
「そのしるしとは形見のこと? 剃り落として残しておいた黒髪以上の形見はないけれど、使いのしるしと言うなら
『天にいるなら』
 と誓った、この比翼の鳥の簪(かんざし)を奉りなさい。
『驪山(りさん)の花も一度は散り、華清の池の水もいつかは涸れるのが世の定め、お嘆きにならないように』
 と申し上げてください」
 と涙ながらにお入りになる袂(たもと)を晴明は引きとめて、
「ご一門の邪悪な心を、ごじぶんお一人で引き受け、命をお捨てになるのは、やむを得ないとしても、帝の種を胎内に宿しながら、その皇子までも失ってよいものでしょうか」
 と言うと、弘徽殿は、
「いいえ、三十数ヶ月経っても生まれない子が、帝の種であるはずがない。人の恨みが積もって産めば帝の敵、母に仇となるよりも、一緒に死んだほうがまし」⤵   とおっしゃるので、晴明が、
「いや、昔もお産が遅れた例はあります。唐尭(とうぎょう)という帝は、母の胎内に十四月宿り、黄帝は二十五か月、老子は八十年、白髪にて生まれたと言います。とにかく内裏にお帰りください」
 と帰還を勧めると、
「それは徳の高い僧ならではの不思議なことでは。わたしの場合は、帝の寵愛を競う藤壺の恨みが原因なのです。帝とは、
『天にいるなら比翼の鳥、地にいるなら連理の枝になろう』
 と誓いながら、髪を剃り落とした我は、生きていると言っても、死んでいるのも同然、名残は尽きないけれど、使者は形見の簪(かんざし)をしるしに持って都にお帰りなさい。それにしても帝にこの世で逢えないとは。浮き世でも恋しい昔、はかないけれどこれが本当のお別れ」  
 と、ひどく悲しんで転びそうになりながらお入りになった。
 衛士の又五郎と清滝は結婚して桂の里に住んでいたが、弘徽殿が死のうとしたのを助けて、八幡の宝殿に隠して、裏の畑で作ったものを清滝が煮炊きして、夫はそれを運んでいた。今日は粟の餅、菜の葉飯を重箱に入れて持って来て、
〈かわいそうに、きっとお寂しいだろう。女どもが後から来るが、その前に少しさし上げよう〉  
 と又五郎は包みを解きながら晴明を見つけて、
〈あれはここの社人(しゃにん)か、番人か〉
 と思う。生老病死の四相を悟る晴明、又五郎の内心を見抜き、
〈あれは又五郎、あれも元藤壺方、油断はならない〉
 と、そしらぬふり。
「いやいや、我らは鹿島神宮の神官、上方の方々に神のめでたいお告げを触れ歩いたので、当社に参籠いたした。少し休もう」
 と、足を投げ出してくつろぐのを見て、又五郎は嫌な顔をして、
「神官も社人の内、ここで休むとは礼儀知らず、無礼じゃ、脇へ」
「確かに伏見に泊まればいいが、ここからまだ二里もある。脚もよほど疲れた、その重箱の物、少しご馳走になりたい」
 と言って近寄ると、
「図々しい奴、中になにがあるかも知らないで、ご馳走してくれとは。こりゃ食い物じゃない。よそへ行ってもらいたい」
 と焦る顔を見て、晴明はやはり平然と、
「見え透いた嘘をつく人だな。中にある物、上の重箱から言ってみようか」
「食い物と言ってもいろいろある。さあ、上の重から言ってみろ。言い当てたらご馳走する。間違えたら、烏帽子、装束を剥がして裸にするが、合点か」
「わかった、鹿島明神もご照覧。間違えたら裸にしろ」
「面白い八幡大菩薩。さあ何じゃ、何じゃ、言うてみろ」
 晴明は、占って粟の餅だと知っているが、転じ変えて、御簾越しに弘徽殿の物思いをなくそうと、しばらく考えてから、
「わかった、わかった。色は黄色、黄色いものとはなんだろう。おおっ、柑子(こうじ/ミカン)だ、上の重は柑子だ、蓋を取れ」
 又五郎はにこにこ笑い
「今の季節に柑子とは、とんでもない推量。違ったとは言わせない。本当に柑子だな。すぐに真っ裸にしてやる。帯解いて待っていろ。これは粟餅だ」
 と、蓋を取れば大柑子。又五郎は、
〈粟餅が柑子になるとは〉
 と不思議に思って、
「もう一度勝負しよう。二段目はなんだ、言ってみろ」
 と意地を張る。
「いや、もう止めよう。できぬできぬ」
「裸にしなければ気がおさまらぬ。二段目の中身はなんだ」
 と顔を赤らめ、額に大汗をかいて、
「遅い、遅い。早く言え」
 と急き立てる。晴明はわざと迷惑な顔をして、
「さっきは、まぐれで当たっただけ。今度は外れて、裸にされる」  
 と、言っているうちに転じ変えて、
「では、一か八か言ってみよう。二段目は食い物ではない。生きた鼠が三匹いる」
  又五郎は頭を叩いて喜び、
「はっはっはっ、鼠だと。阿呆なことを言うな。重箱に鼠を入れて何になる。これはな、菜飯だ」
 と蓋を取ると、黒と白の鼠が重箱の中に三匹いる。又五郎は、
「これは、これはどういうことだ」
 と驚き呆れていたが、神官を不思議そうに見て、突然大きな声で、
「おお、そうかそうか、そうだったのか。これほど不思議な現象を出現させるのは、安部晴明にほかならない。そうだな」
「いかにも。しておぬしは」
「我は藤壺の乳兄弟、清滝の夫、衛士の又五郎と申す者、昨日の明け方に、弘徽殿の女御、桂川の深みに身を沈めようとなされたのを引き止め、お身の上を尋ねたら、
『伯父左大将の策略で藤壺を殺害した、と頼光の御前にて伊賀介が白状。さらに帝を殺害しようと企む悪逆も、皆じぶんから起こったこと、生きて心を悩ますよりは、死なせてくれ』
 とのお嘆き。いろいろとなだめ、この宝殿の東の間にお隠ししたが、日陰の我ら、帝に申し上げることもできぬ。そなたが取りついでくだされ」  
 と真剣に言うので、晴明は思わず両手を打って、
「不思議なことだ。それがしも帝の命令で、弘徽殿とお会いし、そなたの噂を聞いたが、藤壺との縁があり、謀反の心があるのではないかと試してみたのだ。悪かった」  
 と言うと、
「いやいや、こう申す言葉に下心もごまかしもない。重箱の中だって、我が持ってきたのは粟餅と菜飯だ。元に戻してくだされ」
 と言うので、晴明はおかしくなって、
「お安いこと」  
 と言って転じ返すと、あっという間に柑子は粟餅に、鼠も菜飯になる。
 こうしているところに、在郷の下級武士二、三十人が、さまざまな武具をつけて群がって来た。
「方々は参詣の旅人か。最前よりここに、内裏上臈と思われる女は見えなかったか。弘徽殿の女御が内裏を密かに抜け出して、この山にいらっしゃると、芦屋の道満が占いをして、左大将早岑公より、
『御身に過ちがないように捜し出せ』  
 との仰せ、そのような上臈がいたら、早速この山の別当に報告してくれ。我らは高良明神(こうらみょうじん)の廻廊(かいろう)の付近を捜そう。皆々ぬかるな、油断するな」
 と麓を目指して下りて行く。晴明東西を遥かに見渡して、
「又五郎、猪の鼻坂女塚(いのはなざかおんなづか)のあたりに大勢人がいる。女御をここに置いていたら危ない。それがしは女御のお供をして山を下り、内裏へ連れて行く。そなたは敵を斬って追い払え」
「我のは短刀同然の小脇差し、槍、長刀(なぎなた)にはかなわない。どうしたらいい」
「あの絵馬、白銀作りの大太刀(おおだち)、
『願主相模国の住人小余綾新左衛門尉景春、百日詣敬って申す』
 と書いてあるのは、無実を逃れた小余綾が願ほどきに来たのだ。それなら真剣だ。あの太刀取って、相手を斬り捨てよ」
「任せておけ」
 と言うところへ、女房清滝が走って来て、
「又五郎、おおっ、晴明様も ここにいらっしゃったか。嬉しいこと、一人でも味方が増えたのだから。実は平次兵衛と道満が、大勢連れてここへ来る。女御様を奪い取られては、助けた甲斐がない」  
 と二人に言って女御の所へ行き、夫と共に逃げるように勧めると、弘徽殿は、
「人々のご好意を無にするようだけれど、敵(かたき)というは我が伯父君、その罪のせいで、死ぬる覚悟で髪を切ったのに、どうして帰ることができようか、死なせてくだされ、又五郎」
 と、嘆かれると、
「御髪(おぐし)を切られたのは心配ありません。粟餅を柑子に、菜飯を鼠にする晴明殿がいるのだから」
 と、夫婦が女御の手を取ったところへ、芦屋の道満と平次兵衛盛重が、侍百騎ばかりを連れて登って来た。
「やはりそれがしが占いの通り、弘徽殿はこの山にいらっしゃり、又五郎、清滝、晴明が味方していたか。懐胎の皇子(おうじ)を守って、左大将早岑公は天下の執政におなりになる企て……」  
 と言うのを又五郎は最後まで言わせないで、
「企てとは何の企て、その企てをしている奴を針刺しにしてやる」
 と言って刀をかまえるが小脇差し、その短刀を投げ捨てて、
「失礼だが晴明殿、刀を拝借する」  
 と、するりと抜き、多勢を左右に引き受けて、なにも言わさないで、追い払い坂を下りてゆく。
 平次兵衛ただ一人引き返して来て、清滝めがけて斬りかかる。
「待っていた」  と夫の脇差しを拾って、しばらく戦っていたが、しょせん女で力が弱いうえに短刀だ、
「ああ、もはやこれまで」
 と見えたので、晴明は女御をかばいながら、
〈ああ、危ない、危ない。あの絵馬の主、来てくれ〉  
 と心に念ずると、願主の文字がさっと消えて、小余綾新左衛門が太刀をかざして、清滝の前に立った。
「刀を盗まれた寝ぼけ侍、どこから出てきた小余綾、寝言は言うな、目を覚ませ」  
 と悪口を言うが、小余綾は なんとも思わないで、激しく斬り合って追い廻す。
 その時お参りしていた小余綾、神前の騒動がわからず、
〈なんだろう〉
 と立っている所に、平次兵衛が追われて来て、
「いやあ、先に廻っていたのか、これはいけない」
 と言って引き返すと、そこにも小余綾がいる。前にも小余綾、後ろにも小余綾、
「ええい悔しい、これは晴明が行力(ぎょうりき)だな。道満はおられぬか。きゃつを金縛りにしてくれ、道満、道満」
 と叫ぶところをさっと蹴倒して乗っかかると、姿は消えて、願主の家名と文字は元の絵馬に戻る。
 新左衛門は上機嫌になってにこにこ笑い、
「〈おのれを討ちたい、討ちたい〉
 と思っていたが、正八幡のご利益、嬉しいことだ。おのれよくも手引きをして、旅疲れのそれがしの枕の刀を盗んで藤壺を殺させ、無実の罪を着せたな。伊賀の介の白状で、悪人はすべてわかった。これがおのれが盗んだ刀だ」
 と刀を刺して、首を斬ると、又五郎は道満の首を太刀で貫き、
「取った、取った、首を取ったぞ」
「こっちも取ったぞ、首を取った、名を取った」
 と、それぞれ大声を上げて囃す。晴明の加持の徳、清滝夫婦の誠の徳、そして小余綾の悪を滅ぼす殺生も、義を貫く武士の面目。放生川(ほうじょうがわ)の反橋(そりはし)は弓の形、源氏の氏神弓矢の威徳、石清水八幡宮を拝して、弘徽殿を都に連れて帰る。

〈解読〉

 
花山院道行は、戯曲でいうと、第四段の二場ということになる。  
 帝は、夜明け前に出家なさる山寺にたどり着き、しばらくおやすみになる。
 花山院道行とあるから、花山帝は出家すると誰もが思うだろうが、史実とは違って、この物語の花山帝は出家しない。これも近松ならではの視点といえるかもしれない。
 弘徽殿を探しに来た安倍晴明が紙の燕を作って空に放すと、この鳥はまるで生きているかのように飛んで、八幡宮の宝殿の東の御殿の玉簾に止まった。晴明は、
  〈それでは弘徽殿はまだ生きていて、ここにいらっしゃるのか〉
 と思い、宝殿に向かって声をかけると、弘徽殿は剃髪の姿で出てくる。
 晴明は、内裏に帰るように勧めるが、弘徽殿は、
「帝とは、
『天にいるなら比翼の鳥、地にいるなら連理の枝になろう』
 と誓いながら、髪を剃り落とした我は、生きていると言っても、死んでいるのも同然、名残は尽きないけれど。形見の簪(かんざし)をしるしに持って都にお帰りなさい」
  と、ひどく悲しんで去る。  
 弘徽殿をかくまって世話をしている又五郎が、粟餅と菜の葉飯を重箱に入れて持って来る。晴明は又五郎を疑って、本名は名乗らず、鹿島の神官と言って、
「重箱の物、少しご馳走になりたい」
 と言う。又五郎は、
「図々しい奴、こりゃ食い物じゃない」
 と断るが、晴明がなおもしつこく迫るので、重箱の中の物を言い当てることになる。
 晴明は、すでに占って上の重箱は粟餅だとわかっているが、御簾越しに弘徽殿の物思いをなくそうと、転じ変えて、
「上の重は柑子だ」
 と言う。又五郎が笑いながら
「今の季節に柑子があるものか」
 と蓋を取ると、粟餅は柑子になっていた。
「もう一度勝負しよう。二段目はなんだ」
 と意地になって問うと、晴明は菜の葉飯とわかっているが、転じ変えて、
「生きた鼠が三匹いる」
 と答える。又五郎は頭を叩いて喜んで蓋を取ると、またもや菜の葉飯は鼠に変わっている。  
 これは滑稽な〈手妻からくり(マジック)〉の一場であるが、近松が、古浄瑠璃山本角太夫作の『信太妻』第四段の安倍晴明と芦屋道満との術競べを参考にしているのは明白である。『信太妻』では、南殿で晴明と道満とが唐櫃の中の物を当てる、術競べが行われる。最初は二人とも猫二匹と言って当てる。次に大柑子十五を入れた大きな三宝が運ばれて来る。道満はすぐに、
「大柑子十五」
 と言うが、晴明は勝負を早く決めようと転じ変えて、
「鼠十五匹」
 と答える。誰もが、
〈晴明負けたな〉
 と思うが、蓋を取るやいなや鼠十五匹が飛び出し、それをさっきの猫が追いかけるので、人々は大爆笑となる。いかにも子供が喜びそうな余興劇である。  
 そしてこの段の終わりでは、さらに晴明の祈祷力によって、絵馬に掲げた小余綾新左衛門奉納の大太刀の額から、小余綾が飛び出し、太刀を振りかざす。平次兵衛が逃げると、逃げた所に本物の小余綾がいる。二人小余綾は前後左右に奮闘する。本物一人になった小余綾は、
「おのれよくも手引きをして、旅疲れのそれがしの枕の刀を盗んで藤壺を殺させ、無実の罪を着せたな。伊賀の介の白状で、悪人はすべてわかった。これがおのれが盗んだ刀だ」
 と刀を刺して、平次兵衛の首を斬ると、又五郎は道満の首を太刀で貫き、
「取った、取った、首を取ったぞ」
「こっちも取ったぞ、首を取った、名を取った」
 と、それぞれ大声で勝ちどきを上げる。作者は、晴明の加持の徳、清滝夫婦の誠の徳、そして小余綾の悪を滅ぼす殺生も、義を貫く武士の面目と称えてこの場を閉じる。


