『源氏物語』参考文献
『長恨歌』現代語訳
『古事記』現代語訳
『源氏物語玉の小櫛』現代語訳
『和泉式部日記』現代語訳
『和泉式部集〔正集〕』現代語訳
『和泉式部集〔続集〕』現代語訳
『赤染衛門集』現代語訳
『清少納言集』現代語訳
『藤三位集』現代語訳
『蜻蛉日記』現代語訳
『枕草子』現代語訳
『蜻蛉日記』
上巻
〔一〕  
 このように半生が虚しく過ぎて、生きていくのにとても頼りなく、あれこれ身の振り方もはっきりしないで、この世に暮らしている女がいた。容貌といっても人並でなく、思慮分別があるわけでもなく、
〈こんな役に立たないでいるのも当然だ〉
 と思いながら、ただ寝ては起きる虚しい日々を暮らすうちに、世の中にたくさんある古い物語をのぞいて見ると、ありふれた嘘の話でさえ面白がられるのだから、人並でないわたしの身の上を日記にしたら、もっと珍しく思われるだろう。
「最上の身分の人との結婚生活はどんなふうなの」  
 と聞かれたら、
〈これを前例にしたらいい〉
 と思うのだが、過ぎ去った年月の記憶は薄れてはっきりしないので、不十分な記述が多くなってしまった。
〔二〕
 さて、あっけなく終わった恋歌のやりとりなどは別として、名門の柏木の君、兵衛佐(ひょうえのすけ藤原兼家(ふじわらのかねいえ))さまから、求婚のお気持ちを伝えられた。普通の人なら、それ相応の人に頼んだり、あるいは邸の女房を間に立てて、取り次がせるものなのに、この人は、わたしの父に直接、冗談なのか本気なのかほめかしたので、
「とんでもない、釣り合いが取れない」
 と言ったのも知らない顔で、馬に乗った使者を寄こして、門をたたかせる。
「どなたなの」  
 などと尋ねさせるまでもない、あの人とはっきりとわかる騒ぎようなので、当惑して手紙を受け取り大騒ぎする。手紙を見ると、紙なども求婚にふさわしい優美なものではなく、きれいな字で見苦しくないようだと聞いていた筆跡も、
〈女に出す手紙ではない〉  
 と思えるほど下手なので、不思議でならない。書いてあったのは、

(おと)にのみ 聞けばかなしな ほととぎす こと語らはむと 思ふ心あり
(噂を聞いているだけではせつないものです 直接お会いしてお話ししたいものです)  

 とだけある。
「どうしたら。お返事しないといけないのかしら」  
 などと相談していると、昔かたぎの母がいて、
「やはりお返事を」  
と恐縮して書かせるので、

語らはむ 人なき里に ほととぎす かひなかるべき 声なふるしそ
(お相手になるような人もいないのですから 何度おっしゃっても無駄でしょう)
〔三〕
 これを初めとして、その後たびたび手紙を寄こすけれど、返事もしないでいたところ、また、

おぼつかな 音なき滝の 水なれや ゆくへも知らぬ 瀬をぞたづぬる
(よくわからない あなたは音なしの滝の水でしょうか 返事もいただけず いつお逢いできるかもわからない逢瀬を捜し求めるばかりです)  

 これに、
「後でお返事を」
 と言ったところ、愚かにも返事を待ちきれなかったのか、このように言ってきた。

人知れず いまやいまやと 待つほどに かへりこぬこそ わびしかりけれ
(密かに あなたからの返事を今か今かと待っているのに 返事がこないのは辛くてならない)  
 
 とあったので、例の母が、
「もったいないこと。きちんとしたお返事をさし上げるのがいいでしょう」  
 と言って、返事のかける侍女に、それなりに書かせて届けた。代筆の返事なのに心から喜んで、頻繁に手紙を寄こす。  
 また、添え書きの手紙を見ると、

浜千鳥 あともなぎさに ふみ見ぬは われを越す波 うちや消
(け)つらむ
(浜辺に浜千鳥の足跡もないように 手紙がないのは わたしを越えるようなよい人がいらっしゃるからでしょうか)  

 今度も、例の、礼儀正しい返事を書く侍女がいたので、それですませた。またも手紙がある。
「きちんとしたお返事をくださるのは、とてもありがたいのですが、今度も自筆の手紙でないのは、とても残念です」  
 などと、儀礼的な手紙の端に、歌が書き添えてある。

いづれとも わかぬ心は 添へたれど こたびはさきに 見ぬ人のがり
(代筆でも自筆でもどちらでも嬉しいけれど 今回はまだ筆跡を見たことのない人へ)

 とあったが、いつものように代筆ですませた。こんなふうに、形式的な応対をして月日を過ごした。 秋の頃になった。添え書きの手紙に、
「あなたが利口そうに見えるのが辛くて、我慢しているけれど、どういうわけか、

鹿の音
(ね)も 聞こえぬ里に 住みながら あやしくあはぬ 目をも見るかな
(鹿の鳴き声に目を覚ます山里ではなく都に住んでいながら 不思議に眠れないのです あなたに逢えないので)」  

 とあった返事に、

「高砂の をのへわたりに 住まふとも しかさめぬべき 目とは聞かぬを
(鹿で名高い高砂の山の頂に住んでいても そんなふうに目が覚めるとは聞いていませんが)  

 ほんとうに不思議です」  
 とだけ書いた。また、しばらく経ってから、

逢坂の 関やなになり 近けれど 越えわびぬれば なげきてぞふる
(逢坂の関とは何でしょう すぐ近くにいながら 越えられないから ずっと嘆いて暮らしています)  

 返事は、

越えわぶる 逢坂よりも 音
(おと)に聞く 勿来(なこそ)をかたき 関と知らなむ
(越えるのに困っていらっしゃる逢坂の関よりも 噂に聞く勿来の関をもっと越えにくい守りの固い関と知ってください)  

 などというような形式的な手紙を何度もやりとりして、どういうことのあった翌朝だったのだろうか、

夕ぐれの ながれくるまを 待つほどに 涙おほゐの 川とこそなれ
(あなたに逢える夕暮れを待つ間に 恋しさに涙があふれて まるで大井川の川のよう)  

 返事、

思ふこと おほゐの川の 夕ぐれは こころにもあらず なかれこそすれ
(わたしのほうも 物思いの多い夕暮れ時は 思わず涙が流れてくるのです)

 また三日目ごろの朝に、

しののめに おきける空は 思ほえで あやしく露と 消えかへりつる
(夜明けに起きてあなたと別れて帰る気持ちは なにがなんだかわからないで 露のようにじぶんも消えてしまいそうでした)  

 返事、

さだめなく 消えかへりつる 露よりも そらだのめする われはなになり
(はかなく消えてしまう露よりも あてにならないあなたを頼りにさせられているわたしは いったい何なのでしょう)
〔四〕  
 こうしているうちに、ある事情があって、しばらくよそに出かけているところに、あの人が訪ねてきて、その翌朝、
「せめて今日だけでもゆっくり過ごそうと思ったのに、迷惑そうだったので。どうしたの。わたしにはあなたがわたしを避けて山に隠れたとばかり思えるけれど」  
 とある返事に、ただ、

思ほえぬ 垣ほにをれば なでしこの 花にぞ露は たまらざりける
(思いがけない山家に来て 垣根のなでしこの花を折ると 露はこぼれ落ちました わたしの涙のように)  

 などと言っているうちに、九月になった。  
 月末の頃、引き続いて二晩ばかり姿を見せなかった時に、手紙だけを寄こしたもその返事に、

消えかへり 露もまだ干
(ひ)ぬ 袖のうへに 今朝(けさ)はしぐるる 空もわりなし
(いらっしゃらないから 消えるような思いで夜を泣いて明かして 袖の涙もまだ乾かないというのに 今朝は空までしぐれて 辛くてならない)  

 折り返し、返事、

思ひやる 心の空に なりぬれば 今朝はしぐると 見ゆるなるらむ
(あなたを思っているわたしの気持ちが空に通じたから 今朝はわたしの涙でしぐれているように見えるのでしょう)  

 とあって、その返事を書き終わらないうちにやって来た。  
 また、しばらく経って、あの人の訪れが途絶えている頃、雨などが降った日に、
「夕方に行くから」
 などと言ってきたから返事をしたのだろうか、

柏木
(かしわぎ)の 森の下草(したくさ) くれごとに なほたのめとや もるを見る見る
(あなたの庇護のもとにあるわたしだから 夕暮れにはいつもあてにして待っていろ とおっしゃるのですか 訪れるという言葉もあてにならないで わたしはそのたびに涙を流しているのに)  

 返事は、本人が来てうやむやにしてしまった。
 こうして十月になった。わたしが物忌なのを、待ち遠しいようなことを言い続けて、

なげきつつ かへす衣の 露けきに いとど空さへ しぐれ添ふらむ
(逢えないのを嘆きながら せめて夢で逢いたいと 裏返しに着て寝た衣も涙に濡れているのに どうして空までがしぐれて悲しみを添えるだろう)  

 返事は、ひどく古くさい、

思ひあらば 干
(ひ)なましものを いかでかは かへす衣の 誰(たれ)も濡(ぬ)るらむ
(わたしを思う火があれば 濡れた衣も乾くでしょうに どうしてあなたの裏返した衣が わたしの衣と同じように濡れているのでしょう)  

 といった応答をしているうちに、わたしが頼りにしている父が、陸奥国へ出立することになった。
〔五〕  
 季節はとてもしんみりとした寂しい時だし、あの人とはまだ馴染んだと言えるほどでもないし、逢うたびに、わたしはただ涙ぐんでばかりいて、ほんとうに心細く悲しいことといったら、例えようがない。あの人も、とてもしみじみと、
「決して忘れたりはしない」
 ということばかり話すようだが、
〈あの人の心は言葉通りにいくはずがない〉
 と思うから、ただひたすら悲しく心細いことばかりを思ってしまう。
 いよいよお別れの、皆が出立する日になって、旅立つ父も涙を抑えることができないし、後に残るわたしはそれ以上に言いようもなく悲しいので、
「予定が狂ってしまいます」  
 と言われるまで、父は出て行くことができず、それから、そばにあった硯箱に、手紙を巻いて入れ、またほろほろと泣きながら出て行った。しばらくはその手紙を見る気にもなれない。姿が見えなくなるまで見ていて、気をとりなおして、にじり寄り、
〈なにが書いてあるのだろう〉  
 と思って見ると、

君をのみ 頼むたびなる 心には ゆくすゑ遠く 思ほゆるかな
(陸奥国ははるか遠く あなただけを頼りにして旅に出ます どうか行く末長く娘をお願いいたします)  

 と書いてある。
〈夫であるあの人に見てもらいたいらしい〉  
 と思うと、とても悲しくて、手紙をもとあったように置いて、それからしばらくして、あの人がやって来たようだ。目も合わせず思い沈んでいると、
「どうしてそんなに悲しんでいるの。こういう別れは世間ではよくあることなのに。そんなに嘆いているのは、わたしを信頼していないからだろう」  
 などと、ほどよくとりなして、硯箱の手紙を見つけて、
「ああ、こんなにも」  
 と言って、父が出立のために移っている所に、

われをのみ 頼むといへば ゆくすゑの 松の契りも 来てこそは見め
(わたしだけが頼りだというお言葉 確かに承りました いつまでも変わらないわたしたちの夫婦の仲を お帰りになったときごらんください)  

 と書いて送った。  
 こうして、日が経つにつれて、旅先の父のことを思いやるわたしの気持ちはとても寂しいのに、あの人の心もとても頼もしそうには見えない。  
 十二月になった。横川
(よかわ)に用事があって登ったあの人が、
「雪に閉じ込められて、とてもしみじみとあなたを恋しく思うことばかり多くて」
 と言ってきたので、

こほるらむ 横川の水に 降る雪も わがごと消えて ものは思はじ
(横川の流れは凍り そこに降る雪も溶けることなく凍っているでしょう〔雪に閉じ込められて寂しいとおっしゃるあなたも わたしのように消えてしまうほどの物思いはしていらっしゃらないでしょう〕)

 などと言って、その年ははかなく暮れた。
〔六〕
 正月頃に、二、三日あの人が来なかった時に、よそへ出かけようとして、
「あの人が来たら、渡して」  
 と言って、書いておいた。

知られねば 身をうぐひすの ふりいでつつ なきてこそゆけ 野にも山にも
(これからどうなるかわからないのが辛くて うぐいすのように声をふりしぼって泣きながら 野にも山にも出ていきます)  

 返事がある。

うぐひすの あだにてゆかむ 山辺(やまべ)にも なく声聞かば たづぬばかりぞ
(うぐいすのように気まぐれで山辺に出て行っても 鳴く声を聞いたら その声を頼りに訪ねていくだけです)  

 などと言っているうちに、わたしは普通の体ではなくなって、春、夏ずっと気分が悪く、八月の末頃に、どうにか無事に出産した。その頃のあの人の心づかいは、心がこもっているように思えた。  
 さて、九月頃になって、あの人が出て行った後で、文箱(ふばこ)があるのをなんとなく開けてみると、ほかの女に送ろうとした手紙がある。あきれてしまい、
〈わたしが見たとだけでもあの人に知らせよう〉
 と思って、その手紙に書きつける。

うたがはし ほかに渡せる ふみ見れば ここやとだえに ならむとすらむ
(信じられない よその女に送る手紙を見ると わたしの所にはもういらっしゃらいつもりなのでしょうか)  

 などと思っているうちに、はたして、三晩続けて訪れない時があった。やって来るとあの人はなにもなかったように、
「しばらくあなたの気持ちを試そうと思って」  
 などと、それらしく言う。  
 わたしの家から、夕方、
「宮中でどうしてもしなければならないことがあるから」
 と言って出て行くが、疑わしく思い、人に後をつけさ せると、
「町の小路のどこそこに車をお止めになりました」  
 と報告してきた。
〈やはりそうか〉  
 と、あまりにも辛いことだと思うけれども、どう言ったらいいのかわからないでいるうちに、二、三日ほどして、夜明け前に門をたたく時があった。
〈あの人らしい〉  
 と思うが、やりきれなくて、門を開けさせないでいると、あの人は例の女の家と思われる所に行ってしまった。翌朝、
〈このまま黙っているわけにはいかない〉  
 と思って、

なげきつつ ひとり寝(ぬ)る夜の あくるまは いかに久しき ものとかは知る
(嘆きながら独り寝をする夜の明けるまでが どんなに長く辛いのかあなたにはわからないでしょう 門を開けるまで待てないのですから)

 と、いつもより注意をはらって書いて、色変わりした 菊に手紙をつけて届けた。返事は、
「夜が明けても門が開くまでは待とうと思ったけれど、急ぎの召使が来合せたから。言われることはもっともだよ。

げにやげに 冬の夜ならぬ 真木の戸も おそくあくるは わびしかりけり
(ほんとうにおっしゃるとおり 冬の夜はなかなか明けないけれど 冬の夜でもないのに 真木の戸を開けてもらえないのは辛いものだよ)  

 それにしても、ほんとうに理解に苦しむほど、平然として女の所に通うとは、せめてしばらくは、気づかれないように、
「宮中に」  
 などと言い訳するのが普通なのに、そんなことも言わない無神経さが、ますます不愉快に思われてならない。
〔七〕  
 年が改まって、三月頃になった。桃の花などを飾ったのかしら、いくら待っても見えない。姉のところに通っているもう一人の方〔藤原為雅〕も、いつも入りびたりのようなのに、今日に限って見えない。そして、四日の早朝になって、二人とも見えた。昨夜から待ちくたびれていた侍女たちが、
「このままにしておくよりは」  
 と、昨夜から用意した品々をわたしの所からも姉の所からも運んできた。昨日出すつもりでいた桃の花を折って、奥のほうから持って来たのを見ると、冷静ではいられなく、思い浮かぶままに無造作に書いた。

待つほどの 昨日すぎにし 花の枝
(え)は 今日折ることぞ かひなかりける
(せっかく用意して待っていたお酒は昨日飲んだし 昨日むなしく過ごした桃の花を今日折ったところでなんの甲斐もない)  

 と書いて、
〈どう思われてもいい、憎らしいから見せない〉  
 と歌を隠したのを見て、奪い取って、歌を返してきた。

三千年
(みちとせ)を 見つべきみには 年ごとに すくにもあらぬ 花と知らせむ
(桃の酒は年ごとに飲むけれど わたしはあなたをそんなふうに年ごとに思っているわけではない いつも思っていることをわかってほしい)  

 と言うのを、もう一人の方
〔藤原為雅〕も聞いて、

花により すくてふことの ゆゆしきに よそながらにて 暮らしてしなり
(桃の酒を飲む三日に来たのなら 軽薄な色好みのように思われては困るから 昨日はわざとよそで暮らしたのです)  

 さて今は、あの人は例の町の小路の女に公然と通って行くようになった。わたしは、あの人とのことさえも、後悔したくなるような気持ちになりがちである。
〈どうしようもなく辛い〉  
 と思うけれども、どうすることもできない。  
 あのもう一人の方が姉のところに出入りするのを見ているうちに、今はもう気がねのいらない所に移ろうというので、姉を連れて行く。後に残るわたしはいっそう心細い。
〈これからは姉の姿もなかなか見られないだろう〉  
 などと、心から悲しくなって、車を寄せる時に、こう言う。

などかかる なげきはしげさ まさりつつ 人のみかるる 宿となるらむ
(どうしてこのように嘆きばかりが多くなり 人がみな遠のいて行く家になるのでしょう)  

 返事は、男のほう
〔為雅〕がした。

思ふてふ わがことのはを あだ人の しげきなげきに 添へて恨むな
(あなたのことを忘れないというわたしの言葉を あなたが嘆いている薄情な人のあてにならない言葉と一緒にして 恨まないでください)  

 などと言い残して、皆行ってしまった。
〔八〕  
 思ったとおり、一人ぼっちで暮らす。わたしたち夫婦は、世間的には不都合なことはないが、ただあの人の心がわたしの思い通りにはならないで、わたしだけでなく、
「長年通っていた所にもすっかり途絶えてしまったらしい」  
 と聞いて、手紙などもやりとりしたことがあったので、五月三、四日頃に、このように言った。

そこにさへ かるといふなる 真菰草
(まこもぐさ) いかなる沢に ねをとどむらむ
(あなたの所まで訪れなくなったそうですが いったいどこに居続けているのでしょう)  

 返歌、

真菰草 かるとはよどの 沢なれや ねをとどむてふ 沢はそことか
(あの人が寄りつかないのはわたしの所 居ついているのはあなたの所だと聞いていますが)  

 六月になった。先月末から月初めにかけて長雨がひどく降る。外を眺めながら、独り言に、

わが宿の なげきの下葉 色ふかく うつろひにけり ながめふるまに
(私の家の木の下葉は長雨で濃く色変わりしたけれど わたしも物思いに沈んでいるうちにすっかり衰えてしまった)  

 などと言っているうちに、七月になった。
〈仲が絶えたとわかったなら、たまに来るよりはましだろうに〉  
 などと思い続けている時に、あの人が訪ねてきた日がある。わたしがなにも言わないので、あの人は物足りなさそうだったが、前にいる侍女が、先日の「下葉」の歌を、なにかのついでに言い出すと、それを聞いてこう言う。

をりならで 色づきにける 紅葉葉
(もみじば)は 時にあひてぞ 色まさりける
(その季節でもないのに色づいた紅葉は 秋になってますます美しくなった あなたも美しい盛になって ますます魅力的だ)  

 と言うので、硯を引き寄せて、

あきにあふ 色こそまして わびしけれ 下葉をだにも なげきしものを
(秋になって美しくなるどころか あなたに飽きられていっそう侘びしいのです 下葉が色褪せるように衰えていくのを嘆いていましたから)  

 と書いた。  
 このようにほかの女の所へ通いながらも、絶えることなくやって来るけれど、心が打ち解ける時もなく、ますますよそよそしくなって、訪ねて来てもわたしの機嫌が悪いので、
「倒れても山は立山
〔倒されたのに立って出てゆく〕」  
 と洒落を言って早々に帰っていく時もある。近所の事情を知っている人が、あの人が出て行くのを見て、このように言ってきた。

藻塩
(もしお)やく 煙(けぶり)の空に 立ちぬるは ふすべやしつる くゆる思ひに
(塩を焼く煙が空に立ち昇るように ご主人が帰って行かれたのは あなたの嫉妬の火がよほど煙たかったからでしょう)  

 などと、隣からおせっかいされるまでお互いにすねあって、この頃はとりわけ長い間訪れがない。  
 ふだんはそうでもなかったのに、このようにぼおっと魂が抜けたようになって、そこに置いてある物も、どんな物とも目に入らないようになってしまった。
〈こうして二人の仲は終わってしまうだろう、これが形見と思い出すことのできるものさえない〉  
 と思っていると、十日ばかりして、手紙がくる。いろいろと書いてあって、
「寝所の柱に結んでおいた小弓の矢を取って」  
 とあるので、
〈思い出といえばこれがあった〉  
 と思って、紐を解いて矢をはずして、

思ひ出
(い)づる ときもあらじと 思へども やといふにこそ 驚かれぬれ
(あなたを思い出す時もないと思っていたけれど 「矢を取って」という言葉にはっと気づかされました)  

 という歌をつけて返した。
 こうして訪れが絶えている頃、わたしの家はあの人が宮中に参内退出するときの通り道にあたっているので、夜中や明け方に咳払いしながら通るのを、
〈聞かない〉  
 と思っても、つい耳に入って、安らかに眠ることもできず、まさに
「夜長クシテ眠ルコト無ケレバ
[白氏文集・上陽白髪人]
 で、
〈あの人らしい〉
 と気配を察する気持ちは、何に例えることができるだろう。
〈今はなんとかしてあの人を見たり聞いたりしないでいたい〉  
 と思っているのに、
「以前は熱心にお通いのお方も今はいらっしゃらないとか」
 などと、あの人のことを聞こえよがしに言っているのを聞くと、不愉快でならないので、日暮れになると辛いとばかり思われる。
 子どもが何人もいると聞いている所も、
「訪れがすっかり途絶えてしまった」
 と聞く。
〈ああ、わたし以上にどんなに辛い思いをなさっていることか〉  
 と思って、手紙を送る。九月頃のことであった。
「ああ、お気の毒に」  
 などとたくさん書いて、

吹く風に つけてもとはむ ささがにの 通ひし道は 空に絶ゆとも
(吹く風にことづけてお便りをさし上げたいと思います 風が吹いて蜘蛛の糸が切れるように あの人があなたの所にもわたしの所にも来なくなってしまっても)  

 返事は、こまやかに書いてあって、

色変はる 心と見れば つけてとふ 風ゆゆしくも 思ほゆるかな
(秋の風にことづけてお便りをくださるなんて まるで人の心変わりを例えているようで不吉な感じがします)  

 と歌がある。
 さて、あの人はいつもわたしを無視するわけでなく、時々訪ねてきて、冬になった。ふだんの生活ではただ幼い人〔藤原道綱〕をかわいがって、
「いかでなほ 網代
(あじろ)の氷魚(ひお)にこととはむ 何によりてか われをとはぬと(なんとかして網代の氷魚に聞きたい、どういうわ けであの人は、わたしを訪れてくれないのかと)[拾遺集雑秋・修理 大和・八十九段]
 という古歌が、思わず口から出てくる。
 年がまた明けて春になった。あの人はこの頃読もうと持ち歩いている書物をわたしの所に忘れて、やはり取りに寄こした。包む紙に、

ふみおきし うらも心も あれたれば 跡をとどめぬ  千鳥なりけり
(これまでは書物を置いていかれたのに 二人の心がお互いに冷たくなってしまったので 千鳥が荒れた浦に足跡を残さないように あなたばかりか書物も私の家に残しておかれないのですね)  

 返事は、利口ぶって、すぐに、

心あると ふみかへすとも 浜千鳥 うらにのみこそ 跡はとどめめ
(わたしの心が冷たくなったと書物を返されても 浜千鳥が浦から離れないように わたしはあなたの所に留まっているよ ほかに行く所などないから)

 使いが待っているので、

浜千鳥 跡のとまりを 尋ぬとて ゆくへも知らぬ うらみをやせむ
(浜千鳥がどこへ行ったのかわからないように あなたの行き先を探しても 行き先が多くてどこかわからず 恨むことになるでしょう)  

 などと言いながら、夏になった。
〔九〕  
 あの町の小路の女の所では、子を出産するにあたって、吉の方角の家を選んで、あの人も一つの車に乗り込み、京中に響くくらい音を立てて、聞くに耐えないほど騒ぎ立てて、よりによってわたしの家の前を通って行くではないか。わたしはただ茫然として、なにも言えないので、その様子を見る人は、身近で使う侍女をはじめ皆が、
「胸が張り裂けるようななさりよう。道はほかにいくらでもあるのに」  
 などと、騒ぎ立てているのを聞くと、
〈いっそ死んでしまいたい〉  
 と思うが、命は思い通りにはならないから、
〈これから先は、それが最善の方法ではないにしても、せめて姿を見せないでほしい、辛くてならない〉  
 と思っていると、三、四日ほどして手紙が来た。
〈あきれた、薄情な〉  
 と思いながら見ると、
「この頃、こちらで体調のすぐれない人がいて、伺えなかったけれど、昨日、無事に出産されたようだ。穢れの身で伺ってはご迷惑と思って」  
 と書いてある。あきれるほど非常識なこと、この上ない。ただ、
「お手紙いただきました」  
 とだけ書いて、送った。使いに家の者が尋ねると、
「男のお子さまで」  
 と言うのを聞いて、いっそう胸がつまる。三、四日ほどして、当の本人がいとも平然とやって来た。
〈どうして来たのかしら〉  
 と思って、相手にしなかったから、いたたまれなくて帰ることが、何度もあった。  
 七月になって、相撲の節会
(せちえ)の頃に、古い仕立直しの衣と新しく仕立てる衣を一組ずつ包んできて、
「これを仕立ててください」  
 と言って寄こすとは、あの女
〔町の小路の女〕はいったいどういうつもりなのだろう。それを見ると怒りで目のくらむ思いがする。昔気質の母は、
「まあお気の毒。あちらでは仕立てることができないでしょう」
 と言うが、侍女たちは、
「あそこはいい加減な女が集まっていて、気にくわない。裁縫もできないくせに、このまま返すと、きっと悪口を言うでしょうが、その悪口だけでも聞きましょう」  
 などと話し合って、そのまま送り返すと、思った通り
「あちこちに頼んで別々に仕立てる」
 と聞く。あちらでも、ずいぶん思いやりがないと思ったのか、二十日以上便りも寄こさない。
〔一〇〕
 どんな時だったのだろうか、あの人から手紙が来た。
「伺いたいけれど、なんとなく気が引けて。はっきり来いと言ってくれたら、こわごわでも」  
 とある。
〈返事もしたくない〉  
 と思うけれど、侍女たちが、
「それでは情がなさすぎます。あんまりです」  
 などと言うので、

穂に出でて いはじやさらに おほよその なびく尾花に まかせても見む
(言葉に出して 来てくださいなどとは言えません 尾花が風になびくように いらっしゃるかどうかはお気持ちにまかせて見ています)  

 折り返し、

穂に出でば まづなびきなむ 花薄 こちてふ風の 吹かむまにまに
(東風が吹けば花薄〔尾花〕がなびくように はっきりこちらへ来いと言われるなら すぐにも伺いましょう)  

 使いが待っているので

あらしのみ 吹くめる宿に 花薄 穂に出でたりと かひやなからむ
(嵐ばかりが吹く家に尾花が穂を出しても 吹き散らされるだけ あなたに冷たくされてばかりいるわたしが 来てくださいと言ってもなんにもならないでしょう)

 などと、適当に言ったら、また姿を見せた。
 庭に植えてある花が色とりどりに咲き乱れているのを見て、横になったままこんな歌をかわした。お互いに不満に思うことがあったのだろう。

ももくさに 乱れて見ゆる 花の色は ただ白露の おくにやあるらむ
(いろいろと乱れて見えている花の色は 白露が置いたせいだろうか〔あなたがいろいろと悩んでいるように見えるのは あなたがわたしに打ち解けないからだろう〕)  

 とふとつぶやいたので、こう言った。

みのあきを 思ひ乱るる 花のうへの 露の心は いへばさらなり
(あなたに飽きられて思い乱れているわたし 花の上の露のように はかない心の中は言うまでもないでしょう)  

 などと言って、例のごとくお互いによそよそしくなった。十九日の寝待ちの月
〔月の出が遅く、寝て待つところから言う〕が山の端から出る頃に、出ていこうとするそぶりが見えた。
〈今夜くらい出て行かなくてもよさそうなのに〉  
 と思っている気持ちが顔色に出たのだろうか、
「留まらなければならないことがあるなら」  
 などと言うが、それほどとも思えないので、

いかがせむ 山の端にだに とどまらで 心も空に 出でむ月をば
(どうしたらいいのでしょう 山の端にさえ留まらないで空に出てゆく月のように 上の空で出てゆくあなたを)  

 返歌、

ひさかたの 空に心の 出づといへば 影はそこにも とまるべきかな
(空に月が出れば その月の影は水の底に留まるように わたしもあなたの家に留まるほかないね)  

 と言って、留まった。
 さて、また野分のような強い風が吹いて、二日ばかりしてやって来た。
「この間のような風は、『どうなの』と普通の人なら聞いてくれたでしょうに」
 と言うと、
〈もっともだ〉  
 と思ったのだろうか、何気ないふりをして、

ことのはは 散りもやすると とめ置きて 今日はみからも とふにやはあらぬ
(風で木の葉が散るように 言葉も散るのではないかと黙っていたけれど 今日はわたし自身見舞いに来たではないか)  

 と言うので、

散りきても とひぞしてまし ことのはを こちはさばかり 吹きしたよりに
(もし手紙をくださったなら 風に吹き散らされても わたしのところに届いたでしょうに 東風があんなに吹いて葉を吹き届けたように)  

 すると、こう言う。

こちといへば おほぞふなりし  風にいかが つけてはとはむ あたら名だてに
(東風といえば どこにでも吹くいい加減な風 そんな風に言葉なんか託せない 誰かに噂を立てられるだけだ)  

 負けたくないので、また、

散らさじと 惜しみおきける ことのはを きながらだにぞ 今朝はとはまし
(よそに散らさないと大切になさっている言葉なら 今朝来たらすぐにおっしゃったらいいのに)  

 この歌には、
〈それももっともだ〉  
 と、あの人も納得したようだ。  
 また、十月頃に、
「それはそうと、大切な用事がある」  
 と言って出て行こうとした時に、時雨といった程度でなく、あいにくひどく降ってきたのに、それでもやはり出て行こうとする。呆れてこう口ずさんだ。

ことわりの をりとは見れど 小夜更けて かくや時雨の ふりは出づべき
(当然の理由があるとはいえ 夜更けに しかもこんな雨の中をわたしを振りきって出かけなくても)  

 と言ったのに、あの人は無理に出て行った。こんな人ってほかにいるだろうか。
〔一一〕  
 このように過ごしているうちに、あの人は、あの時めいていた町の小路の女の所には、子どもが生まれてから、嫌になったようで、意地悪くなっていたわたしは、
〈生かしておいて、わたしが悩んだように、逆に辛い思いをさせてやりたい〉
 と思っていたところ、そのようになり、挙句の果てには大騒ぎして産んだ子まで死んでしまったとは。あの女は天皇の孫にあたり、世をすねた皇子が身分の低い女に生ませた隠し子である。言う価値もない限りなく卑しい素性である。ただ最近はそんなことを知らない人たちがもてはやすのでいい気になっていたが、急にこんなことになったので、どんな気持ちがしたのだろう。
〈わたしが悩んでいるより、もう少しよけいに嘆いているだろう〉  
 と思うと、今はすっきりした気持ちである。あの人は、
「今は元どおりいつものお方の所にしきりに通っている」  
 などと聞く。だが、わたしの所にはいつものように時々しか通ってこないので、ともすれば不満に思っているうちに、わたしの幼い子〔道綱〕が片言などを言うようになっていた。あの人が帰る時に必ず、
「すぐに来るよ」  
 と言うのを聴き覚えていて、いつも口真似をする。
〔一二〕
 こうしてまた、心の休まる時がなく嘆いていると、おせっかいなことを言う人は、
「まだお気持ちがお若いのね」
 などと、わたしが世慣れていないように言うこともあるけれど、あの人は平然として、
「わたしは悪くない」  
 などと、悪びれもしないで、罪がないように振舞っているので、
〈どうしたらいいのだろう〉  
 などと、あれこれ思い悩むことばかり多いから、
〈なんとかしてわたしの悩みを詳しく知らせることはできないか〉  
 と思い乱れる時に、気にくわないことに心が動揺して、言葉にすることができない。  
 それでもやはりわたしの気持ちを書き続けて見せようと思って、
「思ってみてください。昔も今もわたしの心は穏やかな時はなく、このまま終わってしまうのでしょうか。あなたとはじめてお逢いした秋は、木の葉のように愛ある言葉も色褪せて、あなたに飽きられるのではないかと、一人で嘆いたことです。冬は遠く旅立つ父との別れを惜しんで、初時雨が降り続けるように、涙がとめどもなく流れて、心細かったのですが、
『娘をお見捨てにならないで』
 と父が言い残したとか聞きましたので、
〈まさか忘れたりはなさらないだろう〉
 と思っていたまもなく、父だけでなくあなたまで急に疎遠なってしまい、虚ろな気持ちで過ごしているうちに、霞がたなびくように仲が隔たり、お便りも絶えてしまいました。でも、故郷に帰る雁のように、あなたももどってくださると思いながら、待ち続けていたのですが、その甲斐もありません。こうしてわたしは蝉の抜け殻のように虚しく、その蝉の羽のようなあなたの薄情さは、今に始まったことではなく、昔からあなたの冷たい心のせいで、流れる涙は絶えることなく、前世にどんな重い罪を犯したというのか、あなたから離れることができないで、このように辛い憂き世に漂って、耐えがたい心には、水の泡が消えるように死んでしまいたいと思うのですが、悲しいことに、陸奥にいる父の帰京を待たないで死ぬことはできない、一目会ってからと思い続けていると、歎く涙で袖が濡れるばかりです。
〈こんなに嘆かないで暮らすこと〔出家〕もできるのに、どうして〉
 と思うのですが、出家してあなたと逢うことがなくなったら、そうはいっても、あなたを恋しく思うことがあるでしょう。あなたがお越しになって、打ち解けて馴染んだ昔の心を思い出すと、せっかく俗世を捨てた甲斐もなく、思い出しては泣いて、あなたを思い切れないかもしれません。ああ思いこう思い、思い乱れているうちに、山のように積もる枕の塵の数も、独り寝の夜の数には及ばないでしょう。どうせあなたとの仲は旅のように隔たり、お越しくださることもなくなったと思っていましたのに、あの野分の後の一日、雨雲のようによその人と思っていたあなたが見えて、お帰りの時、気休めに、
「すぐに来るよ」  
 とおっしゃった言葉を本気にして待っている子どもが、いつも口真似するのを聞くたびに、みっともないことに、辛いと思う涙が海のように溢れますが、あなたに逢う機会もなく待っているのは甲斐がないとは知りながら、
「命のある限り捨てたりしない」  
 とわたしを頼りにさせたお言葉が、本当のお気持ちかどうかわかりませんので、お立ち寄りくださったら、お尋ねしたいと思っています」  
 と書いて、二階棚の中に置いた。  
 いつもほどの間をおいて、あの人はやって来たけれど、あの人のいる所に出て行かないでいると、居づらくなって、この手紙だけを持って帰っていった。  
 そして、あの人からこのような返歌があった。
「秋の紅葉が時とともに色褪せるように、飽きがくると愛情も冷めるのは、世間普通のことだろうが、わたしは違う。嘆きに沈んでいる娘のあなたを頼むと言い残して旅立たれた父上のお言葉で、愛情もいっそう深まってきたと言えるだろう。あなたを思う気持ちは絶えることなく、
〈わたしが行くのを待っている幼い子を早く出かけて見たい〉
 と、田子の浦に打ち寄せる波のように何度も訪ねて行くけれども、あなたは富士山の煙のようにいつも嫉妬の炎を燃やし、空にある雲のようによそよそしく、わたしはあなたを絶えるどころか、白糸を繰るようにあなたを絶えず思って訪ねるのに、あなたの侍女たちが、
「愛情が足りない」  
 と言って恨むので、わたしはきまりが悪くいたたまれず、かといって馴染みの家もほかにないから、家に帰るしかない。そういう間に、あなたを訪ねて行ったことがあったけれど、あなたは独り寝の床に目覚めていたらしいのに、いくら真木の戸を叩いても、月の光が漏れてくるばかりで、あなたは姿を見せなかった。あの時からあなたを嫌だと思い始めた。誰があんな浮気な女と夜を明かしたりするものか。あなたは前世でどんな重い罪を犯したせいかと嘆いているが、そういうことを言うのが罪なのだろう。今はもうわたしに逢うことはやめて、嘆きを与えない人の世話になったらいいだろう。わたしだって木や石ではないから、あなたを思う気持ちは抑えられないが、浜辺の浜木綿が何枚も重なったように、隔たってしまった衣を悲しみの涙で濡らすことがあっても、あなたのことを思い出したら、わたしの思いの火で、わたしの目の涙は乾くだろう。今さら言っても甲斐のないことだが、
〈甲斐国
(かいのくに)の速見(へみ)の牧場の荒馬のように、離れていくあなたを、どうしてつなぎとめることができるだろう〉  
 と思うものの、
〈わたしを父親と思っているあの子を、片親育ちにして、父恋しさにどんなに泣かせることだろう〉  
 と思うと、そればかりがかわいそうでならない」  
 と。  
 使いが待っているので、このように言った。   

なつくべき 人もはなてば 陸奥の むまやかぎりに ならむとすらむ
(可愛がるはずの飼い主が手放すと陸奥の馬はそれっきりもどらないように あなたが見放したら もうこれっきりになってしまうでしょうか)  

 どう思ったのか、折り返し、

われが名を 尾駮
(おぶち)の駒の あればこそ なつくにつかぬ 身とも知られめ
(あなたが尾駮の馬のように荒れるから いくら飼い慣らそうとしてもわたしになついてくれない あなた自身 そのことを知ってほしい)

 返歌をまた、

こまうげに なりまさりつつ なつけぬを こなはたえずぞ 頼みきにける
(あなたはだんだんわたしの所に来るのが嫌になり 優しくしてくださらなくなったのですが わたしのほうはずっとあなたを頼りにしてきたのです)  

 また返歌がある。

白河の 関のせけばや こまうくて あまたの日をば ひきわたりつる
(白河の関のように あなたがずっとわたしを拒んでいるから あなたの所へ行きづらくて 何日も経ってしまった)
〔一三〕
「明後日頃は逢坂の関、逢いに行く」
 と便りがあった。時は七月五日のこと。わたしが長い物忌に籠もっていた頃なので、こう言ってきた返事には、

天の川 七日
(なぬか)を契る 心あらば 星あひばかりの かげを見よとや
(天の川で牽牛と織女が逢う七月七日に逢うつもりなら 一年に一度の逢瀬で我慢しろとおっしゃるのですか)  

 わたしの言うことをもっともと思ったのだろうか、少しわたしのことを心にかけているようで、何か月かが過ぎてゆく。  
 あの気にくわないと思っていた所
〔町の小路の女の所〕では、
「今はありとあらゆる手段を使って愛情を取り戻そうと騒いでいる」  
 と聞いたので、気が楽なった。
〈昔からうまくいかないわたしたちの仲はいまさらどうしようもない、いくら辛くても、それがわたしの前世の宿縁の拙さだろう〉  
 などと、さまざまに心を乱しながら暮らしているうちに、あの人は、少納言を長年つとめて、四位になると、殿上の出仕をおりていたが、今度の司召で、ひどくひねくれていると見られている「なんとかの大輔
(たいふ)」などと言われるようになったので、世の中がひどく面白くないらしく、あちこちの女の所に通うほかは外出をしなくなったので、たいそうのんびりとわたしの所に二、三日いたりする。  
 さて、その気の進まない役所の宮さま
〔兵部卿宮章明親王。醍醐天皇の皇子〕からこのようにおっしゃってきた。  

みだれ糸の つかさひとつに なりてしも くることのなど 絶えにたるらむ
(乱れている糸が束ねられて一つになるように せっかくあなたと同じ役所になったのに 来ていただけなく どうして絶えてしまっているのでしょうか)

 お返事、

絶ゆといへば いとぞ悲しき 君により おなじつかさに くるかひもなく
(絶えるなどとおっしゃると とても悲しいです 宮さまを頼りにしてせっかく同じ役所になったのに その甲斐もなく)  

 また、折り返し、

夏引
(なつびき)の いとことわりや ふためみめ よりありくまに ほどのふるかも
(催馬楽の夏引の糸のように 二人も三人もの方の所に歩きまわっているうちに こちらへ来る時間もなくなってしまったのだね)  

 お返事、

七ばかり ありもこそすれ 夏引の いとまやはなき ひとめふために
(夏引の糸は「七ばかり」 それほど多くの妻がいるのに どうして一人や二人の妻で暇がないことがあるでしょうか)  

 また、宮さまから、

「きみとわれ なほしら糸の いかにして 憂きふしなくて 絶えむとぞ思ふ
(あなたとわたしとは やはり気まずくならないうちに つきあいをやめたほうがよさそうだね)

『二人、三人の妻』と言ったのは確かに少なすぎました。これ以上は、差し障りがあるのでやめておきます」
 とおっしゃった返事に、

世をふとも 契りおきてし 仲よりは いとどゆゆしき ことも見ゆらむ
(契りを交わした夫婦の仲なら 長年連れ添っても 別れ別れになる不吉なことも起こるでしょう 

 でもわたしたち男同士は そんなことは起きません)  
 と申し上げられた。  
 その頃、五月二十日過ぎごろから、四十五日の忌
(いみ)を避けようと思って、地方官を務めた父の所に行ったところ、宮さまが垣根を隔ててすぐ隣に来ていらっしゃったが、六月頃まで雨がひどく降り続けたので、あの人も宮さまも雨で外出できなかったのだろう、ここは粗末な家なので、雨漏りで騒いでいると、宮さまがこのようにおっしゃってきたのは、いっそう常識はずれのことだった。

つれづれの ながめのうちに そそくらむ ことのすぢこそ をかしけりけれ
(長雨ですることもなくぼんやりしていると あなたのほうでは雨漏りで忙しそうにしていらっしゃる様子 それも退屈がまぎれておもしろいですね)  

 お返事、

いづこにも ながめのそそく ころなれば 世にふる人は のどけからじを
(どこでも長雨の降る忙しい季節ですから のんびりしてはいられないのです 宮さまと違って)  

 また、宮さまはこうおっしゃった。
「『のんびりしていられない』ですって。

あめのした 騒ぐころしも 大水に 誰もこひぢに 濡れざらめやは
(世の中は長雨で騒いでいるこの頃 誰もが恋しい人に逢えないで涙で袖を濡らしているはず わたしだってのんびりなんかしていられません)

 お返事、

世とともに かつ見る人の こひぢをも ほす世あらじと 思ひこそやれ
(いつも次々と愛人と逢おうとしている人は この長雨で逢えなく その恋のせいで涙の乾く暇もないだろうとお察しします)

 また、宮さまから、

しかもゐぬ 君ぞ濡るらむ 常にすむ ところにはまだ こひぢだになし
一人の女の所に落ち着いていないあなたこそ恋の涙に濡れているでしょうが 一人の女の所にいつも住んでいるわたしは 恋で濡れることなどありません)

「まあひどいことをおっしゃる」  
 などと言いながら、あの人と一緒に読む。  
 雨の晴れ間に、あの人がいつもの通っている所に行った日、例によって宮さまからお手紙がある。
「『殿はご不在です』と言いましたが、『それでもやはり』とだけおっしゃって、くださったのです」  
 と言って、持ってきたのを見ると、

「とこなつに 恋しきことや なぐさむと 君が垣ほに をると知らずや
(あなたの家のなでしこを折って見ていたら 恋しさが慰められるかと思って いつまでもここにいるのですが そんなわたしの気持ちはわからないでしょう)

 それにしても、その甲斐もないので、帰ります」  
 と書いてある。それから二日ほど経って、あの人が見えたので、
「この手紙がこういう次第で届きました」
 と言って見せると、
「日にちが経っているから今さら返事をするのもよくないな」  
 と言って、ただ、
「この頃はお言葉もいただけません」  
 と申し上げられたところ、こうおっしゃった。

「水まさり うらもなぎさの ころなれば 千鳥の跡を ふみはまどふか
(大雨で水嵩が増して浜辺もなく千鳥がおりる場所に迷っているように わたしの手紙も宙に迷っているのだろうか)  

 と思っていましたのに、お恨みになるとは辛い。
『わたしのほうがお訪ねします』  
 と書いてあったのは本当ですか」  
 と、女文字
〔平仮名〕で書いていらっしゃる。こちらは男文字〔漢字〕で心苦しかったが、

うらがくれ 見ることかたき 跡ならば 潮干を待たむ からきわざかな
(入江が水で隠れてしまい 千鳥の足跡がなくなるように手紙がなくなったなら 潮が引くまで待っていましょう それにしてもとても辛いことです)  

 また、宮さまから、

「うらもなく ふみやる跡を わたつうみの 潮の干るまも なににかはせむ
(なんの下心もなくさし上げた手紙ですから 手紙が出てくるのを待っていても 無駄でしょう)  

 と思っていますが、とんでもない誤解です」  
 とある。  
 こうしているうちに、六月祓
(みなづきばら)えの時期も過ぎたのだろう、
〈七夕は明日あたり〉  
 と思う。四十五日の忌も四十日ほど過ぎた。このところ気分が悪く、咳などもひどく出るので、
〈物の怪かもしれない、加持でもしてみよう〉  
 と思い、この狭い家ではやりきれないほど暑い頃であるから、いつも出かける山寺に登る。七月も十五、六日になったので、お盆をする頃になってしまった。見ていると、人々が奇妙な格好でお供えを担いだり頭にのせたりして、いろいろな支度をして集まってきて、それをあの人と一緒に見て、感心したり笑ったりもする。ところで、気分もどうということはないし、忌も過ぎたので、京に帰った。秋、冬はこれということもなく過ぎた。
〔一四〕  
 年が改まったが、これといって変わったこともない。あの人の心がいつもと違って優しい時は、すべてが平穏である。正月の初めからあの人は昇殿を許されている。  
 斎院の禊の日、例の宮さまから、
「見物に行かれるなら、そちらの車に乗せていただきたい」  
 とおっしゃってきた。そのお手紙の端にこういうことが書いてある。

わがとしの
 〔以下脱文〕

 宮さまはいつもの邸にはいらっしゃらなかった。
〈町の小路あたりかもしれない〉  
 と思って、お訪ねすると、やはり思ったとおり、
「いらっしゃっています」
 と言う。まず硯を貸してもらって、このように書いてさし入れた。

きみがこの 町の南に とみにおそき 春にはいまぞ たづねまゐれる
(宮さまがいらっしゃるこの町の南に 遅い春が訪れたように ようやくあなたのいらっしゃる所を捜してやって来ました)  

 というわけで、宮さまはわたしたちと一緒に見物に出かけられた。  
 その頃が過ぎてから、宮さまが例のお邸にいらっしゃる時に、参上すると、去年見た時にも花がきれいだったが、薄
(すすき)が群がり繁っていて、とてもほっそりとしなやかに見えたので、
「これを株分けなさるなら、少しいただきたいのですが」
 と申し上げていたが、しばらくして賀茂川の河原に祓
(はらえ) に行った時に、あの人も一緒だったので、
「ここが宮さまのお邸よ」  
 などと言って、使いの者を邸に遣わす。
「『お伺いしたいのですが機会がなくて。今日も連れがい ますので。先日お願いいたました薄のとをよろしく』と、 おそばの人に言うように」
 と言って通り過ぎた。簡単な祓だったので、すぐに帰ったところ、
「宮さまから薄です」
 と言うので、見ると、長櫃
(ながびつ)という物に、掘り取った薄がきれいに並べてあり、青い色紙が結び文にしてある。見ると、こう書いてある。

穂に出(い)でば 道ゆく人も 招くべき 宿の薄
(すすき)を ほるがわりなさ
(穂が出たら道行く人も招くにちがいない そんな大切な薄を掘ってさし上げるのは辛いことで)  

 とてもおもしろい歌で、この返事をどのようにしたのだろう。忘れてしまうほどで、大した歌ではなかったと思うから、書かなくてもいいだろう。でも、これまでの歌でも、
〈出来ばえはどうなのだろう〉
 と思えるものもあるとは思うけれど・・・。
〔一五〕  
 春が過ぎて夏の頃、あの人は宿直が多くなったような気がするうえに、朝に来て一日を過ごし、日が暮れると参内したりするのを、不思議に思っていると、ひぐらしの初声が聞こえた。しみじみと、
〈ああ、もう秋か〉
 と気づかされて、

あやしくも 夜のゆくへを 知らぬかな 今日ひぐらしの 声は聞けども
(不思議でならないの 夜にどこへ行かれるかわからないから 今日一日中あなたの声を聞いていても)  

 と言うと、さすがに出て行きにくかったのだろう。このように特別のこともなかったので、あの人の心も今のところわたしに熱心なように見えた。  
 月夜の頃、不吉な話をして、しみじみとしたことを語り合った昔のことが思い出されて、嫌な気分なので、こう言った。

曇り夜の 月とわが身の ゆくすゑの おぼつかなさは いづれまされり
(曇っている夜の月と わたしの将来とでは 不安で頼りないのは どちらが勝っているのでしょう)  

 返事は、冗談のように、

おしはかる 月は西へぞ ゆくさきは われのみこそは 知るべかりけれ
(曇っている夜だって月は西へ行くとわかるように あなたの将来だってわたしだけが知っている 心配することはない)  

 などと、頼もしそうに思える、あの人がじぶんの家と思っているらしい所は、ほかにあるようだから、ほんとうに思い通りにならないことばかりの夫婦仲だった。幸運に恵まれたあの人のために、長い年月連れ添ってきたわたしなのに、大勢の子どももいないので、このように頼りなくて、思い悩むことばかりが多い。
〔一六〕
 このように寂しいながらも、母親が生きているうちはなんとか過ごしていたが、その母も長い間患って、秋の初めの頃亡くなってしまった。まったくどうしようもなくわびしいことといったら、世間の普通の人の悲しみと比べ物にならない。大勢の子どもたちの中で、わたしは、
〈死に遅れない、わたしも一緒に〉  
 と、取り乱していたが、そのせいか、どうしたのだろう、手足がただもう引きつって息も絶えそうになった。こんなふうになりながらも、後のことを頼むことのできるあの人は京にいて、山寺でこんなことになったので、幼い道綱をそばに呼んで、やっとのことで言ったのは、
「わたしは、このまま虚しく死ぬでしょう。父上に申し上げていただきたいのは、
『わたしのことはどうなろうともかまわないでください。亡くなった母上の法事を、ほかの方々がなさる以上に弔ってください』
と伝えてください」
と言い、
「どうしよう」
 と言ったきり、なにも言えなくなってしまった。長い月日患って亡くなった母のことは、今はどうしようもないと諦めて、わたしのほうに皆かかりっきりで、
「どうしよう。どうしてこんなことに」  
 と、母の死を泣いてたうえにますます取り乱して泣く人が多い。わたしは口はきけないが、まだ意識はあり、目も見えるころに、わたしを心配している父が寄って来て、
「親は母上一人だけではない。どうしてこんなふうに」  
 と言って、薬湯を無理に口に注ぎ込むので、飲んだりしているうちに、体もしだいに回復していく。さて、やはりどう考えても、生きている気がしないのは、亡くなった母が、患っていた間、ほかのことはなにも言わないで、ただ言うことといえば、わたしがこのように頼りなく生活していることをいつも嘆いていたので、
「ああ、あなたはこの先どうなさるのだろう」
 と、何度も苦しい息の下から言われたのを思い出すからで、それでこんな状態になってしまったのだ。
 あの人が聞きつけてやって来た。わたしは意識がはっきりせず、何もわからないので、侍女が会って、
「これこれのご様子です」
 と話すと、あの人は急に泣いて、穢
(けがれ)も厭わず入ろうとする様子なので、
「とんでもないことです」  
 などと引き止め、あの人は立ったまま見舞った。その頃のあの人の態度は、とてもしみじみと愛情がこもっているように見えた。  
 こうして、あれこれ母の葬儀のことなどを、気を配って世話をする人が大勢いて、すべて滞りなくすませた。今はとてもひっそりとした山寺に集まって、することもなく過ごしている。夜、眠れないままに、嘆き明かしながら、山のあたりを見ると、「川霧の 麓をこめて 立ちぬれば 空にぞ秋の 山は見えける
[拾遺集秋・清原深養父]」の歌のように、霧が麓に立ちこめている。
〈京に帰っても誰のところに身を寄せたらいいのだろう、いや、やはりこの山寺で死にたい〉  
 と思うのだが、死なせてくれない子がいるので、わが子ながらひどく恨めしい。  
 こうして十日あまり経った。僧たちが念仏の間に話しているのを聞くと、
「この亡くなった人の姿が、はっきりと見える所がある。そこで、近寄ってみると、消えてしまうそうだ。遠くから見えるのに」
「どこの国だろう」
「みみらくの島と言うらしい」
 などと口々に話している。それを聞くと、とても知りたくなり、悲しみのあまり、こんなことをつぶやく。

ありとだに よそにても見む 名にし負はば われに聞かせよ みみらくの島
(せめて亡くなった母がいるというだけでも 遠くからでも見てみたい 「耳楽」という名なら どこに母がいるか聞かせてほしい みみらくの島よ)  

 と言うのを、兄が聞いて、兄も泣きながら、

いづことか 音にのみ聞く みみらくの 島がくれにし 人を尋ねむ
(話にだけきいているみみらくの島 その島に隠れてしまった母上を どこを目あてに探したらいいのだろう)

 こうしている間にも、あの人は立ったまま見舞ったり、毎日使者を寄こしたりするけれど、わたしのほうは、今はなにも考えられないのに、あの人は穢(けがれ)のために逢えないでもどかしいこと、心配していることなどを、煩わしいほど書き続けてくるけれど、意識がはっきりしない頃だから、覚えていない。  
 家にも急いで帰る気はしないけれど、思いどおりにはできないので、今日、皆が寺を出る日になった。ここに来た時は、わたしの膝に寄りかかって横になっていた母を、
〈なんとか楽にしよう〉  
 と思いながら、じぶんは汗だくになりながら、
〈いくら病気が重くても治るはず〉  
 と思っていたから、道中望みがあった。それに比べて今度は一人だから、とても楽に、あきれるほどゆったりと乗っていられるけれど、道すがら悲しくてたまらない。車を降りてあたりを見ても、さらに意識がなくなるほど悲しい。母と一緒に端近に出て、手入れをさせた草花なども、母が病気になってから、そのままにしていたので、一面に生い茂って色とりどりに咲き乱れている。特別の供養なども、皆がそれぞれ思い思いにしてくれるので、わたしはただすることもなくぼんやりと沈んでいるばかりで、
「ひとむら薄
(すすき)虫の音(ね)(君が植ゑし ひとむら薄 虫の音の しげき野辺とも なりにけるかな/あなたが植えた一群の薄は 今や生い茂って 虫の音の絶えない野辺となってしまった[古今集哀傷・御春有助])
 とつぶやくばかり。

手ふれねど 花はさかりに なりにけり とどめおきける 露にかかりて
(手入れもしないのに花は盛りになってしまった 母がこの世に残していった恵みの露を受けて)  

 などと心の中で思う。
 身内には殿上に出仕する人もいないので、穢を避ける必要がなく、皆が一緒に喪に服すことにしたようで、それぞれ部屋を仕切ったりして過ごしている中で、わたしだけは悲しみの紛れることもなく、夜は念仏の声を聞き始める時からずっと泣き続けて夜を明かす。四十九日の法事は、誰も欠けることなく、家で行う。あの人が、大部分のことは取り仕切ってくれたようなので、多くの人が弔問に来た。わたしの供養の品として、仏像を描かせた。その日が過ぎると、皆それぞれに引き上げて行った。なおさらわたしの気持ちは心細さがつのって、いっそうどうしようもなく、あの人はそんなわたしの心細そうなのを気づかって、以前よりは頻繁に通ってくる。  
 さて、寺に行った時に、いろいろと取り散らかした物などを、することもなく整理していたら、母が日常使っていた道具類や、また書いたままになっていた手紙などを見ると、息が絶えそうな気がする。母の容態が悪くなって、受戒なさった日、そこにいた僧が袈裟をかけてくださったのだが、その袈裟が母が亡くなって穢に触れたので、ほかの物に紛れ込んでいたのを今偶然に見つけた。
〈この袈裟をお返ししよう〉  
 と思い、まだ暗いうちから起きて、
「この袈裟を」  
 などと書き始めたとたん、涙がこぼれ落ちて、
「この袈裟のおかげで、

蓮葉
(はちすば)の 玉となるらむ むすぶにも 袖ぬれまさる けさの露かな
(母は今頃極楽の蓮の葉の玉となっていることでしょう 今朝 袈裟の紐を結びながら 悲しみをそそられ わたしの袖はいっそう涙の露に濡れています) 」  

 と書いて送った。  
 また、この袈裟をかけてくださった僧の兄も法師だったので、祈祷などしてもらって頼りにしていたが、
「急に亡くなった」  
 と聞いて、
〈この弟君の気持ちはどんなだろう。わたしもほんとうに残念でならない。わたしが頼りにしている人ばかりがこんなことになってしまう〉
 などと心が乱れるので、しばしばお見舞いをする。この兄君はある事情があって、雲林院
(うりんいん)にお仕えしていた人である。四十九日などが終わってから、こんな歌を送った。

思ひきや 雲の林を うちすてて 空のけぶりに たたむものとは
(思ってもいないことでした 兄君が 雲林院をあとに 空の煙となってあの世に旅立たれるとは)  

 などと言ったが、わたしの気持ちは侘びしいばかりで、
〈野でも山でも彷徨い出たい〉  
 と、そればかり思っていた。
〔一七〕  
 心細いながら秋冬も過ごした。同じ家には、兄が一人と叔母にあたる人が一緒に住んでいる。その叔母を親のように思っているが、やはり母の生きていた昔を恋しく思いながら、泣きながら日々を過ごしているうちに、年が改まり、春夏も過ぎてしまうと、今はもう一周忌の法事をすることになって、今度だけは、母が息をひきとったあの山寺で行う。あの時のことなどを思い出すと、ますます胸がしめつけられ悲しくてならない。導師が最初に、
「お集まりの皆さまは、ただ単に秋の山をごらんにいらっしゃったのではありません。故人がお亡くなりになった所で、経義をお悟りになろうとしてお越しになったのです」  
 と言うのを聞いただけで、意識が朦朧として、その後のことなどは何もわからなくなった。決まりの法事が終わって帰る。すぐに喪服を脱いだが、鈍色の物は、喪服から扇にいたるまでお祓いなどをする時に、

藤衣 流す涙の 川水は きしにもまさる ものにぞありける
(喪服を川に流してお祓いすると それを着た時よりも悲しみがつのる 流れる涙によって川水は岸にあふれてしまうほど)  

 と思われて、とめどなく涙が流れるので、この歌は誰にも言わないでおいた。  
 命日などがすんで、例のごとくすることもなく、弾くというほどではないが、琴の塵をはらってかき鳴らしたりなどしながら、
〈もう喪はあけたというのに、こんなに寂しくはかないとは〉  
 などと思っていると、叔母のほうから、

いまはとて 弾きいづる琴の 音をきけば うちかえしても なほぞ悲しき
(今はもう喪があけたと 弾きはじめた琴の音を聞くと 昔のことが思い出されて いっそう悲しくなります)  

 とあり、特別なことが書いてあるわけではないが、母のことを思うと、なおさら泣けてきて、

なき人は おとづれもせで 琴の緒を 絶ちし月日ぞ かへりきにける
(亡くなった母はもう帰って来ないで わたしが琴の緒を絶った日〔母の命日〕が再びめぐってきました)
〔一八〕
 こうしている間に、大勢のきょうだいの中でも頼りにしている姉が、この夏から遠い夫の任国に行かなければならなかったのを、
「母の喪があけてから」
 と延ばしていたので、近々出発することになった。姉との別れを思うと、心細いなどという言葉では表しきれない。いよいよ出発という日、姉の家に行って会う。裝束を一組ばかり、それに身の回りのちょっとした品などを硯箱一揃いに入れて行くと、家はひどく取り込んでいて騒がしかったが、わたしも旅立つ姉も目も合わせないで、ただ向い合ったまま涙にくれていると、まわりの者が皆、
「どうしてそんなに泣かれるのです」
「我慢してください」
「旅立ちに涙は不吉です」  
 などと言う。
〈こんなことでは、車に乗るのを見届けるのも、どんなに辛いだろう〉  
 と思っていると、家から、
「早く戻りなさい。ここへ来てる」  
 と言ってきたので、わたしも車を寄せて乗るが、その時、旅立つ姉は二藍の小袿を着ていて、後に残るわたしは薄物の赤朽葉色の小袿を着ていたが、お互いに脱いで交換して別れた。それは九月十日過ぎのことである。家に戻っても、あの人が、
「どうしてそんなに泣く。縁起でもない」
 と非難するほど、ひどく泣けてならなかった。
 さて、
〈昨日か今日には関山あたりに着いているだろう〉  
 と思い、月がとても美しいので、眺めながら物思いにふけっていると、叔母もまだ起きていて、琴を弾いたりなどして、こう言ってきた。

ひきとむる ものとはなしに 逢坂の 関のくちめの 音
(ね)にぞそほつる 
(逢坂の関が人を引き止められないように わたしも姪を引き止められなくて ただ琴を弾いて涙に濡れています)  

 この叔母も、わたしと同じように姉のことを心配する人なのだ。

思ひやる 逢坂山の 関の音は 聞くにも袖ぞ くちめつきぬる
(今頃は逢坂の関を越えているだろう と思いながら弾かれる琴を聞いていると 涙で袖が朽ちてしまいそうです)  

 などと姉のことを思っているうちに、年も改まった。
〔一九〕  
 三月頃、あの人はわたしの所に来ていた時に苦しみだして、どうしようもなく苦しんでもがいているのを見て、
〈大変なことになった〉
 と思う。言うことといえば、
「ここにずっといたいけれど、何をするにしても、なにかと不都合だから、邸に帰ろうと思う。薄情だと思わないでくれ。急に余命いくばくもないような気がして、とても辛い。ああ、わたしが死んでも思い出してもらえるようなことを何一つしてないのが、ほんとうに悲しい」  
 と言って泣くのを見ると、わたしも意識が朦朧として、またひどく泣いてしまうので、
「泣かないで。泣かれるとよけいに苦しくなる。何より辛いのは、思いがけない時に、こんな別れをすることだ。わたしが死んだらどうなさるのだろう、きっと独り身ではないね。そうなったとしても、わたしの喪中には再婚しないでほしい。たとえ死ななくても、会うのはこれっきりだと思う。生きていても、この体ではここへ来られない。わたしがしっかりしてさえいれば、どんなことをしても邸に来ていただきたいと思うけれど、このまま死んでしまったら、これがお会いできる最後になるだろう」  
 などと、横になったまま、しみじみと話して泣く。そばにいる侍女たちを呼び寄せて、
「わたしがこの人をどんなに大切に思っているかわかるだろう。こうして死んだら、二度と会うことができないと思うと、たまらなく辛い」  
 と言うと、皆泣いてしまう。わたしはなおさらなにも言えず、ただ泣きに泣くばかり。こうしているうちに、病状はますます悪くなって、車を寄せて乗ろうとして、抱き起こされ、人に寄りかかってやっと乗る。こちらを振り返り、わたしをじっと見て、ひどく辛そうである。後に残るわたしのせつなさは言うまでもない。例の兄が、
「どうしてそんなに泣くのです、縁起でもない。たいしたことはないでしょう。早くお乗りください」  
 と言って、そのまま兄も乗って、抱きかかえて行ってしまった。心配でならないわたしの気持ちは言いようがない。一日に二度も三度も手紙を送る。
〈わたしのことを憎いと思う人がいるだろう〉  
 と思うけれど、しかたがない。返事は、あちらの年配の侍女に代筆させて、
「『じぶんで返事ができないのが辛い』 とばかりおっしゃっています」
 などと書いてある。
「あの時よりもっと容態が悪くなっている」  
 と聞くと、あの人が言ったように、わたし自身が看病することもできないので、
〈どうしたらいいのだろう〉  
 と嘆いているうちに、十日以上も経った。  
 読経や加持祈祷などして、いくらかよくなったようで、思っていたとおり、あの人自身の返事がある。
「本当にどうしてなのか、病気がよくならないで何日も過ぎたが、こんなに苦しんだことは今までなかったせいか、あなたのことが心配で」  
 などと、人のいないすきをみて、こまごまと書いてある。
「気分がよくなってきたから、公然というわけにはいかないが、夜に来なさい。会わないで何日も経ったから」  
 などとあるのを、
〈人はどう思うだろう〉  
 と思うけれど、わたしのほうもまた、病状が心配でならないし、折り返し同じことばかり言ってくるので、
〈しかたがない〉  
 と思って、
「車を迎えに寄こしてください」  
 と言って出かけると、寝殿から離れた渡り廊下のほうに、とてもきれいに部屋を用意して、あの人は端近の所で横になって待っていた。灯
(とも)していた灯りを消させて車から降りたので、真っ暗で、入り口もわからないでいると、
「どうしたの、ここだよ」  
 と言って、手をとって案内してくれる。
「どうして来るのにこんなに長くかかったの」  
 と言って、最近の様子をぽつりぽつりと話して、しばらくして、
「灯りをつけて。真っ暗だ。あなたはなにも心配することはない」  
 と言って、屏風の後ろに、ほのかに灯りをともした。
「まだ精進落としの魚なども食べないで、今夜あなたがいらっしゃったら一緒にと思って用意してある。さあ、ここへ」  
 などと言って、お膳を運ばせた。少し食べたりしていると、以前から祈祷の僧たちが控えていて、夜が更けてから、
「護身の修法
(ずほう)に」
 と部屋に入って来たので、
「もうお休みください。いつもより少し楽になりました」 
 と言うと、僧たちは、
「そのようにお見受けします」  
 と言って、出て行った。  
 さて、夜が明けたので、わたしが、
「侍女などをお呼びください」  
 と言うと、
「いや、まだ真っ暗だろう。もうしばらくここで」  
 と言ってるうちに明るくなったので、召使いたちを呼んで、蔀(しとみ)を上げさせて、外を眺めた。
「見てごらん。庭に植えてある草花はどんなふうか」  
 と言って、眺めているので、
「みっともないほど明るくなりました」  
 などと言って帰りを急ぐと、
「いいではないか。今から粥など食べてから」
 と言っているうちに、昼になった。そこで、あの人が、
「さあ、わたしも一緒に行こう。またここへ来るのは嫌でしょう」  
 などと言うので、
「こうして伺っただけでも、人がどう言うのか心配なのに、あなたをお迎えに来たと思われたら、とても嫌です」
 と言うと、 「それではしかたがない。男たち、車を寄せるように」  
 と言って、車を寄せると、あの人は乗る所までなんとか歩きながら出てきたので、とてもしみじみと愛しく見ながら、
「いつになるでしょうか、お出かけは」
 などと言っているうちに、涙が浮かんでくる。
「とても心配なので、明日か明後日ごろには伺おう」  
 と言って、ひどく物足りない、寂しそうな様子である。 車を少し外に引き出して、牛を轅(ながえ)につけている時に、車の中から簾越しに見ると、あの人は元の所に戻り、こちらを見て、寂しそうにしている。そんな様子を見ながら車が出ると、わたしは思わず、何度も何度も振り返ってしまう。  
 そして、昼ごろ、手紙が来た。いろいろ書いてあって、

かぎりかと 思ひつつ来し ほどよりも なかなかなるは 詫しかりけり
(もうあなたに逢うのも最後かと思ってここへ戻ってきたあの時より 今日の別れのほうがかえって辛い)  

 返事は、
「まだとても苦しそうにしていらっしゃったので、今もとても心配で。かえって、とおっしゃるのはわたしも同じ、

われもさぞ のどけきとこの うらならで かへる波路は あやしかりけり
(わたしも心のどかに床の中で過ごすこともできないで帰る道すがら 不思議なほどせつなくて)」  

 そして、まだ苦しそうだったが、我慢して、二、三日経って見えた。こうしてだんだん健康を取り戻すと、いつものように間をおいて通って来る。
〔二〇〕  
 その頃は、四月。賀茂の祭りを見物に出かけると、あの人も来ていた。
〈あの人らしい〉  
 と見て、向かい側に車をとめた。行列を待っている間、手持ち無沙汰だったので、橘(たちばな)の実があったので、葵を添えて、

あふひとか 聞けどもよそに たちばなの
(今日は葵祭で 人と逢う日と聞いていますのに あなたは知らない顔でお立ちになっていて)  

 と言う、やや時が経ってから、

きみがつらさを 今日こそは見れ
(あなたの薄情さが今日こそはっきり見ました)

 と返してきた。
「何年もずっと憎いと思ってきたはずなのに、どうして『今日』と限って言ったのでしょう」  
 と言う侍女もいる。帰ってから、
「こんなことがありました」  
 と話すと、あの人は、
「『食いつぶしてしまいたい気がする』  
 とは言わなかったんだね」  
 と言って、じぶんの言ったことをひどくおもしろがっている。
「今年は五月五日の端午
(たんご)の節会(せちえ)が催されるはずだ」  
 と、世間では大騒ぎである。
〈なんとかして見たい〉  
 と思うが、見物の席がない。
「見たいと思うなら」  
 と以前あの人が言ったのを聞いていたので、
「双六を打とう」  
 と言ったとき、
「打ちましょう。見物席を賭けにして」  
 と言って勝負したところ、わたしがよい目を出して勝った。喜んで見物の準備をしながら、夜中の、人が寝静まった頃、硯を引き寄せて、すさび書きに、

あやめ草 おひにし数を かぞへつつ 引くや五月の せちに待たるる
(沼に生えた菖蒲の数をかぞえながら その根を引く節会がひたすら待たれます)  

 と書いてさし出すと、あの人は笑って、

(かく)れ沼(ぬ)に おふる数をば 誰か知る あやめ知らずも 待たるなるかな
(人目につかない沼に生えている菖蒲の数は誰にもわからないように 見物の席もどうなるかわからないのに 無性に待ち遠しいのだね)  

 と言うものの、はじめから見せるつもりだったので、宮さまの見物席と一続きで、二間あった席を仕切って、立派に整えて、見物させてくれた。
〔二一〕
 このように、人から見れば仲の良い夫婦として、わたしたちの結婚生活は十一、二年が過ぎた。でも、本当のところは、明けても暮れても、世間普通の夫婦ではないのを嘆きながら、尽きない物思いをしながら暮らしているのだった。それもそのはず、わたしの境遇といったら、夜になっても、あの人が訪れて来ない時には、人が少なくて心細く、今ではただ一人頼りにしている父は、この十年あまり、受領として地方まわりばかりしていて、時々京にいる時も、四条、五条あたりに住んでいて、わたしの家は左近(さこん)の馬場(うまば)の片側に隣接していたので、父の家からはとても遠い。こんなに心細く暮らしている家も、修理したり世話してくれる人もいないから、ひどく荒れていくばかりである。この家をあの人が平気で出入りするのは、
〈わたしが心細い思いをしているなどとは、深く考えたりしないからだろう〉
 などと、さまざまに思い乱れる。
〈「公務で忙しい」 と言うなんて、どういうこと、まるでこの荒れた家の蓬(よもぎ)よりも仕事がたくさんあるみたい〉
 と物思いに沈んでいるうちに、八月頃になってしまった。
 穏やかに暮らしていたある日、ちょっとしたことで言い合ったすえに、わたしもあの人もひどいことを言ってしまい、あの人が怒って出て行くことになった。あの人が縁先のほうに出て、子どもを呼んで、
「わたしはもう来ないよ」  
 などと言い残して出て行くとすぐに、子どもが入って来て、大声をあげて泣く。
「いったいどうしたの、どうしたの」  
 と尋ねても、返事もしないので、
〈きっとあの人がひどいことを言ったのだろう〉  
 と察しがつくが、侍女たちに聞かれるのも嫌だし、みっともないから、尋ねるのはやめて、いろいろとなだめるが、それから五、六日ばかり過ぎても、なんの連絡もない。例になく長い間来ないので、
〈ああ、どうかしてる。冗談だとばかりわたしは思っていたのに、でもわたしたちは頼りない仲だから、このまま終わってしまうこともあるかもしれない〉  
 と思うと、心細くなって物思いに沈んでいると、あの人が出て行った日に使った泔坏(ゆするつき)の水(髪をすくために用いた水。米のとぎ汁とも、強飯を蒸した後の湯ともいわれる)が、そのままある。水面に塵が浮いている。
〈こんなになるまで〉  
 とあきれて、

絶えぬるか 影だにあらば 問ふべきを かたみの水は 水草
(みくさ)ゐにけり 
(二人の仲は終わってしまったのだろうか 影でも映っていたら尋ねることもできるのに 形見の水には水草が映えて影を見ることもできない)  

 などと思っていたちょうどその日に、あの人は見えた。例によって打ち解けないままになった。このようにはらはらする不安な時ばかりで、少しも心の休まる時がないのが辛くてならない。
〔二二〕  
 九月になって、
〈外の景色は素晴らしいだろう。どこかにお参りしたい。このはかない身の上もお祈りしよう〉  
 などと決めて、密かに、ある所にお参りに出かけた。一串
(ひとくし)の幣帛(へいはく)(神への捧げ物)に、こんな歌を書いて結びつけた。まず下(しも)の御社(みやしろ)に、

いちしるき 山口ならば ここながら かみのけしきを 見せよとぞ思ふ
(霊験あらたかな神の山の入口ですから この下の御社で 霊験をお示しくださいますようお願いします)  

 中の御社に、

稲荷山
(いなりやま) おほくの年ぞ 越えにける 祈るしるしの 杉を頼みて
(わたしは稲荷山を信じて多くの年を過ごしてきました 家に持ち帰って植えて枯れなければ福がくるという杉の木に期待をかけて)  

 上
(かみ)の御社に、

かみがみと 上
(のぼ)り下(くだ)りは わぶれども まださかゆかぬ ここちこそすれ
(上中下の神々にお祈りしようとして 上ったり下りたりするのは辛いけれど まだご利益がないような気がします)  

 また、同じ九月の末に、ある所に同じようにして参詣した。幣帛は二串ずつ、下の御社には、

かみやせく しもにや水屑
(みくず) つもるらむ 思ふ心の ゆかぬみたらし
(御手洗川の流れが滞るように わたしの思いがかなわないのは 神さまが遮っていらっしゃるからでしょうか それともわたしの心の拙さからでしょうか)  

 もう一首、

榊葉
(さかきば)の ときはかきはに 木綿垂(ゆうしで)や かたくるしなる めな見せそ神
(いつまでも色が変わらない榊の葉に 木綿垂を結びつけてお祈りします どうか神さま わたしにだけ辛い思いをさせないでください)  

 また、上の御社に、

いつしかも いつしかもとぞ 待ちわたる 森のこまより 光見むまを
(いつだろう いつだろうと待ち続けています 森の木の間から神さまの恵みの光が射してくるのを)  

 もう一首、

木綿襷
(ゆうだすき) むすぼほれつつ 嘆くこと 絶えなば神の しるしと思はむ
(心が解けないで嘆く こんなもの思いがなくなったら 神さまにお祈りしたしるしがあったと思いますのに)

 などと、神さまが聞いていない所で、つぶやいた。
 秋が終わって、冬は月初めだと思うとすぐに月末になり、身分の上下に関係なく忙しく過ごしているようなので、あの人も来てくれず、わたしは独り寝のような状態で過ごした。
〔二三〕
 三月の末頃に、卵(かりのこ)(雁・鴨・軽鴨類の卵)が見えたので、
〈これを十ずつ重ねることをなんとかしてやってみよう〉
 と思って、手慰みに、生絹
(すずし)の糸を長く結んで、卵を一つ結んではくくり、結んではくくりして、ぶら下げてみると、とてもうまくつながった。
〈このままにしておくよりは〉  
 と思って、九条殿の女御さま
(藤原師輔の娘、怤子。兼家の妹)の所にさし上げる。卯(う)の花に結びつけた。これといったことも書かないで、ただ普通のお手紙で、端に、
「卵を十個重ねるのは難しいと言われますが、このよう に重ねることができました
〔思わない人を思うことだって でき ないことはないのですね〕」※「鳥の子を 十づつ十は かさねとも 思 はぬひとを 思ふものかは/鳥の卵を 十ずつ十回積み重ねることがで きたとしても 思わない人を思うことがあるでしょうか[伊勢物語五〇]をふまえる。
 とだけ申し上げた。そのお返事は、

数知らず 思ふ心に くらぶれば 十
(とお)(かさ)ぬるも ものとやは見る
(数限りなくあなたを思っているわたしの心に比べると 十個重なった卵などどれほどのことでもありません)  

 とあるので、お返事に、 思ふほど 知らではかひや あらざらむ かへすがへすも 数をこそ見め
(どれくらい思ってくださっているかわからなければ甲斐がありません ぜひその数を見てみたいものです)  

 その後、その卵は、五の宮さま
(村上天皇の第五皇子、守平親王。後の円融天皇)に献上なさったと聞く。
〔二四〕  
 五月になった。十日過ぎに、帝(村上天皇)がご病気ということで大騒ぎしているうちに、まもなく二十日過ぎにお亡くなりになった。東宮が、すぐに代わって帝の位につかれる。東宮亮(とうぐうのすけ)だったあの人は、
「蔵人頭
(くろうどのとお)になった」  
 などと言って騒いでいるので、帝が亡くなられた悲しみは外向きのことで、あの人の昇進の喜びばかりが聞こえてくる。お祝いに来る人の応対などして、少し人並みになった気がするが、満たされないわたしの気持ちは以前と同じだが、今までと打って変わったように身の回りが騒がしくなってきた。  
 帝のお墓のことなどを聞くと、
〈帝の寵愛を受けて栄えていらっしゃった方々は、どんなに悲しんでいらっしゃるだろう〉  
 とお察し申し上げると、しみじみとした思いになる。しだいに日数が経って、貞観殿
(じょうがんでん)(師輔の娘、登子とうし)。兼家の同母妹)さまに、
「いかがお過ごしでしょう」  
 などとお見舞い申し上げたついでに、

世の中を はかなきものと みささぎの うもるる山に なげくらむやぞ
(世の中の無常を知って 亡骸の埋もれているみささぎの山〔御陵〕を思ってお嘆きのことでしょう)  

 お返事はもとても悲しそうな様子で、

おくれじと うきみささぎに 思ひ入る 心は死出の 山にやあるらむ
(亡くなった帝に後れないと この憂き身も一緒にお墓に入りたいと思っている心は もう死出の山に入っているのでしょうか)  

 先帝の四十九日が終わって、七月になった。殿上にお仕えしていた兵衛佐(ひょうえのすけ)は、まだ年も若く、悩みなどありそうもなかったのに、親も妻も捨てて、比叡山に登って、法師になってしまった。
「まあ、大変」  
 と騒ぎ、
「かわいそう」  
 と言っているうちに、その妻がまた尼になったと聞く。これまでも文通などしていた仲なので、とてもかわいそうで意外だったからお見舞いをする。

奥山
(おくやま)の 思ひやりだに 悲しきに またあまぐもの かかるなになり
(奥深い山に入られた兵衛佐さまのことを思うだけでも悲しいのに あなたまでが尼になってしまわれたとは)  

 姿は変わっても筆跡はそのままに、返事をくださった。

山深く 入りにし人も たづぬれど なほあまぐもの よそにこそなれ
(山深く入った夫を追って尼になりましたけれど 女では比叡山に登れなく 今でもやはり遠く隔たったままです)

 とあるのも、とても悲しい。 こういう人もいるのに、
「中将になった」
「三位になった」
 などと、喜びが重なったあの人は、
「離れて住んでいては、いろいろと支障があって都合が悪いので、近くにふさわしい家があった」  
 と言って、わたしをそこに移らせて、乗り物がなくても、すぐに来ることができるので、あの人も世間の人も、わたしが、
〈満足しているようだ〉  
 と思っていることだろう。十一月の中頃のことである。
〔二五〕  
 十二月の末頃に、貞観殿さまがわたしの邸の西の対に宮中から退出して来られた。大晦日の日になって、追儺(ついな)をして、災いを追い払おうというので、まだ昼のうちから、がさがさばたばたと騒ぐものだから、つい一人で笑ったりしているうちに、夜が明けて元旦になると、昼頃、お客さまの貞観殿さまのほうは、年賀の男客など訪れてこないので、のどかである。わたしも同じで、隣のあの人の邸の騒ぎを聞きながら、
「待たるるものは
(あらたまの 年たちかへる あしたより 待たるるものは 鶯の声[古今六帖・素性法師])
 などと言って笑っている時に、そばにいた侍女が、手慰みに、かいくり
(栗の菓子か、あるいは貝と栗か不明)を糸でつないで贈物のようにして、木で作った下僕(げぼく)の人形の片足にこぶのついているのに担わせて、持ち出してきたのを引き寄せて、そこにあった色紙の端を人形のすねにはりつけ、それにこんな歌を書いて貞観殿さまにさし上げる。

かたこひや 来るしかるらむ 山賤
(やまがつ)の あふごなしとは 見えぬものから
(片足に尰(こい)〔こぶ〕がついているのはどんなに苦しいでしょう 山里の男なら朸(おうご)〔天秤棒〕がないとは思えないのに/片恋はどんなに辛いでしょう お会いする機会がないとも思えないのに)  