◆第五の〈あらすじ〉と〈解読〉

〈あらすじ〉

 山に登らなければ、天の高いのがわからず、谷に入らなければ、地の厚いのがわからず、聖人と賢人の言葉を聞かなければ、大成しないのは、当然である。晴明の忠告によって、弘徽殿の女御は命をまぬがれ、人々に誘われて、すぐに花山寺にお入りになると、帝は限りなく感心なさり、急いでお帰りになりたいのだろう、弘徽殿も同車して、小余綾親子が先払い、義懐(よしかね)と惟成(これなり)をお供にして、車を轟かせると、山道の野原も秋の色、今日の行幸(みゆき)を待っていたかのように、女房たちの花摺衣(はなすりごろも)、葛の花の盛りもほんの一時、真葛が原(まくずがはら)にお着きになる。草葉に鳴くさまざまな虫の声、穂が出始めた薄に止まる蝶や蜻蛉がはたはたと飛んで、
「秋の野外での遊びは珍しい」
 と、帝も女御も車の中で、女房たちは外でしばらく見とれている。
 根笹の生えている茅(ちがや)の原で、風も吹かないのに、ざらざらざらと音がしている所で、三尺(約90㎝)ほどの蟷螂(とうろう/カマキリ)が前脚を上げて、車に向かって羽を広げて、頭を振って狙っているのは、なるほど蟷螂が斧をもって、天子の車に向かっているようだ。
 始めのうちは女房たちも、
「それにしても大きなカマキリ」
 と笑っていたが、しだいに恐ろしくなり、女御も驚かれたので、
「誰かいるか、カマキリを追い払え」
 と言うと、小文吾が扇を取って、さっとあおぐと、ひらりと飛び、追い払うと、はっと立ち、鎌と競い合う扇の風、飛び去ったり、飛び退いたり、飛び回ったりして、車の屋形にとまり、四方に頭を振ったりして、眼(まなこ)は鈴のようである。
 小余綾は車の前に行って、
「たかだか昆虫の妨害の、取るに足らないことだとしても、
『弱い敵でも油断してはならない』
 と言います。考えてみますと、我が君を恨みに思う狂暴な敵ではないかと。今日のお帰りは不安です。ひとまず花山寺へ引き返して、またの日になさっては」
 と申し上げていると、菊が谷から覆面の男が数十人、大声を上げて登って来て帝の車の前後左右を取り囲み、
「帝を渡せ、女御を渡せ」
 と騒ぎ立てる。小余綾は少しも恐れることなく、
「やはり予測していた通り、左大将早岑が群党だな。やたらに渡せ、渡せとは、商人(あきんど)の売り掛け買い掛けでもあるまいに。悪逆非道の左大将に従い、朝敵となってむやみに命を捨てるより、神国神孫の天子に従い、百年生きたほうがいい。だが、それでも争うというなら、争え。ちょっと手荒い関東武士、小余綾親子の腕を見誤って戦いを挑むとは笑ってしまう」
 と高らかに笑う。悪投たちはそれぞれに、
「なにもわからない愚か者め」
「日本三つのお宝、八咫鏡 (やたのかがみ) ,草薙剣 (くさなぎのつるぎ) ,八坂瓊曲玉 (やさかにのまがたま)、これを持っているのが帝のしるし」
「畏れ多くも、主君左大将早岑公、今内裏に入って、三種の神器(じんぎ)を携えていらっしゃるから、早岑公こそ王様、天子様だ」
「草木もなびく早岑公に背くおのれが朝敵よ」
「渡せ、渡せ」
 と罵る。
「おお、渡す、これを渡す」
 と言うなり、親子一緒に剣をするりと抜き、敵を追って菊が谷を下って行く。
 敵の中でも中心人物と思われる者が引き返して来て、車の轅(ながえ)をつかまえると、さっきのカマキリが飛んで下り、剣の鎌を研いで、脛(すね)を引っ掻いて倒し、腕、首、膝などおかまいなく切り倒して追い払うと、強いて近寄る者もいない。
 小余綾親子が引き返して来ると、今までここにいたカマキリは消えていき、紫の恨みの藤壺の面影が突然現れて、
「ああ、恥ずかしい。帝と契った鵲(かささぎ)が渡す橋も途絶えて、刀で斬られ血が飛び散ったのを、左大将の仕業とも知らないで、罪のない弘徽殿を恨んでしまったのが恥ずかしい。許してくだされ。懐妊のお体を三年三月(みとせみつき)封じ込めて、悩ませたのも、われがしたこと。今胎内には姫宮がいらっしゃるけれど、われが持っていた若宮の魂と転じ変えれば、男子が誕生なさるはず。われカマキリになって、車の上に羽を休めていたのは、神の命(みこと)の御産屋(おんうぶや)で、鵜の羽の茅を葺かないうちに誕生なさった尊(みこと)のめでたい先例にならって、八百万(やおよろず)の神がお守りするご誕生、只今なり。それではさらばじゃ。われは日影の露の玉」
 と言って消えてしまった。
 不思議なことに女御はたちまち産気づき、女房たちが集まって車を鵜の羽の産屋にして、苦しむことなく皇子がご誕生、産声がめでたく聞こえるので、お供の人々は一同に悦びの声を上げる。
 一方、左大将早岑の悪逆は止まることがなく、じぶんの館は閉めて、宮中に押し入って、摂政、関白、三公(太政大臣、左大臣、右大臣)の上に着いて、従わない公卿、大臣を死罪、流罪にして、
〈頼光が来るかもしれない〉
 と、四つの門を固く閉じさせ、それぞれに警護を置いて、籠城のような状態である。
 衛士の又五郎と妻の清滝は、頼光に訴えて、主人の敵、母の敵の羽倉伊賀介を受け取って縄で縛り、南門の前に座らせて、割れんばかりに戸を叩き、
「朝廷の敵、左大将、よーく聞け。おのれはじぶんだけの栄華のために、若宮ご懐妊の藤壺様だけでなく、乳母の治部卿を殺害したゆえ、この又五郎には主人の敵、妻の清滝には親の敵と主人の敵、さらに胎内の宮様を失ったゆえ、天下万民には国王の敵だ。とにかく
〈おのれを討ちたい斬りたい〉
 と気持ちばかり焦るが、運に乗った左大将、夫婦の力には及ばず、だからこの伊賀介を連れて来たのも、伊賀介に恥をかかせるためではなく、左大将に恥をかかせるためだ。取るに足らない又五郎に、恥をかかせられる左大将、末世まで恥をさらせ」
 と、夫婦門を叩いてどっと笑って立っている。
 左大将は怒って築地の上に立ち、龍と虎が挑む眼(まなこ)の光のようにかっと見開き、大声を上げて、
「やい、日雇い。おまえは胸に一物ある下郎だ。よくもいつぞやは、この左大将を騙して帝を助けたな。
〈捜し出して、磔にしてやる〉
 と思っていたが、末代まで恥をさらすのはおまえらのほうだ。誰か、伊賀介を奪い取れ」
 と言うやいなや、門を押し開けて、大勢の士卒が群がって、夫婦を左右へ引き離して
伊賀介を奪い取り、門を閉めて閂をかける。左大将は大声で笑って、
「見たか、猫の子が親猫の取った鼠を、弄んでいるうちに逃がしてしまうように、伊賀介を奪い取られ、頼光に顔向けできぬだろう。夫婦刺し違えて自滅しろ。左大将の情けとして、二人の死骸を逆さ磔(はりつけ)にしてやる」
 と言って中へ飛び降りた。二人は呆れて言葉もなく、築地を睨んで立っていると、保昌を先頭に貞光、末武、綱、公時が駆けつけて来て、
「伊賀介は討ったのか」
「どうした」
「どうした」
 と問われ、夫婦は、
「討つどころか、簡単に奪われてしまって、反対に我らが討たれそう」
 と言うと、五人一斉に、
「はああ」
「大切な囚人を奪われては、敵に三分の強み」
「悔やんでも返ってこない」
「時節を待ってどうにかしよう」
「いや、一時も延ばされない」
「築地を越えて入ろう」
 と、門を睨み、築地を叩き、五人は怒って、
「きゃつを取り返すまでは、絶対にここを立ち去らない」
 と、南門の砂の上に五人が一斉に座ると、大地も揺れるほどである。すると公時突然立ち上がり、
「口で悔やんでばかりいては、百日言っても同じこと。この門一つ蹴破るのは、薄紙裂くより容易い。公時が押し破り、伊賀介を取り返すついでに左大将も引っ張って来る」
 と、金剛力士の勢いで、母譲りの力こぶ、拳(こぶし)を握って、門の柱を、
「えいや、えいや」
 と押すと、四人の人々すがりつき、
「まず待て公時、おまえがこの門一つ蹴破ることができるのは皆も承知だが、左大将が早まって、
〈もはやこれまで〉
 と思って、三種の神器に火をつけて、内侍所の八咫鏡 (やたのかがみ)を失えば、この日本は魔界となる。たった一人の過ちが、万民の嘆きの種となる一大事。心を静めて様子を見ろ」
 と言っても公時は納得せず、
「また例のご意見か。今度ばかりは持病の虫が背筋にまわり、針でも灸でも堪忍ならぬ、放せ、放せ」
「いや、放さぬ」 
 と、公時が押す響き、四人が止める響き、門内に人音がして、海老錠はずし閂を引き、扉をさっと押し開いて出て来たのを見ると、伊賀介である。
「さあ、今がいい。どなたもお入りくだされ。これ又五郎、武士の契約、金属や石より堅い。伊賀介の一言に偽りのないのを見たまえ」
 と言って刀に手をかけ自害しようとするので、渡辺押し止め、
「この度の計略は主君頼光がそれがしと相談して、又五郎夫婦とそなたを遣わした。味方が勝利し、天子の運が開かれる時節到来の時なのに、何が不足で自害するのか、心底が聞きたい」
 と言うと、伊賀介ははらはらと涙を流して、
「何が不足とは情けない。左大将に頼まれ藤壺を殺害し、今また左大将を欺(あざむ)き、門を開き敵を引き込む返り忠(裏切り)、これほど心の定まらぬ、娑婆に益のない伊賀介、情けがあるなら介錯(かいしゃく)を頼みたい」
 と、振り放そうとするのを、人々つかまえて、
「なんと愚かなこと。十悪五逆の左大将を、二度三度偽って、十善の君を御代に立て、天下太平の功があるそなただ。
『娑婆に益のない武士』
 と笑う者こそ、生きていても、なんの役にも立たない愚か者。死に時はまだ早い。討ち死にするほど働いて、頼光の指示を仰ぎ、死んでもよければ、そこで死ね」
「そうだな、誤った。身の上は後日決めればいい。天下の大事はすぐ目の前、今が好機だ、早くお入りくだされ」
 と、伊賀の介が先陣にて、清滝夫婦、四天王の八人は、門外門内手分けして、大声で叫んで攻める。
 広い内裏に数千籠っていた賊党も、八人に追われたり、斬られたり、逃げたりして、残り少なくなった。左大将は、
〈かなわない〉
 と築地に上り、
〈隙を見て逃げよう〉
 と、機会をうかがい駆け回る。そこへ又五郎と清滝が飛びかかり、両の足首をしっかりつかみ、引き下ろそうと引っ張っても、鞠を蹴るより容易いのか、左大将に蹴落とされてしまった。いつの間に築地に上がったのか、綱、保昌が左大将の左右に突然現れ、両手をつかんで、
「えいやっ」
 とはね返へすと、下にて公時が、
「もらったぞ」
 と受け取って押さえ、首を引き抜いて、
「朝敵滅亡、御代万歳」
 と叫ぶ声、帝は再び内裏にお帰りになり、治まる国の名将の、民を憐れむ源氏の元祖、文に栄え武に栄え、上(かみ)に道あり、下(しも)に礼ありの、ありがたい君が代の、ご子孫ご繁盛、五穀豊饒の時に巡り合う、受け継ぐ子孫まで楽しいことだろう。

〈解読〉

 第五段は帝と弘徽殿が同じ車で内裏に帰る途中の真葛が原(まくずがはら)で、三尺(約90㎝)ほどの蟷螂(とうろう/カマキリ)が現れて、前脚を上げて、車に向かって羽を広げる。
 小文吾が扇を取って追い払うと、四方に頭を振ったりして、眼(まなこ)は鈴のようである。  
 そこへ左大将早岑の残党が攻めて来て、帝の車を取り囲む。カマキリは剣の鎌を研いで追い払う。すると、このカマキリは消えて、藤壺の面影が突然現れる。藤壺は、じぶんが殺されたのを、左大将の仕業とも知らないで、罪のない弘徽殿を恨んだのを侘び、
「懐妊のお体を三年三月(みとせみつき)封じ込めて、悩ませたのも、われがしたこと。今胎内には姫宮がいらっしゃるけれど、われが持っていた若宮の魂と転じ変えれば、男子が誕生なさるはず。われカマキリになって、車の上に羽を休めていたのは、神の命(みこと)の御産屋(おんうぶや)で、鵜の羽の茅を葺かないうちに誕生なさった尊(みこと)のめでたい先例にならって、八百万(やおよろず)の神がお守りするご誕生、只今なり。それではさらばじゃ。われは日影の露の玉」  
 と言って消える。  
 不思議なことに女御はたちまち産気づき、女房たちが集まって車を鵜の羽の産屋にして、苦しむことなく皇子が誕生する。  
 ここで、題名を『弘徽殿鵜羽産屋』とつけたのがわかるが、いくら『古事記』からの歴史性を表しているとはいえ、相当の無理があるので、現在のわたしたちが上演する場合は、この題名は副題にし、小余綾新左衛門、又五郎義長、羽倉伊賀介三人の生き方を彷彿とさせる題名に変えたほうがいいだろう。