 と申し上げると、海藻の干したものを短く切ったのを束ねて朸(おうご)〔天秤棒〕の先につけ、さきほどのかいくりの荷物と取り替えて担わせ、細かったほうの足にも別のこぶをつけて、それも前よりも大きなこぶにしてお返しになった。見ると、

山賤の あふご待ちいでて くらぶれば こひまさりける かたもありけり
(山里の者がやっと朸(おうご)〔天秤棒〕を手に入れてみると 前よりもさらに尰(こい)〔こぶ〕が増えています/やっと恋しい人に逢って比べてみますと あなたのおっしゃる片恋よりも さらにまさっている恋もあるのです)  

 日が高くなったので、あちらではおせち料理などを召し上がっているようで、こちらも同じようなことをして、十五日にも例年のごとく餅粥
(もちがゆ 米・粟・黍・小豆など七種の穀類を煮たもの)を食べたりして過ごした。  
 三月になった。お客さまの貞観殿さま宛のあの人の手紙を、間違えて持って来た。見ると、ありきたりの内容ではなく、
「近いうちに伺いたいと思うのですが、『わたしの所ではないの』と思う人があなたの近くにいるかもしれないので」  
 などと書いてある。
〈ふだん親しくしていらっしゃるので、こんなことも平気で書くのだろう〉
 と思うと、そのまま見過ごすことはできず、とても小さい字で書く。

松山の さし越えてしも あらじ世を われによそへて 騒ぐ波かな
(あの人がそちらへ伺っても わたしが気にするはずはないのに じぶんが浮気者だから よけいな気をまわしているのです)  

 と書いて、
「あちらのお方にお渡しして」  
 と言って使いを返した。ごらんになると、すぐにお返事がある。

松島の  風にしたがふ 波なれど 寄るかたにこそ たちまさりけれ
(松島の波が風の吹く方向に打ち寄せるように 兄はあなたに心を寄せているから わたし宛の手紙があなたのところに届いたのです わたし以上に思っているからでしょう)  

 この貞観殿さまは、東宮の親代わりとしてお仕えしていらっしゃるので、まもなく参内なさらなければならない。
「このままお別れするのかしら」  
 などと言われて、何度も、
「少しの間だけでも」  
 とおっしゃるので、宵の間に参上した。ちょうどその時、わたしの住まいのほうで、あの人の声がするので、
「ほら、ほら」  
 などとおっしゃるが、聞かないでいると、
「坊や
(兼家)が宵のうちから眠(ねむ)たがっている(寝たがっている)ように聞こえますから、きっとだだをこねられ(怒られ)ますよ。さあ、早く」  
 とおっしゃるので、
「乳母
(わたし)がいなくても大丈夫です」  
 と言って、ぐずぐずしていると、家の者が来て、貞観殿さまにしきりに催促申し上げるので、のんびりもしていられず帰った。翌日の夕方、貞観殿さまは参内なさった。  
 五月に、先帝の除服
(じょふく)のために貞観殿さまが退出なさるので、この前のように、わたしの所にということだったのに、
「不吉な夢を見た」
 などと言って、あの人の邸に退出なさった。その後も、しばしば悪い夢のお告げがあったので、
「夢違
(たが)えの方法でもあればいいのに(夢違え―悪い夢を見た時、禍を避けるために祈ったりまじないをする)」  
 とおっしゃっていたが、七月の、月がとても明るい夜に、こうおっしゃった。

見し夢を ちがへわびぬる 秋の夜ぞ 寝がたきものと 思ひ知りぬる
(悪い夢の夢違えができないで困っている秋の夜長が どんなに寝苦しいものか 身にしみてわかりました)  

 お返事、

さもこそは ちがふる夢は かたからめ あはでほど経
(ふ)る 身さへ憂きかな
(おっしゃるとおり夢違えは難しいでしょうが 長くお逢いできないで日数が経っているわたしまで辛くなってきます)  

 折り返し、

あふし見し 夢になかなか くらされて なごり恋しく 覚めぬなりけり
(長く逢えないなんて わたしは夢であなたにお逢いしています でも夢だから気持ちがぼんやりして名残り恋しく いまだ覚めることができないので 現実にはお逢いできないのです)  

 とおっしゃるので、また、

こと絶ゆる うつつやなにぞ なかなかに 夢は通ひ路 ありといふものを
(お逢いすることが絶えている現実は何でしょう かえって夢には通う道があるといいますのに)  

 また、
「『お逢いすることが絶える』とはどういうことですか。ああ、縁起でもない」
  とあって、

かはと見て ゆかぬ心を ながむれば いとどゆゆしく いひやはつべき
(あれがあなたのお住まいと見ることができる近くにいながら 川に隔たれたように 伺うことができないで辛いのに 「こと絶ゆる」などと不吉な言葉で言わないでください)  

 とあった返事に、 渡らねば をちかた人に なれる身を 心ばかりは 淵瀬
(ふちせ)やはわく
(来てくださらないので 遠く隔たっているわたしですが 心だけは川の淵瀬と関係なく あなたの所に通っています)  

 と一晩中歌を詠み交わした。
〔二六〕
 さて、ここ数年願(がん)を立てているので、
〈なんとかして長谷寺にお参りしたい〉
 と思い立ち、
〈来月には〉  
 と思うが、やはり思い通りにはいかなくて、やっと九月に出かけることに決めた。あの人は、
「十月には大嘗会
(だいじょうえ)の御禊(ごけい)があり、わたしの所から女御代(にょうごだい)(兼家の娘、超子)が立たれることになっている。これが終わってからわたしと一緒に」  
 と言うが、わたしには関係ないことなので、密かに決めて、予定の日が凶日なので、門出だけは法性寺のあたりにして、翌日の夜明け前に出発して、午
(うま)の時(正午前後二時間)ごろに宇治の院に到着した。  
 向こうを見ると、木の間から川面が煌めいていて、とてもしみじみとした思いがする。
〈目立たないように〉  
 と思って、供の者も大勢は連れて来なかったのは、わたしの配慮のなさだが、
〈わたしのような人でなければ、どんなに賑やかだろう〉  
 と思う。車の向きを変え、幕などを引き回し、車の後ろに乗っている人だけを降ろして、車を川に向けて、簾を巻き上げて見ると、川には網代が一帯に仕掛けてある。行き交う舟もこんなに多いのは見たことがなかったので、すべてが趣深くおもしろい。後ろのほうを見ると、歩き疲れた下人たちが、貧弱そうな柚子
(ゆず)や梨などを、大事そうに手に持って食べたりしているのも、興味深い。破子(弁当)などを食べて、舟に車を担いで乗せて川を渡り、どんどん進んで行き、
「これが贄野
(にえの)の池、あれが泉川(いずみがわ)」  
 などと言いながら、水鳥が群がっていたりするのも、心に染みて感慨深くおもしろく思われる。ひっそりした旅なので、何かにつけて涙もろくなる。その泉川も渡って・・・。
 橋寺という所に泊まった。酉の時
(午後六時前後二時間)ごろに着いて、車から降りて休んでいると、調理場と思われるあたりから、切った大根を柚子の汁であえたものを、まず出してきた。このような旅先ならではの体験をするのは、不思議に忘れがたくおもしろい。
 夜が明けると、川を渡って行き、柴垣がめぐらしてある家々を見て、
〈どれだろう、かもの物語
(散逸物語)の家は〉  
 などと思いながら行くと、とても風情がある。今日も寺のような所に泊まって、翌日は椿市
(つばいち)という所に泊まる。次の日、霜がとても白いのに、参詣に行ったり帰ったりするのだろうか、脛(すね)に布きれを巻いている人たちが、行き来して、騒いでいるようである。蔀を上げた所に泊まって、湯を沸かしたりなどしている時に外を見ると、さまざまな人が行き来しているが、
〈人それぞれに悩みがあるだろう〉  
 と思われる。  
 しばらくして、手紙を捧げて持ってくる人がいる。そこに立ち止まって、
「お手紙です」  
 と言っているようだ。見るとあの人からで、
「昨日、今日あたり、どうしているのか、心配でならない。少人数で出かけたが、大丈夫かな。以前言っていたように、三日間籠るつもりなのか。帰る予定の日を聞いて、せめて迎えだけでも」  
 と書いてある。返事には、
「椿市という所までは無事に着きました。この際、もっと深い山に入りたいと思っているので、帰る日は、いつとまだ決めていません」  
 と書いた。
「あそこでやはり三日もお籠りになるのは、よくないです」
 などと相談して決めているのを、使いが聞いて帰って行った。
 そこから出発して、どんどん進んで行くと、これという見どころのない道も山深い感じがするので、とても趣深く水の音が聞こえる。あの有名な杉も空に向かって立ち並び、木の葉は色とりどりに色づいているのが見える。川の水は石のごろごろしている間を、勢いよく流れていく。夕陽が射している景色などを見ると、涙がとめどなく流れる。ここまでの道は格別景色がよくもなかった。紅葉もまだだし、花もみな散っていて、枯れた薄だけが見える。ここは、これまでと違って格段に風情があるように見えるので、車の簾
(すだれ)を巻き上げて、下簾を開けて見ると、旅で着くたびれた着物が、色艶がなくなったように見える。でも、薄紅色の薄物の裳をつけると、裳の紐が交差して、焦げた朽葉色(くちばいろ)の着物に調和した感じがするのも、とてもおもしろく思われる。物乞い(乞食)たちが、食器や鍋などを地面に並べて座っているのも、あわれでならない。卑しい者の中に入ったような気がして、お寺に入ったら、かえって清々しい気分が得られないような気がする。眠るわけにもいかず、かといって忙しいわけでもないので、じっと聞いていると、目の見えない人で、それほどみじめそうでもない人が、願いごとを、
〈人が聞いてるかもしれない〉  
 とも思わないで、大声でお祈りしているのを聞くのも、かわいそうで、ただ涙ばかりがこぼれる。
〔二七〕
 こうして、わたしは、
〈もうしばらくここにいたい〉  
 と思うが、夜が明けると、供の者たちが騒いで出発させる。帰りは、人に知られないようにしているのに、あちこちで接待をして引きとめるので、にぎやかに日が過ぎてゆく。三日目に京に着く予定だったが、日がすっかり暮れてしまったので、山城国
(やましろのくに)の久世(くぜ)の三宅(みやけ)という所に泊まった。ひどくむさくるしい所だったが、夜になってしまったので、ひたすら夜の明けるのを待った。まだ暗いうちから出発すると、黒っぽい人影が、弓矢を背負って、馬を走らせて来る。少し遠くで馬から降りて、ひざまずいている。見ると、あの人の随身(ずいじん)だった。
「どうしたのだ」  
 と、二、三の供の者が尋ねると、
「殿は、昨日の酉の時
(夕方六時)ごろに、宇治の院にご到着なさり、
『お帰りになったかどうか、お帰りなら迎えに行け』
 と、ご命令になりましたので」
 と言う。先払いの男たちが、
「さっさと車を進ませろ」  
 などと指図をする。  
 宇治川に近づくころ、霧が、通ってきた道が見えないくらい一面に立ちこめて、とても心細い。車から牛をはずして轅
(ながえ)を下ろし、あれこれ川を渡る準備をしているうちに、大勢の声がして、
「お車の轅を下ろして、川岸に立てろ」  
 と叫ぶ。霧の下から例の網代
(あじろ)も見えている。なんとも言えない風情がある。あの人は向こう岸にいるのだろう。まず、このように書いて渡す。

人心
(ひとごころ) うぢの網代に たまさかに よるひをだにも たづねけるかな
(あなたの心が辛く思われます わざわざわたしを迎えにいらっしゃったのではなく 宇治川の網代にたまにかかる氷魚をごらんに来られたのでしょう)

 舟がこちらの岸にもどって来るときに、あの人の返事が、

帰るひを 心のうちに かぞへつつ 誰によりてか 網代をもとふ
(あなたの帰る日を心の中で数えながら待っていた あなた以外の誰のために網代を見に来たりするのでしょう)

 読んでいるうちに、車を舟に担ぎ入れて、大きな掛け声をかけて棹さして渡す。それほど高貴な身分ではないが、卑しくない良家の子息たちや、なんとかの丞
(ぞう)の君などという人たちが、車の轅(ながえ)や鴟(とみ)の尾(お)(車の後方に突き出ている二本の棒)の間に入って渡って行くと、日差しがわずかに漏れて、霧がところどころ晴れていく。向こう岸には、良家の子息、衛府の佐(えふのすけ)などが連れ立ってこちらを見ている。その中に立っているあの人も、旅先らしく狩衣姿である。岸のとても高い所に舟を寄せて、ただひたすら担ぎ上げる。轅を簀子にかけて車を止めた。
 精進落としの用意がしてあったので、食べたりしている時に、川の向こうには按察使大納言
(あぜちのだいなごん 兼家の叔父、藤原師氏もろうじ)さまの所領があったのだが、
「大納言さまは、この頃の網代をご見物に、こちらにいらっしゃっています」
 と、ある人が言ので、
「わたしたちがここに来ていると聞いていらっしゃるだろうから、お伺いしなければ」  
 などと話し合っているときに、大納言さまから、紅葉のとても美しい枝に、雉
(きじ)や氷魚(ひお)などをつけて、
「お揃いでお越しと聞いて、ご一緒にお食事でもと思うのですが、あいにくめぼしい物がない日で」
 とある。お返事には、
「ここにいらっしゃっているのに失礼しました。すぐにお伺いして、お詫びを」
  などと言って、単衣
(ひとえ)を脱いで、祝儀として与える。使者は、単衣を肩に掛けたまま舟で帰って行ったようである。また大納言さまから、鯉(こい)や鱸(すずき)などが、次々と届けられたようである。その場にいた風流な男たちが酔って集まって来て、
「素晴らしかった。お車の月の輪に日が当たって輝いて見えたのは」
 とでも言っているようだ。車の後ろの方に花や紅葉が挿してあったのだろうか、良家の子息と思われる人が、
「やがて花が咲き実がなるように、近いうちにご繁栄が実現なさるこの頃ですね」
 と言っているようなので、後ろに乗っている人もあれこれ返事をしているうちに、向こう岸の大納言さまの所へ皆で舟で渡って行くことになった。
「きっと酔っ払うほど飲まされるぞ」  
 ということで、酒飲みばかりを選んで、あの人が連れて渡って行く。川のほうに車を向け、轅を榻
(しじ 牛車を牛から外した時、轅を乗せたり、車から乗り降りの踏み台にする台)に立てかけさせて見ていると、二艘の舟で漕いで渡って行った。そうして、酔っ払って、歌いながらもどって来ると、すぐに、
「お車を牛にかけろ、かけろ」  
 と騒ぐので、わたしは疲れて、とても辛いのに、車に乗って、ひどく苦しい思いをしながら都に帰って来た。  
 夜が明けると、大嘗会の御禊の準備が迫ってきた。あの人が、
「ここでしてもらうのは、これこれ」
 と言うので、
「わかりました」  
 と言って、大騒ぎしてする。当日は、格式通り威儀を正した車が次々と続いて行く。下仕
(したづか)(雑用を務める女房)や手振(てぶ)(男の従者)などが付き従って行くので、まるで晴れの儀式にわたしも加わっているような気がして、華やかである。月が変わると、大嘗会の下検分だと騒ぎ、わたしも見物の用意などして暮らすうちに、年末にはまた新年の準備などするようだ。
〔二八〕  
 こうして年月は過ぎていくが、思うようにならない身の上を嘆き続けているので、新年になっても嬉しくなく、相変わらずはかない身の上を思うと、あるのかないのかわからない、 「かげろうのようにはかない日記」 ということになるだろう。
中巻
〔一〕
 このようにはかない日々を過ごしながら、新しい年の元旦になった。
〈何年間もどういうわけか、世間の人のする言忌
(こといみ 不吉な言葉を言わないこと)などしないから、こんなに不幸なのかしら〉
 と思い、起きてにじり出るとすぐに、
「ねえ、皆さん、今年だけでもなんとか不吉な言葉を避けて、運試
(うんだめ)しをしましょう」  
 と言うのを聞いて、妹が、まだ横になりながら、
「申し上げます。『天地を袋に縫ひて
(天地を袋に縫ひて幸を入れて持たれば思ふことなし)』」
 と言寿歌
(ことほぎうた)を唱えるので、とてもおもしろくなって、
「それに加えてわたしなら、『三十日
(みそか)三十夜(みそよ)はわがもとに(毎晩わたしの所に)』と言いたいわ」  
 と言うと、前にいる侍女たちが笑って、
「そうなれば理想的ですね。いっそこれをお書きになって、殿にさし上げられたら」  
 と言うので、横になっていた妹も起きて、
「それはとてもいいこと。どんな修法
(ずほう)よりも効果があるでしょう」  
 などと笑いながら言うので、そのまま書いて、子ども
(道綱)に届けさせたところ、あの人は今を時めく権勢の人で、たくさんの人が年賀に参上して混み合っていたし、宮中にも早く参内しなければと、とても忙しそうだったけれど、こんな返事をくれた。今年は閏で、五月が二回あるからだろう。

年ごとに あまれば恋ふる 君がため うるふ月をば おくにやあるらむ
(あなたが言う「三十日三十夜」では あなたの恋心が年ごとに余ってしまうから 閏月をおいてるかもしれないね)  

 とあるので、
〈大変な祝いの言葉を交わした〉  
 と思う。  
 翌日、わたしの所とあちらのお方の所と、下人の間でもめごとが起きて、面倒なことがいろいろあったが、あの人はわたしに同情して、気の毒がっている様子だったけれども、わたしは、
〈すべて住まいが近いから起こったことだ。転居は失敗だった〉  
 などと思っているうちに、また転居をさせられることになって、わたしは少し離れた所に移ったのだが、あの人はわざわざ来るという感じで行列を立派にして、一日おきに通って来るので、はかない今の気持ちからすると、これでも満足すべきだが、やはり、
〈錦を着てとは違うが、故郷の元の家に帰りたい
(「富貴ニシテ故郷ニ帰ラザルハ、錦ヲ衣テ夜行クガ如シ[史記]」「錦ヲ衣テ郷ニ還ル[南史]」による)
 と思う。
〔二〕
 三月三日、
「節句のお供え物など用意したのに、お客さまが来ないのでは寂しい」  
 ということで、ここの侍女たちが、あの人の従者たちに、こう書いて送ったようだ。冗談で、

桃の花 すきものどもを 西王(せいおう)が そのわたりまで 尋ねにぞやる
(桃の花を浮かべたお酒を飲んでくれる風流に人たちを捜しにそちらに使いを出します そちらはまさに西王母の園で 桃の節句にふさわしい人がいらっしゃるでしょうから)

 さっそく連れ立ってやって来た。お供えのお下がりを出して、酒を飲んだりして一日を過ごした。
 二十日頃に、この従者たちが、前後二組に分かれて小弓の試合をすることになった。お互いに、練習などといって騒いでいる。後手組(ごてぐみ)の人たちが全員、ここに集まって練習をする日、侍女に賞品をねだったところ、適当な品物がすぐに思い浮かばなかったのだろうか、苦し紛れの洒落に、青い紙を柳の枝に結びつけてさし出した。

山風の まへより吹けば この春の 柳の糸は しりへにぞよる
(山風が前から吹いているので この春の柳の枝は後ろの方にばかりなびいています わたしたちは後手組を応援しています)  

 返歌は、それぞれにしてきたけれど、忘れてしまうほどのありふれた歌だったから、想像にまかせます。その一つはこんな歌だった。

かずかずに 君かたよりて 引くなれば 柳のまゆも いまぞひらくる
(いろいろと味方になってくださっているので、柳の芽が開くように 心配なく勝負に挑むことができます)

「試合は月末頃にしよう」  
 と決めていたのだが、世間では、どんな重い罪を犯したというのだろう、人々が流されるというとてつもない騒動が勃発して、小弓の試合はそのままになってしまった。
〔三〕
 二十五、六日頃に、西の宮の左大臣(源高明)さまが流される。
「ご様子を拝見しよう」  
 というので、都は大騒動で、西の宮へ人々は慌てて走って行く。
〈ほんとうに大変なことだ〉  
 と思って聞いているうちに、左大臣さまは人にも姿をお見せにならないで、逃げ出してしまわれた。
「愛宕(あたご)にいらっしゃる」
「清水(きよみず)だ」  
 などと大騒ぎして、
「ついに探し出して、流された」  
 と聞くと、
〈どうしてこれほど〉  
 と思うほどひどく悲しく、事情に疎いわたしでさえこうなんだから、事情を知っている人で、涙で袖を濡らさない人は誰一人いなかった。たくさんのお子さまたちも、辺鄙な国々にさすらうことになって、行方もわからず、散り散りにお別れになったり、あるいは出家なさるなど、すべて言葉にできないほど痛ましい。左大臣さまも僧になられたが、無理に太宰権師(だざいのごんのそち)に左遷して、九州にご追放となった。その頃は、もっぱらこの事件の話題で日々が過ぎた。
 じぶんの身の上だけを書く日記には入れなくてもいいことだが、
〈悲しい〉  
 と身にしみて感じたのは、ほかならないわたしだから、書き記しておく。
〔四〕
 閏月(うるうづき)の前の五月、五月雨(さみだれ)の降る二十日過ぎの頃、物忌(ものいみ)にもあたっていて、長い精進を始めたあの人は、山寺に籠もっていた。雨がひどく降って、物思いにふけっていると、
「妙に心細い所で」  
 などと書いてあったのだろうか、その返事に、

時しもあれ かく五月雨の 水まさり をちかた人の 日をもこそふれ
(心細く思っている時に こんなに五月雨が降り続き水かさも増してきました 遠くにいらっしゃるあなたが帰ることもできないで 何日も経ってしまうのが辛いことです)  

 と送った返事、

真清水(ましみず)の ましてほどふる ものならば おなじ沼にも おりもたちなむ
(五月雨で逢えない日が続くなら 精進なんかやめてあなたの所へ降りて行こう)  

 と言っているうちに、閏五月になった。  月末から、何の病気だろうか、どことなく、ひどく苦しいけれど、
〈どうなってもいい〉  
 とばかり思う。
〈命を惜しがっていると、あの人に見られたくない〉  
 と、ひたすら我慢しているけれど、周(まわ)りの人々は放っておけなくて、芥子焼(けしや)きのような祈祷をしてくれるが、やはり効きめがないままに、時が経っていくのに、あの人は、わたしが病気で潔斎中ということで、いつものように通って来てくれず、新しい家を造るというので、そこへ行き来するついで、立ったままで、
「気分はどうなんだ」  
 などと見舞ったりする。気が弱くなったような気がして、
〈命は惜しくないものの、あの人の心をつかみかねて(惜しからで 悲しきものは 身なりけり 人の心の ゆくへ知らねば[西本願寺本・類従本『貫之集』を引く)

 と悲しく思っている夕暮れに、あの人は例の新邸からの帰りに、蓮の実一本を使いに持ってこさせた。
「暗くなったから、伺わない。これは、あそこのだよ。見てごらん」  
 と言う。返事には、ただ、
「『生きていても死んでいるよう』と申し上げて」  
 と侍女に言わせて、物思いに沈んで横になっていると、
〈ああ、あの人が言うとても素敵な邸を、わたしの命もわからないし、あの人の心もわからないから、『早く見せたい』と言っていたのも、きっと、それっきりになってしまうだろう〉  
 と思うのも悲しい。

花に咲き 実になりかはる 世を捨てて うき葉の露と われぞ消ぬべき
(花が咲いて実がなるというのに わたしはこの世を捨てて 蓮の浮き葉の露のようにはかなく消えてしまうだろう)  

 
などと思うほど、何日経っても同じ容態なので、心細い。
〈あの人とよくなることはない〉  
 とばかり思っているわたしなので、少しも命が惜しいわけではないが、ただ、
〈この一人息子はどうなるだろう〉  
 とばかり思い続けていると、涙を抑えることができない。いくら隠そうとしてもやはりどこかおかしく、いつもの気分とは違うと思われる様子が外に現れるものだから、あの人が優れた僧などを呼んだりして祈らせてみるが、いっこうに効きめがないので、
〈このまま死んでしまうかもしれない。急に死期が来たら、思っていることも言えないそうだから、このまま死んだら、悔しくてならない。せめて命のあるうちにあの人が来てくれたら、思っていることを話すことができるのに〉  
 と思って、脇息に寄りかかって書いたことは、
「『長生きできる』といつもおっしゃり、わたしも添い遂げたいと思っていましたのに、いよいよ命の限りが来たのでしょうか、不思議と心細い気持ちばかりしますので・・・。いつも申し上げているように、長生きすることはまったく思わないので、少しも命が惜しいことはないのですが、ただ幼いこの子の将来ばかりがひどく気がかりでならないのです。冗談にしてもあなたのご機嫌が悪いのを、あの子はとても辛いと思っているようなので、特別に大切なことがない時には、不機嫌なご様子はお見せにならないでください。わたしはとても罪深い身ですから、

風だにも 思はぬかたに 寄せざらば この世のことは かの世にも見む
(風でさえ物思いのない所に吹き寄せてくれないでしょう そうなるとこの世で気がかりなこの子のことを あの世から心配し続けるでしょう)

 
わたしがいなくなった後でさへ、あの子を冷淡に扱う人がいたら、恨めしく思うことでしょう。これまで長い間、わたしたちを最後までお世話してはくださらないと思いながら、お見捨てにならなかったお心を拝見していますので、どうかこの子をよくお世話してください。『先立つ時にはこの子ことをお頼みして』などと思っていたとおり、このようになってしまったようですので、この子のことを末長くお願いします。誰にも言わない二人だけの歌を交わして、わたしが「おもしろい」
 などと申し上げたことも、忘れないでいてくださるでしょうか。今は具合が悪く、お会いして申し上げる時もありませんので、

露しげき 道とかいとど 死出の山 かつがつ濡るる 袖いかにせむ
(露が多いと聞いている死出の山道 もう今からだんだん濡れている袖を どうしたらいいのでしょう)」  

 と書いて、手紙の端に、
「わたしが亡くなった後は、
『試験なども、少しも間違えないよう学問をしっかり身につけなさい、と遺言していた』  
 と、あの子におっしゃってください」  
 と書いて、封をして、包み紙の上に、
「喪中が過ぎてから、お見せください」  
 と書いて、そばにある唐櫃(からびつ)に、にじり寄って入れた。見ている人は変に思うかもしれないが、病気が長引いたら、こういうことさえ書けなくなって、きっと後悔し胸を痛めるにちがいないからである。
〔五〕
 こうして、容態はやはり同じようなので、病気平癒のための祭やお祓いなどを、大げさではなく、少しずつ行ったりして、六月の末になって、少し気分がよくなった頃に、
「帥殿(そちどの 源高明)の北の方が、尼になられた」  
 と聞くと、とてもお気の毒なことと思う。
「西の宮のお邸は、帥殿が流されて三日経った日に、すっかり焼けてしまったので、北の方は、ごじぶんの桃園のお邸に移り、ひどく悲しみにくれていらっしゃる」  
 と聞くと、たまらなく悲しく、わたしの気分もすっきりしないので、じっと横になっていると、あれこれ思うことがむやみに多いので、書き始めると、それはとても見苦しいけれども、
「ああ、今となっては、こんなことを言っても、どうしようもないのですが、思い出してみると、春の末に、
『花が散った(高明の追放)』  
 と、騒いでいたのを、
〈お気の毒な、お気の毒な〉  
 と聞いていたうちに、深山の鶯が声を限りに鳴くように、西の宮の左大臣さまも泣きながら、どんな前世の宿縁なのか、今はこれまでと、愛宕山を目指してお入りなったと聞きましたが、世間の噂にのぼり、非道な仕打ちと、嘆きながら、隠れていらっしゃったのに、とうとう見つかってしまい、流されてしまわれたと、騒いでいるうちに、辛いこの世も四月になると、鶯の代わりに山ほととぎすが鳴くように、左大臣さまを偲んで泣く声が、どこの里でも、絶えることがなく、まして物思いがちな五月雨の頃になると、苦しいこの世に生きている限り、誰一人袂(たもと)を濡らさない人はなく、そのうえ、その五月まで閏で二度もあり、重ねた衣の袂は、身分の上下を問わず、涙で腐ってしまうほどで、まして父上を慕っていらっしゃる大勢のお子さまたちは、それぞれに、どんなに涙で濡れていらっしゃることでしょう。四方に別れる群鳥(むれどり)のように、お子さまたちはそれぞれ散り散りに古巣を離れ、わずかに幼いお子さまが残られても、なんの甲斐があるだろうと思い乱れていらっしゃることでしょう。言うまでもなく、左大臣さまは九重の宮中だけは住み慣れていらっしゃったでしょうが、同じ九という数とはいえ、今は遠い九州の地で、二つの島(壱岐と対馬)を寂しく眺めていらっしゃることでしょう。左大臣さまのご不幸を一方では夢かと言いながら、もう逢うことができないと、嘆きを重ねて、尼になられたのでしょうか。海人(あま)が舟を流して途方に暮れるように、どんなに寂しく物思いに沈んで毎日をお過ごしのことでしょう。去ってもまた帰って来る雁のように、仮の別れなら、あなたの寝床も荒れることはないでしょうが、ただ塵ばかりが虚しく積もるばかりで、流す涙で枕の行方もわからないことでしょう。今は涙も尽きてしまった六月、木陰で鳴いている蝉のように、胸が張り裂けるように嘆いていらっしゃることでしょう。まして、秋の風が吹けば、垣根の荻が、かえってあなたの嘆きに応えるように「そうよ」と葉音を立てるたびに、ますます目が冴えて眠ることができず、夢でも左大臣さまにお逢いになることもなく、長い秋に一晩中鳴いている虫のように、こらえきれないで忍び泣きを漏らされているとお察ししますが、わたしもまた、大荒木の森の下草の実と同じように、涙に濡れていることをご存じでしょうか、少しでも」  
 それから、後ろのほうに、

やど見れば 蓬の門も さしながら あるべきものと 思ひけむやぞ
(お邸を見ると 蓬が生い茂り 門も閉ざしたままですが こんなにあれるとは 思ってもみませんでした)  

 と書いて、そのままにしておいたのを、前にいる侍女が見つけて、
「ほんとうにお心のこもったお手紙ですね。これをあの北の方さまにお見せしたいものです」  
 などと言い出して、
「そうね、でもどこからとはっきり言ったら、気が利かないしみっともないわ」  
 ということで、紙屋紙(かみやがみ)に書かせて、立文(たてぶみ)にして、削り木(皮をはいだ白木)につけた。
「『どちらから』と聞かれたら、『多武(とう)の峰から』と答えなさい」  
 と教えたのは、北の方のご兄弟の入道の君のところからと使いに言わせたかったからだ。あちらの人が受け取って奥に入った間に、使いは帰って来てしまった。あちらで、どのようにご判断なさったかはわからない。  
 こうしているうちに、気分はいくらかよくなったけれど、二十日過ぎ頃、あの人は、
「御嶽(みたけ)詣でに」
 と言って急いで出発する。幼い子もお供で一緒に行くことになったので、いろいろと準備して送り出して、その日の暮れには、わたしも元の家の修理が終わったので、引っ越す。供に連れていくはずの人を残しておいてくれたので、その人たちを使って引っ越した。それからというもの、まだ気がかりな子どもまで一緒に行かせたので、
〈どうか無事でありますように〉  
 と心の中で祈り続けていたが、七月一日の夜明け前に子どもが帰って来て、
「たった今、父上はお帰りになりました」  
 などと話す。
〈この家はとても遠くなったから、しばらくは訪ねてくるのも難しいだろう〉  
 などと思っていたら、昼ごろ、あの人が不自由そうに足を引きずりながら見えたのは、どういうことだったのだろう。  
 さて、その頃、帥殿の北の方は、どうしてお知りになったのだろう、
「あの手紙はあそこから」
 とお聞きになって、六月まで住んでいた所にわたしがいると思われて、そこへ届けようとなさったのに、使いが間違えて、もう一人のお方の所へ持って行ってしまった。あちらでは受け取って、
〈どうも変だ〉  
 とも思わなかったのだろうか、
「返事などなさった」
 と人づてに聞いたが、北の方の所では、その返事がもう一人のお方からと聞いて、
「〈届け先を間違えた。つまらない歌なのに、また同じ歌を送ったら、どんな歌か人づてに聞いているだろうに、ひどくみっともない、さぞ誠意がないと思っているだろう〉
 と慌てていらっしゃる」
 と聞くとおかしいので、
〈このままにしてはおけない〉  
 と思って、前書いた時と同じ筆跡で、

山彦(やまびこ)の 答へありとは 聞きながら あとなき空を 尋ねわびぬる
(お返事があったと聞きながら 山彦のように跡形なく消えてしまって 捜しても見つからず困っています)  

 と浅縹(あさはなだ)(薄い藍色よりさらに薄い色)の紙に書いて、葉のいっぱいついている枝に、立文にして結んで送った。今度もまた、使いがこの手紙を置いて姿を消してしまったので、
〈前のようなことになっては〉  
 と慎重にしていらっしゃるのだろうか、やはり返事がないので気がかりで、
〈名前も告げないで変なことばかりするから〉  
 などと思う。しばらくして、確かに届く伝(つて)を探して、こんな歌をくださった。

吹く風に つけてもの思ふ あまのたく 塩の煙は 尋ね出でずや
(物思う尼のわたしがさし上げた手紙はまだ見つからないのでしょうか海人のたく塩の煙のように思わない方向に行ってしまって)

 と、素晴らしい筆跡で、薄鈍色(薄いねずみ色)の紙に書いて、むろの枝につけていらっしゃった。お返事には、

あるる浦に 塩の煙は 立ちけれど こなたに返す 風ぞなかりし
(荒れた浦に立った塩の煙を吹きもどす風がないように お返事をわたしのところへ届ける風はありませんでした)

 と、胡桃色(くるみい)の紙に書いて、枯れて色の変わった松につけて送った。
〔六〕
 八月になった。その頃、小一条の左大臣さまの五十の賀のお祝いということで、世間では大騒ぎしている。左衛門督(さえもんのかみ)さまが屏風を制作して献上なさるというので、わたしが断れない伝(つて)を通じて、
「屏風の歌をぜひに」  
 と求められてきた。屏風絵のそれぞれの場面が書き出してある。
〈わたしではふさわしくない〉  
 と思って、何度も辞退したのに、
「どうしても」  
 と、しつこく言ってくるので、宵のころや、月を見ている時などに、一首、二首と考えながら作った。  
 人の家で、賀宴を催している絵には、

大空を めぐる月日の いくかへり 今日ゆくすゑに あはむとすらむ
(大空を巡る月や太陽が限りなく繰り返すように これから何度も今日のようなおめでたい祝宴に巡り会うことでしょう)  

 旅をしている人が、浜辺に馬をとめて、千鳥の声を聞いている絵には、

一声(ひとこえ)に やがて千鳥と 聞きつれば 世々をつくさむ 数も知られず
(一声ですぐに千鳥の声とわかったのですから その千鳥の「千」のように 千年も万年も栄えていくことでしょう)  

 粟田山(あわたやま)から馬を引き、そのあたりに住んでいる人の家に馬を引き入れて、人々が見物している絵には、

あまた年 越ゆる山辺(やまべ)に 家居(いえい)して つなひく駒も おもなれにけり
(何年も東国から馬が越えていく山辺に住んでいるので 荒れて逆らう馬もなつくようになりました)  

 人の家の前の泉に、八月十五日の月の光が映っているのを、女たちが眺めている時に、垣根の外を通って笛を吹きながら大路を行く人がいる絵には、

雲居(くもい)より こちくの声を 聞くなへに さしくむばかり 見ゆる月影
(大空から胡竹の笛の音が近づいてくるのを聞いていると 月の光が泉に映って手に取れそうに見える)

 田舎の家の前の浜辺に松原があり、鶴が群れをなして遊んでいる。ここには「二首の歌を」とある。

波かけの 見やりに立てる 小松原 心を寄する ことぞあるらし
(群れをなして飛んでいる鶴は 波打ち際の 向こうに見渡されるあたりに立っている小松原の松に好意を寄せているようだ)

松のかげ まさごのなかと 尋ぬるは なにの飽(あ)かぬぞ たづの群鳥(むらどり)
(群れをなして飛んでいる鶴は 松の木陰や真砂の中の餌を探しているけれど 鶴と松と真砂 こんなおめでたいものが揃っているのに これ以上何を探すことがあるのだろう)  

 網代(あじろ)が描いてある絵に、

網代木(あじろぎ)に 心を寄せて ひを経(ふ)れば あまたの夜こそ 旅寝してけれ

 浜辺で漁火(いさりび)を灯し、釣船(つりぶね)などがある絵に、

漁火も あまの小舟(おぶね)も のどけかれ 生けるかひある 浦に来にけり
(漁火も漁師の小さな舟も平穏無事であってほしい 生きていた甲斐があったと感じる素晴らしい浜辺に来たのですから)  

 女車(おんなぐるま)が、紅葉見物をしたついでに、また紅葉のたくさんある家に立ち寄っている絵に、

万代(よろずよ)を のべのあたりに 住む人は めぐるめぐるや 秋を待つらむ
(美しいこの野辺のあたりに住んでいる人は いつまでも寿命を延ばして 毎年巡ってくる紅葉の秋を待っていることでしょう)  

 など、仕方なく、こんなにたくさん無理に詠まされて、これらの中で、
「漁火と群鳥の歌が採用になった」
 と聞いて、嫌な気分になった。
 こういうことをしているうちに、秋は暮れて、冬になったので、特にどうということはないが、なんとなくせわしい気がして過ごしているうちに、十一月に、雪がすごく深く積もって、どういうわけなのだろう、むやみに自分自身が嫌になり、あの人が恨めしく、悲しく思われる日があった。じっと物思いにふけって、思ったことは、

ふる雪に つもる年をば よそへつつ 消えむ期もなき 身をぞ恨むる
(降り積もる雪にじぶんの年をたとえながら 雪のように消えることもできないわが身を恨めしく思う)  

 などと思っているうちに、大晦日になり、そして春の半ばにもなってしまった。
〔七〕
 あの人は、素晴らしく立派に造った新邸に、
「明日移ろうか、今夜にしようか」  
 と騒いでいるようだが、わたしのほうは、思っていたとおり、
「今のままでいい」  
 ということになったようである。なので、
〈嫌なことがあって懲りたから〉  
 などとじぶんを慰めているうちに、三月十日頃に、宮中の賭弓(のりゆみ)があるので、人々は忙しく準備をしているようである。幼い子(道綱)は、後手組に選ばれて出場することになった。
「後手組が勝ったら、その組の舞もしなければならない」
 ということなので、この頃は、すべてを忘れて、その準備に追われる。舞の練習をするというので、毎日音楽を演奏して騒いでいる。弓の練習場に行ったあの子が、賞品をもらって退出してきた。
〈とても頼もしい〉  
 とわが子を見る。  
 十日の日になった。今日は、わたしの所で舞の予行演習のようなことをする。舞の師匠の多好茂(おおのよしもち)が、女房からたくさんの褒美をもらう。男の人たちも、そこにいる者はじぶんの衣を脱いで好茂に与える。
「殿は物忌で来られません」  
 と言って、召使いたちが残らずやって来た。今日の行事も終わりに近づいた夕暮れに、好茂が、胡蝶楽(こちょうらく)を舞って出て来たが、それに黄色の単衣(ひとえ)を脱いで与えた人がいる。胡蝶楽に使う造花の山吹と単衣の色があっているので、とてもふさわしい褒美という気がする。また十二日に、
「後手組の人たちを全員集めて舞の練習をさせる。ここには弓場がないから都合が悪いだろう」  
 ということで、あの人の邸で大騒ぎする。
「殿上人が大勢集まったから、好茂は褒美の品に埋まってしまった」
 と聞く。わたしは、
〈あの子はどうだろう、大丈夫だろうか〉  
 と不安だったが、夜が更けてから、大勢の人に送られて帰って来た。それからしばらくして、あの人は、侍女たちが変だと思うのもかまわず、わたしの所に入って来て、
「この子がとてもかわいらしく立派に舞ったことを話したくてやって来た。みんな涙を流して感動してたよ。明日と明後日は、わたしのほうは物忌、その間がとても心配だ。十五日の日は、朝早く来て、いろいろと世話をするよ」  
 などと言って、帰って行かれたので、いつもは不満なわたしの気持ちも、しみじみとこの上なく嬉しく思われた。  
 その日になって、あの人は朝早くやって来て、舞の装束のことなどを、大勢の人が集まって来て、大騒ぎして整えて、送り出す。その後もわたしはまた弓のことを心の中で祈りながら、試合の前から、
「後手組は必ず負ける。射手を選ぶのを間違えた」  
 などと言っているので、
〈せっかく練習した舞も無駄になるのかしら、どうなるのだろう、勝てるのかしら〉  
 と思っているうちに、夜になった。月がとても明るいので、格子なども下ろさないで、心の中で祈っていると、召使いたちが走って来て、まず弓の報告をする。
「何番目まで進みました」
「若君のお相手は右近衛中将(うこんえのちゅうじょう)です」
「若君が力を尽くして打ち負かしてしまわれた」  
 と言うので、あれこれ心配していただけに、
〈嬉しい、よくやった〉  
 と思う気持ちは、たとえようがない。
「負けると決まっていた後手組が、若君の矢で、引き分けになりました」
 と、また報告してくれる人もいる。引き分けになったので、まず先手組が陵王を舞う。陵王を舞うのもわが子と同じ年頃の少年で、わたしの甥である。練習の時には、ここで見たり、あちらの家で見たりなど、お互いに競争していた。だから二人とも舞を披露することになったのだろうか、次にわが子が舞って、好評を博したためか、帝から御衣(おんぞ)を賜った。宮中から舞姿のまま陵王を舞った甥も車に乗せて退出した。あの人はあったことを一部始終話して、じぶんの面目がたったこと、上達部たちがみな泣いて可愛いと言ったことなど、何度も何度も泣きながら話す。弓の師匠を呼びにやり、来ると、またここでいろいろと褒美を与えるので、わたしは辛い身の上も忘れて、その嬉しさといったら、比べるものがないほどである。その夜はもちろん、その後の二、三日まで、知人という知人はすべて、僧侶にいたるまで、
「若君のご活躍のお喜びを申し上げに」
「お祝いを申し上げに」  
 と使者を寄こしたり、言いに来たりするのを聞くと、不思議なほど嬉しくてならない。
〔八〕
 こうして四月になった。その十日から、またしても、五月十日頃まで、
「どうも妙に気分がすぐれない」  
 ということで、いつものようには来てくれないで、七、八日に一度くらいの訪れで、
「体が辛いのを我慢して来た。気になるから」  
 などと言ったり、
「夜だから人目につかないと思って来た。こう苦しくては、どうしようもない。宮中へも行っていないので、このように出歩いているのを人に見られたら具合が悪い」  
 と言って、帰ったりしたあの人は、
「病気が治った」
 と聞いたのに、いくら待っても来てくれそうな気配がない。
〈おかしい〉  
 と思い、
〈一人密かに今夜来てくれるかどうか様子を見てみよう〉  
 と思っているうちに、ついには手紙も来なくなり長い日数が経った。
〈めったにないことで、おかしい〉  
 と思うが、うわべは平気なふりを続けていたけれど、夜は外を通る車の音に、
〈もしかしてあの人では〉
 と胸をどきどきさせながら、それでも時々は寝てしまい、
〈夜が明けてしまった〉  
 と思うと、今まで以上に情けない気がする。幼い人があの人の所へ行くたびに様子を聞いてみるが、これといって特別に変わったこともないらしい。わたしのことを
「どうしている」
 とさえ、尋ねることもないそうだ。
〈あの人がそうなのだから、なおさらわたしのほうから、どうして来てくださらないの、変ね、などと言ったりすることがどうしてできよう〉  
 と思いながら、日を過ごして、ある朝、格子などを上げる時に、外を眺めると、夜に雨が降ったらしく、木々に露がかかっている。見るとすぐに思い浮かんだのは、