改訂台本

※浄瑠璃本の『弘徽殿鵜羽産屋(こうきでんうのはのうぶや』を三澤憲治が戯曲風に変えた改訂版は以下をお読みください。


第一

 佳人ことごとく晨粧(しんそう)を飾り、魏宮(ぎきゅう)鐘動いて、遊子なお残月に行く、九重五舎の后町、関々と相和らぎ、羽を並ぶる水鳥は、君子の好きたぐい、ここにたぐえてわが国の、天津日嗣六十五代、花山院のご在位の、都ぞ花の都なる。
 君立坊の始めより、後宮佳麗多きうちに、正二位為光の娘を弘徽殿に召し入れて、芙蓉帳の内に、比翼の衾を重ねたまい、また官務忠平が娘を藤壺にすえ置きて、珠箔銀屏の影に、連理の枕を並べたまえば、弘徽殿も藤壺も、優し劣りなきご寵愛、御情けに隔てなく、月日も同じ相孕み、帯の祝いに青梅も、共に悪阻の六月祓え、
「この神事のついでをもって、二人の女御の御懐胎、男女の間を考え、殊には変成男子の懇祈をいたすべし」
 と、弘徽殿の祈りの師は、当時天文に名を得たる芦屋の道満、無官なれども内縁の沙汰によって相勤む。さて藤壺の祈りは、陰陽の頭安倍の晴明、火水を改め齋(ものいみ)して、鴨の河瀬に夏越の祓え、二人の女御の御車、岸を隔ててやりつづけ、女中ばかりの忍びのお供、
「あわれこなたを若宮、こなたが王子であれかし」
 と、声もそよそよ風そよぐ、楢の小川の夕暮れは、禊(みそぎ)ぞ夏のしるしなる。両博士は両壇にしめ縄引き回し五十串立て(いそぐしたて)、道満は冥道供一字金輪(みょうどうぐいちじきんりん)の法を修す、晴明は大元三種(だいげんさんしゅ)の大祓え、北斗七星元亨利貞(ほくとしちしょうげんこうりてい)四徳の法、行者は無双、修法は無上、勝劣さらになかりし時、道満弊串(へいぐし)を逆手に取り、瀬見の小川を一文字、横にあてて切りければ、川水二つにさっと別れ、上と下とへ流れしは、絹を断ったるごとくなり、道満厳めしげに、 
「ご覧そうらえ、祈りの験(しるし)川水左右に流るるは、弘徽殿のご懐胎、王子誕生疑いなし、いかに晴明、ごへんが祈り、なんの験(しるし)も見えざるは、藤壺の懐妊は姫宮に極まったり、壇を下がれ」
 と言いければ、晴明ちっとも臆せず、
「いいや、さわ言われず、ごぶんが祈る川水、中切れて両方へ分かるるは、これ坤の卦(こんのけ)の形、晴明が祈る川水、すぐに離れず流るるは、乾の卦(けんのけ)の形、いわゆる乾道は男となり、坤道は女となる。天地未分の一大極の妙理、誰かこれを争わん、しかればごぶんが祈る弘徽殿は姫宮ご懐妊、わが祈る藤壺は確かに王子ご懐妊、正しき印と幣追っ取り、投ぐれば幣串川瀬に立ち、くるくるとまつわれて、幣帛(へいはく)変じて玉の冠、ありありと南面して、王子の相を現じける。
「負けまじもの」
 と道満続いて投ぐる幣串の、同じく川瀬に立ちながら、幣帛長く打ち萎え(しなえ)、水の緑の振分髪(ふりわけがみ)、女の鬘(かずら)と現じたり、
「すわ弘徽殿の懐胎は姫宮なり」
 とひそめけば、道満焦っていらたか数珠、七鬼神の索に懸けて、責め伏せ責め伏せ祈り祈られ、二本の幣帛はっしと打てばさっと散り、揉み合い打ち合い互いに怒り、大幣(おおぬさ)の波の白木綿(しらゆう)打ち乱れ、流るる幣に道満は、なお引っ添うて祈り行く。
「晴明声をあげ、乾に乾を累(かさ)ぬるは亢龍(こうりょう)悔いあり、藤壺の御身過ちあらん、危うし危うし、慎みたまえ」
 と言い捨てて、幣帛慕とうて走り行く。げに禍(わざわい)は下女、両方共にぎしみ合い、
「やあ、あれは誰が車、ただ今時めく弘徽殿の御車に、立て並べしは慮外なり、あれ引き除けよ」
 と、浮気盛りのお中居腰元、牛や車も言わせばこそ、
「えいやえいや」 
 と押しやったり、藤壺の乳兄弟(ちきょうだい)清滝(きよたき)という男勝り、
「負けていやるな女房たち、あの車押しわって、お車やれ」
 と下女はした、牛追っ立て轟かす、弘徽殿のお腰元因幡(いなば)という我武者もの、飛びかかって牛の鼻づら、軛(くびき)をつかんで押し戻す、やれば押さえ、戻せばやる、牛の鳴き声えいや声、因幡は汗に手の内すべり、足をつまずき横投げに、どうど臥したる腰骨に、やりかけたる車の轍(わだち)、胴中さっと敷きちぎられ、血煙立ってわっとばかり、即時に空しくなりてけり。弘徽殿の伯父按察使(あぜち)の大将早岑(はやみね)いずくにか忍びけん、大きに怒って駆けつけ、
「王子懐妊の弘徽殿の御車、上(かみ)へ慮外も同然、その女逃がすな」
 と清滝をからめさせ、車打ち割り
「藤壺を引きずりいだせ」
 とひしめくところへ、糺の森(ただすのもり)より放免雑色供したる勇士つつと出で、
「やあ粗忽なり早岑公、それがしは源の頼光が家臣渡辺の綱(つな)、これほどの大礼には、武家に警護仰せつけらるる前例を背き、各々ばかりの御はからいは、お公家方の私(わたくし)、主人頼光帝都守護の当職ゆえ、密かにそれがしを遣(こ)されしところ、案に違わずこの騒動、両方ご懐妊の女御は同じ御位(みくらい)、藤壺に慮外あれば弘徽殿にも慮外ある、いずれ理非はつけがたし、但し清滝をからめられしは、因幡が死したる下手人な、しからばまず彼が母、すなわち藤壺の御乳(おち)の人治部卿(じぶきょう)にきっと預け置き、重ねて公家武家詮議の上の御沙汰たるべし、さあこの上にもご非難あらば承らん」
 と言いければ、大将不興げに、
「むむ然らば公家武家立ち合いの番をせさすべし、さて両方同じ懐胎の女御、大内一所のお住まいは、下女めらまでが嫉みあい、禁中騒動の基(もとい)、誕生までは藤壺、これも乳人(めのと)に預け置く、必ず必ず参内無用、なんと渡辺、大内の掟、言うことあらばさしでて見ぬか」
 と、睨(ね)めつくれば、渡辺しさって、侍風情の我等、上を計らうにはそうらわず、主人の命を被るからは、綱が言葉は頼光が言葉、総じて文を守る公家方は風儀優しく、詩歌管弦の御たしなみが肝要、これに違う無道人(むどうにん)は、いかなる高位高官も、きっと警め(いましめ)制するは武家の役にそうろう」
 と、前後をおさえて立ち帰る。
 文武両輪の小車も、めぐる日影や西の京。
 壬生は木立も物ふりて、何にかからん藤壺の、父母の形見の古屋形。
 左大将が計らいにて、参内叶わぬ里住まい、乳兄弟の清滝は、庭の古木に猿縛り、壬生寺の入相も、姿の花や散らすらん、藤壺耐えかね走り寄り、
「のういまいましいこのありさま、よし自らが過ちにて、女御の位を追いおろされ、憂き目にあわばあうまでよ、縄を解かん」
 と寄りたまえば、
「ああ気弱な上臈さま、その美しいお心ゆえ弘徽殿がわがまま、殊に伯父の左大将、わが姪一人女御に立て、おのれが威勢を振るわんと、うらやさんの道満まで、ぐるになってなすわざ、御一門とてもなく、お力になる母治部卿は言い甲斐なき年寄り、ええかくあろうと知るならば、とくにも夫持とうもの、お身になるものがない、これ賢女だても事による、弘徽殿に負けまいと、お心に我を持って、科(とが)を私一人に負おせ、斬らりょうが打(ぶ)たりょうが、振り捨てて参内なされ、お位は王様でも、明けて言えばお前の男、悋気嫉妬に法度はなし、生きながら蛇(じゃ)になって、髑髏(しゃれこうべ) に角の生えた習いもある、角こそ生えずと、せめて瘤(こぶ)でも生やそうと思しめせ、ええ歯がゆい上臈や」
 と身を震わして泣きければ、
「いやいや見かけこそぐっしゃり、人こそ知らぬ心の鱗、玉体に纏いつき、弘徽殿に食いついても、悋気づくには負けぬ負けぬ」
 と思わず高声、もれ聞こえてや番所より、
「あれあれ人が」
 と、藤壺は隠れて奥に入りたまう。
 公家方の当番平次兵衛盛重(へいじびょうえもりしげ)声を怒らし、
「やあ不敵なり囚人(めしうど)、公家武家立合の番をも恐れず、高声に上(かみ)のお噂、しょせん物を言わするゆえ」
 と袖引きちぎり清滝が口ねじこみねじこみ、腿立紐(ももだちひも)にてくるくる巻いて猿ぐつわ、縄を枝に釣り上げられ、罠にかかりし狩場の鳥、忍び音に鳴くごとくなり。 
 武家方の番つっと出で、
「これこれ盛重殿とやら、今日合番ながらしみじみとも御意得ず、我らは源氏の被官相模の国の住人、小余綾新左衛門(こゆるぎしんざえもん)の尉(じょう)景春(かげはる)と申す者、四、五日以前に参勤のところ、主人頼光この番を申しつけらるる、
『長道中の疲れ』
 と申し、
『上方無案内のわれら、大事の御番』
 と辞退せしに、
『女中といい軽き科、厳しく守るに及ばず、捨身(しゃしん)などなきように、労り勤めよ』
 とのことなるに、拷問同然の戒め、心得がたくそうろう」
 と言う、
「げにもっとものご不審、公家方武家方立ち合いの番、ごぶんは頼光の下知(げち)を受けられよ、この平次兵衛は公家方の仰せに任せそうろう」
 と言えば、小余綾東武士、
「大内の作法さもこそ」
 と、打ち連れ番所に入りにけり。
 清滝は爪先もつかぬばかりに釣り上げられ、
「息も通わぬいましめは、左大将めが計らい、藤壺さまへのあたりよな、たとえ手足をもがれても、お身代わりと思えば厭わぬ、ええ凡夫の目に見えぬとて、仏神ないと思うかや、心の底まで見通しの、天に目もあり耳もある、世の中の善し悪しを、見わけ聞きわけたまわぬか」
 と、見あぐる月も山の端に、はや入り果てて更けにけり。
 灯火細きお寝間の内、お側にはわが母の、八十にあまる治部卿、
「何を力においとしや」
 と、涙もともにはらはらと、桐の葉落ちて飛ぶ蛍、思い悄然たる深更に、廊下の障子に影映り、忍びの者とおぼしき二人、ぬき足して藤壺の寝所をさしてうかがい寄る、追つづいて直垂(ひたたれ)の袖高結び、抜き刀さげそろりそろりと忍び込む、影はあれあれ南無三宝、すわ事こそ、
「よいよいこの清滝が見つけしもの、おのれ活(い)けておこうか」
 と、心は先へ我が身を忘れ、駆け出でん駆け出でんと身をもんで、
「はあそうじゃ、身は縛られておるものを、のうご番衆ご番衆」
 と叫んでも声立たず、忍びは寝所にはや入ったり、
「ええお枕長刀あるものを母上は寝入ってか、なんのこと」 
 縛り縄引きちぎらんと、ねじつしゃくつつ我が力、我が腕くびに食い入って、心ばかりにつなぎ犬、柱を廻るに異ならず。
 寝間に太刀音はたはたはたはた、血は飛んでさっさっと、紅葉を描くがごとくなる、障子押し開け母治部卿、
「何者か忍び入り藤壺さまを斬り殺し、わらわも深手」
 とばかりにて、かっぱと臥して絶え入れば、狼藉者も逃げ散る影、屋形には下女ばかり、あるに甲斐なき牛童(うしわらべ)、慌て騒いで番所を叩き、
「狼藉者が忍び入り、藤壺さまとお乳(ち)の人治部卿殿を殺した、まずこの通り頼光様へ注進」
 と、言い捨てて駆け出だす、小余綾は旅疲れ、寝耳にはっと枕を上げ、見れば相番盛重も、前後も知らず高鼾、
「これ平次兵衛殿、狼藉者が藤壺とお乳の人を斬ったるとや、起き合いたまえ」
 と揺り起こされ、
「心得たり」
 と枕の刀、追っ取って奥を指して走り入る。小余綾も刀取って脇挟み、腿立ちかき上げ駆け出でんと、我が身を見れば、
「こはいかに」
 挿いたる刀は鞘ばかり、
「弓矢八幡こりゃどうじゃ、もし相番と代わりしか」
 と、見れども見れども磯千鳥の毛彫りの金物、指料の鞘に極まったり、はっ死なしたり死なしたり、
「狼藉者の仕業か、遠国武士に恥与えんと、意地悪者のそねみか」
 と胸も騒ぎ前後を忘(ぼう)じ、天を仰ぎ地を走り、奥の一間に駆け込んで、藤壺の死骸を見れば、指し捨てたる止めの刀、白銀づくりの三枚鍔、
「やあこれが身が刀」
 と抜かんとせしが、
「いやいや、検使を待たず抜き取って、血刀詮議に言い分も卑怯至極、このまま置いては、切り手我に極まって、罪科逃れず命を失う、またそれがしが言い訳立ち、切り手ほかにある時は、武士の魂たる枕の刀、奪(と)るをも知らぬ痴呆者(うつけもの)と、小余綾新左衛門の尉景春が武名長く朽ち果つる、命を捨ちょうか名を捨ちょうか、一世(いっせ)の不覚一期の浮沈、とやせんかくや」
 と心もくらみ、
「我が身で見えぬ我が身の料簡、情けある武士の、料簡あらば借りたい、ええ武運につきし口惜しや」
 と拳を握り牙を咬み、無念泣きにぞ泣きいたる。
 門外に人馬の声、ご検使と呼ばわって、坂田の公時(さかたのきんとき)まず先に、碓井の貞光(うすいのさだみつ)、卜部の末武(うすいのすえたけ)、高提灯さし上げさせ、詰まり詰まりに目を配り、三人立ち寄り死骸を見届け、末武止めをぐっと抜き、
「金時貞光これ見られよ、刃の光切り口、天晴れ銘の物と見え、目貫き金物確かに武士の指し料、これほどの刀挿す者が止めを刺し捨て、刀を置いて逃げたるは狼狽者(うろたえもの)、察するに人の刀を盗んで、切ったるに紛れなし、しかれば切り人(て)は腰抜け、盗まれ者(て)は日本一の痴呆(うつけ)侍と見え申す」
 と、言えば貞光うち頷き、
「これご番衆、塀を乗ったる跡もある、かほどになるまで知らぬとは油断油断」
 と言いければ、平次兵衛つっと出で、
「いや我々は縄付き清滝が番は承る、藤壺の番は仕まつらず、のう小余綾殿、ごぶんの腰に鞘ばかり見えたるが、刀の身は何とせられしぞ」
「おおあの止めこそ身が刀よ」
「むむさてはごへんが切ったよな」
「はて斬る斬らぬ詮議は検使のお役、刀の主はこの小余綾景春」
 と言うところを、公時飛びかかりて取ってひっ伏せ、高手小手にしめつくる、両人取りつき、
「実否(じっぷ)も糺さず大事の侍、例の暴気(あらき)か無分別」
 と制すれば、
「いや無分別か上分別か仕上げを見よ、こりゃ小余綾、ごへんが斬ったと極まれば、罪科逃れず命がすたる、刀は我が刀で、斬らぬとの言い訳たてば、命は助かり名がすたる、命を捨つるか名を棄つるか、命が惜しくば解いてやろ、名が惜しくば縄にかかれ、心得次第」
 と言いければ、小余綾大声あげて、
「はあ天晴れ公時、情けある詮議の仕様過分過分、いかにもいかにも子細あって、藤壺治部卿はこの小余綾が害したり、いかなる罪にも行われよ、腰刀盗まるる狼狽(うろたえ)武士でない、本国に一子もある、倅が名をも降(くだ)さぬは、公時のお情け」 
 とにっこと笑えば、公時いきって、
「おお気味のよい白状、武士はそうじゃ、でかしたでかした、なんと末武貞光、白状させた公時が、分別顔わかったか、まだよき分別見しょうか」
 と、清滝が縛(いましめ)ねじ切りねじ切り、心のままに死骸を葬り、後世弔いへと引ったつる。清滝悦び、
「やい抜き刀の影法師はおのれであったな、ここな平次兵衛に猿ぐつわかけられて声は立たず、お主と母とをやみやみと切らせた、拳を一つ」
 と飛びかかる、公時押さえて、
「その恨みは私(わたくし)、もうこれからは天下の囚人、ならぬならぬ、じたいこいつが猿ぐつわかけたゆえ、その拳できゃつが面(つら)くらわせい」
 と、言えば平次大きに怒り、
「やあ公時、かたじけなくも左大将早岑公の仰せを受けたる平次兵衛盛重知らぬか」
 とそりを打つ、
「やあいたいけな事ようするなあ、公時にそり打って何としょうと思う、おのれ武家の侍なれば仕様もある奴、さあ清滝にぶたるるか、それが嫌なら公時がこの拳を頂くか、たった一つで素頭(すこうべ)はり砕いてくれん」
 と睨(ね)めつけられて震い震い、顔さし上ぐれば清滝、
「よう猿ぐつわかけおった、覚えくされ覚えくされ」
 と握り拳二、三十、まだ所望ま一つか、これで二つ、まだ所望、三つ眉間に四つ横顔(よこずら)、五つ息ずら、六つ無性な大黒舞、七つ縄つき引っ立てて、御館(みたち)をさしてぞ立ち初むる。
 世は秋風に時ならぬ、弘徽殿の軒端の松、かかれる藤の一夜が中(うち)に、花咲き乱れ春にも勝る小紫、白妙色を争えば、雲かと見ゆる雲の上、殿上人上臈たち、
「これには歌のご会もがな、管弦の御遊(ぎょゆう)もあれかし」
 と、勧めさざめきたまいしが、いかがはしけん弘徽殿、どっと寒気の瘧(わらわやみ)、膚(はだえ)熱して苦しみたまえば、お脈をうかがうご典薬、君も御幸ましまして、綸言(りんげん)汗の匙加減、中を補う人参(にんじん)も、医者も心を刻みけり、左大将早岑は、藤壺の最期の次第、わざと包んで奏問せず、疑いもなき藤壺の怨念なりと恐ろしく、
「ご病気の体残る暑さの御痛みとは見えそうらえども、世に優れしご寵愛人の妬み、この時の邪気虚に乗ずると承る、芦屋の道満を召して、護身の加持申しつけそうらわん」
 と、御前をこそ立ちにけれ、その時帝も御心に思しめしたる二思い(ふたおもい)あなたを思えばこなたの恨み、こなたを思えば藤壺が、うら紫に咲く藤の、名の花色も懐かしと、立ち寄りたまえば弘徽殿、自らとても隔てなく、共に馴れたる雲の上、君がゆかりは紫の、草の袂もわが袖も、露ふれ初めて立ち寄れば、この花恨みたる気色にて、風も吹かぬに靡き退き、立ち寄ればまたもとのごとし、ここをもって遍昭も、
「よそを見て 帰らん人に 藤の花 這いまつわれよ 纏え(古今和歌集は、枝は折るとも)」
 と読みし言の葉も、人の姿も懐かしや、いや懐かしとは偽りの、人の心の裏表、裏葉を見せて藤壺が、恨み晴れんと来たりたり、忘れもやらず水無月の、加茂の御祓(みそぎ)の車争い、御身も思い白露の、所隔てて立ち並ぶる、物見車をいかなれば、君が情けの弘徽殿の、御車とて人を払い、侮られたる自らが、身は小車のやる方も、なしと答えて立ち置きたる、草の前後にばっと寄って、人々轅(ながえ)に取りつきつつ、人だまいの奥に押しやられて、物見車の力もなき、身の程を思い知らすべし、
「あら心得ずや物見車の下簾、下と下との争いは、夢にも我は白糸の、筋なき事な恨みたまいそ、いや憂には耐えぬわが命、刃にかけしは誰がなす業ぞ」 
「さてはこの世に亡き魂(たま)か」
 と、恐れ驚く枕上(がみ)、恐る恐る君も、憂かりし身の仇人も、共にしがらむ花かづら、刃にかかる藤かづら、からみからみて、いざ連れ行かん、恋には人目も恥をも、恋には人目も恥をも思い思わず、ただ身一つの妬みの罪や、夜な夜なの浮き名を包むも、恋しき君ゆえ、ひさげの水の焔となり、身は陽炎(かげろう)のあるかなき、春秋知らぬ夏の蝉、昨日の花は今日の夢、身に驚かぬ口惜しやな、世の憂(うさ)に、人のつらさのなお添いて、浮かみもやらぬ妄執の、藤の裏葉に木隠れて、再び現れ来るぞや、悪しかれと思わぬ山の嶺にだに、嘆きおうなり嘆きおうなり、人の嘆きはおうなりとよ、思い出ずれば古(いにしえ)の、蘭省(らんしょう)の花の時、共に交わせし盃も、廬山の雨と降る涙、袖につもりの海士(あま)ならば、怨むとだにも知らすべき、便りを閉ずる八重葎、茂れる宿に押し押しこめられて、あっとばかりの剣の影、光の間にも忘れぬよのう、伝え聞く唐土の秦の始皇の御顔に、巫山(ふさん)の神女(しんにょ)が吐きかけし、つばきの花の仇心、恋には王位も畏れまじ、我は卑しく人数ならぬ虫ともなりて、野原に住まんその野はいかに、人は仇し野浮き世の嵯峨野、裳裾にすがり袂をうがち、飛びつき飛びつき飛びかかり、瞋恚(しんい)の刃の蟷螂(とうろう・カマキリのこと)螽斯(はたおり・キリギリスのこと)きりはたりちょう、きりはたりちょう、つづりさせてふきりぶきりす、ひぐらし憎や我ならで、誰まつ虫の声りんりん、りんりんとして怒りの涙欄干たり、腹立ちや、生きても死しても恨みはつきず弘徽殿、憎し憎しこの黒髪を、手にからまいて打つやうつの山、夢か現か死霊の形、玉殿玉階ふみ轟かし、御殿しきりに鳴動す。
 芦屋の道満数珠おし揉んで、おんころおんころせんだりまとうぎ、くりかけくりかけ、祈りかけたる声の中(うち)、
「あら事おかし、いかに道満、おのれにこそ恨みあれ、いで物見せん」
 と梢に上ると見えけるが、芙蓉の顏(かんばせ)柳の眉、変じて毒蛇の眼(まなこ)の光、二十尋(はたひろ)余りに藤かづら、花は鱗とたちまちに、雲に聳え風を巻き、道満めがけ追い廻す、恨みの念力恐ろしき、さしもの道満行力つき、命からがら逃げ出ずる。
 すなわち勅使立って、安倍の晴明宣旨に任せ、即座の秘法、秘密の加持、一色五色の弊を振り立て、宗廟社稷(そうびょうしゃしょく)の天神地神明王部天童部(てんじんちじんみょうおうぶてんどうぶ)、九曜七星(くようしちしょう)二十八宿五行の霊、三十六禽(きん)驚かし奉り、祈り祈られ、怨霊怒りの力も失せ、恐ろしや幣(みてぐら)に、二十番神(にじゅうばんじん)ましまして、魍魎鬼神(もうりょうきじん)は穢らわし、出でよ出でよと責めたまうぞや、よし今は叶わずとも、また立ち返る藤波の、終(つい)には思い知らせんと、ゆうべの藤に夕嵐、ぼうぼうどうどうさっさっと、形は失せて松青く、夕陽(せきよう)西に紅の、空明々(めいめい)と晴れにけり。
 なお晴明に宣旨あり、霊化(りょうげ)の道切り御殿の清め、玉体鎮護の御守、十二のご門に十二の札、南殿中殿温明殿(うんめいでん)、殿上(でんじょう)萩の戸台盤所、大歌所(おおうたどころ)御書所(ごしょどころ)、十二の局の隈々(くまぐま)まで、残さず余さず弊帛取って振り立て振り立て、払い清め奉れば、目に見ぬ毒気不正の邪気、止まる方もあらたなる晴明が白木綿(しらゆう)に、
「道満が赤恥をかく別不思議の行力や」
 と、ご褒美賜り出でにけり。