夜のうちは まつにも露は かかりけり 明くれば消ゆる ものをこそ思へ
(夜の間はあの人を待って 涙にくれて過ごしているが 夜が明けるといっそう虚しさに消えてしまうほどの物思いに沈む)  

 こうして日を過ごしているうちに、その月の末頃に、
「小野の宮の左大臣(藤原実頼)さまがお亡くなりになった」  
 ということで、世間は騒いでいる。長い間便りもなかったのに、
「世間がひどく騒がしいから、謹慎していて、訪ねて行くことができない。喪中になったので、これらを早く仕立てて」  
 と言ってくるなんて。すっかりあきれてしまったので、
「この頃、裁縫をする人たちが里に下がっていて」
 と言って返した。これでなおさら機嫌を損ねたらしく、伝言さえまったくない。そのまま六月になった。訪れがないのを数えてみると、夜見てから三十日あまり、昼見てから四十日あまりが経ってしまった。
「あまりに急な変わりようで変だ」
 と言うのもばかげている。思うようにいかない夫婦仲とはいえ、まだこれほどの目にあったことがなかったので、まわりの人たちも、
〈変だ、めったにないこと〉  
 と思っている。わたしは茫然として物思いに沈むばかり。人に見られるのもひどく恥ずかしい気がして、落ちる涙をこらえながら横になっていると、鶯が季節はずれに鳴くのが聞こえるので、思ったことは、

鶯も 期(ご)もなきものや 思ふらむ みなつきはてぬ 音(ね)をぞなくなる
(鶯もわたしのようにいつまでも物思いに沈んでいるのかしら 六月になっても果てることなく鳴いている)
〔九〕
 こんな状態のまま二十日あまりも経ったわたしの気持ちは、どうしてよいかわからず、妙にいたたまれないので、
〈涼しい所へ気晴らしに行って、浜辺のあたりでお祓いもしたい〉  
 と思って、唐崎へと出かける。  寅(とら)の時(午前四時前後二時間)ごろに出発したので、月がとても明るい。わたしと同じような悩みのある人、そして侍女は一人だけ連れて行くので、その三人が同じ車に乗り、馬に乗った従者たちが七、八人ほどいる。賀茂川のあたりで、ほのぼのと夜が明ける。そこを過ぎると、山道になって、京とは違う景色を見ると、この頃暗鬱な気分になっているせいか、しみじみと心打たれる。まして逢坂の関に着いて、しばらく車を止めて、牛に飼料を与えたりしていると、荷車を何台も連ねて、見たこともない木を伐り出して、ほの暗い木立の中から出て来るのを見ると、気分が打って変わったように感じられてとてもおもしろい。逢坂の関の山道に、しみじみと感動しながら、行先を見ると、湖がはてしなく見渡され、鳥が二羽、三羽浮かんでいると見えるが、よく考えてみると、釣船なのだろう。ここのところで、とうとう涙をこらえきれなくなった。救いようがなく景色など見ている余裕のないわたしでさえこんなに感動するのだから、まして一緒にいる人は景色の素晴らしさに泣いている様子。お互いにきまりが悪いほどに思われるので、目も合わすことができない。  行き先はまだ遠いが、車は大津のひどくむさ苦しい家並の中に入って行った。そこも珍しいと感じながら通り過ぎると、広々とした浜辺に出た。通り過ぎてきた方を見ると、湖畔に並んで立っている家々の前に、何艘もの舟が岸に並べて寄せてあるのが、とてもおもしろい。湖の上を漕いで行き来する舟もある。車を進めて行くうちに、巳(み)の時(午前十時前後二時間)の終わりごろになってしまった。しばらく馬を休ませるというので、清水という所に、遠くからもあれがそうだと見えるほど大きな楝(おうち)の木(栴檀 せんだんの古名)が一本立っている木陰に、車の轅を下ろして、馬を浜辺に引いて行って、冷やしたりなどして、
「ここで弁当が届くのを待ちましょう。唐崎はまだずいぶん遠いようなので」  
 と言っていると、わが子一人だけが、疲れた顔で物に寄りかかっているので、餌袋の中の物を取り出して与え、食べたりしている時に、弁当を持って来たので、あれこれ分配したりして、従者たちの数人はここから帰って、
「清水に着きました」
 と留守宅に報告するように、京に行かせたりするようである。
 さて、車に牛をつけて出発し、唐崎に到着し、車の向きを変えて、お祓いをしに行きながら見ると、風が出てきて波が高くなる。行き来する舟が何艘も、帆を引き上げながら進んで行く。浜辺に土地の男たちが集まって座っているので、
「歌をお聞かせして行け」  
 と言うと、なんとも言えない嗄れた声を張り上げて、歌いながら行く。お祓いの時間に遅れそうになりながら着いた。とても狭い崎で、下手(しもて)の方は水際に車を止めている。網を下ろすと、波が打ち寄せては引き、その後には「貝なし」と言い古された貝もあった。ここに来た甲斐があるというものだ。車の後ろに乗っている人たちは、落ちそうなほど身を乗り出して覗き込み、姿もまる見えに、世にも珍しい魚や貝を取り上げて騒いでいるようだ。浜辺にいた若い男たちも、少し離れた所に並んで座り、
「ささなみや志賀の唐崎(ささなみや志賀の唐崎や御稲〈みしね〉つく女のよささや それもかな かれもがな いとこせに まいとこせにせむや/ささなみや 志賀の唐崎や 神に供える稲をつく 女はよいよ その女もほしい あの女もほしい わたしを愛しい夫に ほんとうに愛しい夫にしてくれ[神楽歌・ささなみ])」  
 などと例の嗄れ声を張り上げて歌っているのも、とてもおもしろく聞こえた。風は激しく吹いているが、木陰がないのでとても暑い。
〈早く清水(しみず)に行きたい〉  
 と思う。  
 忘れがたい風景をしみじみと見ながら通り過ぎて、逢坂山の麓(ふもと)にさしかかると、申(さる)の時(午後五時頃)の終わりごろになっていた。ひぐらしが今を盛りとあたり一面で鳴いている。それを聞くと、こんなふうに思った。

なきかへる 声ぞきほひて 聞こゆなる 待ちやしつらむ 関のひぐらし
(盛んに鳴いている声は競っているように聞こえるけれど 泣いて帰るわたしを待っていたのだろうか 関のひぐらしは)  

 とつぶやいただけで、人には言わなかった。  
 走り井(はしりい 湧き水)には、従者たちの中で馬を早めて先に行った人たちもいて、わたしたちが到着すると、先に行った人たちは、十分に休み涼んだので、気持ちよさそうに、わたしたちの車の轅を下ろす所に寄って来たので、同じ車に乗っている人が、

うらやまし 駒の足とく 走り井の
(うらやましい 馬の足が早くて その名のとおり「走り井」で休んでいるなんて)  

 と言ったので、わたしが、

清水にかげは よどむものかな
(清水に影がとどまらないように 足の早い馬なら清水でゆっくり休むひまはないのですから うらやましくはない)  

 清水の近くに車を寄せて、道から奥のほうに幕などを引き下ろして、皆車から降りた。手足を水に浸すと、つらい思いなど消えて晴れ晴れするように思われる。石などに寄りかかって、水を流した樋(とい)の上に角盆などを置いて、食事をし、じぶんの手で水飯などを作って食べる気持ちは、ほんとうに帰るのが嫌になるほどだが、
「日が暮れます」  
 などと急き立てる。
〈こんな清々しい所では誰もが悩みなんて忘れてしまうだろう〉  
 と思うが、日が暮れるので、仕方なく出発した。  
 さらに進んで行くと、粟田山という所で、京から松明を持って迎えの人が来ていた。
「今日の昼、殿がいらっしゃいました」  
 と言うのを聞く。
〈本当におかしなこと、わたしがいないのをわかっていて来た〉  
 とまで疑いたくなる。
「それでどうした」  
 などと、供の者たちが聞いているようである。わたしはただもう飽きれるばかりで家に帰り着いた。車から降りると、気分がどうしようもなく苦しいのに、家に残っていた侍女たちが、
「殿がいらっしゃって、お尋ねになるので、ありのままにお答えしました。
『どうしてそんな気をおこしたのだ。悪い時に来たな』  
 とおっしゃいました」  
 などと聞くと、夢のような気持ちがする。  
 次の日は、疲れきって一日を過ごし、明くる日、幼い子が、あの人の邸へ出かける。
〈あの人のする不思議でならないことを問いただしてみようかしら〉  
 と思っても、気が進まないけれど、先日の浜辺のことを思い出すと、その気持を抑えておくことができなくなって、

うき世をば かばかりみつの 浜辺にて 涙になごり ありやとぞ見し
(夫婦の辛さをこれほど思い知らされ 涙を流してきたわたしですが 御津の浜辺では泣き尽くし 涙はもう残ってないと思いました)  

 と書いて、
「これをあの人がごらんにならないうちに、そっと置いて、すぐにもどってきなさい」  
 と教えたので、
「その通りにしました」
 と言って帰って来た。
〈もしかして返事があるかしら〉  
 と密かに待った。だが、何の返事もなく、月末頃になった。
〔一〇〕
 先日、することもなく、庭の草の手入れなどをさせた時に、稲の若い苗がたくさん生えていたのを取り集めさせて、家の軒下のあたりに植えさせたところ、とてもよく実ったので、水を引き入れたりさせたけれど、今では黄色くなった葉がしおれているのを見ると、とても悲しくなって、

いなづまの 光だに来(こ)ぬ 屋がくれは 軒端の苗も もの思ふらし
(稲妻の光さえ届かない家の陰では 軒端の苗も物思いに沈んでいるようだ 夫の来ないわたしと同じように)  

 と思われた。  
 貞観)殿(じょうがんでん 登子)さまは、一昨年、尚侍(ないしのかみ)になられた。
〈どうしてなのか、こんなになっているわたしのことをお尋ねくださらないのは、悪くなるはずがないご兄妹の仲が気まずくなったので、わたしまで嫌に思っていらっしゃるのだろうか、わたしたち夫婦がこんなにひどくなっているのもご存じなくて〉  
 と思って、お手紙をさし上げるついでに、

ささがにの いまはとかぎる すぢにても かくてはしばし 絶えじとぞ思ふ
(蜘蛛の糸が切れるように これで最後とあの人が離れて行っても あなたとの交際は 少しの間も絶えないようにと思っています)  

 と申し上げた。お返事は、いろいろとしみじみと身に沁みることをたくさん書かれて、

絶えきとも 聞くぞ悲しき 年月(としつき)を いかにかきこし くもならなくに
(あなたがたご夫婦の仲が絶えたと聞くのはとても悲しい 長い年月 信頼して暮らしてこられたでしょうに)  

 これを見ると、
〈知っていらっしゃったから、お尋ねにならなかったのだ〉  
 と思うと、ますます悲しくなってきて、物思いに沈んで暮らしていると、あの人から手紙がある。
「手紙を出したのに、返事もなく、そっけなくばかりしているようだから、遠慮されて。今日でも伺おうと思っているけれど」  
 などと書いてあるようだ。侍女たちが勧めるので、返事を書いているうちに、日が暮れた。
〈まだわたしの返事を持って行った使いはあちらへ着いていないだろう〉  
 と思っていたら、あの人がやって来た。侍女たちが、
「やはりなにかわけがあるのでしょう。知らないふりをして様子をごらんなさい」
 などと言うので、わたしはじっと我慢していた。
「慎むことばかり続いたので来られなかったのだが、けっして行かないなどとは思ってはいない。あなたが不機嫌ですねているのを、どうしてなのかと思っている」  
 などと、平然と、悪びれる様子もないので、不愉快でならない。  
 翌朝は、
「用事があるから今夜は来れない。すぐに明日か、明後日には来るよ」  
 などと言うので、本気にはしないで、
〈こう言えば、わたしの機嫌が直るのではないかと思っているのだろう。でも、もしかすると、これが最後になるかもしれない〉  
 と思って様子を見ていると、だんだんとまたも日数が経っていく。
〈やはりそうだったのか〉  
 と思うと、以前よりもいっそう悲しくなる。  
 じっと思い続けることといえば、
〈やはりなんとかして思い通りに死んでしまいたい〉  
 と思うよりほかになにもないが、ただこの一人の息子のことを思うと、たまらなく悲しい。
〈一人前にして、安心できる妻と結婚させたりすれば、死ぬのも気が楽だろう、と思っていたのに、このまま死んだら、どんな気持ちで暮らしていくのだろう〉
 と思うと、やはりとても死ぬことができない。
「どうしよう。尼になって、執着を断ち切れるかどうか試してみたい」  
 と話すと、まだ子どもで深い事情などわからないけれど、ひどくしゃくりあげて激しく泣いて、
「尼になられたら、わたしも僧になります。どうしてわたしだけが、世間の人々の中で暮らしていけるでしょう」
 と言って、激しく声をあげて泣くので、わたしも涙をこらえきれないけれど、あまりの深刻さに、冗談に紛らわしてしまおうと、
「僧になったら、鷹が飼えなくなるけれど、どうなさるつもりなの」
 と言うと、そっと立って走って行き、つないであった鷹をつかんで放してしまった。見ている侍女も涙をこらえきれず、ましてわたしはいたたまれない思いで一日を過ごした。心で思ったことは、

あらそへば 思ひにわぶる あまぐもに まづそる鷹ぞ 悲しかりける
(夫との不和に悩んで 尼にでもなろうと子どもに打ち明けると 子どもがまず鷹を放って 僧になる決心をするとは悲しくてならない)

 ということ。日暮れ頃、あの人から手紙が来た。
〈どうせ嘘だろう〉  
 と思ったので、
「今は気分が悪くて」  
 と言って使いを帰した。  
 七月十日過ぎにもなったので、世間の人が騒ぐにつれて、
〈お盆のお供えは、今まではあの人の政所(まんどころ)でしてくれたけれど、今年はもうしないのかしら〉  
 と思い、
〈ああ、亡くなった母上もさぞ悲しく思われることだろう。しばらく様子を見て、なんの連絡もなければ、お供え物もじぶんで用意しよう〉  
 と思い続けると、涙ばかりが流れるが、そんなふうに過ごしているうちに、いつものようにお供え物を調えて、手紙をつけて送ってきた。
「亡くなった母のことはお忘れではなかったけれど、わたしのことはお忘れのようで、まさに『惜しからで悲しきものは(惜しからで 悲しきものは 身なりけり 人の心の ゆくへ知らねば/捨てても惜しくないのに 悲しいものはわが身だと知った 人の心の行き先を知らないので[西本願寺本・類従本『貫之集』])』です」  
 と書いて、使いに持たせた。
〔一一〕
 ずっとこんな状態なので、やはりどうもおかしい。新しい女に気が移ったなどとも聞かないが、あの人が急に来なくなったことを思っていると、事情に詳しい侍女が、
「亡くなられた小野の宮の左大臣さまの召人(めしうど 愛人)たちがいます。このうちの誰かに思いを寄せていらっしゃるのでしょう。その中でも近江という女は、ふしだらなことなどがあって、色っぽい女のようですから、そんな相手に、殿はこちらに通っているのを知られないよう、前もって関係を断っておこうというのでしょう」  
 と言うと、聞いていた侍女が、
「いやいや、そうではなくても、あの人たちは気を使わなくてもいい人らしいから、そんな手のこんだことをわざわざしなくてもいいでしょう」  
 などと言う。
「もし近江という女でなければ、先帝(村上天皇)の皇女さまたちの中にいるでしょう」  
 と疑う。いずれにしても、どうしても納得がいかないが、
「入り日を見るように沈んでばかりいらっしゃってはいけません。あちこちに物詣でなどなさいませ」
 などと言うので、この頃は、ほかのことはなにも考えられないで、明けても暮れても嘆いていたが、
〈それなら、とても暑い頃だが出かけよう。皆が言うように、嘆いてばかりいてもしかたがない〉  
 と思い立ち、
「石山に十日ほど」  
 と決めた。
〈こっそりと〉  
 と思ったので、妹のような身近な人にも知らせないで、わたし一人で決めて、夜が明け始めたと思う頃に走るように家を出て、賀茂川のあたりまで来たところで、どうやって聞きつけたのだろう、後を追って来た人もいる。有明の月はとても明るいけれど、出会う人もいない。
「賀茂の河原には死人も転がっている」  
 と聞くが、怖くもない。粟田山というあたりまで来ると、とても苦しいので、ひと休みすると、なにがなんだかわからず、ただ涙ばかりがこぼれる。
〈人が来るかもしれない〉  
 と、さりげなく涙を隠して、ただもう先を急ぐ。  
 山科で夜がすっかり明けると、姿がとてもはっきりと見えるような気がするので、どうしたらいいのかわからないように思われる。供人は皆、後にしたり先に行かせたりして、目立たないように歩いて行くと、出会う人やわたしたちを見る人が不思議に思って、囁き合っているのが、つらくてやりきれない。  
 やっとのことで通り過ぎて、走り井で、弁当を食べようというので、幕を引きめぐらして、あれこれしていると、大声で先払いする一行がやって来る。
〈どうしよう、誰だろう、供同士が知り合いだったら困る、ああ、大変なことになった〉  
 と思っていると、馬に乗った者を大勢連れて、車を二、三台連ねて、騒がしくやって来る。
「若狭守(わかさのかみ)の車でした」  
 と供人が言う。立ち止まりもしないで通り過ぎたので、ほっとして思う。
〈ああ、受領でも、身分に応じて満足して行く。京では明け暮れぺこぺこしているくせに、京を出るとこんなに威張って行くようだ〉  
 と思うと、胸が張り裂ける思いがする。下人たちで、車の前についている者も、そうでない者も、わたしの幕近くに寄って来ては、水浴びをして騒ぐ。その振る舞いの無礼なことといったら、例えようがない。わたしの供人が、遠慮がちに、
「おいおい、そこから離れて」
 などと言ったようだが、
「いつも行き来する人の立ち寄る所とはご存じないのですか。そんなふうに非難なさるとは」  
 などと言っているのを見ている気持ちは、どう言えばいいのだろう。  
 若狭守の一行を先に行かせて、それからわたしたちが立って行き、逢坂の関を越えて、打出(うちいで)の浜に死にそうなほど疲れてたどり着くと、先に行った人が、舟に菰(こも)で葺いた屋根をつけて待っていた。なにがなんだかわからないまま、その舟に這うようにして乗ると、はるばると漕ぎ出して行く。その時の気持ちといったら、わびしくもあり苦しくもあり、無性に悲しくてならないのは、ほかに比べようがない。  
 申の時(午後五時頃)の終わりごろに、石山寺の中に着いた。斎屋(ゆや 斎戒沐浴のためにこもる建物)に敷物など敷いてあったので、そこに行って横になった。気分がどうしようもなく苦しいので、横になって身をよじりながら泣いてしまう。夜になって、湯などにつかって身を清め、御堂に上る。わたしの身の上を仏さまに申し上げる時も、涙にむせるばかりで、なにも言えない。夜がすっかり更けてから、外の方を眺めると、御堂は高い所にあって、下は谷のようである。片側の崖には木々が生い茂って、とても暗く、二十日の月が、夜が更けてとても明るくなったけれど、木々に遮られて月の光は行き渡らず、光が漏れている木々のあちこちの隙間からわたしたちが登って来た道が遠くまで見える。見下ろすと、麓にある泉は鏡のように見える。高欄に寄りかかって、しばらくじっと見ていると、片側の崖の草の中で、そよそよと音がして白っぽいものが、奇妙な声をたてるので、
「あれはなんですか」  
 と尋ねると、
「鹿が鳴いているのです」  
 と言う。
〈どうして普通の声で鳴かないのだろう〉
 と思っていると、ずっと離れた谷の方から、とても若々しい声で、遠くへ声を長く引いて鳴くのが聞こえる。それを聞く気持ちは、「虚しい」というようなものではない。せつないほど身にしみる。一心に勤行をしているうちに、 気持ちがぼんやりして、なにもしないでいると、はるかに見渡される山の向こうのあたりで、山田を守る番人の獣などを追い払う声がして、みっともなく無風流に怒鳴っているのが聞こえる。
〈こんなふうに、いろいろと胸をしめつけられることがなんと多いことか〉
 と思うと、最後には茫然として座っているだけだった。そして、後夜(ごや)の勤行が終わったので、御堂から下りた。ひどく疲れているので、ずっと斎屋(ゆや)で過ごす。
 夜が明けるままに外を見ると、寺の東の方では風がとてものどかで、霧が一面に立ち込め、川の向こうはまるで絵に描いたように見える。川のほとりには放し飼いの馬の群れが餌を探しまわっているのも、遥かに見える。とてもしみじみとした風景である。かけがえなく大切に思う子どもも、人目を気にして、京に残してきたので、
〈家を出て来たこの機会に、死ぬ計画を立ててみたい〉  
 と思うと、まず子どものことが気にかかって、恋しくて悲しい。涙が枯れてしまうほど泣き尽くしてしまった。供の男たちの中には、
「ここからすぐ近いそうだ。さあ、佐久奈谷(さくなだに)に見物に行こう」
「谷の口から冥土に引きずり込まれてしまう、と聞くが、危ないな」  
 などと話しているのを聞くと、
〈じぶんから飛び込むのではなく、思わず引きずり込まれてしまいたい〉  
 と思う。  
 このように悩んでばかりいるので、食事も進まない。
「寺の裏にある池に、しぶきというものが生えています」  
 と言うので、
「取って持って来て」  
 と言うと、持って来た。器に盛り合わせて、柚子(ゆず)を切って上にのせてあるのは、とても風趣があると思った。  
 そして夜になった。御堂でいろいろなことをお祈りして、泣き明かして、夜明け前にうとうと眠ったところ、この寺の別当と思われる僧が、銚子に水を入れて持って来て、わたしの右膝に注ぐ、という夢を見た。はっと目が覚めて、
〈仏が見せてくださったのだろう〉  
 と思うと、なおさら心を動かされて悲しくてならない。
「夜が明けた」  
 という声がするので、すぐに御堂から下りた。まだとても暗いけれど、湖が一面に白く見渡され、少人数の旅とはいえ、供人が二十人ばかりいるのに、わたしちが乗ろうとする舟が沓(くつ)の片方くらいに小さく見下されたのは、とても心細く不安だ。 仏に灯明(とうみょう)を奉る時に世話をしてくれた僧が見送りに出て岸に立っているのに、わたしたちの乗った舟がどんどん離れていくので、その僧はひどく心細そうに立っているが、それを見ると、
〈あの人は長く住み慣れた寺にとどまるのを悲しく思っているだろう〉  
 と思う。供の男たちが、
「また来年の七月に伺います」  
 と叫ぶと、
「わかりました」  
 と答え、遠くなるにつれて僧の姿が影のように見えたのもとても悲しい。  
 空を見ると、月はとても細く、月影は湖面に映っている。風がさっと吹いて水面が波立ち、さらさらとざわめく。若い男たちが、
「声細やかにて、面痩(おもや)せにたる(当時の俗謡か・不明)
 という歌を歌い出したのを聞いても、ぽろぽろと涙がこぼれる。いかが崎、山吹の崎などという所をあちこち見ながら、葦の中を漕いで行く。まだ物がはっきり見えない頃、遠くから櫂(かい)の音がして、心細い声で歌って来る舟がある。すれ違う時に、
「どこへ行くのです」  
 と尋ねると、
「石山に、人をお迎えに」  
 と答えているようだ。この声もとてもしんみりと聞こえるが、迎えに来るように言っておいたのに、なかなか来ないので、石山にあった舟でわたしたちは出てきてしまったのだが、そうとは知らないで迎えに行くところだったらしい。舟を止めて、供の男たちの数人が迎えに来た舟に乗り移り、気ままに歌って行く。瀬田の橋の下にさしかかった頃、ほのぼのと夜が明けてくる。千鳥が空高く舞い上がって飛び交っている。しみじみと心に染みて悲しいことといったら、数えきれないほど多い。さて、行く時に船に乗った浜辺に着くと、迎えの車を引いて来ていた。京には巳の時ごろ(午前十時前後)に到着した。  
 侍女たちが集まって来て、
「どこか知らない遠い所へ行かれたのではないかと、大騒ぎでした」  
 などと言うので、
「なんとでも言えばいいわ。でも今はやはりそんなことできる身ではないのよ」
 などと答えた。
〔一二〕
 宮中では相撲のある頃である。子どもが見物に行きたそうにしているので、装束をつけさせて行かせる。
「まず殿(父上)の所へと行くと、殿は車の後ろに乗せてくれたけれど、夕方には、こちらへお帰りになるはずの人にわたしを送るように頼んで、あちらの邸へ行かれた」
 と聞くと、呆れるばかり。次の日も、あの人は昨日のように、子どもが参内しても、後は世話もしないで、夜になる頃、
「蔵人所(くろうどどころ)の雑色(ぞうしき 雑役係)のだれそれ、この子を送って行け」
 と言って、一足先に帰ってしまったので、子どもは一人で帰って来て、どのように心の中で思っているのだろう、
〈わたしたちの仲が険悪でなく普通なら、一緒に帰って来られたのに〉  
 と、幼心で思っていることだろう。がっかりした様子で入って来るのを見ると、あの人のしたことをどうしようもなくひどいと思うけれど、どうなるものでもない。わが身を切り裂かれる気がする。  
 こうして八月になった。二日の夜になる頃、あの人が突然見えた。
〈変だ〉  
 と思っていると、
「明日は物忌だから、門をしっかり閉めさせなさい」  
 などと言い散らす。すっかり呆れて、胸が煮え返るようなのに、あの人は侍女たちのところに寄って行ったり、引き寄せたりして、
「我慢しろ、我慢しろ」  
 と口を耳に押しあてながら、わたしの口真似をして困らせているので、わたしは茫然と呆(ほう)けたようになって、前に座っていたので、すっかり気がふさいだあわれな姿に見えたことだろう。次の日もあの人が一日中言うことは、
「わたしの気持ちは変わらないのに、あなたが悪くとって」  
 とばかり。ほんとうにどうしようもない。  
 五日は司召(つかさめし)で、あの人は大将に昇進するなど、いっそう栄達して、とてもめでたいことである。それから後はいくらか頻繁に姿を見せる。
「今度の大嘗会に、院に叙爵(五位になること)をお願いするつもりだ。あの子に元服させておこう。十九日に」  
 と決めて、執り行う。すべてしきたり通りである。加冠の役には、源氏の大納言(源兼明)さまがいらっしゃった。儀式が終わって、あの人は方角が塞がっていたけれど、夜が更けたというので、ここに泊まった。だがわたしは、
〈今度が最後になるかもしれない〉  
 と思ってしまう。  
 九月、十月も同じような状態で過ごしたようだ。世間では、
「大嘗会(だいじょうえ)の御禊(ごけい)」  
 と言って騒いでいる。わたしも妹も、見物の席があるというので、行って見ると、あの人は帝(円融帝)の鳳輦(ほうれん 帝の御輿〈みこし〉)のすぐ近くにいて、夫としては薄情だとは思うが、その立派な態度に目がくらむほどに感じていると、まわりの人々が、
「ああ、やはり人より優れていらっしゃる。ああ、もっと見ていたい」  
 などと言っているようである。それを聞くと、いっそう悲しくてならない。  
 十一月になって、大嘗会ということで、あの人も忙しいはずなのに、その最中としてはいくらか頻繁に訪れてくるような気がする。叙爵のことで、あの人もわたしと同じように、
〈幼くて不似合いだ〉  
 と思っている拝舞の作法も、
「よく練習するように」  
 と言って、いろいろ世話をしてくれるので、ひどく慌ただしい気分である。大嘗会が終わった日、夜が更けないうちにやって来て、
「行幸に最後までお供しないのはいけないことだが、夜が更けてしまいそうだったから、胸が苦しいと仮病を使って退出して来た。人は何と言っているだろう。明日はこの子の着物を緋色の袍(ほう)に着替えさせて出かけよう」
 などと言うので、少しばかり幸せだった昔に返ったようにような気がする。翌朝、
「供をさせる従者たちが来ないようだから、邸に戻って準備しよう。装束をつけて来なさい」
 と言って出て行かれた。子どもを連れて叙爵のお礼まわりなどするので、とてもしみじみと嬉しい気がする。それがすむと、例によって、
「慎むことがあるから」  
 といった状態である。二十二日も、子どもが、
「あちらへ行きます」  
 と言うのを聞くと、
〈ついででもあるから、もしかして来るのでは〉  
 と思っているうちに、夜がたいそう更けてゆく。心配していた子どもがたった一人で帰って来た。胸がつぶれるほど呆れてしまう。
「父上はたった今あちらにお帰りになりました」  
 などと話すので、
〈夜が更けているのに、あの人が昔と変わらない気持ちだったら、子どもだけ一人で帰すような薄情なことはしなかっただろうに〉  
 と思うと、悲しくてならない。それから後も連絡はない。  
 十二月のはじめになった。七日頃の昼、あの人はちょっと顔を見せた。今は顔も合わせたくなかったら、几帳を引き寄せて、不機嫌にしているのを、あの人は見て、
「さあ、日が暮れた。宮中からお呼びがあったから」  
 と言って出て行ったまま、訪れることもなく十七、八日になってしまった。  
 今日は、昼ごろから雨がたいそうひどく音を立てて、わびしく長々と降っている。こんな雨ではなおさら、
〈もしかしたら来るのでは〉  
 という期待も失せてしまった。
〈昔のことを思うと、必ずしもわたしへの愛情というのではなく、持って生まれたあの人の性質だろうが、雨風も苦にしないでいつも訪ねてくれたのに、今思うと、その昔だって心の安まる時がなかったのだから、いつも来てほしいというわたしの望みは身分不相応だったのだ。ああ、
《雨風なんか苦にしないで来てくれる》
 と思っていたが、今はもうそんなことも期待できない〉  
 と物思いに沈んで過ごす。  
 雨は相変わらずで、灯りをともす頃になった。南面(みなみおもて)の妹の所に、この頃通って来る人がいる。足音がするので、
「いつもの方らしい。まあ、この雨の中をよく来たわ」  
 と、煮え返る心はさておいて、つぶやくと、長年わたしたちをよく見て知っている人が、前にいて、
「そういえば、殿はこれ以上の雨風でも、昔は、苦にもなさらないご様子でしたのに」  
 と言うと、あふれる涙が熱く頬にかかるので、心に浮かぶままに、

思ひせく 胸のほむらは つれなくて 涙をわかす ものにざりける
(訪れない夫への苛立ちをこらえている胸の炎は 表面には見えないけれど激しく燃えて こんなにも熱く涙を沸き立たせている)  

 と何度もつぶやいているうちに、寝所でもない所で、夜を明かしてしまった。
 その月は、三度ばかり訪れた程度で、年を越してしまった。年末年始の行事はいつもの通りなので、記さない。
〔一三〕
 さて、何年もの間、思えば不思議だが、元日にあの人が来ないということはなかった。
「今日来てくれるかしら」  
 と期待する。未(ひつじ)の時ごろ(午後二時前後)に、先払いの声がする。
「ほら、ほら」  
 などと侍女たちも騒いでいるうちに、さっと通り過ぎてしまった。
〈急いでいたのだろう〉  
 と気を取り直すが、夜も来なかった。翌朝、ここに縫い物を取りに使いを寄こしたついでに、
「昨日通り過ぎたのは、日が暮れてしまったので」  
 などと書いてある。返事をする気にはとてもなれないが、
「やはり、年の初めから、腹を立てないでください」  
 などと侍女たちが言うので、少し皮肉をこめて返事を書いた。こんなふうに心穏やかでなく思ったり言ったりするのは、あの疑っていた近江という女に、
「手紙を通わせ、結婚したらしい」
 と世間でも噂している、その不愉快さからだ。こんなふうにして、二、三日を過ごした。四日、また申の時(午後四時前後)に、元日のときよりいっそう声高らかに先払いして来るので、侍女たちが、
「いらっしゃいます、いらっしゃいます」  
 と言い続けるので、
〈先日のようになったら困る、侍女たちにも気の毒だ〉  
 と思いながらも、やはり胸がどきどきするが、行列が近づいたので、召使いたちが中門を開いてひざまずいているのに、やはり通り過ぎてしまった。今日は、先日にもましてどんなに辛い思いをしたか察してほしい。  
 翌日は右大臣(兼家の兄、藤原伊尹〈ふじわらのこれただ〉)の大饗ということで騒いでいる。すぐ近くなので、
〈今夜はいくらなんでも来るだろう、様子を見てみよう〉  
 と密かに思う。車の音がするたびに胸がどきどきする。夜もかなり更けた頃、皆が帰って行く音も聞こえる。門のそばを車が次々と先払いしながら行くのを、
〈通り過ぎてしまった〉  
 と聞くたびに、平静ではいられない。これが最後の車と聞き終わると、わたしは茫然として何もわからなくなってしまった。次の日の朝早く、さすがにそのままにはしておけないで手紙を寄こす。返事はしない。  
 また二日ばかりして、
「思いやりがなかったのは確かだが、ひどく忙しい時でね。夜に行こうと思うが、どうだろう。あなたが怖いけれど」  
 などと便りがある。
「気分が悪い時なので、お返事はできません」  
 と言って、すっかり諦めていたのに、平気な顔でやって来た。
〈呆れたこと〉  
 と思っているのに、何のこだわりもなくふざけるので、ひどく憎らしくなって、ここ何か月も我慢してきた不満や不平を言ったが、何を言っても一言の返事もしないで、寝たふりをしている。ずっと聞いていながら、ふと目を覚ましたふりをして、
「どうしたの、もうお休みなの」  
 と言って笑い、みっともないほどからみつくので、わたしは木石(ぼくせき)のように心も体も閉ざして夜を明かしたので、翌朝、あの人は何も言わないで帰った。  
 それから後、無理にさりげなく装って、
「例によって機嫌が悪いのも、もっともだ。この着物を、こうして、ああして」
 などと言ってくるのも、ひどく憎らしくて、断って返したりして、連絡もなくなり、二十日あまり経った。
「あらたまれども(百千鳥 さへづる春は 物ごとに あらたまれども 我ぞふりゆく/いろいろな鳥が 囀る春は いろいろな物が新しくなるが わたしだけが歳をとって古くなってゆく[古今集春上・読人しらず])
 と詠われている春の日ざしや鶯の声を聞くと、鬱屈したわたしと比べてしまい、涙が浮かばない時がない。
〔一四〕
 二月も十日過ぎになった。あの人は、
「噂の女の所に三夜通った(結婚の契りを交わした)」  
 と、さまざまに人は言う。することもなく過ごしているうちに、彼岸に入ったので、
〈何もしないでいるよりは精進しよう〉  
 と思い、上筵(うわむしろ 帳台の敷物で綿入り)を普通の筵(ござ)のきれいなものに敷き替えさせて、侍女が塵を払ったりするのを見て、
〈こんなに塵が積もるとは思いもしなかった〉  
 などと思うと、たまらなくなって、

うち払ふ 塵のみ積もる さむしろも 嘆く数には しかじとぞ思ふ
(うち払う 塵ばかりが積もっている 筵 でもその塵だって わたしが嘆く数には及ばないと思う)

〈これからすぐに長精進(ながしょうじん)して、山寺に籠もり、できるなら、やはりなんとかしてあの人が関係を断ちやすい、尼になろう〉  
 と決心したが、侍女たちが、
「精進は秋頃からするのが、とてもいいと言います」  
 と言うし、放っておけない妹の出産のこともあるので、
〈出産が終わってから〉  
 と思って、月が替わるのを待つ。
 それにしても、この世のことはなにもかもつまらないと思うのだが、去年の春、呉竹を植えようと思って頼んでいたのを、この頃になって、
「さし上げます」  
 と言うので、
「いやもう、幸せには生きられそうもないこの世の中で、思慮がないようなことはしておきたくないのです」  
 と言うと、
「とても心の狭いお考えです。行基菩薩(ぎょうぎぼさつ)は、将来の人のためにこそ、実のなる庭木をお植えになったのです」  
 などと言って、呉竹を届けてきたので、
〈ああ、ここがあの女の住んでいた所だ、と後々見る人がいたら見てほしい〉
 と思って、涙ながらに植えさせる。二日ばかり経って、雨がひどく降り、東風(こち)が激しく吹いて、呉竹が一、二本倒れかかっているので、
〈なんとかして直させよう、晴れ間があればいいのに〉  
 と思いながら、

なびくかな 思はぬかたに 呉竹の うき世のすゑは かくこそありけれ
(呉竹は思いもしない方向になびいている わたしも人生の最後はこんなふうに思いもしないことになっている)  

 今日は二十四日、雨はとてものどかで、しみじみと身に沁みる。夕方になって、とても珍しくあの人から便りがある。
「あなたがあんまり怖いので気後れして、何日も経ってしまった」  
 などと書いてある。返事はしない。  
 二十五日、依然として雨は止まないで、することもなく、
「思はぬ山に(時しもあれ 花のさかりに つらければ 思はぬ山に  入りやしなまし/ほかの時もあるのに 花の盛りの今 あなたが冷たい ので 物思いのない山に入ってしまいたい[後撰集春中・藤原朝忠])
 というよう思いでいると、尽きることなく涙が流れる。

降る雨の あしとも落つる 涙かな こまかにものを  思ひくだけば
(降る雨のように涙がとどめなくこぼれ落ちる さまざまに思い乱れていると)