第二  

 夜々は我も焦がれて恋うる、衛士(えじ)の又五郎義長(またごろうよしなが)という者あり、下郎(げろう)には似ぬ心ざま清滝に思いをかけ、大内のお暇申し、母治部卿に奉公も、恋のためとて尻軽に、立ち居にちょっと手をしめつ、身振りで知らせ目で知らす、心のおくて穂に顕れて、慮外者とて追い出され、奉公もかまわれ、浮世を忍ぶ菅笠や、近江あたりを彷徨(さまよ)いしが、故主治部卿、主の主たる藤壺、あえなき最期と隠れなく、
「さぞ清滝の嘆きのほど、痛わしく床しく、恋というはここらぞ」
 と都に帰り便りの風も懐かしく、毎日洛中洛外を、人跨ぎする又五郎が、心の中ぞやるせなき、折しも左大将早岑公には庭普請、
「もしや清滝の行方聞き出すしるべも」
 と、あまた入り込む人足と共に雇われ今日もまた、屋形に来たれば、雑掌黒壁権(ざっしょうくろかべごん)の太夫鼻をしかめ、
「やあやあうぬは横着者昨日も今日も昼から来て、取る賃は一日分、急ぎのご普請人が足らぬ、はやはやお庭へ廻れ廻れ」
 と叱られ、
「ごもっともではござれども、夜の商売が過ぎまして、どうでも朝寝いたします」
「なんじゃ夜の商売とは、呑み込まぬ呑み込まぬ」
「いやいや夜の商売とて、お気づかいはないもの、私は女房も持たず、裏長屋の一人住まい、お聞きなされ、東隣にこの頃若い女房よぶ、西隣にはよその姥(うば)が男持って宿這入(はいり)、壁一重後ろは奉公人の出会い宿、まあ向かいは後家のお針、鬼怒川温泉屋の息子が泊まりに来る、すわ夜中の鐘がごんと鳴り、世間の人は静まりてこちの近所は商売最中、三方四方から責めかけては、五戒を保つ長老でも、朝寝せねばかなわぬ」
 と、笑わせてこそ入りにけれ。
 時に芦屋道満参上し、取り次ぎかくと披露すれば、左大将寝殿に立ち出で、これへこれへと招きけり、道満膝元にすり寄って、
「さても弘徽殿のご産なさるる、白川のお茶屋へ参りお目にかかり、
『もっともご養生のためとは申しながら、京離れたる山際、朝夕の御淋しさ、結句ご養生にもあるまじと、伯父君様にもご案じ、殊にかようの所には、藤壺の怨念また来ることもそうろうべし、ひらに左大将公のお館に移りたまえ』
 と、いろいろご意見申せども、
『いやいや伯父姪一所にいて、窮屈堪(こら)えるほどなれば、内裏において養生する、藤壺の怨霊も、我が身に曇りなきゆえ、晴明が祈りの験(しるし)、その後は見えたまわず、帝様も夜な夜な御見舞いとして忍びの行幸、別に淋しいこともなし。伯父御の方はいやいや』
 とご承引そうらわず、それゆえそれがし才覚にて清所(きよどころ)の瓜茄子の類い、魂をいれよく加持し帰りしが、今宵夜更けて色々の形顕れなば、夜の明くるを待ちかねて、明日これへお移りは目の前、ご安堵あれ」
 とぞ申しける。
「まずもって大義、さりながらそれまでもなく、究竟の相談あり」
 と、近く寄りて小声になり、
「もっとも弘徽殿ご寵愛といえども、色好みの帝、いかなる者にも御心(みこころ)移り、もし脇腹に皇子誕生などある時は、わが本望は達し難し、究竟とはここのこと、弘徽殿見舞いのため、夜更けて白川へ行幸あるとは、誠に天の与えを取らざれば、かえってその罪を受け、時至るを行わざれば、かえってその殃(わざわい)を受くるという、途中に待ち伏せ密かに害し奉らば、脇腹の障りもなく、弘徽殿の誕生、皇子ならばもちろん、姫宮ならば女帝と仰ぎ、女御は国母、我外戚の権を執り、万機の政務心のまま、日本を掌(たなごころ)に廻さんと、思うはいかが」
 と囁けば、道満席を打って、
「はああ思案もあればあるもの、なおこの上の候うべき、三百六十四爻(こう)の占(うらかた)、時の一字に縮めたり、時刻移さず今宵思しめし立ちたまえ、さて討っ手は誰とか思し召す」
「おおそれも思案我を折らしょう、それそれ今来たる人足、これへ召せ」
 と呼び出だせば、又五郎、日傭の鉢巻きお公家の冠、御免なれと揉み手をして、縁先につくばえば、
「許す許す近う(ちこう)寄れ、おのれはよく見知った面(つら)、先年節会拝賀などに、陣の小庭で篝(かがり)を焼きし、衛士の又五郎よな、藤壺の乳兄弟清滝に心をかけ、お暇とって清滝の母に奉公し、主に恋する慮外者と追い出されしということ、子細あって聞きたるが、この頃この辺身をやつして徘徊するは、主の敵を討たんと思う面魂頼もし頼もし、しっかと胸をすえたれば、左大将が加担人(かとうど)して討たせんず、討つか討つか」
 思いがけなき又五郎、とぼけ顔して、
「我ら生まれてこのかた、一文二文さえ打った覚えなけれども、相手によって打ってもみましょ、まず藤壺の敵とは、何者がな切りましたぞ」
「さればされば、汝に語るも恨めしい、皆帝の御心より起こりし事、さる女中をご寵愛その嫉妬によって、小余綾新左衛門という武士に勅諚あって、治部卿共に害せらる、それさえあるに我が姪弘徽殿、あの女中の嫉妬にて散々煩い、白川の館に隠れいる、帝忍んで行幸なる、これも害せんとの御企み、わがためには姪の敵、汝がためには主の敵、心をかけし清滝には、親の敵主の敵、彼といいこれといい、帝を討たずば男ではあるまじ、それがしもかかる大事を言い聞かせ、討つまいと言うからは、汝をまたこの左大将が逃されぬ」
 と、太刀引き寄すれば、道満も同じく柄(つか)に手をかけ、家来の雑掌(ざっしょう)青侍気色立ったるありさま、又五郎びっくりせしが、いやいやここは上手のいるところと、
「はああ御意までもないこと、主の敵と見るからは、帝様でも王様でも討ちかねはいたさず、さりながら勝ち負けは放れもの、運つきて死したらば、又五郎は一日が百ずつの軽(かろ)い命、お前のお名は千万貫に代えられず、まそっとご思案はあるまいか」
「ほほよい念よい念、それにこそ秘密あれ、すなわち汝を源の頼光が郎党、渡辺でも公時でも、いずれになりとも出で立たせ、頼光よりの宿直(とのい)の番と、宵より白川の館に入れ置くべし、帝行幸と見るならば、頼光が郎党四天王の誰と名乗りて打ちかけよ、時にはたとえ仕損じても、頼光が科に落ち、この方に祟りなし、しかのみならず我が家来黒壁権の大夫に、腕こきの侍ども相添え、館の周囲(めぐり)に置くからは、仕損ずることよもあるまじ、胴をすえて討つ所存か」
 と、のっぴきさせぬあたりの気色、是非に及ばぬ一寸逃れと思い定め、
「ええ天晴れ一段のご分別、しからば拙者坂田の公時になりません、いやいや四天王の中にも、公時は強力の荒者、第一その生白い面では、公時にはうつるまい、ああ愚かな御意」
「夜目遠目ということあり、紅粉(べに)でも丹(たん)でも塗り散らし、渋面(しぶめん)作って目を見いだし、肘を張って、握り拳、歩きようはまずこの通り、のっさのっさ、のっさのっさ」
 と、踏んばちかりの又五郎、畢竟公時は仁王じゃと合点すれば、 
「し損ないはござらぬ、呑み込みました」
 と言いければ、
「おお神妙神妙、それそれ烏帽子装束太刀刀取らせよ」
 と、広蓋に盛り並べさせ、
「こりゃ汝が身にも、隠し目付あまた付け置くぞ、我が前で間に合わせ、道より外しだてなどするならば、汝をすぐに討ち捨てと覚悟せい。さて別しての心得、今宵夜更けてさまざまの変化の形顕れるべし、必ず必ず恐るるな、皆道満がまじないにて、正体は瓜茄子一々に打ち切り打ち切り手並みを見せ、弘徽殿女子共に至るまで誠の公時と思わせ、必ず色を覚られるな、罷り帰って用意せよ、急げ急げ」
 とありければ、是非に叶わず又五郎、装束とって押し戴き、
「ああ誠身代(しんだい)に連れる心と世話に言うも理(ことわり)、この太刀刀烏帽子装束たまわって、今まで日傭(にちよう)の又五郎、もう公時の気になった、いかな王でも帝でも、狙う敵はただ一人、たった一討ち根笹に霰、あり合う奴原(やつばら)胴切り縦割り、ねじ首つらぬき人間は朝腹、変化でも化物でも、鬼神と組んで手柄がしたい、ええ鬼神と組みたい組みたい」
 と、力足をとうとうとうとう、どうと踏んだるその勢い、頼もし頼もし、口ばっかりは坂田の公時、心は鬼味噌味噌鬼より怖き左大将、瘧(おこり)の落ちたる心地にて、一(いっ)さん駆(が)けにぞ帰りける。
 宮にはあらぬ里の名の、白川の山よせに、弘徽殿の下屋敷、庭に草花やり水に、かけ樋(どい)仕かけてしょろしょろ流れ、君が忍びの御幸道(ぎょこうみち)、打ち渡したる岩橋も、夜の契りの便りかや、上臈がしら大炊(おおい)の局お前に出て、
「二、三日はお薬も相応、御心(みこころ)も軽そうなり、もったいなや御門さま、夜な夜な玉体をやつされ、御徒歩(おかち)で行幸なること、御身の冥加も恐ろしし、これへお出なさるるは何時(いつ)も易いこと、ひとまず大内へお帰り、叡慮を安めたまえば、また一つのご奉公」
 と、さまざま諌め参らする、女御はやや御涙、自らもさは思えども、痛わしや藤壺の、自らが仕業と、最期に思いこみたまう、恨みのほどの恥ずかしや、いとしらしい気立てにて、互いに隔てず語りし仲、怨霊になるほど疑われ、未来まで迷わする、女は互いの身の上と、味気なくも痛わしく、今しも涙に暮らすぞや、世間では我が嫉妬ゆえと、鬼のようにも思うべし、
「よし人はとも言え、自らが身を立てて、胎内の宮ご誕生なるまでは、内裏へとては帰るまじ、今日も道満が、伯父様の方へ参れと言う、うるさやつらや伯父様の、あのお心ゆえ我まで人に歌わるる、生き甲斐もなき我が身や」
 と、御涙に暮れたまえば、大炊の局腰元中、
「げにお道理ことわり」
 と、夕べ悲しき秋の日も、入りてほどなく暮れにけり。 
 又五郎義長は、往生ずくめの坂田の公時、後ろ下がりの掛烏帽子、垂衣(ひたたれ)の稜(そば)高く、顔に塗ったるあか月の、夢にも見ぬ大太刀、刀に腰がつられて、歩めばえじかり又五郎、
〈もし正身(しょうじん)の公時に出会わば、ねじ殺さるるは定(じょう)のもの、はずしてくれん〉
 と思えども、左大将の隠し目附いずくにあるも白川を、三途の川と身も震い、ようよう門に着きけるが、
〈手で叩いては公時らしうあるまい〉
 と、石を拾い門の扉ぐわたぐわたぐわたと打ち叩き、
「ここ開けたまえ」
 と呼ばわったり、女御をはじめ女房たち、
「これはなんじゃ」
 と身をすくめ、
「誰そ」
 と言いてもなきところに、以前よりなお荒く、ぐわたぐわたぐわた、とんとんとん、
「開けよ開けよ、開けずばぶってぶち崩す」
 とんとんとんと叩きける。大炊の局怖々(こわごわ)ながらそっと出で、
「女中の御殿、夜夜中慌ただしい、名を聞かねば開けぬ、さあ何者じゃ」
 と咎められ、
「これは源頼光の御内(みうち)、四天王の随一坂田の公時、この御殿には藤壺の怨霊に、余の化け物が手伝うて、弘徽殿を悩まし奉る由、宿直申して変化退治つかまつれと、主君頼光の仰せを蒙り、坂田の公時、公時公時公時、正身の公時なる」
 とぞ申しける。
 人々悦び、
「さあ鐡(くろがね)の楯が来た、ご門を開けて通しませ、これへこれへ」
 と請(しょう)ずれば、ゆらりゆらりと大またぎ、
「下におったら響きましょ」
 女中方お肝つぶされなど、どっかとこそは座りけれ女御をはじめ女房たち、音に聞いたる公時と目も離さず見たまえば、
「さて珍しそうにご覧ある、山姥の子なりとて、鬼のように思しめす、山姥も本は人間、産所も産屋も山なれば、取り上げ婆に事をかき、産湯の加減し損ない、ゆで殺そうとしたげな、そのゆでられた謂われに、面も五体もこの通りに真っ赤いな、その代わりにこの腕に千人力、この腕にも千人力、幼い時から山に住み、朝晩猪と角力(すもう)とり、熊と腕おし仕まつる、その間の慰み大木を引き抜いたり、大磐石でつぶて打ち、友達は天狗ども、羽がいを打ち折る、毛をむしる、鼻をねじって泣かする。七歳の時近江の国、こうかけ山の鬼神を手とらまえにして、蚤殺すようにひねり殺したこの公時、怨霊でも変化でも、あわれ出て見よかし、触ると微塵にすること、今宵ばかりは気づかいなしに、ご酒宴でも遊ばし、ゆるりと御寝(ぎょしん)なりませ、ああ久しう変化に出会わぬ、一、二匹ぶち殺し慰みとう存ずる」
 と、口に出るまま力はなし、手柄話に女房たち、聞き及うだよりひがえすな弱そうな風俗で、さてもいかい兵(つわもの)と、皆々興を覚まさるる。
 夜もしんしんと更け渡れば、道満が封じ置く呪いのそのしるし、家(や)鳴りしきりにどろどろどろ、ゆさゆさゆさと鳴り渡れば、女御ははっとたまぎりたまい、女房たちは気を失い、
「のう坂田殿公時殿」
 と逃げ惑う、又五郎も恐ろしさ、身は震えども歯ぎしみして、
「大事ない大事ない、皆寄って公時に、きっと取りついていさっしゃれ」
 と言うを誠と女房たち、抱きしむるを力にて、耐えても震いは止まず、
「これ公時殿、そなたはいこう震うぞや」
「いやこれは武者ぶるい、兵(つわもの)にあること、なんぼ身は震うても、変化が出たならば微塵粉灰(みじんこはい)にしてやる」
 と、言葉も未だ終わらぬに化(け)したる女の影ともなく、おぼろに立ったる面影に、女御はなおなお消えいるばかり、
「この公時はどこにぞ、公時公時公時」
 と尋ね廻れば、妻戸の影身を縮めてぞ居たりける。
「なんのための宿直ぞ、口ほどもなあ公時」
 と恥しめられて気を取り直し、
「あっあ思いついたり道満がまじないこれなり」
 と、思い定めて見回せば、また顕わるる変化の形、右左にすごすごと、三幅対のごとくなり、
「やあ正体はよく知ったり、いでいで坂田の公時が、姿を顕わし見せんず」
 と大音上げ、
「中に立ったる瓜実顔(うりざねがお)、真瓜(まくわ)の精と見つけたり、姫瓜にもあらばこそ、面は青瓜、かもふりの、粉(こ)ふき化粧見たくない、こいつが口のお歯黒を、面まで塗って初(はつ)なりの、茄子の蔕(へた)の舞いぞこないと、見たはひが目か違いはせじ、きゃつは姿もぬらぬらと、垣(かき)には這わず畑に這う、不便や種をくろめても、身は切り売りの西瓜面(すいかづら)、蓮花割(れんげわり)か輪切(わんぎり)か、太刀刀にも及ばばこそ、薄刃(うすば)小刀かつ振るい、ただし又皮むかず、まるかぶりにあいたいか、立ち去れやっ」
 とぞ睨(ね)めつくる。
 行術に責められし一理一義五行の精、人の面(おも)消え消えと、瓜茄子の形を現じ、一度にけらけらどっと笑う声ばかり、姿は失せてなかりけり。
 女御ようよう御額(おんひたい)を上げたまえば、女房たちも息出でて、
「さても公時お手柄お手柄、まず九献(くこん)でも夜食でも」
 と、皆撫でさするばかりなり。 
「いやこれしきの化物いつものこと、怖い怖いと思し召す心から、瓜茄子にも性根いってあの通り、今の浮世にないものは、化物と正直者、とかく人が恐ろしい、何事もこの公時にお任せ、御心(みこころ)やすくご休息」
 と申し上ぐれば、弘徽殿、
「恨めしや憂き思いある我が身なれば、弱みの霊化(りょうげ)とさまざまの、障妨(しょうげ)のあるも理(ことわり)ぞや、ついては夜な夜な帝様忍びてこれへ行幸なる、玉体お怪我も、ないように、いよいよ頼む」
 と入りたまえば、女房たちもとりどりに、
「ほんにいかい兵や、こなたを町屋においたらば、押し入りの案じはない、ちっと休んでくだされ」
 と、皆々奥にぞ入りにける。
 又五郎は我が身ながら、我が身がとんと合点いかず、
「左大将が恐ろしさ、公時になりはなったれど、一天(いってん)の君を討ち奉れという左大将、萬萬理(ばんばんり)でも大悪人の朝敵、一日百ずつの又五郎が命、十善帝王に奉れば本望、隠し目附が見るなら見よ、跡より大勢来(こ)うば来い、お味方はこの又五郎」
 と、胸をすえて待つところに、山より続く透垣の、すき間をくぐって怪しき人影、
〈これぞ帝の忍びの行幸、御衣(ぎょい)にすがって奏問し、すぐに落とし奉らん〉
 と、ためらううちに御剣(ぎょけん)に手をかけ、奥を狙ろうてそろりそろりと忍びの足元、
〈やら心得ず〉 
 と、又五郎、跡に続いて抜き足し、鼻息もせず伺い寄る、危うかりけるありさまなり。
 すでに一間に飛び入らんとしたまうをしっかと抱きとめ、
「御声(おんこえ)ばし立てたまうな、十善天子の御身にて、剣戟(けんげき)を帯しはしたなき御ありさま、いかなる叡慮に候う」
 と、よくよく見れば恋しゆかしの清滝、  
「のう清滝さまか」
「御身は誰そ」
「あるにもあらぬこのさま、お身忘れはごもっとも。お恥ずかしや古(いにしえ)の又五郎め」
 とばかりにて、さしうつぶけば、
「のう又五郎かいの、とうに夫婦(みょうと)になったればこの辛いめはせぬものを、いかに母様のご機嫌に違いしとて、ようふいと出ていんで、そしてそれで済むことか、言うたことは皆嘘か」
 と、恋に先立つ涙なり。
「のう日本国に知れたこと、藤壺さまと母上と、一つ刀のご最期、その敵弘徽殿を一太刀と思いこのありさま、助太刀も討つべきそなたが、顔真っ赤に塗りまわって、抱きとめて今の言葉のすえ、心得難し」
 とありければ、
「これにこそ長物語、ひっつまんで申すに、弘徽殿の女御には露塵(つゆちり)も科はなく、伯父左大将が悪心に道満が手伝い、あまつさえ帝様この所へ忍びの行幸、この又五郎に坂田の公時と名乗って害し参らせ、またその罪を頼光に譲らんとの企み、我らわざとかとうどして、帝も女御も助け参らせ、時節を伺い左大将を討ち取り、お主の敵天下の敵を滅ぼさんと、一心を堅めたり、おまえも我らとお心を合わせられよ」
 と言いければ、
「えい何言やる、心ばかり合わせたとて、もう女房持っていやろうもの」
「いやいや我らは女房持ちませぬが、お前は男持ってか」
「えいもったいない、男一人持ちながら、なんの二人持つものぞ」
「その一人の男はどれどこに」
「これここにある」
 と抱きついて、険しき中の逢瀬こそ、いとど身に染む恋路なれ。
 はや無動寺の夜半の鐘、声吹きおろす小笹原、かきわけかきわけ主上御徒歩裸足にて、慌ただしげに逃げ入りたまい、
「誰ぞよう誰ぞよう」
 と宣旨ある、御声聞き知り、
〈あら気遣わし〉
 と女御走り出でたまい、
「なんとて義懐(よしちか)惟成(これなり)はお供には見えざるぞ、この山中の夜の道、犬狼のとがめもや」
 ととかく労り奉れば、帝御息つがせたまい、
「いやいや虎狼(ころう)よりも恐ろしき、源頼光が謀反にて、貞光末武綱保昌(ほしょう)と名乗り、多勢にて取り巻きし、三種の神器気遣わしく、義懐惟成両人はひとまず内裏へ帰したり、追っ付けこれへ寄せ来たらん、今は逃れん方もなし、武士の手にかかり、軽びたる名を流さんより、これまでなり」
 と、御懐の御剣(ぎょけん)に御手をかけたまえば、清滝又五郎飛んで出で、 
「ああああ直奏(じきそう)恐れにそうらえども、みだりに玉体をあやめさせたまわんは、かえって後代の御恥辱、これまったく頼光が謀反にそうらわず、左大将早岑が逆心、我らは先年の御垣守衛士(みかきもりえじ)の又五郎と申す者、早岑我らをかたらい込み、坂田の公時となって害し奉れと、是非なく頼まれてはそうらえども、天命を恐れ、朝恩を重んじ、この趣を奏問せんと存ずる折りふし、この女は夫婦の契約仕まつりし、藤壺の乳兄弟清滝、参りかかって一天の君に命を捧げんこと、屍の上の悦び、ここは夫婦に御任せ、山路にかかって早々還幸なるべし」
 と奏しもあえぬに、早岑の雑掌黒壁権の大夫を先として、平次兵衛盛重、ここはの士卒百騎ばかり、門先にどっと取りかけ、
「いかに公時、正しく帝はただ今これへ入りたまう、手にあまって討ちかねるか、渡辺の綱平井の保昌加勢なり、なんとなんと」
 と罵りける、又五郎駆け出で、
「いやさこれしきに加勢頼む公時にあらねども、帝はご最期に伊勢大神宮へ御暇ごいの御拝(ぎょはい)あり、しばししばし」
 と言い捨て立ち帰って、
「さあさあ事急に存ずる、仔細そうらえば御衣(ぎょい)を脱いで清滝に下され、主上は女御の小袖を召し、おのおの打ち連れ落ちさせたまえ」
 と、とかくしつらい奉れば、
「万事は汝に任する」 
 と、女御諸とも山路にかかり落ちたまう、御ありさまぞもったいなき。
 その隙に又五郎、橡(つるばみ)の御衣(ぎょう)取って清滝に打ち着せ、うなずけば合点し、合掌して待ちかかる、
「こりゃこりゃ綱保昌討ち奉る、これ見よ」 
 と太刀打ちあげてはうんとのり、振り上げてはうんとのり、二、三度、四、五度振り上げ振り上げ、うんというてのり返り、
「やれやれ王位は怖いもの、眼(まなこ)がくらんで討たれぬ、罰を受けて無駄死にし、主君の忠にならぬこと、その陣引け」
 と呼ばわれば、平次兵衛、
「いやいやいやいや、近くへ寄って影を踏めば罰もある、遠矢に射とれ、弓よ矢よ」
 とひしめけば、清滝も、
「これまでなり、今は逃れぬ所ぞ」
 と、口に念仏目に涙、又五郎は気を砕き、
「天子に命奉る」
 と言いし言葉はもだされず、
「堪えるだけは堪えもせい、かすり矢でも当たったら、それからそれまで、おのればら一人も逃さじ」
 と、汗を握って立ったる所に、盛重弓矢追っ取って、雨のごとくに射かけけり。
 誠に日月山陵を織りつけたる天子の御衣、当たっても射つけても、矢柄砕けて飛び返る、岩に射つくるごとくなり。
 黒壁声をかけ、
「心得ぬところあり、装束はずして頭を射よ」
「心得たり」
 とひつくわえ、よっ引きひゅうと放す矢が、清滝が右の鬢先射削って、髪の髷にぞ止まりける。
「さてこそさてこそ装束に当たらぬが、頭に当たるは帝にあらぬ偽物、又五郎が二心、込み入って討ちとれ」
 と、どっとかかれば、どこへどこへ、
「左大将などに育てられ、踊り狂う又五郎と思うが不覚、馬鹿者ども、仮に公時を真似たれば、心もずんど公時、女どもは刀でせい」
 と、築山に飛んで下り、山姥の息子に似合うたように、山めぐり、春は梢に咲くかと待ちし花の梢を、えいやっとねじ折って山廻り、秋は清滝、敵を捜して首してやろと山廻り、夫婦が眼に遮る奴原、小鬢をちょつって山廻り、めぐりめぐりて輪廻を離れぬ猛勢(もうぜい)の雑兵(ぞうひょう)、切り払った山姥が忰(せがれ)、我らがためには姑、山姥手並みを見よとぞ笑いける。
 彼ら夫婦に切り立てられ、皆散り散りにぞ逃げ失せけり、中にも黒壁剛力者、庭の石橋両手に取って打ちつくる、向こうさまに待ちかけ、すぐに取って押すほどに、石橋を抱きながら、仰向けにつっこかされて、起きんとするを乗りかかり、
「えいやえいや」
 と人の鮨(すし)、板のごとくなってけり。
 さあ夫婦出世の真初め(まっはじめ)、十善天子に忠節は、草の蔭なる藤壺さま、母治部卿も御喜び、まず大内へや参らん、頼光へや訴えん、それも出来すぎ出来すぎたり、過ぎず劣らずよい頃ころ、年もよい頃似合い頃、頃しも秋の真中頃、月の桂の男持つ、こっちは女房もち月の、影も心も曇りなき、縁と縁との結び合い、手を引き合いて行く先は、これも男に縁深き、かつらの里にぞ忍びける。