  今はもう三月の末になってしまった。ひどく退屈なので、
〈忌違え(いみたがえ 方違え)をかねて、しばらくどこかへ〉  
 と思って、地方官歴任の父の所へ行く。気になっていた妹のお産も無事にすんだので、長精進を始めようと決心して、いろいろな物を取り片付けていると、あの人から、
「お咎めはまだ重いのでしょうか。お許しくだされば夕方に。どうでしょう」  
 と言ってくる。侍女たちがこれを知って、
「こんなふうにいつまでも疎遠にしていらっしゃるのは、とてもよくないことです。やはり今度だけでもお返事を。このままにしてはおけないでしょう」  
 と騒ぐので、ただ、
「何か月も逢わないのに、本当かしら」  
 とだけ書いて送った。
〈来るはずがない〉  
 と思ったので、急いで父の所へ行った。あの人は気にしないで、そこに夜が更けてからやって来た。いつものように胸の煮え返ることも多かったが、家の中が狭く人も大勢いて騒がしい所なので、息を殺して、胸に手を置くような格好で夜を明かした。翌朝は、
「いろいろとしなければならないことがあるから」  
 と言って急いで帰って行った。あの人のことは気にしないでほっとけばいいのに、つい、
〈また今日来るかしら、今日来るかしら〉  
 と思ってしまうが、何の連絡もなく四月になった。  
 父の家はあの人の家から近くなので、
「ご門に車が止めてあります。こちらにお越しになるのでしょうか」
 などと、わたしの気持ちを乱すようなことを言う人までいるのは、とても辛い。以前よりもいっそう心を切り裂かれるような気がする。あの人への返事を、
「やはりしなさい、しなさい」
 と勧めた侍女までも、不愉快で憎らしくなる。
 四月一日の日、子どもを呼んで、
「長い精進を初めます。『一緒にしなさい』とのことです」
 と言って始めた。わたしは、初めから大げさにはしないで、ただ土器(かわらけ)に香を盛って脇息の上に置き、そのまま寄りかかって、仏に祈りを捧げた。その内容は、
〈ただ、この上なく不幸せな身の上です。今までの長い年月でさえ、少しも気の休まる時がなく辛いとばかり思っていましたが、まして今はこのように呆れるほどの状態になってしまいました。早く仏道を成就させてくださり、極楽往生をかなえてください〉  
 ということで、勤行をしているうちに、涙がぽろぽろとこぼれる。
「ああ、この頃は、女も数珠を手にし、経を持たない者はいない」
 と聞いた時、
〈まあ、みっともない、そんな女に限って未亡人になるというのに〉
 などと非難した気持ちはどこへ行ってしまったのだろう。夜が明け日が暮れるのもじれったく、暇がないくらい、かといってはっきりした目安もないけれど、勤行に精を出しながら、
〈ああ、あんなふうに言ったのを聞いた人は、きっとおかしく思って今のわたしを見ているだろう。はかない夫婦仲だったのに、どうしてあんなことを言ったのかしら〉  
 と思い思いお勤めをしていると、片時も涙が浮かばない時がない。
〈人に見られたら、みっともない〉  
 と恥ずかしいので、涙をこらえながら日々を過ごす。  
 二十日ほどお勤めをした時に、わたしの髪を切り落として、額髪を分けている夢を見た。悪い夢なのか良い夢なのかわからない。七、八日ほど経って、わたしの腹の中にいる蛇が動きまわって内臓を食べる、これを治すには、顔に水を注げばいい、という夢を見る。これも悪い夢なのか良い夢なのかわからないけれど、このように書きとめておくのは、
〈このようにわたしの行末を見たり聞いたりする人が、夢や仏を信じられるか、それとも信じられないか、判断してほしい〉  
 と思うからである。  
 五月になった。わたしの家に残っている侍女から、
「ご不在でも、菖蒲を葺かないと縁起が悪いでしょうか、どうしたらいいのでしょう(※五月五日の端午の節句には菖蒲を軒に葺く)
 と言ってきた。いや、いまさらどうして縁起の悪いことがあるだろう。

世の中に あるわが身かは わびぬれば さらにあやめも 知られざりけり
(この世に生きているわたしなのだろうか 思い悩んでいて 物の道理もわからないから 菖蒲を葺くしきたりなんかどうでもいいの)  

 と言ってやりたかったけれど、こんなわたしの気持を誰にもわかってもらえるはずがないので、心に思うだけで日を過ごした。
〔一五〕
 こうして物忌が終わったので、じぶんの家にもどって、前にもまして退屈な日々を過ごす。長雨の季節になったので、庭の草花が生い茂っているのを、お勤めの合間に、掘って株分けなどさせたりする。  
 あの呆れた人が、わたしの家の前を、いつものようにきらびやかに先払いしながら、通った日があった。お勤めをしている時に、
「いらっしゃいます、いらっしゃいます」  
 と騒ぐので、
〈いつものように通り過ぎるだろう〉  
 と思いながらも、
〈もしかして〉  
 と胸をどきどきさせていたのに、通り過ぎたので、侍女たちはみな、互いに顔を見合わせていた。わたしはまして、二時(ふたとき)、三時(みとき)まで、なにも言えない。侍女たちの中には、
「まあ、なんということでしょう。どういうお心なのでしょうか」  
 と言って、泣く者もいる。わたしはやっと気を静めて、
「悔しくてならない、長精進して山寺に籠もりたいと思っていたのに、あなたたちが『秋頃』なんて言うから、今までこんな所にいて、またこんな目にあってしまった」  
 とだけは言ったが、胸が焼き焦がれるような辛さは、とても言葉では言い尽くせない。
 六月一日の日、
「殿は物忌ですが、門の下からそっと」  
 と言って、手紙を持って来た。
〈どうしたのかしら、珍しいこと〉  
 と思って見ると、
「あなたの物忌はもう終わっているはずなのに、いつまでそこにいるつもりなの。その住まいは、ひどく不便なようだから、なかなか行けない。わたしのほうの物詣(ものもうで)は、穢(けが)れにあって、とりやめになった」  
 などと書いてある。
〈わたしがここに帰って来てると、今まで聞かないはずはないのに〉  
 と思うと、いっそう不愉快になるけれど、我慢して、返事を書く。
「とても珍しいお手紙なので、誰からの手紙なのかわからなかったほどで。ここへ帰って来てからずいぶん経ちますが、本当にどうしてわたしが帰ってるとお気づきにならないのでしょうか。それにしても、ここが以前お通いになった家とも気づかないで素通りなさったことが、何度もありました。これもすべて、今までこの世に留まっているわたしのせいですから、もうなにも申し上げません」  
 と返事をした。  
 さて、考えてみると、
〈こういうことを思い出すだけでも不愉快だし、この前のように後で悔やむようなことがあったら嫌だ、やはりしばらく遠くへ行こう〉  
 と決心して、
〈西山にいつもお参りする寺がある。そこへ行こう。あの人の物忌が終わらないうちに〉  
 と思って、四日に出発する。
〈物忌も今日で終わるだろう〉  
 と思う日なので、気ぜわしく思いながら、物を整理したりしていると、上筵(うわむしろ)の下に、あの人が朝に飲む薬が、畳紙(たとうがみ)の中に挟んであったが、父の家に行ってここへ帰って来るまでそのままになっていた。その薬を侍女たちが見つけて、
「これは何でしょう」  
 と言うのを受け取って、そのまま畳紙に挟み、こんな歌を書いた。

さむしろの したまつことも 絶えぬれば おかむかただに なきぞ悲しき
(もうあなたを待つこともなくなったので わたしはもちろん この薬の置き所もないのが悲しくてならない)  

 と書いて、手紙には、
「『身をし変へねば(いづくへも 身をし変へねば 雲かかる 山ぶみしても とはれざりけり/どこへ行っても わたしはわたしだから 雲がかかる 山に籠もっても 訪ねてもらえない[仲文集])
 の歌のように、生まれ変わらなければどこへ行っても同じですが、せめてあなたが素通りなさらない所があるのではないかと思って、今日出発します。これも変な問わず語りになってしまいました」  
 と書いて、子どもが、
「ずっとお籠もりになるでしょう。それを知らせに」
 と言うので、子どもにことづけた。
「もしなにか聞かれたら。『これを書き残して、母はすぐに出かけました。わたしも後を追って行くことになっています』と言いなさい」  
 と言って、手紙を持たせた。  
 手紙を見て、あまりにも急なことと思ったのだろう、返事には、
「なにもかももっともだが、ともかく出かけるのはどこの寺だ。この頃は暑くてお勤めをするにも都合が悪いから、今度だけは言うことを聞いて、やめなさい。相談することもあるから、すぐ行く」  
 とあって、

「あさましや のどかに頼む とこのうらを うち返しける 波の心よ
(あきれたことだ 心のどかに信頼していた わたしの心を裏切るとは)  

 本当にひどい」  
 と書き添えてあるのを見ると、ますます気が急(せ)いて出発した。
〔一六〕
 山道は特に風情もないけれど、しみじみと、
〈昔はあの人と一緒に、時々ここに来たことがあり、それに、わたしが病気になった時、三、四日この山寺に来ていたのも今頃の季節で、あの人は出仕もしないで、ここに籠って一緒に過ごしたこともあった〉  
 などと思うと、都から遠い道のりを涙をこぼしながら行く。供人が三人ほど付き添って行く。  
 寺に着くと、まず僧坊に落ち着いて、外を見ると、庭先に籬垣(ませがき)が結いめぐらしてあり、また、名前も知らない草花が茂っている中に、牡丹がなんの風情もなく、すっかり花が散って立っているのを見ると、
「花も一時(秋の野に なまめき立てる 女郎花 あなかしがまし 花も一時/秋の野に 艶っぽく立っている女郎花 ああ 煩わしい 美しく咲くのもほんの一時なのに[古今集雑躰・僧正遍照])」  
 という歌を、何度も思い浮かべては、ひどく悲しくなる。
〈湯などにつかって身を清めてから本堂に〉  
 と思っているときに、家から慌ただしそうに使いが走って来た。留守番の侍女の手紙だ。見ると、
「ただ今、殿のお邸からお手紙を持って誰それ(不定称)が参りました。
『これこれのことで山寺へ行かれるようだ。とにかくお前が行って止めなさい、と殿がおっしゃり、殿もすぐにお越しになります』  
 と言いましたので、ありのままに、
『もうとっくにお出かけになりました。侍女たちも後を追って行きました』  
 と答えますと、
『どういうつもりで山寺などに行かれるのだろう、と心配していらっしゃったのに、どうしてそんなことを殿に申し上げられましょう』  
 と言いますから、これまでのご様子、ご精進なさっていたことを話しますと、泣いて、
『とにかく、早速殿にご報告しましょう』  
 と言って急いで帰って行きました。こういうことですから、きっとそちらにお手紙があるでしょう。そのつもりでいてください」  
 などと書いてあるのを見て、
〈いやだわ、深い考えもなく、大げさに話したのではないかしら。まったくやりきれない。生理になったら、明日か明後日には寺を出るつもりなのに〉  
 と思いながら、湯の用意を急がせて、身を清めてから御堂に上った。  
 暑いので、しばらく戸を開けてあたりを見渡すと、御堂はとても高い所に立っている。山が取り囲んで懐のようになっていて、木立がこんもり茂って趣があるけれど、闇夜の頃なので、今は暗くて見えない。初夜の勤行をするというので、僧たちが忙しく動き回っているので、わたしも戸を開けて念誦しているうちに、時刻は、山寺のしきたりの法螺貝を四つ吹く亥(い)の刻(午後十時前後)になってしまった。  
 大門のほうで、
「いらっしゃいます、いらっしゃいます」
 と言いながら、召使いたちが騒ぐ声がするので、巻き上げていた簾を下ろして見ると、木の間から松明の火が二つ三つ見える。子どもが取り次ぎ役として出て行くと、あの人は物忌中なので車に乗ったままで、
「迎えに来たのだが、今日までこの穢れがあるので、車から降りることができないが、どこへ車を寄せたらいい」  
 と言うので、気が変になりそうな感じがする。返事に、
「どういうお考えで、このように非常識にお越しになったのでしょう。今夜だけのつもりで、上って来ましたのに。穢れのこともあるというのに、分別のないことをなさいます。夜が更けました。早くお帰りください」  
 と言ったのをはじめとして、子どもは取り次ぎに何度も往復する。  
 一町(約百十メートル)の間を、石段を上ったり下りたりするので、子どもは疲れきって、ひどく苦しがるほどになった。侍女たちは、
「まあ、かわいそうに」  
 などと、気弱なことばかり言う。子どもは、
「父上は、『だいたい、お前がつまらない。これくらいのことを説得できないとは』などとおっしゃって、ご機嫌が悪いのです」  
 と言って、しきりに泣く。だが、
「どうしても帰るわけにはいきません」  
 と言い切ったので、あの人が、
「もういい、このように穢れの時だから、いつまでもいるわけにはいかない。しかたない。車に牛をかけろ」  
 と言っていると聞いて、ほっと安心した。子どもは、
「お送りします。わたしも車の後ろに乗って帰ります。二度とここには来ません」
 と言って、泣きながら出て行くので、
〈この子を頼りにしているのに、ずいぶんひどいことを言う〉  
 と思ったが、なにも言わないでいると、人々は皆帰ってしまったらしく、子どもはもどってきて、
「お送りしようとしたのですが、『おまえは呼んだ時に来ればいい』と言って、お帰りになりました」  
 と言って、しくしく泣く。かわいそうだと思うが、
「そんなばかな。あなたまでお見捨てになるわけはないでしょう」  
 などと言って慰める。時は八つ(丑の刻・午前二時前後)になってしまった。京への道のりはとても遠い。
「お供の人は、間に合わせの人たちなので、京の中のお出かけより、とても少なかったです」  
 と侍女たちが気の毒がったりしているうちに、夜は明けた。  
 京のわが家に連絡することなどあるので、使いを出すことにした。大夫(たゆう 五位の者の称、子どもの道綱をさす)が、
「昨夜のことがとても気になるので、父上のお邸のあたりに行って、ご様子を伺ってきます」  
 と言って出かけるので、子どもに手紙を取り次いでもらう。
「普通では考えられない人騒がせな昨夜のお越しでしたが、お帰りは夜も更けるのではないかと思いましたので、ひたすら仏に、
『無事にお帰りになれるようお守りください』  
 とお祈りしていました。それにしても、どういうお考えでこんな山奥までお越しになったのかしら、と思うと、あの時すぐ帰るにはひどく恥ずかしくて、帰ることなどできそうにない気がしたのです」  
 などと、こまごまと書いて、その手紙の端に、
「昔、あなたもごらんになった道と思いながら、この寺に入りましたが、昔のことを例えようもないほど懐かしく思い出しました。近いうちにすぐにも帰るつもりです」
 と書いて、苔がついた松の枝に結びつけた。
 夜明けの景色を見ると、霧か雲かと思われるものが一帯に立ち込め、しみじみともの寂しい。昼頃、京へ出かけた子どもが帰って来た。
「お手紙は、父上は出かけていらっしゃったので、召使に預けてきました」  
 と言う。
〈出かけていなくても、返事はないだろう〉  
 と思う。
〔一七〕
 さて、昼は一日中、いつものようにお勤めをして、夜はご本尊の仏をお祈りする。まわりが山なので、昼でも人に見られるのではないかという心配もない。簾を巻き上げたままだと、季節はずれの鶯がしきりに鳴いて、立ち枯れの木で、
「ひとくひとく(梅の花 見にこそ来つれ 鶯の ひとくひとくと 厭(いと)ひしもをる/梅の花を見に来たのに 鶯が「人が来た 人が来た」と鳴いて嫌がっている[古今集雑躰・読人しらず])」  
 とだけ、鋭い声で鳴くので、人が来たのではないかと思って、簾を下ろさなければならないような気になる。これもわたしの心が虚ろになっているせいだろう。  
 こうして過ごしているうちに、生理になり、
〈生理になったら山寺を出よう〉  
 と決めていたが、
〈京では皆わたしが尼になったと噂しているとすれば、帰ってもみっともない思いをするだろう〉  
 と思って、寺から離れた建物に下りた。  
 京から、叔母にあたる人が訪ねて来た。
「普通とはまったく違う住まいだから、落ち着かなくて」  
 などと話したりして、五、六日経つうちに、暑い六月の盛りになった。  
 木陰はとても風情がある。山陰の暗くなっている所を見ると、蛍は驚くほどあたりを明るく照らしている。京の家で、昔あまり悩みもなかった頃、
「二声と聞くとはなしに(二声と 聞くとはなしに ほととぎす 夜深く目をも さましつるかな/もう一度聞けるわけでもないのに ほととぎすの鳴き声で 夜深く目を 覚ましてしまった[後撰集夏・伊勢])」  
 とじれったく思ったほととぎすも、ここでは気楽に何度も鳴く。水鶏(くいな)はすぐそこと思うほど近くで叩くように鳴いている。ますます侘びしさがつのる物思いが多い住まいである。  
 人から勧められた山籠りではないから、訪ねたり見舞ったりする人がいなくても、けっして恨んだりすることはなく、気が楽なのだが、ただ、こんな山住まいまでするように定められた前世の宿縁ばかりをつくづくと思うにつけて、悲しいのは息子のことで、このところ長精進を続けてきた子が、すっかり元気がないようなのに、わたしの代わりに世話を頼む人もいないので、山寺に籠もりっきりで、松の葉だけを食べる覚悟でいるわたしと同じような粗末な食事をさせるものだから、なにも食べなくなったのを見るたびに、涙がいっそうこぼれてくる。  
 こうしているのは、とても心が落ち着くが、ただどうかすると涙がこぼれるのは、とても辛い。夕暮れにつく寺の鐘の音、ひぐらしの声、周りの小寺の小さい鐘を、われもわれもと競って打ち鳴らし、前の岡に神社もあるので、僧たちが読経をあげたりする声を聞くと、どうしようもなく悲しくてならない。このように生理の間は夜も昼も暇があるので、端の方に出て座り、物思いにふけっていると、幼い子どもが、
「部屋に入りなさい、入りなさい」  
 と言うので、その様子を見ると、わたしにあまり深く思いつめさせたくないらしい。
「どうしてそんなことを言うの」
「やはり体にとても悪いからです。わたしも眠いし」  
 などと言うので、
「ひと思いに死んでしまうはずだったのに、あなたのことが心配で今まで生きてきたけれど、これからどうしようかしら。世間の人が噂しているように尼になるわ。まったくこの世から姿を消してしまうよりは、尼姿でも生きていれば、心配にならない程度に訪ねて来て、かわいそうな母と思ってください。このような山籠もりをしてとてもよかったと、わたし自身は思うのですが、ただ、あなたがこんな粗末な食事をして、ひどくお痩せになったのを見るのがとても辛くて。わたしが尼になっても、京にいる父上はあなたを見捨てないとは思うけれど、わたしが尼になること自体が非難されることだから、こんなふうに悩んでいるのです」
 と言うと、子どもは返事もしないで、しゃくりあげて激しく泣く。  
 さて、五日ほどで生理も終わったので、また御堂に上った。先日からここに来ていた叔母が、今日は帰ってしまう。車が出て行くのを見ながら、じっと立っていると、車が木陰をしだいに遠ざかって行くのも、もの寂しい。見送って物思いしながら立っているうちに、気が逆上(のぼ)せたのか、気分がひどく悪くなって、非常に苦しいので、山籠り中の僧侶を呼んで護身をさせた。  
 夕暮れになる頃に念誦の低い声で加持しているのを、
〈ああ、尊い〉  
 と聞きながら思うと、昔、山寺に籠もったり、僧の加持を受けたりすることがじぶんの身に起こるとは夢にも思わないで、
〈悲しくもの寂しいこと〉  
 と思って、また、絵にも描き、黙っていられないで大きな声で言ったりして、
〈まあ、縁起でもない〉  
 と一方では思った身の上に今のわたしがそっくりだと思われるので、
〈こうなる運命だと、なにかがわたしに前もって思わせたり言わせたりしたのだ〉  
 と思いながら横になっていると、京の家にいる妹が、 ほかの人と一緒にやって来た。近寄ってきて、まず、
「どんなお気持ちかと家で心配しているよりも、山に入ってみると、ほんとうにやりきれない思いがします。なんというお住まいなのでしょう」  
 と言って、しくしく泣く。じぶんで求めたことだから、我慢しようと思うが、涙をこらえることができない。泣いたり笑ったり、いろいろなことを話し合って、夜が明けると、
「一緒に来た人が急ぐと言うので、今日は帰って、後でまた来ましょう、それにしても、こんなことばかりしていらっしゃっては」  
 なとど言うのも、とても心細そうに言って、ひっそりとした様子で帰って行く。
〔一八〕
 気分は悪くないので、いつものように妹を見送った後、物思いしながら外を見ていると、
「いらっしゃいます、いらっしゃいます」  
 と召使いたちが騒いで、ここへ来る人がいる。
〈あの人かしら〉  
 と思っていると、とても賑やかに、京の町中にいるような感じで、美しい人たちが、さまざまに着飾って、車二台でやって来た。馬なども、何頭もあちこちにつないで騒いでいる。破子(わりご 弁当)や何かをたくさん持って来ている。お布施を渡し、みすぼらしい僧たちに、帷子(かたびら)や布などを配り回って、話をするついでに、
「だいたいは殿のお指図でやって来ました。殿は、
『こういうことで迎えに行ったが、寺から下りなかった。また行っても、同じだろう。わたしが行ったのではだめだと思うから、行かない。おまえが行って、たしなめなさい。僧たちも、不届きにも経を教えるとは、なんということだ』  
 とおっしゃいました。こんなことばかりしている人が、どこにいるでしょう。世間の噂のように、世を捨ててしまわれたのなら、仕方がないでしょう。こんな状態で殿のお言葉がなくなった時に、お帰りになってお暮らしになるのも、ばかげたことです。それにしても、殿はもう一度はお越しになるでしょう。その時にもお帰りにならなければ、本当に世間の物笑いになってしまうでしょう」  
 などと、偉そうにまくし立てていると、
「西の京にお仕えの人たちが、ここにいらっしゃったのを知って、献上した物です」  
 と言うので、見ると豪華なものがたくさんある。山奥に入ろうと思っているようなわたしのために、はるばる届けてくれたのだが、こんな贈物をもらう境遇ではないので、わが身の辛さがまず思われる。  
 夕方になったので、
「帰りを急ぎますので、今日はこれで。毎日は伺えませんから心配です。ここにいるのは、やはりとてもよくないことです。いつ帰るとも決めていらっしゃらないのですか」  
 と言うので、
「今のところ、なにも考えていません。そのうち帰らなければならないことが起きたら、帰ります。今は帰ってもなにもすることがありませんから」  
 などと言って、心の中では、
〈一人で帰っても、迎えが来て帰っても、どんな帰り方をしても、下山するのは愚かなことで、帰るに帰れない気でいるのに、そんなわたしの気持ちも知らないで、
《出家はしないだろう》  
 と思っているあの人がこんなことを言わせているのだろう。家に帰っても、どうせ通ってこないのだから、お勤めよりほかに何をすることがあるだろう〉  
 と思うので、
「こうしていられる間だけ、いたいと思っています」  
 と言うと、
「いつまでもいらっしゃるつもりですね。なによりも、この若君がわけのわからない精進をしていらっしゃるのがかわいそうで」  
 と、気が強い一方、泣きながら車に乗るので、こちらの侍女たちが見送りに出ると、
「あなたたちも皆殿からお叱りを受けます。よくお話しして、早く出るように言いなさい」  
 などと、あたりかまわず言って帰って行く。今回の使いが帰った後は、今までよりもいっそう寂しく感じられるので、わたし以外の侍女たちは、今にも泣き出しそうな思いだった。  
 このようにいろいろな人に、あれこれ下山するよう勧められるが、わたしの気持ちは変わらない。父の言葉は、悪いと言われても良いと言われても反対できないのだが、父は最近京にいらっしゃらないので、手紙で、
「こういうことで」  
 と知らせると、
「それもいいだろう。ひっそりと、そのようにしばらくお勤めをなさるのは」  
 と返事があったので、とても気が楽になる。
〈あの人はわたしの気を引こうと、もう一度迎えに行くと言ったのだろう。すっかり腹を立てたようで、山籠りしている所を見届けて帰ったまま、「どうしている」とも尋ねてこない。わたしにもしものことがあっても、何もしてはくれないだろう〉

 などと思うと、
〈これよりもっと山奥に入ることがあっても京には帰らない〉  
 と思った。
〔一九〕
 今日は十五日、精進潔斎などして過ごす。子どもに無理に勧めて、
「魚など食べていらっしゃい」  
 と言って、今朝、京へ送り出して、物思いにふけっていると、空が暗くなり、松風の音が高く鳴り、雷がごろごろと鳴る。今にも雨が降り出しそうなので、
〈途中で雨が降らないだろうか、雷がもっとひどく鳴らないだろうか〉  
 と思うと、とても心配で悲しくなって、仏にお祈りしたためか、晴れて、まもなく帰って来た。
「どうだったの」  
 と尋ねると、
「雨がひどく降るのではないかと思ったので、雷の音を聞くとすぐに、あちらを出て来ました」  
 と言うのを聞くと、とてもかわいそうになる。今回のついでにあの人からの手紙がある。
「使いがひどく呆れて帰って来たから、この上また迎えに行っても同じだろう、わたしをひどく嫌だと思い込んでいるようだ、と思ってね。もし万一帰る日が決まったら、知らせてほしい。迎えに行こう。恐ろしいほど思いつめているようだから、当分はそちらへ行く気がしない」  
 などと書いてある。  
 また、ほかの人たちからの手紙を見ると、
「いつまでもそんなふうにお過ごしになるつもりですか」
「日が経つにつれてひどく心配しています」  
 などと、さまざまに見舞ってくれている。翌日、返事を出す。
「いつまでもそんなふうに」  
 と言ってきた人に、
「このように籠もってばかりいようとは思わないのですが、物思いにふけっているうちに、はかなく過ぎて、日数が経ってしまいました。

かけてだに 思ひやはせし 山深く いりあひの鐘に 音をそへむとは
(思いもしなかったです 山深く入って 入相の鐘に わたしの泣き声を添えるとは)」  

 次の日、返事がある。
「あまりの悲しさになんと申し上げたらよいのか。入相の歌に胸が張り裂けるような気がして、

言ふよりも 聞くぞ悲しき 敷島の 世にふるさとの 人やなになり
(入相の鐘とともに泣いていると言われるあなたより それを聞くわたしのほうが悲しくてなりません この古里にとどまっていても 何になるのでしょう)  

 と書いてあるので、とても身にしみて悲しく物思いに沈んでいると、大勢いた侍女の中で、宿直をつとめてくれた人が、よほど思いやりのある人だったのだろうか、ここにいる侍女に、手紙で、
「いつも疎かには思ったことのないお邸ですが、お暇をいただいてからは、ますますめったにいらっしゃらないお気の毒なお方だと、お偲びしています。あなたがたもどんなお気持ちで、お世話なさっていることでしょう。
『賤しきも(いにしへの 倭文〈しず〉の苧環〈おだまき〉 いやしきも よきもさかりは ありしものなり/身分の低い人も高い人も 盛りのときはあるものだ[古今集雑上・読人しらず])を引用』  
 と言いますから、なんと言っていいのかわからなくて、

身を捨てて 憂きをも知らぬ 旅だにも 山路に深く 思ひこそ入れ
(出家したわけでも 世の辛さを知っているわけでもない旅でも 山路に深く入りたいと思うものですが ましてご主人さまは どんな辛い思いでお入りになったことでしょう)」  

 と言ってきたのを、侍女が取り出して読んで聞かせるので、またしても悲しくなる。こんなちょっとしたことでも、これほど身に沁みることがあるものだ。
「早く返事をなさい」  
 と言うと、
「『苧環(麻を細く裂いてより合わせて作った糸を、内側を空にして球状に巻いたもの)
 のような卑しいわたしには、この手紙のように悲しみを深く理解するのは難しいと思っていましたのに。奥方さまも、涙をこらえきれないほど、感じていらっしゃる様子でしたが、そんなお姿を拝見するわたしの気持ちも、どうか察してください。

思ひ出づる ときぞ悲しき 奥山の 木の下露の いとどしげきに
(華やかだった昔を思い出すと悲しくなります この奥山は木の下露がひとしお繁く 涙に濡れる毎日だから)」  

 と書いて送ったようである。  
 大夫(たゆう 子ども)が、
「先日のお返事を、ぜひください。また父上から叱られますから、持って行きたいのです」
 と言うので、
「いいですよ」  
 と言って書く。
「すぐにもお返事をと思いながら、どういうわけなのでしょうか、子どもがすっかりそちらに参上しにくく思っているようなので、遅くなって。山を出るのは、いつと決めかねていますので、申し上げようがありません」  
 などと書いて、添え書きに何が書いてあったというのだろう、
「添え書きはどんなことだったかしら、と思い出しても、不愉快になりそうですから、何も申し上げません。あなかしこ」  
 などと書き添えて、子どもを送り出したところ、この前のように、よりによって雨がひどく降り、雷がとてもひどく鳴るので、胸がつまり心配する。少し静まって、暗くなる頃に帰って来た。
「不気味で恐ろしかった、あの陵(みささぎ 光孝天皇稜)のあたりが」  
 などと言うので、かわいそうでならない。あの人からの返事を見ると、
「先日の様子よりは、弱気に見えるのは、勤行で疲れたのではないかと、気の毒でならないよ」  
 などと書いてある。
〔二〇〕
 その日が暮れて次の日、遠い親戚にあたる人が、見舞いにやって来た。破子(わりご 弁当)などをたくさん持って来てくれた。まず、
「どうしてこのようなことを。どういうつもりで、なぜ山籠りなどなさるのでしょう。特別な事情がないとしたら、とてもよくないことです」  
 と言うので、わたしが心に思っていることや、現在の身の上を、少しずつぽつりぽつりと話すと、
「なるほど無理もない」  
 と言うようになって、とても激しく泣く。一日中話し合って、夕暮れの頃、ここを訪れた人が帰る時にいつも言うように、とても悲しい別れの言葉をたくさん言って、入相の鐘が鳴り終わる頃に帰って行く。思いやりも深い分別のある人だから、
〈本当にわたしのことをかわいそうに思って帰っていることだろう〉
 と思っていたら、翌日、山寺で当分は過ごせるような必要な品々を、たくさん届けてくれたのは、わたしには、言葉では言い尽くせないくらい、愛おしく身にしみた。
「あまりの悲しさにどうやって帰ったのかわからないほどで、あなたがはるばるこの木の高い山道を分け入って来られたのだと思うと、ますますたまらない気持ちになって」  
 などと、いろいろ書いてあって、

「世の中の 世の中ならば 夏草の しげき山辺も たづねざらまし
(ご夫婦の仲が普通の仲でしたら 夏草の繁った山辺までお出かけになったりはなさらない)  

 ものを(※和歌からの続き)
〈このように山籠りしていらっしゃるあなたを拝見していながら、後に残して帰ってしまうなんて〉  
 と思いますと、涙で目も見えないほどでした。あなたが、深く考えて悩んでいらっしゃるのがよくわかります。

世の中は 思ひのほかに なるたきの 深き山路を 誰知らせけむ
(世の中は思いもしないことになるもの 鳴滝の奥深い山路を 誰があなたに教えたのでしょう)」  

 などと、まるで向かい合って話しているように、細やかに書いてある。鳴滝というのは、この寺の前を流れて行く川である。返事も、一生懸命心を込めて書いて、
「お訪ねくださったにつけても、おっしゃるとおり、どうしてこんな山籠もりをと思うのですが、

もの思ひの 深さくらべに 来て見れば 夏のしげりも ものならなくに
(わたしの物思いと 夏草が茂っているのと どちらが深いか比べに来たのですが 夏草など比較にもなりませんでした)  

 山を下りるのはいつとは決めていませんが、あなたがあのように下山をお勧めくださったことを思うと迷いそうになりますが、

身ひとつの かくなるたきを 尋ぬれば さらにかへらぬ 水もすみけり
(わたしだけがこんな身の上になり 鳴滝に来てみると わたしばかりか 元へは帰らない川の水が澄んで流れていました)  

 と思いますと、なんだかお手本があるような気がしまして」  
 などと書いて送った。  
 また、尚侍(ないしのかみ)さまがお見舞いくださったお返事に、心細いことをあれこれ書いて、手紙の表書きに、「西山より」と書いたのを、どのように思われたのだろう、次にくださったお返事に、「東の大里より」と書いてあったのを、
「とてもおもしろいわ」  
 と思ったのも、お互いにどんな気持ちでいたからだろうか。  
 こんなふうに日が経ち、ますます物思いに沈んでいる時、この寺の修行者が、御嶽(みたけ)から熊野へ、大峰越えに出かけたが、その人がしたのだろう、

戸山だに かかりけるをと 白雲の 深き心は 知るも知らぬも
(里近い山でもこんなに寂しいのに 女性のあなたがそれに耐えて山籠りなさっているお気持ちはどれほどかと 事情を知る者も知らない者も察していますが これから奥深い山に入るわたしはなおさらよくわかります)  

 と書いて、置いてあった。
〔二一〕
〈こんなこともあったな〉  
 と思いながら過ごすうちに、ある日の昼頃、寺の正門のほうで、馬のいななく声がして、人が大勢やってくる気配がした。木の間から見通すと、あちこちに従者たちがたくさん見えて、こちらに歩いてくるようだ。
〈兵衛佐(ひょうえのすけ 藤原道隆。兼家の長男、母は時姫。道綱より二歳年長)のようだ〉  
 と思っていると、大夫(子どもの道綱)を呼び出して、
「今までご無沙汰していたお詫びも兼ねて、参上しました」  
 と取り次がせて、木陰にたたずんでいる様子は、京を思わせて、とても趣深く見える。この頃は、
「後でまた」  
 と言って帰った妹も、ここに来ていて、兵衛佐は妹に関心があるようなので、ひどく気取って立っている。返事は、
「よくいらっしゃいました。さあ早く、こちらへお入りください。これまでのご罪障が、どうか無事に消えるようにお祈りしましょう」
 と言うと、兵衛佐は木陰から歩み出て、高欄に寄りかかって、まず手水(ちょうず)で手を洗い清めてから入って来た。いろいろなことを話していくうちに、
「昔、わたしにお会いになったことは、覚えていらっしゃいますか」  
 と尋ねると、
「忘れるものですか。とてもはっきり覚えています。今でこそ、このようになかなかお目にかかれないのですが」   
  などと言うので、あれこれ思いめぐらしてみると、言葉もつまって、涙で声が変わる気がするので、しばらく気を静めていると、相手もひどくしんみりとしてすぐには何も言わない。しばらくして、
「お声などもお変わりになったのは、本当に無理もないことですが、けっしてそのように思われることはないと思います。まさかこのまま終わってしまわれることはないでしょう」  
 などと、わたしの気持ちを勘違いしたのだろうか、こんなことを言う。
「『参上したら、よくたしなめてあげなさい』
 などと父上はおっしゃっていました」  
 と言うので、
「どうしてそんなことを。あの人からそのように言われなくても、そのうちには」
 などと言うと、
「それなら、同じことなら、今日お帰りください。このままわたしがお供しましょう。なんといっても、この大夫が時々京に出て来ては、夕方になると急いで山寺に帰るのを見ると、ひどく不安な気がしてならないのです」
 などと言うが、それでもわたしがなんの反応も示さないので、しばらくくずぐずしていて帰って行った。
〈このように下山するのを悩んでばかりいて、訪ねて来る人はみな来てしまったので、もうほかには訪ねて来る人もいない〉  
 と、心の中で思う。
〔二二〕 
 このように過ごしているうちに、京のこの人あの人から手紙が来る。見ると、
「今日、殿がそちらに行かれるはずだと聞いています。今度も下山なさらないなら、本当に薄情な人だと、世間の人も思います。殿も、二度と迎えには行かれないでしょう。そうなった後に下山なさるのは、よくないです。世間の物笑いになります」  
 と、どの人も同じことを書いてくるので、
〈不思議なことがあるものだ。どうしようかしら。今度は何も言わせないで連れ戻すだろう〉  
 と落ち着かない気持ちでいると、わたしが頼りにしている父が、任国の丹波からたった今上京したその足でやって来て、いろいろと言葉を尽くして、
「この間、手紙に書いたように、しばらくはお勤めをなさるのもよいと思ったのだが、この若君がすっかりやつれてしまわれた。やはり早く山を下りなさい。今日でも吉日ならわたしと一緒に帰りなさい。今日でも明日でも迎えに来るから」
 などと、当然のことのようにおっしゃるので、すっかり気落ちしてどうしていいのかわからなくなった。
「では、やはり明日だな」  
 と言って、父は帰って行った。
「釣する海人の泛子(うけ)(伊勢の海に 釣りする海人の うけなれや 心ひとつを 定めかねつる/わたしは伊勢の海で釣りをする漁師の浮きだろうか 心ひとつを決めることができない[古今集・読人しらず]の引用)」  
 のように気持ちが揺らいで思い乱れていると、騒がしく、誰かがやって来る。
〈あの人らしい〉  
 と思うと気も動転してしまう。この間は物忌中なので車から降りなかったが、今回は憚ることなく歩いて来て、ずかずかと入って来るので、困ってしまい几帳を引き寄せて少し隠れたけれど、何の役にも立たない。香を盛って、数珠を手に下げ、お経を置いたりしているのを見て、
「ああ、恐ろしい。まさかこれほどとは思わなかった。ひどく近寄りがたい様子だな。もしかして寺を出られるのではないかと思ってやって来たが、俗界に連れ戻してはかえって罰が当たりそうだ。どうだ、大夫、こんな生活を続けているのをどう思う」  
 と尋ねると、
「とても苦しいのですが、仕方がありません」
 と言って、うつむいているので、
「かわいそうに」  
 と言って、
「では、母上が下山するかしないかはおまえの気持ち次第だ。母上が下山なさるつもりなら、車を寄せなさい」  
 と言い終わらないうちに、あの子は立ち上がって走り回り、散らばっている物を、どんどん取って、包や袋に入れる物は入れて、車にみな積み込んで、引き回してある引幕などもはずし、立ててある几帳や屏風などをみしみしと取り払うので、わたしはあまりのことに、ただ呆然としていると、あの人はわたしをちらちら見ながら、とても嬉しそうに笑って、子どもが片付ける様子を見ていたようである。
「部屋を片付けたのだから、出て行くしかないようだな。仏にご挨拶を申し上げなさい。決まりの作法だからね」  
 と、ひどい冗談をさんざんに言われたようだが、わたしはなにも言えないで、涙ばかりがあふれ、それをじっとこらえているうちに、車を寄せてからずいぶん時間が経った。あの人は申の刻(午後四時前後)頃にやって来たのだが、もう灯をともす頃になっていた。わたしが知らない顔をして動かないので、
「もういい、わたしは帰る。後はおまえに任す」  
 と言って、出て行ったので、子どもが、
「早く早く」  
 と、わたしの手を取って、今にも泣きそうに言うので、仕方なく出て行く気持ちといったら、じぶんがじぶんではないような気がする。  
 大門から車を引き出すと、あの人も乗り込んできて、道中、笑ってしまいそうな冗談をたくさん言うが、わたしは夢の道をたどっているようなのでなにも言えない。あの一緒だった妹も、
「暗いからかまわないだろう」
 と同じ車に乗っていたので、妹が時々受け答えなどする。遠い道のりを帰ってきて、着いた時は亥の刻(午後十時前後)になっていた。京の家では、昼間あの人の来訪を知らせてくれた人々が、気を使って掃除をして、門も開けてあったので、夢のような気持ちで車から降りた。
〔二三〕
 気分が悪く苦しいので、あの人との間に几帳を隔てて横になっていると、留守番をしていた侍女が、ひょいと近づいてきて、
「撫子(なでしこ)の種を採ろうとしましたが、枯れて根もなくなっていました。呉竹も一本倒れていました。手入れはさせましたが」  
 などと言う。
〈なにも今言わなくてもいいことなのに〉  
 と思うので、返事もしないでいると、眠ったのかと思っていたあの人が、すばやく聞きつけて、あの同じ車で帰って来た妹が襖を隔てて寝ているので、
「聞きましたか。これは一大事だ。この世を捨てて家を出て菩提を求める人に、今ここの侍女たちが言うのを聞くと、撫子は撫でるように大切に育てたとか、呉竹は立て直したとか、よくこんな低俗なことが言えるものだね」  
 と話しかけると、聞いていた妹はひどく笑う。わたしも呆れるほどおかしかったが、ほんの少しだって笑う様子は見せなかった。こうしているうちに、夜がだんだん更けて夜中になった頃に、あの人が、
「方角はどちらが塞がっている」  
 と言うので、日数を数えてみると、思った通り、あの人の邸からこちらの方角が塞がっていた。
「どうしよう。ほんとうに困ったな。さあ、一緒にどこか近い所に方違えに」  
 などと言うので、わたしは返事もしないで、
〈もう非常識なことを。方塞がりなら一人で帰ればいいのに、一緒にだなんてとんでもない〉  
 と思って横になったまま、まったく動かないでいると、
「一人で出かけるのは億劫だが、方違えは無理にでもしなければならない。方角が開いたらここへ来ればいいと思うが、そうすると例の六日間の物忌になってしまう」  
 などと、辛そうに言いながら出て行った。  
 翌朝、手紙が来た。
「昨夜は夜が更けていたので、今朝は気分がとても悪くて。あなたはどうだ。早く精進落としをしたほうがいい。大夫(たゆう)が本当にやつれたように見える」
 などと書いてあるようだ。
〈なあに、こんな気配りも手紙だけのこと〉
 と、気にもかけていなかったが、物忌の終わる日に、
〈来てくれるかしら〉  
 と半信半疑でいたところ、六日の物忌も過ぎて、七月三日になってしまった。
〔二四〕
 昼頃、
「殿がいらっしゃるはずです。
『ここに控えているように』
 と、ご伝言がありました」
 と言って、あちらの従者たちも来たので、侍女たちが騒いで、日頃乱雑にしていた所までも、ばたばたと整理しているのを見ると、いたたまれない思いでいたが、すっかり暮れてしまったので、本邸から来ていた従者たちが、
「お車の用意などもすっかりしてあったのに、どうして殿は今になってもいらっしゃらないだろう」
 などと言っているうちに、だんだん夜も更けてきた。侍女たちが、
「やはりおかしい。とにかく、誰かを様子を見に行かせましょう」  
 などと言って、見に行かせた使いが帰って来て、
「ただ今、お車の支度を解いて、随身たちも皆解散してしまいました」  
 と言う。
〈やはりそうか〉  
 と、また思うと、いたたまれない気がして、悲しい思いがこみ上げてくる辛さは、とても言葉では言い尽くせない。
〈山にいたら、こんな胸がつまる悲しい目にあわないですんだのに〉  
 と、山で予想したとおりだと思う。侍女たちも皆、
〈わけがわからない、呆れたことだ〉  
 と思って騒ぎあっている。まるで、新婚三日ほどで婿が通って来なくなったような騒ぎである。
〈どんなことがあって来られなかったのか、せめてその理由だけでも知らせてくれたら気も休まるのに〉  
 と思い乱れている時に、来客があった。
〈気がふさいでいる時なのに〉  
 と思うが、いろいろと話しているうちに、少し気分が紛れた。  
 さて、夜が明けると、大夫が、
「どういうことで来られなかったのか参上して聞いてきます」
 と言って出かけた。
「昨夜は気分が悪かったそうです。
『急に、ひどく苦しくなったので、行けなくなった』  
 とおっしゃいました」  
 と言うので、
〈そんなことなら、なにも聞かないで穏やかにしていればよかった〉  
 と思う。 〈
「差し障りができた、重大なことで」  
 とでも聞いたのなら、あれこれ悩まなかったのに〉  
 と不快に思っていた時に、尚侍(ないしのかみ 登子)さまからお手紙がある。見ると、まだわたしが山里にいると思われたらしく、とてもしみじみとした趣で書いていらっしゃる。
「どうして、そのような物思いのつのる住まいにいらっしゃるのでしょう。だが、そんな物思いにも挫けることなく夫に連れ添っていく人もいると聞いていますのに、あなたが兄と疎遠になったようなことばかりおっしゃるので、
〈どうしたのかしら〉  
 と心配でたまらないので、