第三  
 
 治まる花の都とて、都とて、風も音せぬ春辺(はるべ)かな、源の頼光四海の安危を掌の中にてらし、百王の離乱を心の内にかけたまい、二条大宮に評定所を建てさせ、棘(うばら)の殿(でん)と名づけ、式目を極め、四天王の面々この所に会合し、
「政事を糺し、吟味の上にて言上すべし」
 と、平井の保昌大目付の別当、末武貞光相談役、綱公時は批判の役、おのおの心を一致にして、隔てぬ中の政事、頼もしやもろともに、近くい寄って語るべし。
 保昌すなわち月番にて、
「のう方々、洛中端々不思議の取り沙汰いたす由、組下の横目聞きつけての注進、かの去去年藤壺の女御を害したる科によって、首をはね獄門にさらされし小余綾新左衛門ことな、これは頼光の不吟味ゆえ、成敗のし損ない、正しく切り人はほかにあり、不詮議にて科なき小余綾を罪に沈め、本領取り上げ、妻子(つまこ)まで流浪する、
『頼光一代の粗忽の仕置き』
 と、京中これ沙汰と承る、聞き捨てに言われたたさんか、ただし言上せらりょうや、評定あれ」
 と言いければ、公時居丈高になり、
「何者かそうぬかす、その時の検使は貞光末武加勢の役、この公時が当番にて、まっすぐに白状させ、君の御前へ引き出し、重々ご詮議の上、罪科紛れなく、獄門に切りかけた、その時分は押し黙って、あって過ぎた今になり、いや不詮議な仕置きの、成敗のし損ないのと風説するは、我が君かこの公時に遺恨ある奴、そいつが首引き抜いて、また獄門にかけてくりょう、言い手は誰じゃ、その名を言え、さあ保昌」
と詰めかくる。
「さてはそれがし評定所にて偽りを申すと思わるか、大目付の役なれば組子の横目の申す通り、洛中洛外聞き伝え言い伝え、沙汰をするほどの者、かたはし首も抜かれまじ、心を静めてとっくと評定せられよ」
 と言えば、
「むむさてはこの公時、そいつらが首抜きかにょうと思うか、京中を駆け回り、風説をする奴、かたっぱしねじ首にしてくれん」
 と、おどり出ずれば、末武貞光、
「また持病の虫が起こったか、まず待てまず待て」
 と制すれば、
「おおいかにも持病が大起こりした、首二、三十引き抜かねば、本復せぬ」
 と駆け出ずる。渡辺声を荒らげ、
「狂気したか公時、ごへんがようにするならば、また洛中に言いふらし、頼光が誤りの取り沙汰を嫌がると、悪名の上塗り、君の御ためを知らぬか、おためおため」
 と渡辺がおためずくめのひねり針、ようよう虫を静めける。
 ややあって渡辺、
「方々いかが思し召す、閭港(りょこう)の風説とて聞き捨てになり難し、ご存じの通り一年(ひととせ)東寺羅生門に、鬼神棲むとの風説誠しからず、ただ今公時の争いのごとく、保昌とそれがし御前にて争いしに、風説に違わず、これらをもって考うれば、世に逆心ある奴ばら、我が君をけぶたがり、しょせん頼光の威勢を落とし、世の謗りたまられず、遠国へ身を引かせん計略に、言い始めたる風説と思うはいかに」
 と言いければ、満座の人々一統に、
「これは黒星、よき推量」
「疑いなく左大将が謀(はかりごと)」
「芦屋の道満平次兵衛盛重らが、言いはやするに極まったり」
「下の詮議か」
「言上か」
 と、とりどり評議まちまちなり。
 時に渡辺つつと出で、
「その者どもは言うに及ばず知れたこと、ここに一人のうさん者、方々心はつかざるか、北面の武士羽倉伊賀の介(はねぐらいがのすけ)久国(ひさくに)がことよ、去年までわずかなる何功(なにこう)もなき青侍、左大将がとりなしにて叡慮にかない、上(かみ)北面の武士と経(へ)あがり、千石の領地を食(は)む、殊にこの頃親里知れぬ女房を呼び入れたると伝え聞く、きゃつめ一味の張本と覚えたり、のびのびに捨て置き、はびこっては事やかまし、まず彼らが家内(やうち)へ犬を入れ、伺い見ばや」 
 と言うより早く公時、
「いや犬も猫もいらばこそ、踏ん込んで詮議せん」
 と、飛んで出るを、
「また起こったか公時、証拠を握った上のこと。この渡辺が思案には、世間へは我々評定所にある体(てい)にて、保昌一人これにとどめ、残る四人が火消しの姿に出で立ちて、供をも連れず一騎打ち、火のまわりの役人は、禁中公家(きんちゅうこうけ)の門内へも、案内なしに出入る掟、人の風俗言葉のはし、つまりつまりに目をつけば、証拠を取らぬことあるまじ」
「おおげに究竟の思案、延引(えんいん)して外(ほか)へ漏れ、裏をかかれば悪しかりなん、時刻移さず今日すぐに」
「もっとも」
 と評定所のご用長櫃押し開け押し開け、急用仕立ての早装束(はやしょうぞく)、またたく間にこそ出で立ちたり、肌に腹巻滑熊(なめしぐま)の野袴(のばかま)、十王頭に筋金入れたる脚半揉踏皮武者鞋(きゃはんもみたびむしゃわらじ)、唐革の裏打ったる薄柑子の革羽織、鎖くくみの上帯揺り締め締め、破錣(わりじころ)の甲頭巾(かぶとずきん)ぼっ込みぼっ込み、目ばかり光る面魂、夕立晴るる雲間より、星のきらめくごとくなり。
 いでこれより手分けをして、貞光は左大将が館のめぐり、夕闇の烏丸の門より入れ、末武は平次兵衛が塀のめぐり、四方八方六角通りをうかがうべし、
「公時は道満が頭の鉢に塩つけて、がりがりとかみくだく、塩の小路を行くべきぞ、この渡辺は北面の羽倉伊賀の介久国が女房ひろめの振舞い、客来つづくと聞く、良き折からござんなれ、怪しめられな、不覚を取るな、出会う所は羽倉が館、合点か」
「合点」
 と、約束かため身をかため、四方に分かるる四天王、須弥の四州をどうど踏んで、耳をそばだて聞きしむる、世間の弦音梓弓、引きは返さじ武士(もののふ)の、やたけごころぞ頼みある。
 浮世というは女の身、北面の武士羽倉伊賀の介久国が水仕(みずし)の下女、下台所の釜の下、竹と呼ばれて半季居(はんきい)の、去年の秋の濡草鞋(ぬれわらじ)、露もまだ干ぬ前垂姿、たすきも縁と結ぼれて、伊賀の介がつれづれの、寝覚め寝覚めの夜ばい星、幾夜を重ね、伊賀の介本妻に引き上げて、奥様なりのご祝儀や、氏神祇園の礼参り、殿様つけて膳すえし、腰元侍召し具して、乗り物つらせのしのしと、被衣(かつぎ)に位備わりて、にくいほどなる腰付を、つめりたいぞやたたきたい、それは昔の火吹竹(ひふきだけ) 、今はやさしき糸竹の、おたけ様とかしずかれ、若党が先走り、
「奥様のお帰り」
 という声に、お迎えのまかない腰元、
「これはこれはお乗り物に召しもせず、ようお拾いなされた」
 と、被衣(かつぎ)とりどりもてはやす、
「のう余りにわか慇懃で、うそ恥ずかしゅう迷惑な、昨日今日まで傍輩(ほうばい)の、下の下に立った身が、仮令(けりょう)女子の習い、奥様と言わるるとて、身持ちあげする気はなけれど、一つは殿のご外聞」
 と、おとなしやかの物ごし、
「中居の玉が手をついて、奥様へおじきに申すは、恐れ多いことながら、部屋の棹にびらついてある、お前の古い前垂(まえだれ)、ありゃ何といたしましょ」
 と言えば、あたりがしいしいしい、家の大人磯太夫(いそだいふ)、きんか頭をふりたて、
「やいふんばりめ、慮外な、それ何ぬかす、おのれも女子のうちじゃと思うか、まずその頬げたのうどんの粉がおかせたい、ぬかぬか御前へ出おるな」
 と叱り散らして入りければ。
「言わっしゃるな大人殿、私もお家に季を重ね、言いたいことを言うゆえに、めっぽうふたいの玉と名をとった女子じゃ。いかな奥様でもこちとでも、変わらぬことが一つある、雨霰雪や氷と隔つれど、解くれば同じ谷川の水、いかな逢坂の関の清水でも、谷水のあんばいなら、敗けはせまい」
 とわめきける。
 伊賀の介久国祝儀の上下引きつくろい、座敷に出ずれば、銚子島台、松に鶴亀、竹も打掛(うちかけ)装おいて、万代こめし三三九度、伊賀の介盃ひかえ、
「家来の男女よく聞け、このたびこの者本妻にたてしこと、無念と思う傍輩もあるべきが、天子大臣の御母方、かようの例数知らず、それにつけ物とり騙りの類い、知らぬ他国の伯父で候(そろ)、甥で候などと出て来るはこの時節、伊賀の介が妻女の名の出ぬようにと気をつけよ、言い渡すことはこれまで」
 女共と主(しゅう)臣(けらい)の盃盃と、また酌み交わす竹の葉の、千秋万歳(せんしゅうばんぜい)の千箱の玉を奉る。
 憂き事は世に小余綾の磯千鳥、千鳥足なるきれ草鞋、破れ笠きて十六、七の、額のすみもうすうすと、つか糸切れし小脇指(こわきざし)、さすが非人の体とも見えず、台所口さしのぞき、
「この御内の飯炊きお竹と申す、女子衆(おなごしゅ)に、逢いましたい」
 と言い入るる、玉聞きつけて走り出で、
〈お竹様の幸せを早かぎ出したか、ええよい鼻の、定めてお竹様の甥であろう、ただし弟か、これ騙り言うも機転がある、羽倉伊賀の介様という武士のお家、お竹様に逢いだてして、棒に逢おうか笑止な〉
 と、つき出されてよろよろと、
「のう騙りとは情けない、その人の言いつけか、名は小文吾と申す者、この声が聞こえぬか」
 と、恨みかこちて叫ぶ声。
 奥へほのぼの聞こゆれば、腰元は笑止がり、
「もし奥様に覚えがあるか、覗いてご覧なされませ」
 と、言うを力に飛び立つばかり、物の陰よりさし覗けば、国に残せし我が子の小文吾、野山に寝たか身もしおたれ、菰(こも)をかぶらぬばかりなり、あれが小余綾新左衛門が惣領(そうりょう)の成れの果て、さても無惨や可愛やな、母ぞと言いて駆け出でて、顔が見せたい抱きつきたい、心は闇に目も眩み、胸に涙を保ちかね。
「のういかにも甥にまぎれない」
 父母に離れて頼みにするはこの伯母一人、逢いたいも理(ことわり)と、余所に言いなす壁訴訟、伊賀の介聞きわけて、
「もっとももっとも、他人にはさぞ遠慮、これへ通して女子ども皆脇へ散れ」
 我も奥へと立ちければ、
「これこれお竹様のご対面、あれへあれへ」
 と言い捨てて、皆々部屋にぞ入りにける。 
 おぼつかながら小文吾は、母に逢いたさ、草鞋(わらんじ)も脱ぐや脱がずにつつと入り、
「どれ母様は、おおこれここに」
 と抱きつき、顔を見合わせわっと泣き、見上げてはわっと泣き、つもる親子のため涙、互いに言葉もなかりしが、
「ああ心もとなや、何として上りしぞ、本国を別るる時言い聞かせしを忘れしか。
『父こそ浅ましい罪科に沈みたまうとも、筋目ある小余綾の家、母が都で下司(げす)奉公してなりとも、そもじを元の武士にしょう、それまでは家名を隠し、奉公の辛抱しや』
 と、氷川の社(やしろ)の神主へ奉公させ、母が身の上こまごまの文も定めて届きつらん、この暮れか来春は、美々しい迎いもやらるる首尾、十の梯子を七つめから、とんと落ちたかうたてや」
 と、またさめざめと泣きければ。
「いや苗字のため身のため、お言葉は忘れねども、包むとすれど悪事千里、あれこそ藤壺の女御を害し、獄門にさらされし小余綾が倅と隠れなく、神主聞きつけ、後の祟りを恐れてや、その事となく追い出され、駿河の町にすみを入れ、道中とてもしるべはなし、人の軒下辻堂の雨にうたれ露に濡れ、昨日の夜は勢多の橋の欄干の陰に夜を明かし、物憂きこととは存ぜしが、母様水仕(みずし)奉公のご苦労をさえなさるるもの、おいとしやと案じ案じ上りしに、お文に違いしこのお住まい、嬉しいながら一筆知らせてくだされば、これほどには案じまい、親は子を思えども、子は親を思わぬと、一筋に思し召す、つれない心の母様や」
 と、膝にすがってかこち泣き。
 母も涙に耐えかねて、
「のう身に小袖を着飾れば、心の中(うち)に苦はないと、余所目(よそめ)に見ゆるが情けない、恥ずかしや」
 このことを、親子顔をさしあてて、語るも胸が痛けれど、
「去年の秋この家へ奉公に出でしより、そもじを世に出す便りにもと、主人はおろか傍輩まで、とかく人に愛を取り、気に入りたいと勤めしあまり、主人伊賀の介袖褄引いて口説かるる、ああうるさいこととは思いながら、なにも我が子の出世のためと、愛想らしゅうあしらい、私は身に過ぎてだいそれた望みある者、それさえ叶えくださればと、言うてみづくに言いかけしに、侍冥利いかようの望みでも、違えはせまいとかたがたの誓文、ささ嬉しやと思うてみつ、いかに子が可愛いとて、夫に離れ、尼法師にこそならずとも、口惜しい女の道は背くまいと、思えば相手は堅い武士、誓文守る心から、約束反古にせぬ気なり、ええ誓文望むまいものと、悔やんでも返らず、思案するほど気がうろたえ、自害せんと刃物を手には取ったれども、のう浮名の恥辱も身の恥も、子の愛しさには代えられず、馴染みを重ねそもじのことを頼まんため、浅ましや口惜しや、君傾城も同前に、母が名を捨て身を汚し、二たび夫を重ねた、悲しいとも辛いとも、起き伏しにつけともすれば、伽(とぎ)になるも涙にて、病となるもまた涙、今日は本妻披露目とて、着飾りしこの小袖、模様の赤いや紫の、色々に染めわけしても、母が身の因果の花、見るもうたてや浅ましや、語るも口がとおらぬ」
 と、かっぱと臥して泣きたまえば、小文吾もわっとばかり、母にひっしと抱きつき、涙の滝の糸筋ももつれすがりて嘆きける。
 ややあって涙を抑え、
「かくまでのご厚恩、何と報じ参らせん、さりながら卒爾に申さば、御嘆きと今までは控えしが、年月の苦労も皆仇事、この小文吾は今をも知らぬ命となる、その仔細は、母は聞きたまわずや、本国をはじめ関東筋、道中までの取り沙汰、夜前より都方を聞き合わすれば、これも変わらず、藤壺はまったく小余綾は殺さぬを、頼光の不吟味にて獄門にかけられしと、人ごとの噂紛れなし、痛わしや無実の罪に沈みたまう、父の最期の心入れ、思い分くに所なく、かの切り人を捜し、討って手向けんとは存ずれども、天下の武将頼光が詮議にさえ知れがたし、近道の敵は頼光、蟷螂(とうろう)が斧なれども、門内に切り入り、一太刀ふれば本望、母の御顔見奉り、この上の思い出なし、御身の上をなおなお隠し、父や我らが菩提を頼み奉る、これ今生のお暇」 
 と、涙の目元にっこりと、笑うて立つを引き止め、
「やれ思いがけなきことを聞く、世には虚説もある習い、頼光が御内へ切り込んで、無駄死にがしたいか、まず静まれここな子よ」
「いやいや漏れ聞こえて反(かえり)をくい、からめられては無念の無念」  
 と振りきればすがりつき、とどめかねたる親子のさま、主人伊賀の介障子押し開け飛んで出で、親子を共に引き寄せて、
「おお音高し音高し、さては汝らは小余綾が妻や子にてありけるか」
 と、つくづくと打ち守り、涙をはらはらと流せしが、
「世間風説に違わず、藤壺の女御を害せしは、汝らが父小余綾にてはなし、引き入れの合図に任せ忍び入り、長旅に疲れ臥したる小余綾が刀を奪い、誠藤壺を害せしは、この羽倉伊賀の介久国よ」
 と、言うよりはっと飛びしさり、母をかこうて身がまえし、心は夢のごとくなり。
「おお驚くはもっとも、誠や深山に茂る諸木の中、歪まず直(すぐ)に立ったる木は、杣人(そまびと)まずこれを切って板柱とし、歪みすじりし節木を、切り残すという古人のたとえ、小余綾が心にて、刀を取られし恥を思い、科を身に受け誅罰せらる、この羽倉は歪み木の切り残されしと思えども、今汝らが手にかかり、侍の名を焼き焦がす、薪と割られ砕かるる、報いの根ざしぞ浅ましき、我らはもと一僕つれぬ小心者、一人の老母大病に冒され、異国の薬種買い調えん力なき所、かの大事を頼まれ、難なく仕おおせ過分の礼金、思いのままに高直(こうじき)の薬を求めは求めしが、我が母ばかりの命を惜しみ、人の命を省みぬ、愚痴邪曲(ぐちよこしま)の天罰にや、母は漏れ聞き、はっとばかりに気を失い、薬一口飲みもせず、すぐに終わりたまいしご臨終のあえなさよ、道に違う孝行は、かえって不幸の罪となる、いわんや我が手にて藤壺を殺し、我が心にて小余綾を殺し、我が因果にて母を殺す、この重罪一百三十六地獄、万々刧(まんまんごう)めぐっても、悪業(あくごう)尽くる期(ご)あるべきか」や、
 と、またさめざめと泣きけるが、
「しょせんわれ本人と名乗って出て、小余綾がかかったる獄門の木のその跡に、同じく晒されんとは思いしが、いやいや、時には頼光不詮議にて、小余綾新左衛門非法の成敗せられしと、六孫王(ろくそんおう)このかた満仲公(まんじゅうこう)にあい続き、古今の名将よと呼ばるる頼光、源氏(みなもとうじ)に疵をつけ、末代に御名を下さんこと、天下の鏡を打ち割る道理、もったいなし恐れありと、過ぐる月日に立身し、上北面の武士となり、今の栄華は極まれども、心に忘れぬ身の罪業、今日は報う、明日や報うと、浮かべる雲に乗るがごとし、あまつさえ小余綾が後家とも知らず夫婦となる、罰とや言わん、恥とやせん、今ぞ約束の誓言は違えぬぞ、いかなる望みもあらばあれ、夫の敵を討つという、これに上超す望みはあらじ、母からでも子からでも、さあ、寄って討て、やれ討て」
 と、腰刀投げ出し、思いきったる黙座(もくざ)の顏(かんばせ)、小文吾も前後にくれ、父には仇母には情け、是非の道理を脇差しに、手をかけながら親子の人、目と目を見合せわっとばかり、むせぶ涙も道理なる。
 いつの間に忍び入りたりけん火の番目付裏表より二人ずつ、案内もなく伊賀の介が両手をしかと取り、 
「武将のお召しさあ参れ」
 と言い立つる、 
「むむ伊賀の介お召しとならば、威儀を改め、おっつけ伺候いたすべし、町人体のお召しのごとく、見苦しい」
 と言わせも果てず、四天王はらはらと頭巾脱ぎ捨て、公時大音上げ、
「こりゃ振廻(ふるまい)のお召しとは違ごうた、ちっと怖い強飯(こわめし)」
 と、袴腰ひっつかむ。家内の上下、
「すは狼藉」  
 とたち騒げば、
「御意じゃ御意じゃ御意じゃ」
 と、威光の風に散る木の葉、小猿を提げたるごとくにて、追っとりまわし引っ立て行く。
 小文吾歯がみをなし、
「大事の敵を頼光に、討ってもろうて本望ならず、詮ずる敵は頼光」
 と駆け出ずれば母上、
「こりゃこれを見よ、せめての形見と、盗み置いたる獄門の高札、これを証拠に無成敗せし頼光に腹切らせて見物せん、いざ来い小文吾」
「おお四天王に追腹(おいばら)切らせん、いざござれ母上」
 と、高札小脇にかい挟み、跡を慕うて急ぎ行く。
 記録所のお白州に、伊賀の介をひっすえ、四天王御前に出て、 
「始終委細に言上し、じきに尋ね問わるべし」
 と、武将御出であるところに、親子御門に走り込み、橡(えん)ばなに手をかけ、急きにせいたる息ざしにて、
「我々は小余綾新左衛門が妻、これは一子小文吾と申す者、藤壺の女御を切ったるは、この羽倉伊賀の介に極まり、只今召し捕りたまい、またこれこの高札、相模の国の住人小余綾新左衛門尉景春、藤壺の女御ならびに乳母治部卿を害したる科によって首をはね、かくのごとく行うものなりと、墨黒々と書きしるし、獄門にさらされしは何と何と、ええ暗い大将軍、恨めしや身上軽き小余綾とて、命も軽しめたまうかや、天下の武将の御命も同じこと、さあ新左衛門を返してたべ、我が夫(つま)を返してたべ、さなくば大将の御誤りとて、ご切腹を見るまでは、親子が首は召さるるとも、いっかなここは立つまじ」
 と、白州をつかみ大声あげ、恨み嘆くぞあわれなる。
 雑色隼人(ぞうしきはいんど)口々に、
「黙りませ、静まりませ」
 と制すれども、頼光、親子は見やりたまわず、
「やあ伊賀の介、おのれ藤壺を討ったるが必定ならば、小余綾仕置きに行う時分、武士の身としてなど名乗りて出でざるぞ、一度小余綾が斬ったる藤壺、そも二人あるべきか、虚言を構え、女わらべをたぶらかし、頼光が政道を弄びものとする、言語道断の曲者(しれもの)、底意を残さず真っ直ぐに、申せ聞かん」
 と御諚ある、伊賀の介居丈高になり、
「当座にこの方より名乗って出ずるほどならば、別に大将のご詮議までも候らわず、科なき小余綾を、非法の罪科に行われし政道暗き大将と、末代の謗りをかばい、沙汰なしに彼らに討たれしまわんと存ぜしに、無用の四天王がお為だて、言われざるご詮議にて、御身の恥を触れたまう、近頃笑止笑止」
 と、そら笑うてぞ申しける。大将ご気色損じ、
「頼光が末代の謗りをかばうなんどとは、分に過ぎたる慮外者、おのれら頼んで謗りを防ぎ、恥を包む頼光ならず、すでに小余綾は当座の白状、止めの刀はその身の指料(さしりょう)、これをもって証拠とす、しつおのれが藤壺を切ったる証拠は、いかにいかに」
 と宣えば、
「ははあ止めの刀を証拠とは、お知恵のほど顕れて、浅はかのご詮議、小余綾が枕の刀を盗み取り、罪と彼らに負わせんため、わざと止めをさし捨てしを、うまうまと聞こしめされしな、我らが討ったる誠の証拠、かの藤壺は安部の晴明が封じたる刃除(やいばよけ)の守り、身を離さずと承り、枕にありしを奪い取り、さてこそやすやす害したる、証拠これに過ぐべからず」
 と、麹塵(きくじん)の守り袋、御前にさし出す。大将よくよくご覧あり、御手を打って、
「ははあこれぞ覚えある守り、この証拠を詮議せんと、三年このかた心神を砕いたり、頼光が一世の本望これに過ぎず、藤壺を害せし伊賀の介罪科は決定(けつじょう)、それからめよ」
 と、ご錠の下より雑色取って引っ伏せ、高手小手に締めつける。小文吾親子は泣きこがれ、
「さあ科の本人極まるからは、小余綾を受け取ろう、大将が暗ければ、従う人も皆盲(めくら)、やい公時の赤面、見事な検使の仕様、おお結構な四天王、夫を返せ父返せ」
 と、御前もわかず泣き叫べば、四天王も伏し目になり、公時が赤い顔、青ざめてこそ見えにけれ、その時大将保昌を召され、
「汝に預けし不老不死の名酒、蔵を開き彼らに勧め、心をなだめよ」
 と宣えば、
「やあ人の大事の命を取り、酒を飲ませてなだめよとは、あんまりなお言葉、ただ小余綾を返されよ、さあ返されよ」
 と猛るうち、保昌小姓衆酒瓶(さかかめ)舁(か)きて出でたりけり、
「公時渡辺それ打ち割れ」
 畏まって握り拳四つ五つ、かんかんと当てければ、瓶二つにさっと割れ、色なましらけ骨痩せて、髪は赤熊(しゃぐま)の弱法師、
「実(まこと)の人か幽霊か」
 と見れば小余綾新左衛門、
「やあ景春殿か」
「女房かあれは我が子か」
「父上か」
 と、走り寄って抱きつき、顔を見てはわっと泣き、
「ほんに実(まこと)の小余綾殿、夢ではないか幻か」
 と、人目も御前もうち忘れ、立ちつおどつつ嬉し泣き。
「お慈悲深き大将軍、恨み申せし冥加のほど、お罰を受けんもったいなや、とてものお慈悲の上からは、とかくご免」
 とばかりにて、お白州にかっぱと伏し、手を合わせて泣きければ、小余綾は呆然と、三年こもりし壺を出て、天より落ちたるごとくにて、前後のことは知らねども、妻子の嘆きをきょろきょろ見て、共に泣くこそあわれなれ、母はようよう涙をとどめ、
「のう小文吾、そなたを世に立てんため、女の守る道を背き、伊賀の介に枕をならべ、母が身は廃ったり、父御(ちちご)この世におわすれば、母が望みはこれまで、この上にながらえては、親子三人共に恥辱、跡を頼むさらばや」
 と、立ちより柄(つか)に手をかくる、貞光末武おしと止め、
「御前を知らぬか推参者、ご門の外では死なれぬか、まかり立て」
 と制せられ、
「誠にここは憚り」
 と、さしうつぶいてぞ居たりける。頼光重ねて、
「小余綾が藤壺を討たぬとは、これほどのことを知らずして、天下の仕置きなるべきか、この守りの証拠をもって、本人を捜し出ださんため、保昌一人に心を合わせ、牢番に誓紙をさせ、切らでかなわぬ盗賊の、首を切って面を汚し、小余綾新左衛門と高札に記し、獄門にさらし、一旦ことを静めしゆえ、案のごとく伊賀の介が本人の罪顕れたり、これ頼光が思慮にあらず、善悪ついに明らかなる天の道、伊賀の介が魂に入って、心の中の罪科をかり出だしたまうと知れ、きゃつはきっと牢屋へ引け、小余綾は身を清め、目見えの時分本領申しつくべきぞ」
 と、御座を立って入りたまえば、小文吾すすみ出て、
「重ね重ね恐れ多きことながら、母たる者思わず女の道を背き、恥に耐えかね自害と思い定めし体、なんぼう悲しくさぶろえば、とてものお慈悲、罪をなだめ下されかし」
 と、涙にくれて言上す。
 頼光はったと睨ませたまい、
「叶うまじ叶うまじ、武士の妻として貞節の道に背きし女、なだめおいては総じて天下の法たたず、なかなか思いもよらぬこと、囚人(めしゅうど)伊賀の介が家財闕所(けっしょ)、女房は上がり物、この方へ召し取ったり、さて上がり物の女房は、小余綾が妻女にとらするぞ、召し連れ立て」
 と宣えば、
「はあっ」
 とばかりに親子の人、まだ覚めやらぬ夢の中、また夢見たる心地にて、天を仰ぎ地を拝し、君を礼して諸袖に、悦びの色恵みの色錦を故郷にひるがえす、上一人の仁徳より、命も尽きぬ泉の壺、命の瀬戸をこゆるぎの、家を二たび(ふたたび)興しける。