妹背川(いもせがわ) むかしながらの なかならば 人のゆききの 影は見てまし
(あなたがた夫婦は昔のままの仲でしたら 絶えず通って行く兄の姿を見ることができるでしょうに)」  

 お返事には、
「山の住まいには秋の景色を見るまでいようと思いましたが、山でも心が晴れないでふんぎりがつかないまま下山して、中途半端な状態で。わたしの深い悩みはどなたにもわからないと思っていましたが、どのようにお聞きになったのでしょうか、それとなくおっしゃるのもごもっともで。わたしもまた、

よしや身の あせむ嘆きは 妹背山 なかゆく水の 名も変はりけり
(わたしたち夫婦の愛情が褪せていく嘆きは どうしようもありません もうわたしたちは妹背〈夫婦〉とは言えない仲に変わってしまったのです)」  

 などと申し上げた。  
 こうして、その日(四日)は物忌があいて、次の日(五日)また物忌になったと聞く。明くる日(六日)は、こちらの方角が塞がっていたが、その次の日(七日)
〈今日は来てくれるか待ってみよう〉  
 と性懲りなく思っていると、夜が更けてからあの人が見えた。先夜のことを、これこれだと弁解して、
「せめて今夜だけでもと急いだので、忌違えに家の者がみな出かけるのを送り出して、そのまま後のことは放っておいてやって来た」  
 などと悪びれもしないで、平然と言う。呆れて言葉も出ない。夜が明けると、
「知らない所に忌違えに出かけた人たちが、どうしているか気になるから」
 と言って、急いで帰った。
 それから後、訪れもなく七、八日が経った。地方官歴任の父の所では、
「初瀬にお参りに」  
 などと言うので、一緒に行くことにして、精進をしている父の家に移った。場所を変えた甲斐もなく、午(うま)の刻(正午前後)頃に、急に先払いの騒がしい声がする。
「呆れたことだ。誰だ、あちらの門を開けたのは」  
 などと、父も驚いて騒いでいると、あの人はすっと入って来て、ここ数日、いつものように香を盛ってお勤めをしていた、その香を急に投げ散らかし、数珠も間木(まぎ 長押の上に設けた棚か)に放り上げるなど、乱暴なことをするので、まったくわけがわからない。
 その日はくつろいで過ごして、次の日帰って行った。
〔二五〕
 さて、七、八日ほどして、初瀬へ出かける。巳の刻(午前十時前後)頃、家を出る。従者をとても多く連れて、きらびやかに行くようである。未の刻(午後二時前後)頃に、あの按察使大納言さまが所有していらっしゃる宇治の院に到着した。父の一行はこのように賑やかだが、わたしの気持ちは寂しく、あたりを見渡すと、感慨深く、
〈ここが大納言さまが心を込めて手入れなさっていると聞いた所なのだ。今月は、一周忌をなさっただろうが、そんなに経っていないのに荒れてしまっている〉  
 と思う。ここの管理をしている人が、迎える用意をしてくれていたので、立ててある調度類で、あの大納言さまの物だと思われる、みくり簾、網代屏風、黒柿(くろがい)の横木に朽葉色(くちばいろ)の帷子(かたびら)をかけてある几帳など、いかにも場所柄にふさわしのも、しみじみと趣深く見える。疲れているうえに、風が払うように吹いて、頭が痛くなるほどなので、風よけを作って、外を眺めていたが、あたりが暗くなると、何艘もの鵜飼い舟が、篝火(かがりび)を灯しながら、川一面に棹をさして行く。この上なくおもしろく見える。頭が痛いのも紛れたので、端の簾を巻き上げて、外を眺めながら、
〈ああ、わたしが思い立って初瀬に参詣した時に、帰りに、あがたの院をあの人が行ったり来たりしたのは、ここだったのだ。ここに按察使さまがいらっしゃって、いろいろな贈物をくださったのには、身にしみて感激した。不幸なわたしの生涯でも、あんな楽しいことがあったのだ〉  
 と思い続けると、目が冴えて夜中過ぎまで物思いにふけっていたが、鵜飼い舟が川を上ったり下ったり行き違うのを見ながら、

うへしたと こがるることを たづぬれば 胸のほかには 鵜舟なりけり
(水の上と下 つまり外と内とで焦がれるものはなにかと考えてみると わたしの胸の焔のほかには鵜舟の篝火だった)  

 などと感じて、なおも見ていると、夜明け前には、夜の鵜飼とは打って変わって、網で魚を捕る網漁(いさり)というものをしている。またとなくおもしろく感心した。  
 夜が明けたので、急いで出かけて行くと、贄野(にえの)の池や泉川(いずみがわ)が最初見た時と少しも変わっていないのを見るにつけても、じぶんの変わりようが身に沁みるばかりである。いろいろと物思うことがとても多いけれど、とても騒がしいにぎやかな周囲に気が紛れる。ようたての森に車を止めて、弁当などを食べる。誰もがおいしそうに食べている。春日神社(藤原氏の氏神)に参詣ということで、ひどくむさくるしい宿坊に泊まった。  
 翌日、そこを出発すると、雨が激しく降って風が強く吹く。三笠山を目指して笠をさして行く甲斐もなく、ずぶ濡れになる供人が大勢いる。やっと神社について、幣帛(へいはく)を捧げて、初瀬の方に向かう。飛鳥寺(あすかでら)に灯明(とうみょう)をあげるので、その間わたしは、車の轅(ながえ)を釘貫(くぎぬき)に引きかけたまま、あたりを見まわすと、木立がとても美しい所である。境内がきれいで、泉の水もとても澄んで飲みたくなるほどなので、なるほど、
〈「宿りはすべし(飛鳥井に 宿りはすべし や おけ 陰もよし 御水(みもひ)も寒し 秣(みまくさ)もよし[催馬楽・飛鳥井])
 と歌っているのだろう〉  
 と思われた。激しい雨がますます降ってくるので、どうしようもない。  
 ようやく椿市に着いて、例のごとく、あれこれ参籠に必要な物を整えて出発する頃には、日もすっかり暮れてしまった。雨や風はまだやまず、松明を灯していたが、風が吹き消して、真っ暗なので、夢の中で道をたどるような感じで、とても気味が悪く、
〈どうなることだろう〉  
 とまで思い途方にくれる。ようやく祓殿(はらえどの)にたどり着いたが、雨の状態もわからず、ただ川の音がとても激しいのを聞いて、
〈ひどく降っているらしい〉
 と思う。御堂に登る時に、気分がたまらなく苦しい。切実に願うことがたくさんあるが、このように気分が悪いので意識も朦朧としていたのだろう、何もお願いしないうちに、
「夜が明けました」
 と言うけれども、雨は同じように降っているし、昨夜の気味悪さに懲りて、ずるずると出発を昼まで延ばした。
 物音を立てないで通らなければならない森の前を、ふだんは騒がしい一行であるが、さすがに、
「静かに、静かに」  
 と、手を振り、顔を振って、大勢の人たちが魚のように口をぱくぱくするので、黙って通るのは当然とはいえ、やはりどうしようもなくおかしく思われる。椿市に帰って、
「精進落とし」  
 などと人々は言っているようだが、わたしはまだ精進のままである。そこをはじめとして、もてなしてくれる所が、先に進めないほどたくさんある。褒美の品などを与えると、一生懸命に接待をしてくれるようである。  
 泉川は、水かさが増していた。
「どうしよう」  
 などと言っている時に、
「宇治から腕のいい船頭を連れて来ました」  
 と言うが、
「舟は面倒だ。いつものように、さっと渡ってしまおう」  
 と、男たちは決めたのに、女たちが、
「やはり舟で」  
 と言うので、
「それでは」
 ということで皆船に乗り、はるばると川を下って行く気持ちは、見どころがあってとても素晴らしい。船頭をはじめ、大声で歌う。宇治が近い所で舟を降り、また車に乗った。そして、
「京の家は方角が悪い」  
 ということで、宇治に泊まった。  
 鵜飼の準備がしてあったので、鵜飼の舟が数えきれないほど川一面に浮かんで騒いでいる。
「さあ、近くで見物しましょう」  
 と、川岸に幕などを立てて、榻(しじ 轅を置く台)などを持って行って、降りて見ると、すぐ足下で鵜飼をしている舟が行ったり来たりしている。灯りに群がる魚など、まだ見たこともなかったので、とてもおもしろく思われる。旅で疲れ気味だったが、夜が更けるのも忘れて、ひたすら見ていると、侍女たちが、
「もうお帰りください。これよりほかに、もう特別なことはありませんから」  
 などと言うので、
「それでは」  
 と岸からあがった。部屋に入ってからも、飽きもしないで眺めていると、例によって一晩中、篝火をあたり一帯に灯している。少し眠ると、船端をごとごと叩く音が、まるでわたしを起こすように聞こえて目が覚めた。夜が明けて見ると、昨夜捕れた鮎が、ずいぶん多い。そこから、京にいる贈物をしなければならないあちこちに配分するようだが、好ましい旅の風情である。日がほどよく高くなってから出発したので、暗くなって京に帰り着いた。わたしもすぐに父の家を出て自宅に帰ろうと思ったけれど、侍女たちも疲れたというので、帰れなかった。
〔二六〕
 次の日も、昼頃、父の所にいると、あの人から手紙が来た。
「お迎えにでもと思ったが、あなただけの旅ではなかったから、具合が悪いと思ってね。いつもの家に帰っているのか、すぐに行く」  
 などと書いてあるので、侍女たちが、
「早く早く」  
 と急き立てて、家に帰ると、すぐに見えた。こんなに気を使うのは、わたしが昔のことを例えようもなく悲しく思い出しているだろう、と思ったからだろう。翌朝は、
「還饗(かえりあるじ 相撲の還饗、相撲の節会の後、近衛大将などが慰労のために私邸で催す饗宴)が近くなったので」
 などと、もっともらしい言い訳をして帰った。なにかと口実をつけて帰る朝が多くなったが、
「いまさらに(いつはりと 思ふものから 今さらに 誰がまことをか われは頼まむ/偽りだと 思うものの 今さら 誰の真心を 頼りにできるだろう あなたを頼りにするしかない[古今集恋四・読人しらず]を踏まえる)
 と思うと、悲しくなる。   
 八月は、明日からだが、その日から四日間、あの人はいつもの物忌だそうだ。物忌が終わってから二度ほど姿を見せた。還饗は終わって、
「殿は奥深い山寺で祈祷をさせることになって」  
 などと聞く。三、四日経ったが、連絡もなく、雨がひどく降る日に、
「心細そうな山住まいをしていると、普通の人なら見舞うものと聞いていたが、
『とはぬはつらきもの(忘れねと 言ひしかなふ 君なれど とはぬはつらき ものにぞありける/忘れて と言った その通りにしているあなただけど 見舞ってくれないほど つらいものはない[後撰集恋五・本院のくら]を踏まえる)』  
 と言っている人もいる」  
 と言ってきた返事に、
「お見舞いをしなければならないとは、誰よりも先に気づいていましたが、便りがないのはつらいものとわかってもらおうと思って。わたしの涙は、もう一滴も残っていないと思いますのに、
『よそのくもむら(今ははや 移ろいにけむ 木の葉ゆゑ よそのくもむら なにしぐるらむ/今はもう 心変わりした 木の葉なのに 突き放されたわたしは どうして未練の涙を流しているのだろう[元良親王集]を踏まえる)』  
 のように疎遠になっているのに、涙があふれてくるのもつまらないことで」  
 と書いて送った。また折り返し手紙が来る。それから三日ほどして、
「今日下山した」  
 と言って、夜になる頃見えた。いつも、あの人がどんな気でいるのか、わからなくなったので、冷淡にしていると、あの人はあの人でじぶんは悪くないといった様子で、七、八日ごとにわずかに通って来る。  
 九月の末頃、とてもしみじみとした空の景色である。いつもより昨日今日は、風がとても寒く、時雨がさっと降ったりして、ひどくしんみりとした感じがする。遠くの山を眺めると、紺青を塗ったような感じで、
「霰降るらし(み山には 霰降るらし 外山なる まさきの葛 色づきにけり/遠くの山ではあられが降っているらしい この山ではまさきのかづらが色づいている[古今集・神遊びの歌]を踏まえる)」  
 といった感じで色づいている。
「野の景色はどんなに美しいでしょう。見物のついでにお参りでもしたいわ」
 などと言うと、前にいる侍女が、
「ほんとうに、どんなに素晴らしいでしょう。初瀬に、今度はお忍びでお出かけになったら」  
 などと言うので、
「去年もご利益を試そうと、ひどく思いつめてお参りしたけれど、石山のみ仏の霊験をまず見届けてから、春頃、あなたたちが言うように出かけましょう。それにしても、その頃まで、こんな辛い身で生きていられるかしら」  
 などと言って、心細くなってつぶやく。

袖ひつる 時をだにこそ 嘆きしか 身さへ時雨の ふりもゆくかな
(袖が涙で濡れるのさえ嘆いていたが 今は袖どころか身体まで時雨に濡れて だんだん年老いてゆく)  
 なにもかも生きていることが無意味で、つまらないと、しきりに思われるこの頃である。そんな気持ちのまま毎日を過ごし二十日になった。夜が明けると起き、日が暮れると寝るのを日課としているのは、ひどく妙だとは思うが、今朝もどうしようもない。今朝も外を見ると、屋根の上の霜が真っ白である。幼い召使たちが、昨夜の寝間着姿のまま、
「霜焼けのおまじないをしよう」  
 と言って騒いでいるのも、とてもいじらしい。
「ああ寒い。雪も負けそうな霜ね」  
 と口を袖で覆いながら、こんなわたしを頼りにしているらしい人たちがつぶやくのを聞くと、人ごとではない気がする。十月もしきりに名残りを惜しんでいるうちに過ぎた。  
 十一月も同じような状態で、二十日になってしまったが、今日姿を見せたあの人は、そのまま二十日あまりも訪ねて来ない。手紙だけは二度ほど寄こした。このように心穏やかでなく、あらゆる物思いをし尽くしたので、気力もなくなった感じがして、ぼんやり暮らしていると、
「四日間の物忌が次々に重なってね。せめて今日だけでもと思っている」  
 などと、不思議なほどこまごまと書いてある。十二月の十六日頃のことである。  
 しばらくして、急に空が一面に曇って、雨になった。
〈きっと困っているだろう〉  
 とさっきの手紙を思い出しながら外を眺めると、暮れていくようである。とても激しく降るので、
〈来られないのも無理もないけれど、昔はそんなことはなかった〉  
 と思うと、涙が浮かんで、悲しくなるばかりなので、こらえきれなくなって、使いを出す。

悲しくも 思ひたゆるか 石上(いそのかみ) さはらぬものと ならひしものを
(悲しいことに来るのを諦めてしまわれるなんて 昔は雨など苦にしないで来てくださったのに)

 と書いて、今頃使いが着いただろう、と思うころ、南座敷の格子も閉めたままの外の方で、人の気配がする。家の者は気づかないで、わたしだけが変だと思っていると、妻戸を押し開けて、あの人がさっと入って来た。ひどい雨の最中なので、音も聞こえなかった。今になって、
「お車を早く入れろ」  
 などと騒いでいるのも聞こえる。
「長年のお怒りも、今日来たことで許してもらえると思うが」  
 などといろいろ言って、
「明日は、ここからわたしの邸の方角が塞がる。明後日からは物忌で、物忌をしないわけにはいかないから」  
 などと、うまいことを言う。
〈歌を持たせた使いは行き違いになっただろう〉  
 と思うと、ほっとした。夜の間に雨がやんだようなので、
「それでは夕方に」  
 などと言って帰った。方塞がりなので、夕方来てその日のうちに帰ればいいのだが、やはり思ったとおり、待っていても、来なかった。
「昨夜は、来客があって、夜も更けたので、僧に読経などさせてそちらに行くのをやめた。例によって、いらいらなさったことだろう」  
 などと言ってくる。  
 山籠りの後は、あの人から「雨蛙(あまがえる 尼帰る、尼になりそこねた)」というあだ名をつけられていたので、こんなふうに言った。
〈わたし以外なら、方角もふさがらないだろう〉  
 などと、不愉快なので、

おほばこの 神のたすけや なかりけむ 契りしことを 思ひかへるは
(大葉子の葉を蛙にかけると生き返るといいますが わたしにはその神の助けもなかったのでしょうか あなたが約束をやぶったので)  

 といった状態で、いつものように日が過ぎて、月末になった。  
 わたしがとても嫌っている近江の所に、あの人が毎晩通っている、と知らせてくれる人がいたので、心穏やかでなく過ごしているうちに、月日は流れて、追儺(ついな 大晦日の日に悪鬼を追い払う行事)の日になったというので、
〈ひどい、あまりにもひどい〉  
 とあの人が来るのを諦めてしまうのもひどく悲しいのに、まわりの者は、子どもも大人も、
「鬼は外、鬼は外」  
 と大声で騒ぐのを、わたしだけは心静かに傍観していると、追儺はまさにうまくいっている幸せな家だけがしたがる行事のように思われる。
「雪がひどく降っている」  
 という声がする。年の終わりには、なにかにつけて、あらゆる物思いをし尽くしたことだろう。
下巻
〔一〕
 こうしてまた年が明けると、天禄三年(九七二)になったようだ。まるで、嫌なことも辛いこともすっかり忘れて晴れやかになったような気がして、大夫(たゆう 息子・道綱)に参賀の装束をつけさせて送り出す。大夫が庭に下りてそのまま拝舞するのを見ると、一段と立派になったような気がして泣きそうになる。勤行でもしようと思っている今夜から、生理になるようだ。元日に生理が始まるのを、世間では不吉なこととしているので、
〈またしてもわたしはどうなっていくのだろう〉  
 と心密かに思う。
〈今年はどんなにあの人が憎らしいことをしても、嘆いたりはしない〉  
 などと、決めているので、とても気が楽である。三日は帝
(円融天皇)の元服ということで、世間は騒いでいる。
「白馬
の節会(あおうまのせちえ)」  
 などと言うが、興味もなく節会の七日も過ぎた。  
 八日頃に姿を見せたあの人は、
「このところずいぶん節会が多くて」
 などと言い訳する。明くる朝、帰る時に、あの人を待っていた従者たちの中から、こんな歌を書きつけて、侍女のところに持って来た。

下野
(しもつけ)や をけのふたらを あぢきなく 影も浮かばぬ 鏡とぞ見る
(この桶の蓋は丸くてもつまらない あなたの姿が映らない鏡と思って見ています 〔あなたがわたしを思ってくれるなら 姿が映るはずなのに〕)  

 その蓋に、酒と肴とを入れて渡す。素焼きの土器
(かわらけ)に書いた女房の歌は、 さし出でたる ふたらを見れば みを捨てて 頼むはたまの 来ぬとさだめつ
(さし出された蓋は本当の鏡ではないから 姿が映るはずがありません 姿が見たいとおっしゃるけれど ほしいのは酒でしょう)  

 こうして時々あの人が訪れる中途半端な状態なので遠慮して、世間の人が忙しくする勤行もしないで、十四日は過ぎた。
〔二〕
 十四日頃に、古い袍を、
「これをうまく仕立て直して」  
 などと言って寄こす。
「着る予定の日はいつ」  
 などと書いてあるが、急いで仕立てようとも思わないでいると、使いが翌朝来て、手紙に、
「遅い」  
 とあって、

久しとは おぼつかなしや 唐衣 うちきてなれむ さておくらせよ
(なかなかできないとは頼りない よれよれになるまで着よう そのまま送り返してくれ)

 とあるが、その通りにしないで、手紙もつけないで仕立物を届けたところ、
「これは悪くない出来のようだ。でも手紙もつけないなんて素直でないな」  
 と言ってきた。腹が立つのでこう言ってやった。

わびてまた とくと騒げど かひなくて ほどふるものは かくこそありけれ
(急かされて困り 早くほどいて仕立てようと騒いだ甲斐もなく 古い仕立て直しはこんなものです 古びたわたしと同じように)  

 と。それから後は、
「司召だから」  
 などと言って、連絡もない。  
 今日は二十三日、まだ格子をあげない早朝に、まわりの侍女が起きはじめて、妻戸を押し開けて、
「雪が降ったのね」  
 と言っている時に、鶯の初声がしたけれど、わたしはまるで、気持ちもますます老いてしまったようで、いつものつまらない歌も浮かんでこない。  
 司召があって、二十五日に、あの人は、
「大納言になった」  
 などと騒いでいるが、
〈わたしにとっては、ますます自由がきかなくなるだろう〉  
 と思うと、お祝いなど言って来る人も、かえってわたしをからかっているような気がして、少しも嬉しくない。大夫だけは、なにも言わないが、内心喜んでいるようだ。次の日あたりに、
「どうして、
『どんなにお喜びで』  
 とでも言ってくれないのだ。昇進した甲斐がない」  
 などと言ってきた。  
 また、月末ごろに、
「なにかあったのか。わたしは忙しくて。どうして便りもくれない。薄情な」  
 などと、最後には、言う言葉がなくなったせいか、わたしが言いたい恨み言を逆に言ってくる。
〈今日も手紙だけで、あの人が来るのは期待できないようだ〉  
 と思うので、返事に、
「帝の御前でのご政務は、お体のあく暇もないご様子ですが、わたしにはおもしろくなくて」  
 とだけ書いて送った。  
 こんなふうにあの人の訪れは途絶えているが、今はなんとも思わなくなってしまったので、かえってとても気が楽で、夜も安心して横になって寝ていたところ、門を叩く音にはっと目が覚めて、
〈おかしい〉  
 と思っているうちに、召使がすぐに門を開けたので、わたしがどきどきしていると、妻戸口に立って、
「早く開けて。早く」  
 などと言っているようだ。前にいた侍女たちも、くつろいだ格好だったので、逃げて隠れてしまった。立たせたままにしておくのも見苦しいので、にじり寄って、
「〈もしかしていらしゃるかしれない〉
 と、戸締まりをしないで寝ることさえなくなったので、錠がとても固くて(
君や来む われや行かむの まきの板戸を ささで寝にけり/あなたが来てくださるのか わたしが出かけようかと ためらっているうちに 板戸に鍵をしないで寝てしまった[古今六帖・第二]を踏まえて言う)
 と言って開けると、あの人は歌の「ささで」を「さして〔指して〕〔鎖して〕」と言い換えて、
「あなたを目指してやって来たから、戸も鎖してあったのだろう」  
 と冗談を言う。さて、夜明け前の頃に、松を吹く風の音が、ひどく荒々しく聞こえる。
〈独り寝をして明かした夜は多かったが、こんな音がしなかったのは、なにかがわたしを守っていてくれたのだわ〉  
 と思うほど荒々しく聞こえる。  
 夜が明けると二月になったようである。雨がとてものどかに降っている。格子などを上げたが、いつものようにあの人が慌ただしく帰らないのは、雨のせいらしい。だが、このままここにいるとは思えない。しばらくして、
「従者たちは来ているか」  
 などと言って起き出して、糊気が落ちてしなやかな直衣
(のうし)に、ほどよく柔らかくなった紅の練絹(ねりぎぬ)の袿(うちき)を直衣の下から出して、帯をゆるく結んで、歩いて出て行くと、侍女たちが、
「お粥を」  
 などと勧めるが、
「いつも食べないのだから、いらない。食べないよ」  
 と機嫌よさそうに言って、
「太刀を早く」  
 と言うと、大夫が太刀を持って、簀子に片膝ついて控えている。あの人はゆったりと歩み出てあたりを見回して、
「庭の草を乱雑に焼いたようだな」  
 などと言う。そのままそこに、雨覆いを張った車を寄せて、供の男たちが軽々と車の轅を持ち上げていると、あの人は乗り込んだようだ。下簾をきちんと下ろして、中門から引き出して、ほどよく先払いをさせて遠ざかっていくのも、わたしには憎らしく聞こえる。  
 ここ数日、とても風が激しいので、南面の格子を上げないでいたが、今日、このようにあの人を見送って、外を眺めながら、しばらく座っていると、春雨がほどよくのどかに降って、庭はなんとなく荒れているようだが、草はところどころで青く萌え出ている。しみじみと身にしみて見える。昼頃、吹き返しの風が吹いて、晴れそうな空模様だったが、妙に気分がすぐれず、日が暮れてしまうまで、ぼんやり物思いの沈んで過ごした。
〔三〕
 三日になった夜に降った雪が、三、四寸ばかり積もって、今朝もまだ降っている。簾を巻き上げてぼんやり眺めると、
「ああ、寒い」  
 と言う侍女たちの声が、あちこちで聞こえる。風までも激しく吹いている。なにもかもとてもしみじみとした感じである。  
 その後、天気も回復して、八日頃に地方官歴任の父の所に出かけると、親類が大勢いて、若い女たちが多く、箏の琴や琵琶などを、今の春の季節にふさわしい調子に奏でたりして、笑うことが多く一日を過ごした。翌朝、親類が帰った後は、のんびりした気分である。  
 家に帰って、たった今届いたあの人の手紙を見ると、
「長い物忌に引き続いて着座
(ちゃくざ)ということをして、慎んでいたので。今日は早く行こうと思う ※着座―権大納言に任じられた兼家が晴れの座につく儀式のこと」  
 などと、とても情がこもっている。返事を出して、
〈すぐにも来そうに言っているが、そんなことはない。今はもう忘れられていくわたしだもの〉  
 と気にもかけないで、呆れるほどくつろいでだらしなくしているところへ、午の刻
(正午前後二時間)頃に、召使いたちが、
「いらっしゃいます、いらっしゃいます」  
 と騒ぐ。ひどく慌ただしい気がするのに、あの人が入って来たので、身なりをととのえることもできないまま茫然として向かい合っていると、気もそぞろである。しばらくして、お膳などをさし上げると、少し食べたりして、日が暮れたと思われるころに、
「明日は、春日の祭だから、御幣使
(みてぐらづかい)を出さなければならないから(※春日神社は藤原氏の氏神で、神に奉納する物を御幣使〈近衞少将、時には中将〉が持って行くが、権大納言右大将である兼家の管轄であるからこう言う)」  
 などと言って、きちんと装束をととのえ、前駆を大勢引き連れ、大げさに先払いをさせて出て行かれる。するとすぐに、侍女たちが集まって来て、
「ひどく見苦しい格好でくつろいでいた時なので、殿はどうごらんになったのでしょう」  
 などと、口々にわたしに気の毒なことをしたと言うので、
〈わたしのほうこそ見苦しいことだらけだった〉  
 と思うと、
〈ただわたしだけが愛想をつかされてしまった〉  
 と思ってしまう。  
 どういうことだったのだろう、この頃の天気は、照ったり曇ったり、春なのにとても寒い年だと思われた。夜は月が明るい。十二日、雪が、東風にあおられて乱れ散る。午の刻
(正午前後二時間)頃から雨になって、静かに一日中降り続けるにつれて、しみじみとした感じである。今日まで連絡がないあの人も、
〈やはり思った通りだ〉  
 という気がするが、
〈今日から四日間は、物忌かもしれない〉  
 と思うと、少し気持ちも落ち着く。
〔四〕
 十七日、雨が静かに降って、
〈あの人の邸からこちらの方角がふさがっている〉  
 とも思うので、世の中がしみじみと心細く思っていると、石山に一昨年参詣した時に、心細かった毎夜、陀羅尼をとても尊く読みながら礼堂(らいどう)で礼拝している僧侶がいた、尋ねたところ、
「去年から山籠もりしています。穀断ちをしています(※穀断ち―修行や立願成就などのため穀類を食べない)」  
 などと言ったので、
「それなら、わたしのために祈ってください」  
 と話した僧侶から、言ってきたことは、
「去る五日の夜の夢に、あなたのお袖に月と日をお受けになって、月を足の下に踏み、日を胸にあててお抱きになっているのを見たのです。これを夢解きにお尋ねください」  
 と。
〈まあ嫌だ、大げさなことを〉
 と思うと、僧侶のことが疑わしくなって、ばかばかしい気がするので、誰にも夢解きなどしないでいたところ、夢判断をする人が来たので、他人の話として尋ねさせると、予想したとおり、
「どのような人が見たのですか」  
 と驚いて、
「朝廷を意のままに、思いどおり政治を行うことになるでしょう」  
 と言う。
「やはり思ったとおり。この夢判断が間違っているのではない。言ってきた僧が疑わしい。このことは内緒にね。とんでもないことだわ」
 と言ってそれきりにした。  
 また、侍女が、
「この邸の門を四脚門に造り替えるのを夢に見ました(※四脚門―門柱の前後にさらに二本ずつの袖柱を設けた門。大臣以上の格式の門)」  
 と言うと、夢判断は、
「それはここから大臣公卿がお出になるに違いない、という夢です。このように言うと、ご主人が近々大臣におなりになることを言っていると思われるでしょうが、そうではありません。ご子息の将来のことなのです」  
 と言う。  
 また、わたし自身が一昨日の夜に見た夢で、右の方の足の裏に、大臣門(おとどかど)という文字をいきなり書いたので、びっくりして足をひっこめたのを見たと尋ねると、
「さきほどの夢と同じことが見えたのです」  
 と言う。これもばかばかしいことなので、
〈信じられない〉  
 と思ったが、大臣公卿の出ないあの人の一族ではないので、
〈わたしのたった一人息子が、もしかしたら思いがけない幸運でもつかむのではないかしら〉  
 と心の中で思う。
〔五〕
 こんなことがあったが、今のような状態では、将来も心細いうえに、子どもは一人でそれも男なので、これまでも、あちこちにお参りなどした先々で、
〈女の子をお授けください〉  
 とお願いしたけれど授からなく、今はなおさら子どもの授かりにくい年齢になっていくので、
〈なんとかして、卑しくない人の女の子を一人迎えて、世話もしたい。一人息子とも仲良くさせて、わたしの最期を見とってもらおう〉  
 と、この数か月はそんな気になって、侍女や知人にも相談すると、
「殿が通っていらっしゃった源宰相兼忠(げんさいしょうかねただ)とか申し上げた方のご息女との間にできたお子さまに、とても可愛らしい姫君がいらっしゃるということです。同じことなら、その姫君をそのようにお願いなさってはどうでしょう。今は志賀山の麓で、兄の禅師の君という人を頼って、暮らしていらっしゃるそうです」  
 などと言う人がいた時に、
「そうそう、そんなことがありました。お亡くなりになった陽成院(ようぜいいん)のご子孫ですね。宰相さまが亡くなられて、また喪のあけないうちに、あの人は例によってそのような女性の話は聞き流せない性格で、なにかと世話をしているうちに、そんな仲になったようです。あの人は最初、一時の遊びのつもりだったし、女は特別華やかなところもないうえに、年齢なども老けていたはずだから、女はそんな関係になろうとは思わなかったでしょう。でも、返事などはしていたようで、あの人自身二度ほど訪ねて行って、どういうわけか、女のために単衣だけを持っていったことがありました。ほかにいろいろなことがあったけれど、忘れてしまいました。さて、それからどういうことがあったのか、

関越えて 旅寝なりつる 草枕 かりそめにはた 思ほえぬかな
(逢坂の関を越えて旅寝するように やっと一夜を過ごしたが かりそめの契りとは思えない)  

 とか、言って送られたようでしたが、ありきたりの歌だったので、返歌も格別なものではありませんでした。

おぼつかな われにもあらぬ 草枕 まだこそ知らね かかる旅寝は
(不安でなりません 何がなんだかわからないまま一夜を過ごしたので 今まで経験したことがありません こんな旅寝は)  

 と返してきたのを、
『わたしは旅寝だが、あちらが旅寝と詠んだのはおかしい』  
 などと言って一緒に笑いました。その後は特別なこともなかったのでしょう、どんな手紙の返事だったのか、こんな歌が来たらしい。

おきそふる 露に夜な夜な ぬれこしは 思ひのなかに かわく袖かは
(置く露にわたしの涙が加わって 夜ごとに濡れる袖は  わたしの「思いの火」の中でも乾かないのです)  

 などと言ってきたようですが、そのうちにますますあの人との仲も疎遠になってしまいましたけれど、後で聞いたところによると、
『いつかの女の所では女の子を産んだようだ。わたしの子だと言っているらしい。ここに引き取って育てたら』
 などとおっしゃった、その女の子なのでしょう。その子を養女にしましょう」
 などということになって、伝(つて)を探して聞いてみると、あの人も知らない幼い子どもは、もう十二、三歳になっていて、母親は、ただその子一人に寄り添って、あの志賀の山の麓の、湖が前に見える、志賀の山が後ろに見える、言いようもない心細そうな所で、暮らしているそうだと聞いて、わたしは身につまされ、
〈そのような住まいで悩みに悩み尽くして愚痴をこぼし尽くしていることだろう〉
 と、真っ先に思った。  
 こうして、その女の腹違いの兄弟も京で僧侶になっていて、わたしにこの話を持ちかけた人が、、その僧侶を知っていたので、その人に頼んで僧侶を呼び寄せて相談させると、僧侶は、
「なんの支障があるでしょう。とても結構なことだと、拙僧は思います。そもそも、あの人のところで娘の面倒を見ていくのは、生活も心細いので、今はもう尼になってしまおうというわけで、志賀山の麓にここ数か月移り住んでいらっしゃいます」  
 などと言っておいて、早速その翌日頃に、志賀の山越えをして出かけたところ、腹違いで日頃親しくもしていない人がわざわざ訪れて来たのを女は不思議がり、
「なんのご用件で」  
 などと言ったので、しばらくしてから、養女の件を話し出すと、はじめは何も言わないで、それからどう思ったのか、とても激しく泣いて、やがて気を静めて、
「わたしとしても、今はこれまでと先の見えたこの身はともかく、こういう所に、この子を連れて住んでいるのは、とても辛いと思うものの、どうしようもないと諦めていましたが、そのようなお話なら、どのようにでも、あなたのご判断でお取り計らいください」  
 ということだったので、僧侶は次の日帰って来て、
「こういうことで」  
 と言う。
〈予想していたとおりだった。前世の宿縁だろうか〉  
 とてもしみじみとした気持ちでいると、
「それでは、先方へ、まずお手紙をお出しください」  
 と言うので、
「では、すぐに」  
 と言って書く。
「長い間お便りをしなかっただけで、あなた方のことはよくお聞きしていたので、誰からの手紙かと不審に思われることもないと思いまして。妙な話だと思われるでしょうが、この禅師の君に、わたしの心細い不安をお話ししたのを、あなたに伝えてくださったところ、
『とても嬉しいお返事をくださった』  
 と伺いましたので、お礼かたかだ申し上げる次第です。ひどく気が引けるお願いなのですが、尼になるとのお考えを承りますと、可愛いお子さまでも、お手放しくださるかと思いまして」  
 などと書いて送ると、翌日返事が来た。
「喜んで」  
 などと書いてあって、とても快く承諾してくれた。禅師が話してくれた経緯も、この手紙に書いてある。嬉しく思う一方、母親のことを思うと不憫でならない。いろいろ書いてあって、
「霞に立ち込められたように涙で目も曇り、どこで筆をおいたらいいのかわからないので、見苦しい手紙になってしまいました」  
 とあるのも、もっともなことだと思われた。
〔六〕
 それから後も、二度ばかり手紙を送って、話がすっかりまとまったので、禅師たちが先方に行って、娘を京に出立させることになった。娘をたった一人で送り出す母親の気持ちを思うと、とても悲しい。
〈普通の気持ちでこのように子どもを手放せるだろうか、ただ、
《父親が世話してくれるなら》
 などと考えたからだろうが、そんな期待をしてわたしの所に来ても、わたしと同じようにあの人が面倒を見ることはないだろう、そうして、期待通りにいかない場合は、かえって気の毒なことになるかもしれない〉
 などと思う気持ちも湧いてくるが、どうしようもない、このように約束してしまったので、今さら約束を破るわけにはいかない。
「この十九日が養女を迎える良い日だから」  
 と決めていたので、女の子を迎えに行かせる。目立たないように、ただこざっぱりした網代車(あじろぐるま)に、馬に乗った従者が四人、下人は大勢ついて行く。大夫がそのまま乗り込み、車の後ろの席に、今度の件で口添えした人を乗せて行かせる。  
 今日、あの人から珍しく手紙が来たので、
「もしかしたら来るかもしれない。出会ったらまずいわ。早く行ってきなさい。しばらくは知られたくないの。でも、すべて成り行きにまかせましょう」  
 などと、打ち合わせた甲斐もなく、あの人に先を越されてしまったので、がっかりしていると、しばらくして迎えの一行が帰って来た。
「大夫は、どこへ行っていたのだ」  
 と尋ねるので、なにかと適当にごまかしている。以前からいずれは打ち明けなければならないし、こんなふうに出会うことがあるかもしれないと予想していたので、
「心細い身の上ですから、父親が捨てた子を引き取ることにしました」  
 などとほのめかしていたので、あの人にわかってしまって、
「見てみたい。誰の子だ。わたしはもう年老いたから、若い男をみつけて、わたしを勘当するつもりだろう」  
 と言うので、とてもおかしくなって、
「それでは、お見せしましょう。お子さまにしてくださいますか」  
 と聞くと、
「それはいい。そうしよう。さあ早く早く」  
 と言うので、わたしもさっきから女の子のことが気になっていたので、呼び出した。  
 聞いていた年のわりにはとても小柄で、言いようもないほど子供っぽい。近くに呼び寄せて、
「立ってごらん」  
 と言って立たせると、身の丈は四尺(約百二〇センチ)ばかりで、髪は抜け落ちたのだろうか、髪の裾を削ぎ落としたようで、身の丈に四寸(約十二センチ)ほど足りない。とても可愛らしく、髪の形も美しく、姿形がとても上品である。あの人は見て、
「ああ、とても可愛らしい。誰の子だ。早く言いなさい、言いなさい」  
 と言うので、
〈この人が父親だとわかってもこの子の恥にはならないのだから、しかたがない、打ち明けてしまおう〉
 と思って、
「では、可愛いとごらんになるのですね。申し上げましょう」  
 と言うと、なおさらせがまれる。
「ああ、うるさい。あなたの子どもです」  
 と言うと、驚いて、
「なんだって。どの女との子だ」  
 と言うが、すぐに答えないでいると、
「もしかして、これこれの所で生まれたと聞いた子か」  
 と言うので、
「そのようです」  
 と答えると、
「なんということだ。今は落ちぶれて行方もわからなくなったと思っていたのに。こんなに大きくなるまで知らないでいたとは」  
 と言って思わず泣かれる。この子もどう思っているのだろう、うつぶして泣いている。まわりの侍女たちも感動して、(零落した姫君が数奇な遍歴の末父親に巡り合うという)昔物語のようなので、みなが泣いた。わたしも単衣の袖を何度も引っ張り出して思わず泣いてしまうと、あの人は、
「まったく突然に、もう通っては来ないと思っている所に、こんな可愛い人が来られたとは。わたしが連れて帰ろう」  
 などと冗談を言いながら、夜が更けるまで、泣いたり笑ったりして、みな寝た。  
 翌朝、帰る時に娘を呼び出して、見て、とても可愛がった。
「そのうち連れて行こう。迎えの車を寄せたら、すぐに乗りなさい」  
 と笑いながら言って出て行かれた。それから後、手紙などがある時には、必ず、
「小さい人はどうしている」  
 などと、いつも書いてある。
〔七〕 
 さて、二十五日の夜、宵を過ぎた頃に騒いでいる。火事だった。
「すぐ近くだ」  
 などと騒いでいるのを聞くと、あの憎いと思っている女の所だった。その二十五、二十六日は例によってあの人は物忌だと聞いていたのに、
「御門の下からそっと」  
 と言って手紙がある。いろいろと心こまやかな内容である。今ではこんな手紙があるのも、
〈不思議だ〉
 と思う。二十七日はあの人の邸からこちらの方角が塞がる。 二十八日、未の刻(午後二時前後)頃に、
「いらっしゃいます、いらっしゃいます」  
 と騒ぐ。中門を押し開けて、車ごと引き入れるを見ていると、前駆の従者たちが、大勢轅についていて、車の簾は巻き上げ、下簾は左右に開いて横に挟んである。供の者が榻を持って近寄って行くと、あの人はすばやく車から降りて、紅梅が今を盛りと咲いている下をしずしずと歩いて来るのは、いかにも花の盛りにふさわしく、声を張り上げて、
「あなおもしろ(歌謡の一節か)
 と言いながら、部屋に上がってきた。明日のことを考えると、またの南のあの人の邸の方角が塞がる。
「どうして、それを知らせてくれなかったのだ」  
 と言うので、
「方塞がりだと言ったら、どうなさるつもりでしたの」  
 と言うと、
「方違えをしてよそへ行っただろう」  
 と言う。
「あなたの心の中を、これからはよく読み取らないといけないのね」  
 などと、どちらも黙っていられないと、お互いに言い合った。幼い娘には、手習や和歌などを教え、
〈わたしの所で不十分なことはないだろう〉  
 と思っているが、あの人は、
「期待に背いては悪いだろう。そのうち、あちらにいる娘と一緒に裳着(もぎ)の式をあげよう」  
 などと言って、日が暮れた。
「方違えをしなければならないなら、冷泉院(兼家の甥)へ参上しよう」  
 と言って、高らかに先払いをして出て行かれた。  
 この頃は、天候もすっかりよくなって、うらうらとのどかである。暖かくもなく寒くもない風が、梅の香りを運び、山の鶯を誘い出す。鶏の声なども、さまざま和やかに聞こえる。屋根の上をじって見ていると、巣を作っている雀(すずめ)たちが、瓦の下を出たり入ったりしてさえずっている。庭の草は、やっと氷から解放されたような顔をしている。  
 閏二月の一日の日、雨がのどかに降っている。その後、空が晴れた。三日、
〈方角があいた〉  
 と思うのに、連絡がない。四日もそのまま日が暮れてしまったので、
〈おかしい〉  
 と思いながら寝ていると、夜中頃に火事騒ぎをしている家がある。
「近い」  
 と聞いたけれど、おっくうで、起き上がれなかったが、見舞いに来るはずの人が、とても歩いて来るような身分ではない高貴な人まで訪れてくる。それでやっと起きて、出て応対などしたが、
「火も鎮まったようだ」  
 と言って、それぞれ帰って行ったので、奥に入って横になっていると、先払いが、門の前にとまったような気がした。
〈変だな〉  
 と思って聞いていると、
「殿のお越しです」  
 と言う。灯りが消えていて、入るのに暗いので、
「ああ、暗い。さっきの火事で明るかったら灯りをつけなかったのだな。火事が近い気がしたので来たけれど、もう鎮火したから、帰ろうかな」
 と言いながら、横になって、
「宵の頃から来たかったが、従者たちも、みな退出したので、出ることができないで、昔だったら馬に乗ってでも来ただろうに、何という窮屈な身分だろう。
〈どれほど大変なことが起こったら、このように駆けつけるだろう〉  
 などと思いながら寝ていたら、ちょうどこんな騒ぎが起きたから、偶然とはいえおもしろい。不思議な気がしたよ」  
 などと気づかってはくれてるようだった。夜が明けると、
「急いで来たから車など見苦しいだろう」  
 と言って、急いでお帰りになった。六日、七日は、あの人は物忌と聞く。八日は、雨が降る。夜は、石の上の苔が雨に打たれて苦しんでいるように聞こえた。  
 十日、賀茂神社に参詣する。
「お忍びで、ご一緒にいかが」  
 と誘う人があったので、
「喜んで」  
 と、参詣に出かけた。いつも新鮮な感じのする所なので、今日も心がのびのびするような気がする。田を耕したりなどしているのも、
〈あんなに無理をして〉  
 と思う。紫野を通って北野に行くと、沢でなにかを摘んでいる女や子どもたちもいる。見るとすぐに、
〈「ゑぐ」を摘んでいるのか(※「ゑぐ」―「くろぐわい」とも「せり」の別名とも言うが不明)
 と思うと、
〈裳裾が濡れるだろう(君がため 山田の沢に ゑぐ摘むと 雪消(ゆきげ)の水に 喪の裾濡れぬ/あなたのために山田の沢でゑぐを摘んでいると 雪解けの水に着物の裾が濡れてしまった[万葉集巻十・読人しらず]からの連想)
 と思った。船岡山の麓を回ったりするのも、とてもおもしろい。暗くなって家に帰り、寝ていたら、門を激しく叩く音がする。はっとして目を覚ますと、意外なことに、あの人だった。ふと疑わしくなり、
〈もしかして、近くの女の所で差し障りがあって、帰されたから来たのだろう〉
 と思ったので、あの人はさりげない様子をしていたが、わたしは打ち解けないまま夜を明かした。翌朝、少し日が高くなってから帰った。そうして、五、六日ほど経った。  
 十六日、雨がとても心細く降っている。夜が明けると、わたしがまだ寝ているうちに、心のこもった手紙が来た。
「今日はそちらの方角が塞がってしまったので、どうしよう」  
 などと書いてあるようだ。返事を出して、しばらくすると、当人がやって来た。日も暮れかけているのに、
〈変だ〉  
 と、その時のわたしは思ったことだろう。夜になって、
「どうしよう。(天一神に)幣帛(へいはく)を奉って、泊まるのを許してもらおうか」
 などと帰るのをためらっている様子だったが、
「そんなことをしても何にもなりません」  
 などと、急き立てて送り出した。出ていく時に、つい、
「今夜はいらっしゃった数には入れないことにしよう」  
 と密かに言ったのを聞いて、
「それでは、せっかく来た甲斐がない。ほかの夜はともかく、今夜はぜひ数に入れてほしい」  
 と言う。予想通り、それから連絡もなく、八、九日ほど経った。
〈当分来ないつもりで、「数に入れて」と言ったのだ〉  
 とこらえきれなくなって、珍しくわたしから送った歌、