第四

 春の花秋の紅葉の情けだに、いつまで浮世にとまる色香はなきものを、主上は弘徽殿にひたすらの御契り、愛着恋慕の思いにほだされ、生老病死のことわりも、忘れたまうぞせんかたなき。
 されどもご懐妊あってより、三十余か月に及べども、ご誕生ましまさねば、
〈仏神の咎めか人の妬みの積もりか〉
 と、女御も世の中捨てぶちに、すすまぬ駒の行く月日、里がちに暮らしたまいければ、君もよろずあじきなく、叡慮を悩ましたまう折から、御局の上臈たち慌ただしく、
「のう悲しや弘徽殿の女御さま、明け方より御局に見えたまわず、東西の対の屋、御庭のくまぐま尋ねても行方なく、長け(たけ)とひとしきお髪(ぐし)をふつっと切り、書き置きの一筆」
 と、形見ばかりの唐櫛笥(くしげ)、涙と共に差し上ぐれば、帝
〈これは〉
 とばかりにて、御魂(おんたましい)も消え消えと、御褥(おんしとね)をまろび下り、形見の鬘(かずら)御身にそえ、龍顔(りょうがん)に押しあてて、涙の玉の冠も、傾ぶきひたたる御嘆き、司候の公卿殿上人も、衣紋の袖をぞしぼらるる。
 中にも中納言義懐左大弁惟成(よしかねさだいべんこれなり)言葉を揃え、
「御嘆きはさることながら、この世にだにましまさば、尋ね出ださでそうろうべきか、まず書き置きを」
 と奏すれば、ひらいてつどつど叡覧あり、
「これ見よや方々、
『北面伊賀の介が藤壺を失いしは、伯父左大将に頼まれしと、拷問の上の白状とや、伯父の悪事も自らゆえ、夢にも知らぬことながら、冥土の恨みも世の謗りも、罪は我が身一人に負う、濁らぬ心を顕して、世の疑いを晴らさんため、深き淵に身を沈め、空しくなる』
 との筆の跡。 見るもはかなや恨めしや、二世三世(にせさんぜ)と契りしに、千尋の淵の底までも、などか伴い行かざるぞ、朕が身ひとり長らえて、たとえ天輪浄王の、位もよしや何せん」
 と、玉体を投げ打ちて、こがれ嘆かせたまいけり。
 義懐(よしかね)惟成(これなり)さまざま慰め参らせ、
「折りふし安倍の晴明、大学生寮のご番なる、占わせ候らわん」
 と、やがて御前に召されける。
 晴明しばらく考え、
「あら笑止や、弘徽殿の御身の上、前に険しき岨(そば)、後ろに高き山あり、進まずして止まると申す易の面(えきのおもて)、生き死にの間に迷いおわします、蹇(けん・六十四卦の一つ)は東北に利あらず、西南に利あり、西南(にしみなみ)に出でたまわば御命つつがなし、もし北東(きたひがし)へ出でたまわば、はや御命あるまじ」
 と、一々考え奏すれば、いやましの御嘆き、長らえてだにあるならば、いかならん山の奥、海は櫓櫂(ろかい)の立つかぎり、普天の下は尋ぬべし、なき身とならば冥土の便り、いつかは聞いつ聞かせんと、また繰り返す御涙、乱るる糸のごとくなり。
 両人御力をつけ、
「ああお心弱し、天が下の主にて、何か叡慮に叶わぬことや候うべき、唐の帝は楊貴妃の別れを慕い、方士と言っし道士に仰せて、楊貴妃の魂(たま)のありかを尋ねられしに、方士すなわち蓬莱宮(ほうらいきゅう)に入るとて、日本熱田の社に到り、死したる貴妃に言葉を交わし、形見の鈿(かんざし)を取って帰りし例(ためし)、唐土人の魂さえ、来たり住む日本蓬莱宮、まして弘徽殿の魂魄(こんぱく)、日本を離れたまわじ、いかに晴明、汝が行力(ぎょうりき)にて女御の魂のありかを尋ね、叡慮を慰め奉れ、疾く疾く(とくとく)」
 と宣えば、
「晴明辞するに及ばず、仙術を得し方士ほどこそあらずとも、宣旨とならば亡き魂も、顕れ目見え(まみえ)たまうべし、上は碧落下黄泉(へきらくしもこうせん)の底までも、女御の魂のありかを尋ね、御返事(かえりごと)奏せん」
 と、お請(おうけ)を申し立ちければ、頼みありげの御気色にて、大殿籠る御涙、上日の月卿雲客(げっけいうんきゃく)も、皆々退出せられけり。
 中にも義懐惟成上臥(うえふし)しておわせしが、はや漏刻(ろうこく)も夜半過ぎ、貞観殿の小門より、忍び足音更け行く月に、衣(きぬ)被(か)ずきの女姿、
「やあ心得ず」
 と走り寄り、唐衣引きのけ見れば、主上は御涙に萎れ詫びさせたまう体、
「こはご狂気か浅ましや」
 と呆れ果てるばかりなり。
「いや姿は狂気に似たれども、心は物に狂わぬぞよ、たとえ晴明が亡き魂の便りは告ぐるとも、姿を見る世のあるべきか、されば会者定離哀別離苦の掟は、十善天子も逃れ得ず、終(つい)には生者必滅と、教えて先立つ女御は仏(ほとけ)、朕は迷いのあら凡夫、この度生死の火宅を出て、菩提の門に入らんため、花山寺にて飾りをおろし、出家と思い定めたり、汝ら止むるものならば、七生までの恨みぞや」
 と、宣い捨てて出でたまえば、両人も力なく、御跡慕い諸ともに、大内山の名残の月、雲隠れてや曇り行く。

花山院道行

 げにや貴(たか)きも卑しきも、恩愛妹背の別れほど、世にあわれなることはなし、もったいなくも主上は、十善帝位を振り捨てて、召しもならわぬ草鞋(そうあい)に、御足を痛ましめ、義懐惟成御供にて、恋路に迷ううたかたの、帰らぬ水の泡とのみ、消えにし人の面影は、夢にだに見えざれば、なれし昔の手枕に、語り尽くせし睦言の、耳にと止まり懐かしや、忘れもやらぬ恋草の、露も思いも乱れつつ、わが身はもとの身なれども、契りし人のなきゆえに、月やあらぬとかこちしは、げに理(ことわり)と思し召し、御心細き折りからに、やもめ烏の浮かれ声、我を訪うかと思われて、あわれを催す道の辺に、夜すがらとぼす蛍火の、おのが思いのあればこそ、虫だに胸をや焦がすらん、げに在原の業平が羇中(きちゅう)の眺めに、飛ぶ蛍雲の上までいぬべくは、秋風吹くと嘆きしも、涙くらべてあわれなり、いとどさえ、いとどさえ身を知る雨の、晴るる間もなき半天(なかぞら)に、小田の蛙の鳴き添いて、道も定かに見えざれば、涙を道のしるべにて、ようよう運ばせたまいければ、横雲渡る東雲に、今日は散り行く花の山、御寺(みてら)にこそは着きたまう。
 賤が茅屋の軒の下、御裳裾の露をしぼり、御足などすすぎ参らせ、しばし休め奉る。
 悉達太子(しったたいし)は十九にて、王宮を出でたまう、今この君も十九歳、壇特山と恋の山、麓の道は変われども、末は一つの法(のり)の門、月も入るさや。
 尋ね行く、幻もがな伝にても、伝にても、魂のありかはそことしも、しら露わけて初尾花、ほのかに見えし遠山の、草の仮寝の苔筵、石清水にぞ着きにける、陰陽の頭(かみ)晴明、唐土の紹蘭夫婦が中立の昔を引き、紙をもって燕をつくり、秘文を封じ放せば、この鳥生けるがごとく、こう翺翔(こうよう)と翔りさえずり、道しるべする燕に、誘われ行くや男山、八幡宮の宝殿の、東の御殿の玉簾の、珠はここにと言うばかり、止まり囀ずる燕の、形は同じ紫の、御簾の房にぞ隠れける。 
〈さては弘徽殿未だ長らえ、ここにこそおわしけれ〉
 と、宝殿に向かい声をあげ、
「和国の天子の勅の使い晴明これまで参りたり、女御は内にましますか」
「何わが帝の御使いとて、何とてここまで来たれるぞ」
 と、九華の帳(とばり)を押しのけて、玉の簾をかかげつつ、立ち出でたまう御姿、雲の鬢ずらあたら物、切って捨てたる柳髪、昔の花の色はなけれど、匂い残りし御顔ばせ、寂漠たる目の中(うち)に、涙を浮かめたまいしは、何に例えん梨花一枝、春の雨を帯び、風に従う海棠(かいどう)の、眠ぶれる花のごとくにて。
「あら珍しの晴明や、君に名残は尽きせねど、身の浮き草に閉じられて、淵に身を投げ死なんとせしに、仇を情けの人心、清滝夫婦に見つけられ、助けてここに隠し置き、湯水を運び育ごくむも、露の間のわが命、とても長らえ果てぬ身を、問うに辛さの優り草、枯れてこの世に亡き身ぞと、奏問してたべ晴明」
 と、たださめざめとぞ泣きたまう。
「こはもったいなき御言葉、しばしの別れさえもってのほかの御嘆き、今は亡き身と奏問せば、聖主(せいしゅ)御命あるべきか、晴明一朝に選ばれ、御使いに立ちながら、すごすごと立ち帰り、何のしるしか候う」
 と、憚りなくぞ申しける。
「そのしるしとは形見のことか、残し置きたる黒髪に、勝る形見はなけれども、使いのしるしとあるからは、思いぞ出ずる君と我、天にあらばと誓いてし、比翼の鳥の簪(かんざし)を、これぞしるしと奉れ、驪山(りさん)の花も一度は散り、華清の池水も終には涸るる世の掟、必ず嘆かせたまうなと、よくよく奏したまえや」
 と、涙ながらに入りたまう御袂を引きとめて、
「ご一門の悪心を、身一つに引き受け、命を捨てさせたまわんとは、理(ことわり)とは申せども、人間の種ならぬ皇子を、御身に宿しながら、共に失いたまうべきか」
「いやとよ恐ろしや、三十余か月生まれぬ子が、何しに君の種ならん、人の恨みの月積もり、産み落として君の敵、母に仇ともなさんより、共に沈むは深き淵、未来の浅瀬に浮かべてたべ」
「いやいや昔もさる例(ためし)あり、唐尭(とうぎょう)と申す帝は、母の胎に十四月宿りたまい、黄帝は二十五か月、老子は八十年、白髪にて生まれたまいしうえは怪しむべき道ならず、まず御帰り」
 と勧むれば、
「それは聖人明徳の、明らかなりし不思議とかや、これは恋慕の種蒔き初めて、二葉に育つ恋草や、色を争う藤壺の、根にからまるるその恨み、過去遠々(おんおん)の昔を思えば、いつを衆生の始めと知らず、未来永々の流転、さらに生死の終わりもなし、天上の五衰より、北州の千年も、皆幻の戯れと、知らで重ねし恋衣、君と交わせし睦言の、比翼連理のささめ言、ささの一夜の手枕に、かかる鬘(かずら)を切りし身は、ありとは言えど亡き身ぞや、恋しき昔の物語、恋しき昔の物語、つくさば人目も面伏せ(おもてふせ)の、形見の簪(かんざし)しるしに持ちて、名残は尽きず、いざさらばとて、勅使は都へ帰らば帰れ、さるにてもさるにても、君にはこの世逢い見んことも、蓬(よもぎ)が島津鳥、浮き世なれども恋しや昔、はかなや別れの常世はここぞ」
 と、伏しまろびてぞ入りたまう、御ありさまぞ力なき。
 衛士の又五郎清滝夫婦、先に所帯を望月の、桂の里に住せしが、弘徽殿の捨身(しゃじん)を助け、八幡の宝殿に隠し置き、裏の手作の畠物、清滝が煮炊きして、夫は運ぶ世は情け、心ぞあわれ粟の餅、菜の葉の飯(いい)を重箱の、包みものさえ憎からぬ。
 十八ささげ茄子の羹(あつもの)ととのえて、社壇の縁に、やあえいとな、おいとしや、さぞお寂しかろと、女共が世話やき、追っつけ跡から参るはず、まずちっと上げましょと、包み解く手に晴明をきっと見つけ、
〈はあこなたはここの社人殿(しゃにんどの)か、ご番でがなござるか〉
 と、なんとのう問う顔色、四相を悟る晴明、 
〈これぞ彼の又五郎、これも元藤壺方、油断ならず〉
 とさあらぬ体、 
「いやいや我らは鹿島の言触れ(ことふれ)、上方皆々めでたきご託宣触れしまい、当社に参籠いたした、ちと休息いたそう」
 と、足をくつろげゆるゆるしき体を見て、又五郎辛気(しんき)顔、
「これ言触れも社人の内、ここで休むは慮外じゃ、脇へいたがよいわいの」
「いかにもいかにも、伏見に泊まる合点なれども、これからまだ二里の道、脚(すね)もよほど疲れた、その重箱の物、ちと振廻(ふるまい)に預かりたい」
 と、ねじよれば興醒め顔、
「ああ太い言触れ、終に一度も見ず知らず、中に何があるかも知らず、めった無性に振る舞えか、こりゃ食い物じゃござらぬ、ちとここに用がある、余所(よそ)へ行てもらいたい」
 と、急く顔を見てなおゆるゆる、 
「はあさもしい嘘をつく人じゃ、中にある物、一重一重名を指いて言うてみしょ」
「や、ここなわろは、いかに言触れとて見通してはあるまじ、食い物と言うても百色もあるもの、さあ上の重から言うてみや、言い当てたら振る舞おう、微塵でも違えば、烏帽子装束ひっぱいで、裸にするが合点か」
「いかにもいかにも、鹿島明神もご照覧、この誓文で違えたら剥いで取れ」
「面白い八幡大菩薩、言い当てたら振る舞おうぞ、さあ何じゃ言うてみや」
 晴明粟の餅ぞとは、とっく占い知ったれども、転じ変えて興醒まさせ、御簾越しに弘徽殿の物思いを諌めんと、しばらく案じて、
「ああ知れた知れた、色は黄(き)な物、黄色な物ではなんであろう、蜜柑柑子(みかんこうじ)九年母(くねんぼ)、むむ、上な重は柑子じゃ柑子じゃ、違いはせまい蓋を取れ」
 又五郎にこにこ笑い、
「今時分の柑子とは、あんまりの推量、違うたとは言わせぬ、しかと柑子じゃの、どりゃ真っ裸にしてやる、帯解いて待っていや、こりゃ粟餅という柑子を見よ」
 と、蓋を取れば大柑子、なんとなんとまずしてやったとひったくられ、又五郎投げ首して、南無三宝、
「たしかに女どもが粟餅ちぎって入れたが、たちまち柑子になろうとは、正八幡もご存じあるまい。いっそのこと破れかぶれ、ま一度来い、さあこの二重めで勝負しょう、言うてみよ」
 と肘を張る。
「いやもうそうそうはご免あれ、ならぬならぬ」
「言触れ殿剥がねばおかぬ、どうじゃどうじゃ」
 と顔赤め、額に大汗大筋はり、
「遅い遅い」
 と責めかくる。 晴明わざと迷惑顔、 
「今のは不思議の言い当たり、この度違うは定(じょう)、剥がるるは知れたこと」
 と、言ううちに転じ変え、
「てんぼの皮言うてみよう、この重は食い物でも何でもない、生きた鼠が三匹ある」
 又五郎頭をたたいて喜び、
「なんじゃ鼠じゃ、ええ阿呆な言触れ、重箱に鼠入れて、何の用になるものぞ、ただし人をなぶるのか、洒落にはさせぬ引っ剥ぐぞや、言葉を詰めた合点か、さらば菜飯という鼠、これ見よ」
 と蓋を取れば、黒白の鼠三匹顕れ出で、重箱のめぐりを立ち去らず、手飼いになつきしごとくにて、又五郎も我を折りて、
「こりゃどうじゃ、さてもなればなるものか、ちょうらい柑子が鼠になる」
 と、呆れ果てていたりしが、不思議そうにうちまもり、
「むむ合点合点、これほどの奇瑞(きずい)顕すは、安部の晴明にておわするな、なかなかのこと」
「しておぬしは誰そ」
「我らは藤壺の乳兄弟、清滝が夫衛士の又五郎と申す者、昨日の暁弘徽殿の女御、桂川の深みに身を沈めんとなされしを、参りかかって引き止めお身の上を尋ぬれば、伯父左大将が計らいにて藤壺を失いしと、頼光の御前にて伊賀の介が白状、殊には君を犯さんと企む悪逆、皆みずからより起こりしこと、長らえ憂きこと聞かせんより、死なせてくれとの御嘆き、さまざまなだめこの宝殿の東の間に、隠し忍ばせ申せども、日影の我々奏問すべき便りもなし、一つは朝家の御ため、ご執奏(しっそう)頼み参らす」
 と、心底他事なく見えければ、晴明横手を打って、
「神妙神妙(しんぴょうしんぴょう)、それがしも宣旨を蒙(こうむ)り、弘徽殿にあい参らせ、ごへんの噂聞きつれども、藤壺の御ゆかり、二心もあるべきかと、試してみたる面目なや」 
 と、所存をあかせば、又五郎、
「いかないかな、こう申す言葉に、かけごも入れ子も候わず、や入れ子のついでに、この重箱の柑子鼠、いつまでもこれでいることか、どうぞ本服なるまいか」
 晴明可笑しく、
「やすいことやすいこと」
 と転じ返せば、たちまちに柑子は蒸せる粟の餅、鼠も所の男山、おみな飯(めし)とぞなりにける。
 かかるところに地下侍(じげさむらい)二、三十、兵具(ひょうぐ)とりどり群がり来たり、
「方々は参詣の旅人か、最前よりこの所に、内裏上臈とおぼしき女中は見えざるか、聞きも及ばん、弘徽殿の女御大内を忍び出で、このお山にましますよし、芦屋の道満占い考え、左大将早岑公より、御身に過失なきように尋ね申せとの仰せ、さもありげなる上臈あらば、早速当山別当の御坊へ注進せよ、いざまず高良明神(こうらみょうじん)の廻廊(かいろう)近所を捜してみん、皆々ぬかるな油断すな」
 と、麓をさしてぞ下がりける。
 晴明東西遥かに見渡し、
「あれあれ又五郎、猪の鼻坂女塚(はなざかおんなづか)、人大勢満ち満ちたり、この所に安閑と置き申さんこと、井のもとの童子(わらんべ)よりなお危うし、それがし女御の御供して、木陰をくぐり身を隠し、大内へ入れ奉らん、わどのは敵を切り払え」
「ええ相口同前の小脇差し、槍長刀(なぎなた)にはかなうまじ、何とかせん」
「や、あの絵馬、白銀作りの大太刀、願主相模国の住人小余綾新左衛門の尉景春、百日詣敬って申すと記せしは、今度小余綾が無実を逃れし願ほどきと覚えたり、しかれば真剣ござんなれ、あの太刀取って脇ばさみ、相手を嫌わず切り捨てよ」
「任せておけ」
 というところへ、女房清滝息を切って走りつき、
「のう又五郎、や、珍しい晴明様もこれにか、嬉しや嬉しや、一人でも味方が多うなったぞ、なんじゃは知らぬが、平次兵衛と道満が、大勢連れてあれここへ、女御様奪い取られては、何してもせんがない」
 と、
「御簾引きのくればしをくればしを」
 と。 
「人々の心ざし無にするに似たれども、敵(かたき)というは我が伯父君、その罪の申し訳、死ぬる覚悟に髪も切り、なに面目に帰ろうぞ、死なせてたべ又五郎」
 と、嘆きたまえば、
「ああ申し、そのための晴明殿粟餅を柑子にし、菜飯を鼠にする人が、御髪(おぐし)の五尺や一丈は、お気づかいないこと」
 と、夫婦御手を引くところへ、芦屋の道満平次兵衛盛重、地下侍百騎ばかり、谷々より押しのぼり、
「やあさてこそさてこそ、それがしが占卜(うらかた)に違わず、弘徽殿は当山にましませし、又五郎清滝晴明もかたうどな、懐胎の皇子(おうじ)を守り立て、左大将早岑公天下の執政となりたまわん御企て」
 と、言わせもはてず又五郎、
「ああおけおけ、企てとは何の企て、その企てが胴腹へ針立てにしてれん」
 と言えども相口小脇差し、からりと抜き捨て、
「卒爾ながら晴明殿、借用申す」
 とするりと抜き、多勢を左右に引き受けて、うんともすんともいわ清水、坂を下りに追いさげたり。
 平次兵衛ただ一人取って返し、清滝めがけ切りかくる、
「待ち受けたり」
 と夫の相口拾い取り、しばし支えて戦いしが、女力の小脇差し、大力に切り立てられ、すでにこうよと見えたりけり、晴明女御を囲いながら、
〈ええ危うし危うし、あの絵馬の主がな来たれかし〉
 と、心に念ずるそのしるし、願主の文字さっと消え、形は小余綾新左衛門、太刀抜きかざし、清滝を押し隔ててぞ突っ立ったる。
「はあう、枕の刀盗まれた寝惚れ(ねぼれ)侍、どこから小ゆるぎ(小余綾、小揺るぎ)出でたるぞ、寝言でないか目を覚ませ」
 と、雑言すれども事ともせず、渡り合わせて切り結ぶ、陽炎(かげろう)稲妻飛鳥の翔り(かけり)、討てども突けどもかなわばこそ、齋垣(いがき)瑞垣(みずがき)玉垣を、くるりくるりと追い廻す。
 折しも小余綾日参の、神前の騒動心得ず、
〈何事やらん〉
 と立ったる所に、平次兵衛追いまくられ、行きかかって、
〈はあう、はや先へ廻ってか、こりゃならぬ〉
と駆け戻れば、跡にも小余綾前にも小余綾、
〈えっえ口惜しい、晴明が行力(ぎょうりき)よな、道満はおわせねか、きゃつら片端金縛りにしてくれん、道満道満〉
 と叫ぶところを、はったと蹴倒し乗っかかれば、ありし姿は消え失せて、絵馬に移る願主の家名、文字(もんじ)は本のごとくなり。
 新左衛門笑壺(えつぼ)に入ってにこにこ笑い、
〈嬉しし嬉しし、おのれをおのれを〉
 と思いしに、正八幡のご利生、
「おのれよう手引きをして、旅疲れのそれがしが枕の刀盗み取り、藤壺を殺させ、無実の罪におとしたなあ、伊賀の介が白状にて、悪人残らず顕れたり、これぞおのれが盗みし刀、近づきの焼き刃の加減、覚えたか」
 と刺し通し、首かき切って突っ立つところに、又五郎は道満が首切っ先に貫き、お大声あげて、
「取ったぞ取ったぞ、首を取ったぞ」
「こっちも取ったぞ、首を取った名を取った」
 誉れとりどりとり囃し、都に移す弘徽殿、晴明が加持の徳、清滝夫婦が誠の徳、さてこそ小余綾武士の、一分立てし男山、悪を滅ぼす殺生も、義によって放生川(ほうじょうがわ)とどろとどろと踏みならす、反橋(そりはし)の形(なり)、弓の形(なり)、源氏の氏神弓矢の威徳、天地に引っ張る桑の弓、八幡を拝して帰りけり。