かたときに かへし夜数を かぞふれば 鴫(しぎ)の諸羽(もろは)も たゆしとぞなく
(片時の訪れを一夜の訪れと見なされて それっきりお見えにならない夜を数えるとあまりにも多くて 鴫の諸羽もだるくなって鳴くように わたしも亡くばかりです)  

 返事は、

いかなれや 鴫の羽(はね)がき かず知らず 思ふかひなき 声になくらむ
(どういうことなのだろう わたしが鴫の羽がきのように 数限りなく思っている甲斐もなく あなたが泣いているのは)  

 とあったけれど、
〈わたしから歌を送っても、かえって後悔することになってしまう、どうしてこんなことになるのかしら〉  
 と思う。この頃は、庭一面に桜の花が散って、まるで海にでもなってしまいそうに見えた。  
 今日は二十七日、雨が昨日の夕方から降って、風が残りの花を吹き散らす。
〔八〕
 三月になった。木の芽が茂って雀が隠れるほどになり、賀茂祭の頃のように思われて、榊や笛の音が恋しく、とてもしみじみとした気持ちになるうえに、あの人から便りがないのにわたしから歌を送ったのも悔やまれて、いつもの途絶えよりも不安に思ったのは、あれはどういう気持だったのだろう。  
 この月も、七日になってしまった。今日になって、
「これを縫ってほしい。慎むことがあって行けないが」  
 と言ってくる。連絡もなく用事を言いつけるのは今に始まったことでもないので、
「わかりました」  
 などとそっけなく返事をした。昼頃から雨がのどかに振りはじめた。  
 十日、朝廷では石清水八幡宮の臨時祭のことで大騒ぎである。わたしは、知り合いが物詣に行くようなので、一緒にこっそり出かけたのに、昼頃家に帰ったところ、留守番をしていた若い人たち(道綱と養女)が、
「ぜひ見物したいです。行列はまだ通らないそうです」  
 と言うので、わたしが乗って帰ってきた車も、そのまま出立させる。  
 翌日、(祭りに奉仕した勅使の一行が宮中に帰る)還立(かえりだち)の行列を見ようと、人々は騒いでいるが、わたしは気分がひどく悪く、ずっと横になっていたほどで、見物に出たいとも思わなかったのに、まわりの人が勧めるので、ただ檳榔毛の車一台に四人ほど乗って出かけた。冷泉院の御門の北側に車を立てた。ほかの見物人もあまりいなかったので、気分もよくなって、そこに車を止めると、しばらくして行列がやって来たが、その中に、わたしが親しく思っている人も、陪従(祭りに奉仕する楽人)に一人、舞人に一人混じっていた。この頃、別に変わったことはない。  
 十八日に、清水寺にお参りに行く人に、またこっそりと同行した。初夜の勤行が終わって寺から出ると、時は子の刻(午前零時前後)頃だった。一緒に行った人の家に帰って、食事などをしている時に、従者たちが、
「この西北の方角から火が見えから、外へ出て見ろ」  
 などと言うと、
「唐土だ(距離の遠さの誇張表現)」  
 などと言っているようだ。心の中で、
〈遠くても、やはり気になるあたりだ〉  
 と思っていると、人々が、
「火事は長官殿(こうのとの)の所でした」  
 と言うので、非常に驚いた。
〈わたしの家も、長官殿の邸とは土塀を隔てているだけだから、大騒ぎして、若い人を困らしているのではないだろうか、なんとかして早く帰りたい〉  
 と慌てて、車の簾を掛けるひまさえなかった。やっと車に乗って帰って来た時には、すっかりおさまっていた。わたしの家は残り、長官殿の人たちもここに集まっている。ここには大夫がいたおかげで、
〈どうしただろう、裸足で逃げさせたのではないか〉  
 と心配していた娘も、車に乗せ、門をしっかり閉めていたので、火事の混乱に乗じた事件もなかった。
〈ああ、男の子だけあって、よく取り仕切ってくれた〉  
 と、様子を見たり聞いたりすると、胸が熱くなる。逃げて来た人々は、ただ、
「なんとか命だけは」  
 と嘆いていたが、そのうちすっかり鎮火して、しばらくたったが、見舞いに来るはずのあの人はやって来なく、見舞いに来なくてもよさそうな人々から皆見舞いがあったので、
〈昔は、火事があると、
《この近くではないか》  
 と様子を見に、急いで来てくれた時代もあったのに、今では隣の火事でさえ来てくれないとは呆れてしまう。
「これこれです」  
 と火事の報告をしなければならない人は、あちらの雑色とか侍とか、以前聞いていた人の誰に尋ねても、あの人に伝えたと言うのに、もう本当に呆れてしまう〉
 と思っていると、門を叩く音がする。召使いが見に行って、
「お越しになりました」
 と言うので、少し心が落ち着いたような気がする。そして、
「ここに来ていた男たちが来て知らせてくれたので驚いた。あまりにも遅くなって申し訳ない」  
 などと言っているうちに、時も経ってしまい、
〈鶏が鳴いた〉  
 と聞きながら寝たので、火事で大騒ぎしたというのに、まるで気分がよい時のように朝寝坊してしまった。今も、見舞いの人が多く騒いでいるので、起きて応対をする。あの人は、
「もっと騒がしくなるだろう」  
 と言って、急いで帰って行かれた。  
 しばらくして、あの人から男の衣類などがたくさん届いた。
「ありあわせの物ばかりだが、長官にまず」  
 と書いてあった。
「そちらに避難している人たちに配りなさい」  
 とあの人が用意したのは、ひどく急ごしらえで、濃い檜皮色(ひわだいろ)で作ってある。あまりに粗末なので見る気もしなかった。占ってもらうと、
「火事のせいで、三人ほど病気になり、中傷されるかもしれない」  
 などと言った。  
 二十日は訪れもなく過ぎた。二十一日から四日間、例の物忌と聞く。  
 ここに集まっている人々は、南の方角が塞がっている年なので、しばらく留まっているわけにはいかない。二十日に、地方官歴任の父の所に移って行かれた。
〈父の所なら不安なことはないだろう〉  
 と思うと、被災した人たちの世話を十分にできないじぶん自身の情けなさが、何より先に感じたことだろう。これほどまでに辛く思われる身の上だから、この命など少しも惜しいとは思っていないのだが、この物忌の札が何枚も柱に貼り付けてあるのを見ると、まるで世の中に未練があるようである。その二十五日と二十六日は、物忌である。その物忌の終わった夜に門を叩く音がするので、
「このように物忌で門を固く閉めています」  
 と言うと、閉口して帰って行く音がする。  
 次の日は、例によって方塞がりだと知っていながら、昼間にやって来て、灯りをともす頃に帰る。その後、いろいろと差し障りがあることを噂に聞きながら、日が経った。  
 わたしの所も、物忌が多くて、四月十日過ぎになったので、世間では賀茂祭だと騒いでいるようである。ある人が、
「お忍びで」  
 と誘うので、斎院の御禊(ごけい)をはじめとしていろいろ見物する。わたし自身の幣帛(へいはく)を奉納しようと賀茂神社にお参りしたところ、一条の太政大臣(藤原伊尹これまさ)さまの参詣と出会った。
「とても威厳があり、たいした威勢だ」
 などと言うどころではない。
〈ゆったり歩いていらっしゃる様子は、あの人にとても似ていらっしゃる〉
 と思うので、ほかの時の晴れ姿も、あの人はこの方に劣ることはないだろう。このお方を、
「まあ素晴らしい、なんと立派なお方」  
 などと感心する人や、それを聞いて同感する人が口々に褒めるのを聞くと、わたしはその時、うまくいかない夫婦の仲をいっそう悲しんだことだろう。
〔九〕
 なんの悩みのなさそうな人に誘われて、また知足院(ちそくいん)のあたりに出かけた日、大夫も車でついてきていたが、わたしたちの車が帰る時に、かなりの身分の人と見える女車の後に続くことになったので、大夫が遅れないように後を追って行ったら、家を知られないようにしたのだろう、すぐに行方がわからなくなったのを、追いかけて、やっと家を捜して、次の日、こう言ったようだ。

思ひそめ ものをこそ思へ 今日よりは あふひはるかに なりやしぬらむ
(あなたを思いはじめて悩んでいます 「逢う日」という葵祭が終わった今日からは またお逢いできる日もずっと先になってしまうでしょうか)  

 と書いて送ったところ、
「なんのことかわかりません」  
 などと言ってきたのだろう。それでもまた、

わりなくも すぎたちにける 心かな 三輪の山もと たづねはじめて 
(無性にあなたを思う気持ちがつのるばかりです 三輪の山本にあるというあなたの家を尋ねあててから)  

 と言って送った。大和の国にゆかりのある人なのだろう、返事は、

三輪の山 待ち見ることの ゆゆしさに すぎたてりとも えこそ知らせね
(わたしの家を「三輪の山」などとおっしゃるあなたを待っても 昔話のように不吉なことになりそうですから 目印の杉を教えることはできません)  

 とあった。  
 こうして、月末になり、ほととぎすが卯の花の隠れて鳴くというのに、あの人は見えないで、連絡もなくその月も終わった。  
 二十八日に、例によって、神社に参詣するあの人が、供物(くもつ)を頼むついでに、
「体の具合が悪くて」  
 などと言ってきたようだ。  
 五月になった。
「菖蒲の根の長いのがほしい」  
 などと、家の若い娘が騒ぐので、わたしもすることもないので、菖蒲を取り寄せて、糸を通して薬玉を作ったりする。
「これを、あちらにいる、同じ年頃の人(詮子)にさし上げて」
 などと言って、

隠れ沼(ぬ)に 生(お)ひそめにけり あやめ草 知る人なしに 深き下根(したね)
(隠れた沼でひっそり成長したあやめ草〔娘〕 誰にも知られていない娘を紹介します)  

 と書いて、薬玉の中に結びつけて、大夫が参上するのに託して送る。返事は、

あやめ草 根にあらはるる 今日こそは いつかと待ちし かひもありけれ
(菖蒲の根を引いて埋もれた根があらわれる今日五月五日 この日に姫君を紹介していただき いつの日かと待っていた甲斐がありました)  

 太夫は、もう一つ薬玉を用意して、例の大和の女のところに、

わが袖は 引くと濡らしつ あやめ草 人の袂(たもと)に かけてかわかせ
(わたしの袖は菖蒲を引くために濡れてしまいました あなたの袂にかけて乾かしてください)     

 お返事は、

引きつらむ 袂は知らず あやめ草 あやなき袖に かけずもあらなむ
(菖蒲を引いて濡らしたあなたの袂などわたしは知りません なんの関係もないわたしの袖に袂などかけないでください)    

 と言ってきたようだ。
〔一〇〕
 六日の早朝から雨が降りはじめて、三、四日の間降る。
「賀茂川が増水して、人が流された」  
 と言う。それにしても、いろいろなことを思って沈んでいると、なんとも言えない気持ちだが、今はもう馴れてしまったので、あの人が来なくてもなんとも思わないが、あの石山で出会った僧侶から、
「あなたのためにご祈祷いたします」  
 と言ってきた返事に、
「今はもうこれ以上はどうにもならないと諦めているわたしのことは、仏さまもどうすることもできないでしょう。ただ、今は、
『この大夫を一人前にしてくださいますように』  
 とだけお祈りください」  
 と書いていると、どうしたことだろう、目の前が暗くなるほど涙がこぼれる。
 十日になった。今日やっと大夫に託してあの人の手紙が届いた。
「体の具合がずっと悪くて、どうしているか心配になるほどご無沙汰してしまったが、変わりはないか」  
 などと書いてある。返事は、大夫が行くので託す。
「昨日は、折り返しお返事をしなければと思いましたが、この子が行くついででもないと、お手紙をさし上げるのも具合が悪いような気になってしまいましたので。
『変わりはないか』  
 とお尋ねですが、お気づかいなく、いらっしゃらないのもすべて当然のことと思っています。何か月もお見えにならないので、かえって気が楽になっています。
『風だに寒く(待つよひの 風だに寒く 吹かざらば 見え来ぬ人を 恨みましやは/風さえ寒く吹かなかったら 来てくれない人を恨みはしない[曽禰好忠(そねのよしただ)集])』  
 と申し上げたら、あなたが『見え来ぬ人』になり、不吉ですね」  
 と書いた。日が暮れてから大夫が帰って来て、
「賀茂の泉にお出かけになっていたので、お返事もさし上げないで帰って来ました」  
 と言う。
「具合が悪いというのに、結構なことね」  
 と、思わずつぶやいた。    
 この頃、雲の動きが慌ただしく、どうかすると、田植えをする農婦の裳裾が濡れるのではないかと思ってしまう。ほととぎすの声も聞かない。悩みのある人は、眠れないそうだが、わたしは芦着に気持ちよく眠れるからだろう、誰もが、
「この間の夜聞きました」
「今日の夜明け前にも鳴いていました」  
 と言うのを聞くと、よりによって、悩みの多いわたしが、まだ聞いていないと言うのも、とても恥ずかしいので、何も言わないで、心に浮かんだのは、

われぞけに とけて寝らめや ほととぎす もの思ひまさる 声となるらむ
(わたしが人よりぐっすり寝ているだろうか わたしの嘆きが そのままほととぎすのやるせない声となって聞こえているのだろう)  

 と密かにつぶやいた。  
 こうしてすることもなく過ごして六月を迎えた。東向きの部屋の朝日の光がとても暑苦しいので、南の庇の間に出たところ、誰かが近くにいるような気配がして、遠慮されるので、そっと物陰に横になって聞いていると、蝉の声が盛んに聞こえる季節になったのに、耳が遠くて、まだ蝉の声を楽しめないでいる老人がいて、庭を掃こうと、箒を持って、木の下に立っている時に、急に激しく鳴き出したので、びっくりして、木を見上げて、
「『よいぞ、よいぞ』  
 と鳴く蝉がやって来たな。虫だって季節を知っている」
 と独り言をつぶやくのに合わせて、蝉が、
「しかしか(そうだ、そうだ)」  
 とあたりいっぱいに鳴いたので、おかしくもしみじみと心打たれもしたが、わたしの気持ちはなんだかせつなかった。  
 大夫が、紅葉の混じった柧棱(そば)の木(にしきぎ)の枝につけて、例の大和の女の所に歌を送る。

夏山の 木のしたつゆの 深ければ かつぞなげきの 色もえにける
(夏山は木の下露が深いので 青々と茂る一方 木々を燃えるような紅葉に染め上げます わたしもあなたを思う涙で赤く燃えています)  

 返事は、

露にのみ 色もえぬれば ことのはを いくしほとかは 知るべかるらむ
(露だけでこんなに燃えるような色になるとしたら あなたの調子のよいお言葉は何度染め上げたと理解したらいいのでしょう)  

 などと言ってきたが、そのうち、夜中まで起きている時に、あの人から珍しくこまやかな手紙が来た。二十日以上も経っていて、ずいぶん久しぶりだった。こんな呆れた状態には慣れているので、今さらなにを言っても仕方がないし、なにも気にしていない態度をとりながらも、
〈あの人がこんな手紙を寄こすのも思い悩んでいるからだろう〉  
 と一方では思うので、ひどく気の毒な気がして、今までよりも急いで返事をする。  
 その頃、地方歴任の父の家がなくなったので、わたしの家に移って来て、親類が大勢いて、なにかと騒がしく過ごしたが、
〈まわりの人の目にどう映るかしら〉  
 と思うほどあの人から連絡がない。  
 七月十日過ぎになって、来ていた父の家の人たちが帰ったので、うって変わって、ひっそりしてすることもなく、
「お盆のお供えの品をどうしよう」  
 などと、いろいろ心配している侍女たちのため息を聞くと、悲しくもあり、不安でもある。十四日に、あの人は例年のように供物を調え、政所の送り状を添えて届けてきた。
〈こういう配慮がいつまで続くだろう〉  
 と、口には出さないで密かに思う。  
 そのまま八月になった。一日(ついたち)の日は、雨が一日中降る。時雨のような雨で、未の刻(午後二時前後)頃に晴れて、くつくつぼうし(つくつくぼうしの古名)が、うるさいほど鳴くのを聞くと、
「われだにものは(かしがまし 草場にかかる 虫の音よ われだにものは 言はでこそ思へ/草場をたよりに生きている虫の音がうるさい 悲しいから鳴いているだろうが わたしだって泣きたいけれど 口には出さないで嘆き悲しんでいる[宇津保物語・藤原の君]によるか不明)」  
 の歌を口ずさむ。どういうわけか、妙に心細く、涙が浮かんでくる日である。
「来月に死ぬでしょう」  
 というお告げもあったので、
〈今月なのだろうか〉  
 と思う。
「相撲の還饗(かえりあるじ)だ」  
 などと騒いでいるのを。人ごとのように聞く。
 十一日になって、
「思いがけない夢を見た。とにかくそちらへ行って」  
 などと、例によって信じられそうもないことが多く書いてあるが、〔本に〕(※脱文を示す傍注が本文に混入したもの。脱文には兼家の来訪、夢の報告などが書かれていただろう)  
 わたしが何も言わないでいると、あの人は、
「どうして何も言わない」  
 と言う。
「何も言うことはありません」  
 と答えると、
「『どうして来ない、便りをくれない、憎らしい、ひどい』  
 と言って、ぶったりつねったりすればいい」  
 と立て続けに言われるので、
「言いたいことは全部おっしゃったようですから、それ以上なにも」  
 と言ってそれきりになった。翌朝、
「そのうち、相撲の還饗の世話が終わったら来るよ」
 と言って帰った。十七日に、還饗があると聞く。
 月末になったので、約束した還饗も終わってずいぶん経ったのに連絡もないが、今はなんとも思わないで、
「慎むように」  
 と言われた八月の日々が過ぎていき、死期が近くなったのをひたすら心細く思いながら日を送る。
〔一一〕
 太夫は、例の大和の女に手紙を送る。これまでの返事が、自筆のものとは見えなかったので、恨んだりして、

夕されの ねやのつまづま ながむれば 手づからのみぞ 蜘蛛もかきける
(夕方の寝室の隅々を眺めていると 蜘蛛もじぶんの手で巣を作っています あなたはどうしてごじぶんの手で書いた返事をくださらないのでしょう)

 と送ったのを、どう思ったのだろう、返事は白い紙に何か先の尖ったもので書いてある。

蜘蛛のかく いとぞあやしき 風吹けば 空に乱るる ものと知る知る
(蜘蛛って不思議でなりません 風が吹くと空に散ってしまうと知りながら 糸をかけるのですから どこかに散らされてしまう手紙なんて わたしに書けません)  

 折り返し、 つゆにても 命かけたる 蜘蛛のいに あらき風をば 誰か防かむ
(はかなくても蜘蛛が命をかけて作った巣に吹く荒い風を わたし以外の誰が防ぐのでしょう わたしはあなたの手紙をなくしたりはしません)

「暗くなったから」  
 ということで、返事がない。次の日、大夫は昨日の白い手紙を思い出したからだろうか、こんな歌を送ったようである。

たぢまのや くぐひの跡を 今日見れば 雪の白浜 白くては見し
(但馬の雪の白浜に舞い降りた鵠の跡でもないのに あなたの手紙を今日拝見したら 真っ白でなにも書いてありません ぜひ筆跡を拝見したいです)  

 と書いて送ったが、
「外出中です」  
 ということで、返事がない。次の日、
「お帰りですか、お返事を」  
 と、口頭で催促したところ、
「昨日の歌は、とても古めかしい気がしたので、お返事できません」  
 と取次に言わせた。また次の日、
「先日の歌は古めかしいとか。本当にその通りです」  
 と言って、

ことわりや 言はで嘆きし 年月も ふるの社(やしろ)の 神さびにけむ
(古めかしいとおっしゃるのももっともです あなたへの思いを胸に秘めて嘆いた年月が長く 布留の社のようにすっかり古びてしまったのでしょう)  

 と書いて送るが、
「今日、明日は物忌です」  
 ということで、返事がない。
〈物忌が明けただろう〉  
 と思う日の朝早く、

夢ばかり 見てしばかりに まどひつつ あくるぞおそき 天の戸ざしは
(夢のように頼りなく途方にくれています 天の岩戸を閉じたようなあなたの物忌が明けるのが 待ち遠しくなりません)    

 今度もあれこれ言い紛らわすので、また、

「さもこそは 葛城山に なれたらめ ただ一言や かぎりなりける
(さすがあなたは大和のお方 葛城山の一言主神(ひとことぬしのかみ)とお馴染みだから 先日のただ一言が最初で最後だったのですね)  

 誰が教えたのですか」  
 と書いて送った。若い人はこんなふうに歌をやりとりしているようだ。
〔一二〕
 わたしは、
〈春の夜とか、秋のすることもない時に、ひどく深刻に悩むよりは、わたしの亡くなった後に残る人たちの思い出にでもしてもらいたい〉  
 と思って、絵を描いている。そうしているうちにも、今死ぬのか、今日死ぬのかと待たれる命なのに、八月になってだんだん日数も経ってゆくので、
〈やはりそうだ、わたしのような者が死ぬはずはない、幸せな人は寿命が短いというが〉  
 と思っていると、予想したとおり何事もなく九月になった。二十七、八日頃に、土を犯すことになるので、他所に移ったちょうどその夜、珍しくあの人から使いが来たのを、家の者が知らせに来たが、なんの関心もなかったので、煩わしくて返事もしなかった。※土を犯すー陰陽道で、土公神(どくじん)が土中にいるときは、土を犯してはならない。例えば、穴掘り、井戸掘り、種まき、土木工事、伐採など。  
 十月、例年よりも時雨がちな季節である。十日過ぎ頃に、いつも行く山寺に、
「紅葉でも見物がてら」  
 と、家の者たちが誘われたので わたしも出かける。今日は、時雨が降ったりやんだりして、この山は一日中素晴らしい風情だった。十一月一日に、
「一条の太政大臣さまがお亡くなりになった」
 と大騒ぎである。例によって、
「まあ、お気の毒な」
 などと話し合っている夜に、初雪が七、八寸ほど積もった。
〈ああ、ご子息たちはどんな思いで葬列に参加なさっているのだろう〉  
 などと、わたしはすることもなく思っていると、例によってあの人の立場はますます威勢を増してくる。十二月の二十日過ぎに、あの人は見えた。
〔一三〕
 そうして年が暮れたので、大晦日はしきたり通りのことをして、騒がしく一夜を明かし、正月も三、四日になったようだが、わたしは、改まった気分もしない。鶯だけが早くも鳴いているのを、しみじみと聞く。あの人は、五日頃の昼に見えて、また十日過ぎに来て、二十日頃に、皆がだらしなく寝ている時に来て、
〈この月は少し変だ〉  
 と思うくらい見えた。この頃、司召ということで、例によって忙しそうにしているようだ。
 二月になった。紅梅が、いつもの年よりも色濃く、美しく咲き匂っているのを、わたしだけが感慨深く眺めているけれども、特に関心を持って見る人もいない。大夫がその紅梅を折って、例の大和の女に送る。

かひなくて 年経(へ)にけりと ながむれば 袂も花の 色にこそしめ
(いくら恋してもなんの甲斐もなく年が過ぎたと沈んでいますので わたしの袂も紅梅の色のように 血の涙で紅に染まっています)  

 返事は、

年を経て などかあやなく 空にしも 花のあたりに たちはそめけむ
(長い間 あなたはどうしてむやみにわたしを恋したりなさったのでしょう 紅の涙で袂をお染めになっても無駄です)  

 と言ってきた。待っていた返事を、
「いつもながらの気のない歌だ」
 と言いながら見る。
 さて、月初めの三日頃に、午の刻(正午前後二時間)頃にあの人が見えた。老けて恥ずかしい姿になっているので、昼間に会うのはとても辛いが、どうしようもない。しばらくして、
「方角が塞がっている」  
 ということで、わたしが染めたからというわけではないが、輝くばかりの桜襲の綾で、こぼれそうな浮文(うきもん)になっている下襲に、つやつやとした固文の表袴(うえのはかま)をつけて、遠くまで聞こえるくらい先払いの声をさせながら帰って行くのを聞きながら、
〈ああ、辛い。すっかり気を許していた〉  
 などと思って、身なりを見ると、着古してよれよれになっていて、鏡を見ると、ひどく憎らしそうな顔である。
〈今度もまた、わたしのことが嫌になっただろう〉  
 と、しきりに思う。こういうことを際限もなく思って沈んでいると、一日から雨がちになっていたので、わたしはまさに、
「いとど嘆きの芽をもやす(春雨が降れば 思いの火も消えるはずなのに わたしの思いの火は消えないで ますます嘆きの木が芽吹くことだ「春雨の 降るに思ひの 消えなくて いとど思ひの めをもやすらむ[古今六帖]」の異伝歌「春雨の 降らば思ひの 消えもせで いとど嘆きのめをもやすらむ[後撰集]による)」  
 という心境だった。五日、夜中頃に、外が騒がしいので聞くと、以前に焼けたあの憎らしい女の家が、今度は全焼したそうだ。十日頃に、また昼頃あの人が見えて、
「春日神社に参詣しなければならないが、その間が不安で」  
 と言うのも、いつもと違うので、変な気がする。
〔一四〕
 三月十五日に冷泉院の小弓が始まるので、その練習などで大騒ぎである。先手組と後手組がそれぞれ別の裝束をつけることになっているので、大夫のために、その用意をあれこれとする。その当日になって、あの人は、
「上達部が大勢で、今年は盛大だった。あの子は小弓を見くびって一生懸命でなかったから、どうなるかと思っていたが、最初に出て甲矢(はや)、乙矢(おとや)二本とも射当てた。この矢をきっかけに、次々と得点して勝ってしまった」  
 などと騒いでいる。それからまた二、三日して、
「大夫が二本射当てたのは素晴らしい」  
 などと言ってくるので、なおさらわたしも嬉しい。  
 朝廷では、例年通り、その頃、石清水の臨時の祭になった。
〈どうせすることもないから〉  
 と、こっそり出かけて車をとめると、格別華やかに、大げさに先払いをさせて来る者がいる。
〈誰だろう〉  
 と思って見ると、先払いの従者たちの中に、いつも姿を見せる人などがいる。
「あの人(兼家)だったのだ」  
 と気づいて見るにつけても、ますますじぶんがみじめでならない。簾を巻き上げ、下簾を左右に開いて挟んでいるので、車の中がはっきり見える。わたしの車を見つけて、さっと扇で顔を隠して通り過ぎて行った。 あの人から手紙が来た返事の端に、
「侍女たちが、
『昨日はとても恥ずかしそうに顔を背けてお通りになりました』  
 と話していますが、あれはどうしてなのでしょう。あんなふうになさらなくてもよかったでしょうに。若い人のように」  
 と書いた。返事には、
「老いた顔を見せたくなかったからだ。あれを顔を背けたと見た人が憎らしい」
  などと書いてある。 また連絡がなくなって、十日あまりが過ぎた。連絡がないのがいつもより長い気がするので、また、
〈わたしたちの仲はどうなっているのだろう〉
 と思ってしまう。 大夫と例の大和の女との手紙のやりとりは、大人っぽくないし、先方からも年が幼いということばかり言ってくるので、こんな歌を送った。

みがくれの ほどといふとも あやめ草 なほ下刈らむ 思ひあふやと
(水に隠れているあやめ草のように小さくても やはりお気持ちを伺いたいのです わたしと同じように思ってくださるかどうかを)  

 返事は、気のないものだった。

下刈らむ ほどをも知らず 真菰草(まこもぐさ) よにおひそはじ 人は刈るとも
(わたしはあやめ草ではなく つまらない真菰草です いくら成長しても あなたの妻にふさわしくありません)  

 こうしてまたは二十日過ぎにあの人が見えた。さて、二十三、四日頃に、近くで火事騒ぎがある。驚いて騒いでいるところに、とても早くあの人が見えた。風が吹いて燃え続け、長い時間かかって火が消えた頃に、鶏が鳴いた。
「もう大丈夫だから」  
 と言ってあの人は帰って行く。侍女が、
「『殿がここにお越しだと知った人は、お見舞いに参上したことを殿に申し上げてください、と言って帰りました』  
 と従者が言うのを聞くと、わたしばかりか従者も晴れがましそうでした」  
 などと話すのも、いつも沈みきっているこの家を見ているからそんなふうに感じたのだろう。また、月末頃に見える。入って来るなり、
「火事などの近い夜は、この家も賑やかだが」  
 と言うので、
「『衛士(えじ)のたく火(御垣守〈みかきもり〉 衛士のたく火の 昼は絶え 夜は燃えつつ ものをこそ思へ/あなたが守る衛士の焚く火のように 昼は絶えいるばかりで 夜は恋の思いに燃え続けて 物思いをしています[古今六帖・第一]を引用)』  
 のように、わたしの心はいつも燃えています」  
 と答えた。  五月の初めの日になったので、例によって、大夫が大和の女に、

うちとけて 今日だに聞かむ ほととぎす しのびもあへぬ 時は来にけり
(せめて今日だけでもあなたの気持ちを隠さないで聞かせていただきたい ほととぎすも公然と鳴く五月が来ました)  

 返事、

ほととぎす かくれなき音を 聞かせては かけはなれぬる 身とやなるらむ
(承知したとはっきり申し上げたら ほととぎすが公然と鳴くのは卯の花陰を離れるように わたしはあなたに捨てられるでしょう)  

 五日に、

もの思ふに 年経けりとも あやめ草 今日をたびたび 過ぐしてぞ知る
(あなたに逢えないのを悩みながら年を重ねたと 菖蒲の節句の日を何度も過ごして知りました)  

 返事、

つもりける 年のあやめも 思ほえず 今日もすぎぬる 心見ゆれば
(どれほどの年が重なったのか わたしにはわかりません 今日もあなたはほかの女性に心を移してお過ごしになるように見えるので)  

 と書いてある。太夫は、
〈どうして恨んでいるのだろう〉  
 と、不思議でならない。  
 さて、あの人が来てくれない物思いは、この月も時々して以前と同じようだ。二十日頃に、
「遠くに旅立つ人にあげようと思うが、この餌袋の中に内袋をつけてほしい」
 と言うので、内袋を作っていると、
「できたかな。歌をその餌袋いっぱいに入れてくれ。わたしはひどく気分が悪くて、とても詠めそうにない」  
 と言ってきたので、とてもおもしろく、
「ご依頼の和歌は、詠んだだけ全部餌袋に入れてさし上げますが、もしかして、こぼれ落ちてなくなるかもしれません。別の袋をいただけませんか」  
 と言った。二日ほどして、
「気分がひどく悪いが、別の袋を用意する時間がないから、餌袋にいっぱいと頼んだ歌を、仕方なく、わたしの方で詠んで送った。先方の返歌はこれこれ」
 などとたくさんの歌を書いて、
「わたしの歌と返歌と、どちらがいいか判定してほしい」  
 と、雨の中を届けて来たので、少し風流な気がして、期待して見る。優劣はあるが、利口そうに批評するのもどうかと思って、このような歌を、

こちとのみ 風の心を よすめれば かへしは吹くも 劣るらむかし
(東風に風が味方しているので 返しの風に勢いがないように あなたを贔屓にして見るせいか 返歌が劣っているようです)  

 とだけ書いて送った。
〔一五〕
 六月、七月は、同じくらいの訪れで過ぎた。七月末の二十八日に、
「相撲のことで宮中にいたが、こちらに来ようと思って、急いで退出してきた」
  などと言って見えたあの人は、それきり八月二十日過ぎまでやって来ない。聞くと、例の女(近江)の所に頻繁に通っているとのことである。
〈すっかり変わってしまった〉  
 と思うと、正気もなく茫然と過ごしているうちに、住んでいる所はますます荒れていくのに、少人数でもあったので、他人に譲って、じぶんの家に引き取ろうということを、わたしが頼りにしている父が決めて、今日明日には広幡中川(ひろはたなかがわ)のあたりに引っ越すことになった。そういう予定だとは、あの人に以前からほのめかしていたが、
〈今日転居することは知らせなくては〉  
 と思って、
「お話ししたいことがあります」  
 と、伝えたが、
「物忌で行けない」  
 と、冷たい態度だったので、
〈なに、かまうものか〉  
 と思って、黙って引っ越した。  
 山が近く、邸の一方が中川の河原に面していて、川の水を思いのままに引き入れてあるので、とても趣深い住まいと感じられる。二、三日経ったが、あの人はわたしの転居に気づいていない。五、六日ほどして、
「引っ越したのを知らせないとは」  
 とだけ言ってきた。返事に、
「転居のことはお知らせしたと思いますが、不便な所で、お越しになるのは無理かと思いまして。見慣れていらっしゃるあの家で、もう一度お話ししたいと思っていましたが」  
 などと、縁が切れたように書いた。あの人から、
「それもそうだろう。不便な所だそうだから」  
 とあって、それ以来連絡も訪れもない。  
 九月になって、朝まだ早いときに格子を上げて外を眺めると、邸内の遣水にも外の川にも、川霧が立ちこめ、麓も見えない山が遥かに望まれるのも、ひどく悲しい気がして、

流れての 床と頼みて 来(こ)しかども わがなかがはは あせにけらしも
(夫婦の仲は絶えないと頼りにしてきたが 中川の水が涸れるように わたしたちの仲も冷えきってしまったらしい)  

 と口ずさんだ。東の門の前にある田を刈り取って、束ねた稲が一面に掛けてある。時々でも訪れてくれる人には、青い稲を刈らせて馬の飼葉にしたり、焼米(やいごめ)を作らせたりする仕事を、わたし自身熱心にしている。小鷹狩をする大夫もいるので、何羽もの鷹が外に出て遊んでいる。太夫は、例の女に手紙を送って気を引いてみるようだ。

さごろもの つまも結ばぬ たまの緒の 絶えみ絶えずみ よをや尽くさむ
(あなたが恋しくて彷徨い出るわたしの魂は 衣の褄を結んで鎮めてくれる人もいないので 宙に迷い 命も絶え絶えに一生を終わるかもしれません)  

 返事はない。また、しばらく経ってから、

露深き 袖にひえつつ 明かすかな 誰長き夜の かたきなるらむ
(涙に濡れた袖に冷え冷えとしながら夜を明かしています 誰がこの秋の夜長にあなたの相手をしているのでしょう)  