第五

 山に登らざれば、天の高きを知らず、谷に入らざれば、地の厚きを知らず、聖賢の語(ご)を聞かざれば、道の大成を知らずとは、宜(むべ)なるかな、晴明が諌めにて、女御不思議の御命をまぬがれ、人々に誘われ、すぐに花山に入りたまえば、主上叡感(えいかん)限りなく、急ぎ還幸なるべしと、弘徽殿も同車にて、小余綾親子御先を払い、義懐(よしかね)惟成(これなり)扈従(こしょう)にて、み車を轟かせば、山路の野辺も秋の色、今日の行幸(みゆき)を待ち顔に、女房たちの花摺衣(はなすりごろも)、花一時も今しばし、真葛が原(まくずがはら)に着きたまう、草葉にすだく色々の、虫の声々穂に出で初めし、薄に止まる蝶々や、蜻蛉(やんま)はたはた飛びつれて、祗園林も近ければ、ねぎ殿という虫もあり、秋の野遊(やゆう)の珍しやと、帝も女御もみ車の、物見がちなる女房たち、しばし見とれて立ちたまう。
 根笹まじりの茅原の、風も吹かぬにざらざらざら、ざわめき立ったるその中に、三尺ばかりの蟷螂の、鎌を振り立てみ車に、差し向かって羽を広げ、頭(かしら)を振って狙いしは、げに蟷螂が斧をもって、龍車に向かうとは言いつべし。
 始めのほどは女房たち、さても大きなカマキリとめで笑いたまいしが、後には人々恐気(こわけ)立ち、女御も驚きましませば、
「誰かあるそれ追いのけよ」 
 と宣旨に任せ、小文吾扇おっ取りのべ、はたと打てばひらりと飛び、追い払えばはっと立ち、鎌と競り合う扇の風、飛びさり飛びのき飛び廻り、飛び帰ってみ車の、屋形にとまり息(やす)らいて、四方に頭をふったりし、眼(まなこ)は鈴のごとくなり。
 小余綾み車の前につつしんで、
「わずか昆虫の障碍(しょうげ)、取るに足らずそうらえども、小敵を見ては畏ると言えり、察するところ我が君に、仇をふくむ凶賊、競い起こるべししるし、野の神草の神告げ教えたまう所、今日の還幸おぼつかなし、ひとまず花山へみ車を返し、重ねてのご沙汰もや」
 と奏しもあえぬに、菊が谷の岨(そば)かげより、覆面の男数十人、おめき叫んでみ車の前後左右を追っとり巻き、
「帝を渡せ女御を渡せ」
 と、ひしめきける、小余綾ちっとも臆せず、
「さてこそ思い設けしところ、疑いなき左大将早岑が群党な、めったに渡せ渡せとは、商人(あきんど)の売り掛け買い掛けと思うか、悪逆超過の左大将に従い、朝敵となってあったら命を捨てんより、神国神孫の天子に従い奉り、百年の命を続け、但し腕だてしたくばせよ、ちっと手荒い関東武士、小余綾親子が腕膾(うでなます)、塩加減見損ない、喉乾かさん笑止な」
 と、からからとぞ笑いける。
 悪党ども声々に、
「事を知らぬ愚人め」
「日本三つの御宝、神爾宝剣(しんじほうけん)内侍所(ないしどころ)、これをもって天子のしるし」
「、かたじけなくも主君左大将早岑公、今大内に入り代わり、三種の神器(じんぎ)を携えたまえば、王様とも天子とも」
「草木もなびく早岑公に、背くはおのれが朝敵よ、渡せ渡せ」
 と罵ったり、
「おお渡す、これを渡す」
 と言うままに、親子一度にするりと抜き、菊が谷を真っ下りに、雪崩をつかせて追い下る。
 中にも宗徒(むねと)とおぼしき者、取って返し車の轅(ながえ)に取りつくところを、ありつる蟷螂飛んでおり、剣の鎌を研ぎたて研ぎたて、脛(すね)をかいて薙ぎ倒し、腕首膝節嫌いなく、薙ぎ伏せ薙ぎ伏せ追いめぐれば、あえて寄りつく便りなし。
 小余綾親子引き返し、はさみ立て切り伏せ切り伏せ、ついに首をぞ掻いてけり、今までここに有明の、蟷螂消えてうら(恨、裏)紫の、藤壺の面影茫然と顕れ出で、
「ああ恥ずかや我が姿、君と契りし鵲(かささぎ)の、渡せる橋も中絶えて、身はもみじ葉の血刀にかかりしを、左大将の業(わざ)とも知らず、咎なき弘徽殿、恨みをなせし恥ずかしさよ、罪を許させたびたまえ、懐妊の御身を三年(みとせ)三月封じ止め、悩みをかけしも我がなす業、今胎内に持ちたまうは姫宮にてましませども、みずからが持ちこもりし若宮の御魂と、変成男子(へんじょうなんし)に転じ変え奉る、只今誕生なるべきぞや、われ蟷螂の虫となって、み車の上に羽(は)を休めしは、神の命(みこと)の御産屋(おんうぶや)、鵜の羽(は)を茅に葺き合わずの尊(みこと)の嘉例(かれい)を引きまいらせ、天龍八部も圍繞(えにょう:法会のとき、多くの僧たちが尊像の周囲を回って礼拝すること)して、八百万(やおよろず)の御神の守りましますご誕生、只今なりや、いざさらば、我は日影の露の玉、君が光に照らされて、御代(みよ)を守りの霊神(れいじん)と、名残は尽きず」
 と、ゆう(言う・夕)露につれて形は消えにけり、不思議や女御はたちまちに、ご産の気づきたまいければ、女房たちは集いより車を鵜の羽の産屋にて、端厳美麗(たんごんびれい)のご相好、皇子やすやすご誕生、産声めでたく聞こゆれば、供奉の上下一同に、悦びの声産声に、車の音も千秋楽、万代澄める清水や、車宿りに入御(にゅうぎょ)なりし。
 左大将早岑は、止むことを得ぬ悪逆、おのが館は打ちこぼたせ、禁中に押し入って、摂禄三公(せつろくさんこう)の上に着き、従わざる公卿大臣、死罪流罪に隙(ひま)もなく、
〈頼光が寄することもや〉
 と、四門固く閉じさせ、口々に警固をすえ、籠城なんどのごとくなり。
 衛士の又五郎義長、妻の清滝夫婦の者、頼光に訴訟し、主の敵母の敵羽倉伊賀の介を申し受け、高手小手に縛(い)ましめ、縄引き立てて南門の前に引きすえ、割るるばかりに戸を叩き、
「いかに、朝敵の棟梁左大将よっく聞け、おのれ一身の栄華のために若宮ご懐妊の藤壺、あまつさえ乳人(めのと)治部卿を害したれば、この又五郎がためには主の敵、この清滝がためには親の敵と主の敵、胎内の宮様を失う上は、天下万民のためには国王の敵、四方八方の持ち合い敵、それはともあれ夫婦がため、主親の敵、
〈討ちたい切りたい〉
 心ばかりは逸(はや)れども、運に乗ったる左大将、夫婦が力に叶わず、さるによってきゃつ伊賀の介さまざま願い、頼光より申し受け、これまで引っ立て汝を斬ると観念し、一分試しのなぶり殺し、面の皮を踏んで踏んでふみにじるも、まったく伊賀の介を踏むにあらず、左大将が面を踏む、言うに甲斐なき又五郎に、面をふまるる左大将、末世に恥をさらせや」
 と、夫婦門を打ち叩き、どっと笑うて立ったりけり。
 左大将怒りをなし、築地の
上に突っ立ち上がり、龍虎(りょうこ)の挑む眼(まなこ)の光、くわっと見開き睨めつくれば、血筋いらって爛々と、七つ目がねの水晶輪、左右に掛けたるごとくなり。
 左大将大音上げ、
「やい日雇(ひよう)め、うぬは見かけより肝先に、肉(しし)のある下郎め、よくもよくもいつぞやこの左大将をたらし、白川にて帝を助けしより事顕れ、思う壺を外させたり、しかれば早岑がためには身上の敵、さがし出し土磔(はりつけ)にかけんかけんと思いしに、何ぞやこの左大将の面になぞらえ、伊賀の介が面を踏まんとは推参千万、舌の根が伸び過ぎたり、おのれにのめのめ踏ませて見物すべきか、誰かある、あれ奪(ば)いとれ」
 と、言うより早く門押し開き数多(あまた)の士卒群がって、夫婦を左右へ引きのけ引きのけ、伊賀の介を引き立て内に駆け入り扉をしめ貫の木はたと鎖(さ)したるは、無念と言うもあまりあり、左大将大声上げてうち笑い、
「なんて蝗(いなご)ども、見たか見たか、猫の子が親猫の取ったる鼠を、ちょうらかして逃がすがごとく、伊賀の介を取り離し、ふたたび頼光に面は向けられまじ、夫婦それで刺し違え自滅せよ、左大将が情けに、二人が死骸を逆さ磔(はりつけ)にしてくれん」
 と、言いすて飛び降り入りにけり。
 二人は呆れて言葉もなく、万戸(まんこ)が玉を奪(と)られし心地、築地を睨んで立ったるところに。
 貞光末武綱公時、保昌を先として、我も我もと駆けつけ、
「伊賀の介は討ったるか、何と何と」
 と問われて夫婦は言葉なく、
「討つことはさておき、やすやすと奪われ、結句我らが討たれそうな」
 と言いければ、五人一度に、
「はあう」
「大事の囚人奪われ、敵に三分の強みつく」
「言うて返らず悔やむが損」
「時節を待って何かせん」
「一寸も延ばされず」
「築地を越えてや入るべき」
 と、門を睨み、築地を叩き、五人怒りのもの狂い、怒れる虎、怒れる獅子、
「きゃつを二度(ふたたび)取り返やさでは、まったくここは立ち去らじ」〉
 と、南門の真砂の上、一度にどうど座りしは、大地も揺るぐばかりなり。
 中にも公時突っ立ち上がり、
「口でばかり悔やんでは、百日言うても同じこと、この門一つ蹴破るは、薄紙裂くより安いこと、公時が押し破り、手ついでに左大将ともに引っ立て来たらん」
 と、金剛力士の勢いにて、母の譲りの力こぶ、拳(こぶし)を固め門柱、
「えいやえいや」
 と押しかくる、四人の人々すがりつき、
「まず待て公時、この門一つ蹴破るは、面々も合点たり、早まって左大将、
〈すわこれまで〉
 と見るならば、三種の神器に火をかけ、内侍所しるしのみ箱失せたまえば、この日本は魔界となる、上一人の御誤り、下万民の嘆きの種、かりそめならぬ一大事、静めて事をうかがえ」
 と、言えども公時合点せず、
「また例のご意見か、今度はいかなるご意見でも、持病の虫が背筋にまわり、針でも灸でも堪忍ならぬ放せ放せ」
「いや放さぬ」 
 と、公時が押す響き、四人が止むるその響き、門内に人音して、海老錠はずし貫の木引き、扉さっと押し開き、出ずるを見れば伊賀の介、
「さあ時分はよしいずれも御入りそうらえ、これ又五郎、武士の契約金石よりなお堅し、伊賀の介が一言に、偽りなきを見たまえ」
 と、言い捨て刀に手をかけ、すでに自害と見えければ、渡辺押し止め、
「神妙(しんびょう)の御働き、この度の計略は主君頼光、それがしと相談にて、又五郎とごぶんに申し含めしところ、謀(はかりごと)の手合わせ味方の勝利、聖運開かるべき時節到来、珍重珍重、さりながら何を不足の自害やらん、心底聞かん」
 と言いければ、伊賀の介涙をはらはらと流し、
「何故とは情けなや、左大将に頼まれ藤壺を害し、今また左大将を欺(あざむ)き、門を開き敵を引き込む返り忠、かくまで心定まらぬ、娑婆に益なき伊賀の介、情けにはご介錯(かいしゃく)頼みいる」
 とばかりにて、振り放さんとするところを、人々取りつき、
「ああ愚かなり、十悪五逆の左大将を、二度三度偽って、十善の君を御代に立て、天下太平の功ある伊賀の介、娑婆に益なき武士と笑う者こそ娑婆塞げ、それとても面々の心涼しう思わずは、死に時まだ早い、討ち死にするほど働いて、頼光の評判受け、死んでよくばそこで死ね、何と何と伊賀の介」
「あっあそうじゃ誤った、身の上は後日の沙汰、天下の大事は鼻の先、時分はよきぞ早入れ」
 と、伊賀の介が先陣にて、清滝夫婦四天王、門外門内手分けして、おめき叫んで攻めにける、方八町の大内に、数千こもりし賊党ども、ただ八人に切り立てられ、ここに追い込み、かしこに討たれ、あるいは落ち失せ逃げ失せて、残り少なになってげり、左大将
〈かなわじ〉
 と築地に上り、
〈隙間を見て落ち行かん落ち行かん
 と、折りをうかがい駆け回る、又五郎清滝、さしったりと飛びかかり、両の足首しっかと取り、引き下ろさんと引けども引けども大力の、鞠を蹴るよりなお易く、はったはったと蹴落とされ、弓手馬手(ゆんでめて)へぞ転(まろ)びける、いつの間にかは綱保昌築地に上がり、左右にぬっと現れ両手をつかんで、
「えいやっ」
 とはね返へせば、下にて公時
「得たりやおう」
 と取って押さえ、胴骨踏まえ首ふっと引き抜いて、
「朝敵滅亡御代万歳(みよばんぜい)」
 と呼ばわる声、二度(ふたたび)遷幸ましまして、治まる国の名将の、民を憐れむ源氏の元祖、文に栄え武に栄え、上(かみ)に道あり下(しも)礼ありありがたき君が代の、ご子孫繁盛繁盛、五穀豊かの時に逢う、流れの末こそ楽しけれ。
「弘徽殿鵜羽産屋」完結
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