 返事はあったが、まあ書かないでおこう。
〔一六〕
 さて、二十日過ぎに今月もなったが、あの人は来ない。呆れたことに、
「これを仕立ててくれ」  
 と言って、冬の着物を届けてきて、使いの者が、
「お手紙がありましたが、実は落としてしまいました」
 と言うので、
「いい加減に扱ったようね。返事はしないでおきましょう」  
 と言って、手紙になにが書いてあったかはわからないままだった。届けてきた着物は仕立てて、手紙もつけないで送り返した。  
 その後は、夢でもあの人を見ることもなく、年が暮れた。 九月の末にまた、
「殿が、『これを仕立ててほしい』とおっしゃっています」  
 と、とうとう手紙さえつけないで、下襲を届けてくる。
〈どうしたらいいかしら〉  
 と迷って、侍女たちに相談すると、
「やはり、今度だけは殿の反応を見るために仕立てたほうがいいでしょう。お断りしてはひどく嫌っているようですから」  
 などと言うので、縫うことに決めて、そのまま受け取り、こざっぱりと仕立てて、十月一日に、大夫に持たせて届けたところ、
「『とてもきれいにできた』 とおっしゃっていました」
 ということで、それきりになった。あきれたどころの話ではない。
 さて、この十一月に、地方官歴任の父の所で出産があったが、見舞いにも行けないで過ごしてしまったので、
〈五十日目の産養になっただろうか、せめてこの機会にお祝いを〉  
 と思ったが、大げさなことはできないので、お祝いの言葉をいろいろと述べた。しきたり通りである。白い色に調えた籠を、梅の枝につけたものに、

冬ごもり 雪にまどひし をり過ぎて 今日ぞ垣根の 梅をたづぬる
(雪に閉じ込められ お見舞いもできなかった冬が過ぎて 今日やっとお子さまのお祝いを申し上げます)  

 という歌を、帯刀の長(たちはきのおさ)(なにがし)という人を使いにして、夜になってから届けた。その使いは、翌朝になって帰って来た。薄紫色の袿を一襲、祝儀としてもらってきた。

枝わかみ 雪間に咲ける 初花は いかにととふに にほひますかな
(雪間に咲いた梅の初花 若い母親の初めての子は あなたのお祝いをいただいて いっそう美しさを増すことでしょう)  

 などと言っているうちに、正月の勤行の時期も過ぎた。
「人目のつかない所にご一緒に」  
 と誘う人もあり、
「いいですよ」  
 と言って出かけたところ、たくさんの人が参詣に来ていた。わたしを誰と知っている人もいないはずなのに、わたし一人辛く恥ずかしくてならない。祓殿(はらえどの)などという所に、氷柱(つらら)がなんとも言えないほど見事に垂れ下がっている。
〈おもしろい〉  
 と眺めながら帰る時に、大人なのに、童の装束をつけて、髪をきれいに整えて行く人がいる。見ると、さっきの氷柱の氷を、単衣の袖に包むように持って、食べながら歩いている。
〈由緒ある人なのかしら〉  
 と思っている時に、わたしと一緒にいる人が、話しかけたら、氷をほおばった声で、
「わたしにおっしゃるのですか」  
 と言うのを聞いて、身分の低い者だとわかった。その者は頭を地につけて、
「これを食べない人は、願い事がかなわないのです」  
 と言う。
「縁起でもない。そう言うじぶんが袖を濡らしてるじゃない」  
 と独り言を言って、また心に思ったことは、

わが袖の 氷ははるも 知らなくに 心とけても 人の行くかな
(わたしの袖の涙の氷は いつ春が来るとも知らないで 張ったままで解けそうもないのに 人は悩みもなくのんびりと歩いていく)  

 家に帰って、三日ばかりして、賀茂神社にお参りに行った。雪と風が言いようもなく激しくあたりが暗くなって、つらかったうえに、風をひいて寝込み苦しんでいるうちに、十一月になり、十二月も過ぎた。  
 一月十五日に、地震があった。大夫の雑用を務める者が、
「地震だ」  
 と言って騒いでいるのを聞き、その男たちがしだいに酔いがまわって、
「しっ、静かに」  
 などと言う声を聞くとおかしくて、そっと端近に出て外を眺めると、月がとてもきれいだった。東の方を遥かに見ると、山が一面に霞んでいて、ぼおっと見え、ぞっとするほど寂しい。柱に寄りかかって、
〈どこに行っても物思いは尽きない〉  
 と思って立っていると、
〈八月から来なくなったあの人は、連絡もないまま時が過ぎ正月になってしまった〉  
 と思うと、涙がしゃくりあげるようにこぼれてくる。そして、

もろ声に 鳴くべきものを 鶯は 正月ともまだ 知らずやあるらむ
(わたしと一緒に鳴いてくれるはずの鶯は 正月になったのを知らないのかしら わたし一人で泣いているのに)  

 と思った。
〔一七〕
 二十五日に、大夫が、除目が近づいたので忙しく、勤行などをしている。
〈どうしてあれほどするのだろう〉  
 と思っているうちに、司召のことがあって、あの人から珍しい手紙が来て、
「大夫が右馬助になった」  
 と知らせてきた。助(大夫)はあちこちに任官のお礼まわりをする時に、その役所の長官は、叔父にあたる人でいらっしゃったから、ご挨拶に伺ったところ、叔父はとても喜んで、話のついでに、
「そちらにいらっしゃる姫君は、どんなお方ですか。おいくつですか、お年などは」  
 と尋ねた。助が帰って来て、
「こうこうでした」  
 と話すので、
〈どうしてお聞きになったのだろう、あの子はまだ無邪気で、恋の相手になる年頃でもないのに〉  
 と思って、そのままにしていた。  
 その頃、人々は、
「院の賭弓が行われる」  
 と騒いでいる。叔父の右馬頭(うまのかみ)も助も同じ組で、練習場に出かける日に会うと、頭が養女のことばかりおっしゃるので、助は、
「どういうことなのでしょう」  
 などと話していたが、二月二十日頃、夢に見たのは、(※以下脱文。次の行までに夢のことが書いてあったのだろう)
〈ある所にこっそり出かけよう〉  
 と決めた。
「なにばかり深くもあらず(なにばかり 深くもあらず 世の常の 比叡を外山と 見るばかりなり/どれほど深くもない 比叡山を里近い山と見るばかり[大和物語・四十三段])」  
 と言うような所である。野焼きなどする季節で、桜はもう咲いてもいいのに遅いので、いつもならきれいに咲いている道なのに、まだ早過ぎた。
「飛ぶ鳥の 声も聞こえぬ 奥山の 深き心を 人は知らなむ(飛ぶ鳥の鳴き声さえ聞こえない奥山のように深いわたしの心を あのの人に知ってほしい[古今集・恋一])」  
 の歌のように、奥深い山は鳥の声もしないものなので、鶯さえ鳴いていない。川の水だけが、見たこともない凄まじさで、ほとばしって流れている。ひどく疲れて苦しいあまり、
〈こんな苦労をしないですむ人もいるのに、わたしは辛いこの身をもてあましている〉  
 と思いながら、入相の鐘をつく時刻に寺に到着した。お灯明などを捧げて、数珠を一つずつ繰りながら立ったり座ったりして巡拝する間に、ますます苦しくなってきたが、
「夜が明けた」  
 というのを聞く頃に、雨が降り出した。
〈困ったことになった〉  
 と思いながら、僧坊に行って、
「どうしたらいいのだろう」  
 などと話しているうちに、夜がすっかり明けて、供人たちは、
「蓑だ、笠だ」  
 と騒いでいる。わたしは帰りを急ぐこともないのでぼんやりあたりを眺めていると、前の谷から雲がしずしずと立ちのぼるので、ひどくもの悲しくなって、

思ひきや 天つ空なる あまぐもを 袖してわくる 山踏まむとは
(思いもしなかった 大空の雨雲を袖でかきわけて登るような山寺に お参りする身になるなんて)  

 と、あの時は思ったようだ。雨がたとえようもなく激しく降っているが、そのままじっとしているわけにもいかないので、あれこれ雨をしのぐ工夫をして出発した。いじらしいあの子(養女)が、わたしのそばに寄り添っているのを見ると、じぶんの苦しさも忘れてしまうほど愛しく思われた。
〔一八〕
 ようやく家に帰って、次の日、助が弓の練習場から夜更けに帰って来て、わたしの寝ている所に来て言うことには、
「殿が、
『おまえの役所の頭から、去年からしきりに言われていることがあるが、そちらにいるあの娘はどうなったか。大きくなったか。女らしくなったか』  
 などとおっしゃいましたが、また、あの右馬頭さまも、
『殿はなにかおっしゃいましたか』  
 とお尋ねになったので、
『これこれです』  
 と申し上げると、
『明後日頃が吉日だから、お手紙をさし上げよう』  
 とおっしゃっていました」  
 と。
〈とても変な話だわ。まだ恋をするには幼すぎるのに〉  
 と思いながら寝てしまった。  
 さて、その日になって、頭から手紙が来た。とても返事を気楽に書けそうもない内容である。手紙の文面は、
「何か月も前から心に思うことがありまして、殿に人を介してお伝えしましたところ、
『殿はお話の内容だけはお聞きになりました。今は直接お話するようにとおっしゃっていました』  
 と承りましたが、身のほどをわきまえない大それた望みがあると、不審に思われるのではないかと、遠慮していたのです。それに、良い機会もないと思っていましたところ、このたびの司召の結果を拝見すると、この助の君が、同じ役所に来られましたので、そちらへ伺っても、誰も怪しまないと思いまして」
 などと、とてもそつなく書いて、手紙の端に、
「武蔵と呼ばれている人のお部屋に、なんとかして伺いたいのですが(※武蔵は作者の侍女で、武蔵の部屋に伺いたいとは、作者に直接対面することを遠慮した言い方)」  
 と書いてある。返事をさし上げなければならないが、
「まず、
『これはどういうことでしょう』
 と、あの人に聞いてからにしよう」  
 と思って連絡をとったところ、
「『物忌や何かで、今は都合が悪い』  
 ということで、ごらんに入れることができませんでした」  
 と、助が手紙を持って帰って来たが、それから二十五、六日になった。  
 右馬頭は心配になったのだろうか、助のところに、
「ぜひ申し上げたいことがあります」  
 と言ってお呼びになる。
「すぐに」  
 と答えて、とりあえず使いは帰した。そのうちに雨が降り出したが、助は、
〈お待たせしたら気の毒だ〉  
 と出て行ったが、また使いに出会い、手紙を受け取ってもどって来たのを見ると、紅色の薄様を重ねたものが、紅梅の枝につけてある。文面は、
「『石上(石上 ふるとも雨に 障らめや 逢はむと妹に いひてしものを/たとえ降ったとしても雨などに妨げられるものか 逢おうとあの子に言ったのだから。[古今六帖・第一])』  
 という歌はご存じでしょうね。

春雨に ぬれたる花の 枝よりも 人知れぬ身の 袖ぞわりなき
(春雨に濡れたこの鮮やかな紅梅よりも 人知れず嘆くわたしの袖のほうが血の涙に染まって真っ赤です)  

 愛しい人、愛しい人、やはりお越しください」  
 と書いてあり、どういうわけか、「愛しい人」と書いてある部分は上から墨で消してある。助が、
「どうしましょう」  
 と言うので、
「まあ、やっかいね。途中で使いに会ったということにして、お伺いしなさい」
 と言って送り出した。帰って来て、
「『どうして殿にご連絡なさっている合間にでも、お返事をいただけなかったのでしょう』  
 とひどく恨んでいらっしゃいました」  
 などと話したが、さらに、二、三日ほどして、
「やっと父上にお手紙をお見せしました。父上がおっしゃるには、
『なに、かまわない。そのうち考えを決めてからと右馬頭には言っておいたから、返事は、早く適当に推し量って出しておけ。まだ子どもなのに、誰かが通ってくるのでは、具合が悪いだろう。そちらに娘がいることは、世間では誰も知らない。娘でなく母親に通っているなどと、変な噂を立てられたらまずい』  
 とおっしゃいました」  
 と助から聞いて、
〈ああ、腹が立つ。その誰も知らない娘を、頭が知っているのはどうしてなの、あの人が漏らしたのだろう〉  
 と、あの時は思ったのだろう。  
 さて、頭への返事は、その日のうちに書いて届ける。
「この思いがけないお手紙は、今回の除目のおかげかと思いましたので、すぐにお返事をさし上げなければならなかったのですが、
『殿に』  
 などとおっしゃったことが、とても不思議で気になりましたので、尋ねていましたところ、唐土に問い合わせたほど時間がかかってしまいましたので。でも、やはり納得がいかないことは、なんとも申し上げようがなくて」  
 と書いた。手紙の端に、
「『お部屋に』とおっしゃる武蔵は、
『みだりに人を(白河の 滝のいと見ま ほしけれど みだりに人は 寄せじものをや/白河の滝をとても見たいけれど むやみに人を寄せつけてはいけない[後撰集・雑一]を引く)』  
 と申しているようです」  
 と書き添えた。その後も、同じような手紙が何度もくる。返事は、手紙が来るたびに出したわけではないので、頭はひどく遠慮していた。  
 三月になった。右馬頭は、あの人にも、侍女にことづけて頼んでいたので、その侍女の返事を見せに使いをよこす。頭の手紙には、
「ご納得がいかないようですから。これ、このとおり、殿はこのようにおっしゃっています」  
 とある。見ると、
「殿は、
『今月は、日が悪いな。来月になってから』  
 と、暦をごらんになって、たった今もおっしゃっています」  
 などと書いてある。
〈とても変な話、暦を見て結婚の日を決めるなんて早過ぎる。どういうこと。まさかあの人がこんなこと言うはずがない。この手紙を書いた侍女の作り話だろう〉  
 と思う。
〔一九〕
 四月になって、月初めの七、八日頃の昼に、
「右馬頭さまがいらっしゃいました」  
 と侍女が言う。
「しっ、静かに。わたしはいないと言って。結婚の話がしたいだろうけれど、まだ早すぎて具合が悪いの」  
 などと言っているうちに、頭は入って来て、姿がはっきり見える籬(まがき/柴や竹などで目を粗く編んで作った垣根)の前にたたずんでいる。いつもさっぱりときれいな人が、艶のある袿に、しなやかな直衣を着て、太刀を腰につけ、いつものことだが、赤色の扇の要が少しゆるんだのを手でもてあそんで、風が強いので、冠の纓を吹き上げられながら立っている様子は、絵に描いたようである。
「気品のある人がいる」  
 というので、奥にいた侍女たちが、裳など無造作につけたくつろいだ姿で出てきて見ていると、よりによって風がひどく吹いて簾を外へ内へと揺らすので、簾を頼りにしていた侍女たちが、すっかり慌てて、簾を押さえたり引っ張ったりして騒いでいる間に、
〈いまさらどうしようもないが、侍女たちの見苦しい袖口も頭は見てしまっただろう〉  
 と思うと、死ぬほど情けなく辛い。昨夜、弓の練習場から夜遅く帰って来て、まだ寝ていた助を起こしている間に、こんなことになってしまった。助はやっと起きて出て来て、ここには誰もいないことを頭に言う。風がひどく気分も落ち着かないので、格子を全部、前もって下ろしていた時なので、どう言いつくろってもおかしくなかった。頭は強引に簀子に上がって、
「今日は吉日です。円座(わろうだ/丸く編んだ敷物)をお貸しください。座り初めをします」  
 などと話しただけで、
「まったく来た甲斐がない」  
 と、ため息をついて帰って行った。  
 二日ばかりして、ただ口頭で、
「留守の間にお越しくださったとのこと、お詫び申し上げます」  
 などという挨拶を助に申し上げさせたところ、その後、
「とても不安になって帰りましたが、ぜひお会いしたくて」  
 と、いつも言ってくる。娘はまだ結婚にはふさわしくない年齢だから、
「わたしの老けた聞き苦しい声をお聞かせするわけには」  
 などと言っておいたのは、結婚は許さないということなのに、助に、
「お話しがしたい」  
 と言うついでに、日暮れにやって来た。
〈しかたがない〉  
 と思って、格子を二間だけ上げて、簀子に灯りをともし、廂の間に招き入れた。まず助が会って、
「さあ、どうぞ」  
 と言うと、頭は縁に上がった。助が妻戸を引き開けて、
「こちらから」  
 と言ったようで、歩いてくる気配がするものの、また後ろに退いて、
「まず母上に取り次いでください」  
 と小声で言ったようで、助がわたしの所に入って来て、
「これこれです」  
 と伝えるので、
「お望みの所でお話ししなさい」  
 などと言うと、頭は少し笑って、ほどよく衣擦れの音をさせて廂の間に入って来た。  
 助とひそやかに話をして、笏に扇のあたる音だけが時々していた。わたしのいる奥の部屋からはなにも言わないまま、やや時が経ったので、頭は助に、
「『先日はお訪ねした甲斐もなく帰ったので、なんとなく落ち着かなくて』  
 と申し上げてください」  
 と取り次がせた。助が、
「さあ、どうぞ」  
 と言うと、頭はにじり寄ってきたが、すぐには何も言わない。ましてわたしからは声もかけない。しばらくして、
〈不安に感じているかもしれない〉  
 と思って、わたしが軽く咳払いをしたのをきっかけに、
「先日は、あいにくお留守の時にお伺いしまして」  
 と話し出してから、娘を思い始めてからのことを、たくさん話す。わたしは、ただ、
「結婚など不吉に感じるほどですので、そのようにおっしゃいますのも夢のような気がします。小さいどころか、世間で言う『鼠生い(ねずみおい/幼い子どもを生まれて間もない小鼠に喩える俗語)』ほどにもなっていませんので、とても無理なお話で」
 などというふうに答える。頭の声がひどく取り澄ましたように聞こえるので、わたしもひどく答えづらい。雨が乱れ降っている夕暮れで、蛙の声がとても大きい。夜が更けていくので、わたしから、
「ほんとうにこんな気味の悪い所では、家の中にいる人でも気分が落ち着きませんのに」  
 と話しかけると、
「いや、なあに、こちらにお伺いしていると思うと、恐ろしいことはありません」
 というような話をしているうちに、夜がすっかり更けたので、頭が、
「助の君が賀茂神社の使者になる、その準備も近くなったようですが、その時の雑用でも勤めさせていただきます、殿に、こちらではこのようにおっしゃったとお伝えして、殿のお考えを伺い、また殿のお言葉をご報告に明日か明後日頃にお伺いしましょう」  
 と言うので、
〈帰るようだ〉  
 と思い、几帳の縫い合わせてない帷子をかき分けて外を見ると、簀子にともしてあった火は、とっくに消えていた。几帳の内には物陰に灯りをともしていたので、明るくて、外の火が消えているのも気づかなかったのだ。 
〈こちらの姿も見えたかもしれない〉  
 と思うと、あきれてしまい、
「意地が悪いのね、火が消えたともおっしゃらないで」  
 と言うと、
「いえ、別に不自由はしなかったので」  
 と、控えている供人も答えて、頭は帰って行った。
〔二〇〕
 右馬頭は、一度来始めると、たびたびやって来て、同じことばかり話すが、
「こちらでは、お許しの出る殿から、そのような話がありましたら、つらくてもそのようにするでしょう」  
 と言うと、頭は、
「その大切なお許しは頂いていますのに」
 と言って、うるさく責め立てる。
「『この四月に』
 と、殿のお言葉もありました。二十日過ぎの頃に、吉日があるようです」  
 と言って責め立てられるが、助が、右馬寮の使者として、賀茂祭に奉仕しなければならないので、そのことばかりわたしは思っていたから、頭はその準備の終わるのを待っていた。祭に先立つ斎院御禊の日に、助は犬の死んでいるのを見て穢に触れ、残念ながら使者の役は取り止めになった。  
 さて、やはりわたしのほうではひどく気の早い感じがするので、本気で考えてもいないのに、頭が助を通して、
「『殿のお言葉がありました』  
 と言って、このように責め立てていると母上に申し上げてください」  
 とばかり言うので、
「あの人はどうして『殿からお言葉があった』などと言うのでしょう。とてもうるさいので、あなたのお言葉をあの人に見せたいので、お返事を」  
 と、あの人に言うと、
「結婚は四月とは思ったが、助の支度をしている最中で、ずいぶん延び延びになってしまったから、もし頭の心が変わらなければ、八月頃にしたらいいだろう」  
 と言ってきたので、ほっとした気持ちになって、
「殿はこのようなお考えのようです。
『暦を見てたのはあてにならない、早過ぎる』  
 と、だからこそ申し上げたではありませんか」  
 と書いて送ると、返事もなくて、しばらくして、本人がやって来て、
「とても腹立たしいことを申し上げに来ました」  
 と言うので、
「なにごとでしょう。ひどく興奮していらっしゃるのね。では、こちらへ」  
 と言わせると、
「まあ、いいでしょう。こんなに夜も昼も伺っては、うるさく思われて、ますます先のことになるでしょう」  
 と言って、中には入らないで、しばらく助と話をして、帰る時に、硯と紙を要求した。出してやると、書いて、両端をひねって、こちらにさし入れて帰って行った。見ると、

「ちぎりおきし 四月(うづき)はいかに ほととぎす わがみのうきに かけはなれつつ
(お約束の四月はどうなったのでしょう ほととぎすが卯の花の木陰を離れる季節になったように わたしも姫君との結婚が遠のくとは なんと辛い身なのでしょう)  

 どうしたらいいのでしょう。ひどく気がふさいで。夕方にまた」  
 と書いてある。筆跡もこちらが恥ずかしくなるほど達筆である。返事はすぐに書く。

なほしのべ 花たちばなの 枝やなき あふひすぎぬる 四月なれども
(やはり辛抱してください 卯の花はなくても 花橘の枝があるように 逢うという葵祭のある四月が過ぎても また逢う機会があるのですから)
〔二一〕
 さて、右馬頭は、かねて暦を見て選んでおいた二十二二日の夜、訪れて来た。今回は、今までの態度とは違って、とても慎重にしてはいるものの、その責め方は、まったく耐え難い。
「殿のお許しは、だめになってしまいました。八月まではあまりにも遠い気がしますので、あなたのご配慮で、なんとか姫君に会わせていただきたいのです」
 と言うので、
「どのようにお考えになって、そのようにおっしゃるのでしょう。あまりにも遠いとおっしゅる間に、初めて言葉を交わすことになるかもしれません」
 と言うと、
「いくら幼い子どもでも話ぐらいはしますよ」  
 と言う。
「この子は、本当にそうではありません。あいにく人見知りする年頃ですから」
 などと言っても、納得がいかないようで、ひどく気落ちしているように見える。
「姫君に会えないのは、胸が張り裂けるほどに思われますが、
〈せめてこの御簾の中だけでも入れていただいた〉
 と思って退出しましょう。姫君に会わせていただけるか、御簾の中に入れていただけるか、そのどちらか一つでも、叶えたことにしたいのです。ご配慮を」
  と言って、簾に手を掛けるので、とても薄気味悪いけれども、聞かなかったふりをして、
「たいそう夜も更けたようですが、いつもならどこかの女君に逢いたくなるような夜ですね」  
 と、そっけなく言うと、
「まったくこれほど薄情だとは思いませんでしたが、思いがけなくこうしてお話ができただけでも、素晴らしい、この上もない嬉しいことだと思わなければならないでしょう。暦も残り少ないほど日が経ちました。失礼なことを申し上げ、ご機嫌を損ねまして」  
 などと、心から辛く思っているので、親しみをおぼえて、
「やはり無理なご要望です。院や宮中に伺候していらっしゃる昼間のような気持ちになってください」  
 などと言うと、
「そのように表向きの付き合いしかしていただけないのは、耐えられません」
 と、つらがって答えるので、まったくどうしようもない。わたしが返事に困って、最後にはなにも言わないでいると、
「恐縮です。ご機嫌もすぐれないようです。では、あなたからお言葉がない限り、なにも申し上げないことにします。ひどく恐縮しています」  
 と言って、爪弾き(つまはじき/不平不満のしぐさ)をして、何も言わないで、しばらくして立ち上がった。出て行く時に、
「松明をどうぞ」  
 などと召使いに言わせたが、
「受け取らないでお帰りに」  
 と聞くと、気の毒になって、翌朝早く、
「あいにくなことに、『松明を』ともおっしゃらないでお帰りになったようで、『ご無事でしたか』と申し上げたくて。

ほととぎす またとふべくも 語らはで かへる山路の こぐらかりけむ
(また訪ねるともおっしゃらないでお帰りになりましたが お帰りの道は どんなに暗かったことでしょう)  

 それがお気の毒で」  
 と書いて届けた。使いはその手紙を置いて帰って来たので、あちらから、

「とふ声は いつとなけれど ほととぎす あけてくやしき ものをこそ思へ
(いつということなく いつでもお伺いしたいのですが 道が暗かったことより、一夜明けて昨夜の失礼を後悔しています)  

 と、とても恐縮して、お手紙を受け取りました」  
 とだけ書いてある。  
 そのように恨み言を言っても、次の日、
「助の君、今日はあちこち訪問するつもりですが、役所まではご一緒に、と誘いに」  
 と言って、門の所まで来た。先日のように硯を要求するので、紙を添えてさし出した。こちらに入れたのを見ると、妙にふるえた筆跡で、
「前世でどんな罪を犯したせいで、こんなにあなたから妨げられる身になったのでしょうか。ますます変なふうになっていくばかりですが、これでは結婚も、とても難しい。もうこれ以上は何も申し上げません。今は高い峰にでも登るしかありません」  
 などと、たくさん書いてある。返事は、
「まあ、恐ろしい。どうしてそんなことをおっしゃるのでしょう。お恨みになる人は、わたしではなく別の人ではないですか。峰のことはわかりませんが、谷に下りるご案内なら」  
 と書いてさし出すと、助は頭と同じ車に乗って出かけた。助は、賜り物の馬、とても美しいのをもらって帰って来た。  
 その日の夕暮れに、右馬頭がまたやって来て、
「先日の夜のひどく恐縮するほど申し上げたことを思い出すと、さらにいっそう恐縮しています。
『今は、ただ、殿からお言葉あるまで、待っています』  
 などと申し上げに、今夜は生まれ変わってお伺いしました。
『死んではならない』  
 とおっしゃいましたが、たとえ千年の寿命があっても、この恋の苦しみには耐えられない気がします。指折り数えて、指三本、三ヶ月くらいはなんとか過ごせましたが、考えてみると、ずいぶん先が長いので、することもなく寂しく過ごす月日の間、護衛のための宿直だけでも、簀子の端あたりでするのを許していただけないでしょうか」  
 と、こちらの考えていることと反対のことをはっきり言うので、仕方なく調子を合わせて返事などしていると、頭は、今夜はとても早く帰って行った。 
〔二二〕
 助を右馬頭が明け暮れ呼び寄せて離さないので、助はいつも出かけて行く。女絵のおもしろく描いたのが頭の家にあったので、助がそれを取って懐に入れて持って来た。見ると、釣殿と思われる高欄に寄りかかって、池の中島の松をじっと見つめている女が描いてある。その女の所に、紙の端に書いて、こんな歌を貼りつけた。

いかにせむ 池の水なみ 騒ぎては 心のうちの まつにかからば
どうしよう 池の水波が騒いで中島の松にかかるようなことになったら〔どうしよう あの人がほかの女に心を移し わたしを裏切ることになったら〕)  

 また、独り暮らしの男が、手紙を書きかけて途中でやめて、頬杖をついて、物思いにふけっている所に、

ささがにの いづこともなく ふく風は かくてあまたに なりぞすらしも
(蜘蛛の糸を 風があてもなく吹き散らすように この人はあちこちの女にたくさん恋文を書いているようだ)  

 と書くと、助が頭の家に持って行って返しておいた。
 こうして、頭からはやはり同じことばかりで、
「殿に結婚を催促してください」
 などと、いつも言ってくるので、
〈あの人の返事を見せよう〉
 と思って、
「こんなことばかり言ってくるので、こちらでは返事に困っています」  
 と言ったところ、
「時期は言ってあるのに、どうしてそんなにあせるのだろう。八月になるのを待つ間に、そちらでは華やかにもてなしていらっしゃるとか、世間で噂しているようだ。頭のことよりあなたのことで、ため息が出るよ」  
 などと返事がある。
〈冗談だろう〉  
 と思っているうちに、何度もそう言ってくるので、不思議に思って、
「わたしが結婚を催促しているのではありません。ひどくうるさく言ってくるので、
『すべて、わたしに頼むことではありません』  
 と言っていますのに、相変わらず同じことを言ってくるようなので、目に余って相談しているのです。ところで、わたしが華やかにもてなしているとは、どういうことなのでしょう。

いまさらに いかなる駒か なつくべき すさめぬ草と のがれにし身を
(今さらだれが寄りつくでしょう 馬でさえ喜んで食べない枯れ草のように 世を逃れてしまった年寄りのわたしなんかに)  

 ああ、憎らしい」  
 と書いて送った。  
 頭の君は、やはりこの四月のうちに望みをかけて、責める。この頃、例年と違って、ほととぎすが邸宅を突き通すように鋭く鳴くので、
「不吉な前兆だ」  
 と、世間では騒いでいる。頭への手紙の端に、
「例年とは違ったほととぎすの鳴き声にも、世間では不安に思っているようです」  
 と、ひどく恐縮しているように書いたので、頭も艶っぽいことは書いてこなかった。  
 助が、 「馬の飼葉桶(かいばおけ)をしばらく」  
 と言って借りようとしたところ、頭は、例の手紙の端に、
「助の君に、
『事が成就しなければ、飼葉桶も貸せない』  
 と申し上げてください」  
 と書いてある。こちらからの返事にも、
「飼葉桶は、『立てたるところ』があるようですから、お貸しいただくと、かえって面倒なことになるでしょう」  
 と書いて送ると、折り返し、
「『立てたるところ』があるようにおっしゃっている飼葉桶は、今日明日にも『うちふすべきところ』がほしそうです。わたしもそちらで『臥すべき所』がほしいのです」  
 と書いてくる。※「立て」「ふす」も「飼葉桶を置く」という縁語。
〔二三〕
 こうして、四月が終わると、結婚は遠い先のことになってしまったので、右馬頭はすっかり気落ちしたのか、連絡もなくて五月になった。四日に、雨がひどく激しく降っている頃に、助に、
「雨の晴れ間があったら、立ち寄ってください。申し上げなければならないことがあります。母上には、
『わたしの前世の宿縁が思い知らされて、何も申し上げません』  
 とお取り次ぎください」  
 と言ってきた。こんなふうにいつも助を呼び寄せながら、特にこれということもなくて、とりとめもないことを言って帰す。  
 今日、こんな雨にもかかわらず、わたしと同じ所に住んでいる人が、ある所にお参りに出かけた。
〈差し支えることもないから〉  
 と思って、わたしも出かけようとしたところ、侍女が、
「女神さまには、着物を縫って奉納するのがよいそうです。そうなさったら」  
 と、そばに寄って来てささやくので、
「では、試してみよう」  
 と言って、縑(かとり/糸を固くしめて織った無地の絹)の雛人形の着物を三枚縫った。それぞれの着物の下前に、こんな歌を書いたのは、どういうつもりだったのだろう、神さまだけがご存じだろう。

しろたへの 衣は神に ゆづりてむ へだてぬ仲に かへしなすべく
(この白い着物は神さまにお供えします わたしたち夫婦の仲を 昔のように隔てのない仲にもどしてくださいますように)  

 また、

唐衣 なれにしつまを うちかへし わがしたがひに なすよしもがな
(長い間慣れ親しんだ夫を 今とは違って わたしの思い通りにする方法はないでしょうか)  

 また、

夏衣 たつやとぞみる ちはやぶる 神をひとへに 頼む身なれば
(夏の単衣を縫って願いがかなえられるのを期待しています 神さまをひたすら頼りにしているわたしなので)  

 日が暮れたので帰った。  
 夜が明けて、五月五日の夜明け前に、兄弟にあたる人がねよそからやって来て、
「どうしたのです。今日の菖蒲は、どうしてまだ葺いてさし上げないのです。夜のうちにしておくのがいいのに」  
 などと言うので、召使たちが目を覚まして、菖蒲を葺いているようなので、侍女たちも起きて、格子を上げたりなどすると、
「しばらく格子は上げないで。ゆっくり工夫して葺こう。そのほうがご覧になるにもいいから」  
 などと言うが、みな起きてしまったので、あれこれ指図して菖蒲を葺かせる。昨日の雲を吹き返す風が吹いているので、あやめの香りが、すぐに漂ってきて、とても趣がある。簀子に助と二人で座って、ありとあらゆる木や草を集めて、
「珍しい薬玉を作りましょう」
 などと言って、せっせと手を動かしていると、
「この頃では珍しくもないけれど、ほととぎすが群れをなして厠の屋根にとまっている」  
 などと、人々が騒いでいる声がするが、ほととぎすが、空を飛びながら二声、三声鳴くのが聞こえたのは、身にしみておもしろく感じたが、
「山ほととぎす今日とてや(あしひきの 山ほととぎす 今日とてや あやめの草の ねにたててなく/山ほととぎすは今日五月五日と決めて 菖蒲草の根にあやかってそれで高く声たてて鳴いているのか[古今六帖・第一])」  
 などと言わない人がいないほど、歌って遊んでいる。少し日が高くなって、頭の君が、
「手番(てつがい/騎射)の見物にお出かけになるのなら、ご一緒に」※手番―五月五日に左近の馬場で行われる左近将監(さこんのしょうげん)以下の官人による騎射(うまゆみ)。  
 と言ってくる。助が、
「お供しましょう」  
 と言ったところ、しきりに、
「早く」  
 などと言って使いが来るので、助は出かけて言った。
〔二四〕
 次の日も、右馬頭は朝早く、
「昨日は、詩歌を口ずさんで、賑やかなようでしたので、何も申し上げられませんでした。もし今暇ならお越しください。母上が冷たい態度でいらっしゃるのは、なんとも言いようがありません。それでも、命があるなら、いつかは結婚できるでしょう。死んでしまったら、姫君をいくら親しく思っていても、なんにもなりません。まあ、これはわたし愚痴で内緒です」  
 と言ってくるが、じぶんはやって来ない。また二日ほどして、朝早く、
「すぐに申し上げたいことがあります。そちらに伺ってもよろしいでしょうか」
 などと言ってきたので、
「早く行きなさい。ここへ来られてもどうしようもない」  
 と言って、出かけさせる。例によって、
「なにもありませんでした」  
 と言って帰って来た。それから二日ほどして、
「ぜひ申し上げたいことがあります。お越しください」  
 とだけ書いて、朝早く届けてきた。
「すぐにお伺いします」  
 と言わせて、しばらくして、雨がひどく降ってきた。夜になっても止まないので、出かけられなく、
「申し訳ない。手紙だけでも」  
 と言って、
「まったくどうしようもない雨に妨げられて困っています。このように、

たえずゆく わがなか川の 水まさり をちなる人ぞ 恋しかりける
(絶えず行き来しているわたしたちの仲ですが この雨で中川の水かさが増して渡れなく 遠く隔てられたあなたが恋しくてなりません)  

 返事、

あはぬせを 恋しと思はば 思ふどち へむなか川に われをすませよ
(会うことができない人を 恋しいと思っているなら 思っている同士で一緒に暮らしましょう 中川で隔てられているあなたの家にわたしを住まわせてください)  

 などと言っているうちに、日が暮れて、雨もやんだので、本人がやって来た。例によって、待ち遠しく思っている結婚の話ばかりするので、
「そんなにご心配なさらなくても。三つとおっしゃっていた指の一つは、折るとすぐに過ぎてしまいそうですのに」  
 と言うと、
「そのお約束もどうなることでしょう。あてにならないことなどもありますから、気が滅入ったあげく、また延期になって、指を折らされることになるかもしれません。やはりなんとかして大殿の暦の途中を切り取って、五月が終わるとすぐ八月になるようにしたいものです」  
 と言うので、とてもおもしろくて、
「そして、帰ってくる雁を鳴かせてね(※雁は七月から九月の秋に帰ってくる)
 などと話を合わせると、とても朗らかに笑う。さて、あの、
「華やかにもてなしている」  
 と、あの人が言ってきたことを思い出して、
「本当にまじめな話、わたしだけで決めるわけにはいかなく、かといって、殿に催促するのも、難しい感じがします」  
 と言うと、
「どういうことでしょう、どうか、その理由だけでも承りたいです」  
 と言って、何度も責められるので、
〈なるほど、と納得させよう。言葉では言いにくいから〉  
 と思って、
「お目にかけるのも、具合が悪い気がしますが、ただ、このことを殿に催促するのが心苦しいことをわかっていただきたくて」  
 と言って、見られて具合の悪い部分は破り取って、先日あの人からきた手紙をさし出すと、頭は簀子にすべり出て、かすかな月の光にあてて、長い間見てから、部屋に入って来た。
「月がおぼろなうえに、紙の色までが墨色と紛らわしく、まったく読めません。昼お伺いして拝見します」  
 と言ってさし入れた。
「もう破ってしまいましょう」  
 と言うと、
「やはりしばらく破らないでください」  
 などと言って、手紙に書いてあったことを、かすかに見たそぶりも見せないで、ただ、
「わたしが気をもんでいた結婚の期日も近づいたし、
『身を慎まなければならない』  
 と人も言うので、なにかと心細く思われて」  
 と言って、時々、何を言っているのか聞きとれない程度に、こっそりと歌か何かを口ずさんでいる。
「明朝、役所に行かなければならない用がありますが、助の君にその件を申し上げに、役所に行く前にお伺いします」
 と言って座を立った。 昨夜、右馬頭に見せた手紙が、枕元にあるのを見ると、 わたしが破って渡したと思ったところは違っていて、ほかに破れたところがある。
〈これは、おかしい〉  
 と思って考えてみると、あの人に返事をした時に、
「いかなる駒か」
 と詠んだ歌を、あれこれ考えながら下書きしたところを、破って頭に見せてしまったようだ。朝早く、頭から助に、
「風邪を引いて、昨日申し上げたようには伺うことができません。ここに午の刻(正午前後)頃にお越しください」
 と手紙がある。
〈例によって、特別な用でもないだろう〉
 と思って、出かけないでいると、わたし宛に手紙が来た。それには、
「いつもより急いでお手紙をさし上げるつもりでしたが、結婚を前に身を慎むことがありまして。昨夜のお手紙はひどく読みにくかったです。わざわざ殿にお話ししていただくのは難しいでしょうが、なにかの時にはよろしくお取り計らいくださるものと頼りにしていながら、はかない身の程を、どうなることかと心細く思っています」  
 などと、いつもより改まって、いじらしく書いてある。返事は、
〈する必要もないし、手紙のたびにしなくても〉  
 と思って、しなかった。次の日、
〈返事をしないのは気の毒だし、大人げない〉  
 と思って、
「昨日は、人の物忌があったうえ、日が暮れたのでお返事しなかったのです。 「心あるとや(たえずゆく 飛鳥の川の よどみなば 心あるとや 人の思はむ/絶えず流れ行く飛鳥川が淀んでしまったら わたしに思うところがあるせいだと あなたは思うだろうか〔[古今集恋四・読人しらず]から次のように使っている。〈いつも返事が来るのに 返事が来ないのは なにか考えがあるのだろうか〉)」  
 というように、思われるかもしれませんが。なにかの時にはなんとかして殿にお伝えしたいと思っていますが、そのような機会もない身の上になっていまして。辛そうなお端書(※頭の手紙の「はかない身の程を、どうなることかと心細く思っています」が端書だったことがここでわかる)を拝見して、おっしゃるとおりだと思いました。紙の色は、昼でも見えにくいと思っていらっしゃるでしょうか」  
 と書いて、こちらから使いを出した時に、先方では僧侶たちがたくさん来ていて、騒がしそうだったので、使いは手紙をそのまま置いて帰って来た。翌朝、朝早くあちらから、
「姿の変わった(僧形・そうぎょう)人たち来ていたうえに、日も暮れて、使いもお帰りになってしまいました。

なげきつつ 明かし暮らせば ほととぎす みのうのはなの かげになりつつ
(嘆きながら毎日を過ごしていますので ほととぎすの隠れる卯の花陰ではないですが 陰のように痩せてしまいました)  

 どうしたらいいのでしょう。昨夜は謹慎していました」  
 とまで言ってくる。返事は、
「これは昨日の手紙のお返事なのですね。
〈どうして、そんなに謹慎まで〉  
 と、不思議なほどで、

かげにしも などかなるらむ うの花の 枝にしのばぬ 心とぞ聞く
(どうしてそんなに嘆いてお痩せになるのでしょう あなたは卯の花陰ではなく 枝の上で鳴く朗らかな性格だと聞いていますのに)    

 と書いて、その歌を墨で消して、端に、
「謹慎していらっしゃらないと物足りない気がします」  
 と書いた。  
 そのうちに、
「左京大夫が亡くなられました」  
 と言ってきたようだが、頭は喪中の間慎み深く、たびたび山寺に籠って、時々手紙をよこして、六月も終わった。  
 七月になった。八月も近い気がするのに、わたしが世話をしている娘はやはりとても幼くて、
〈どうなることだろう〉  
 と思うことが多いのに紛れて、わたし自身の物思いは、今はすっかりなくなってしまった。七月の二十日頃になった。頭の君がとても馴れ馴れしくするので、
〈わたしを頼りにしているのだわ〉  
 と思っているうちに、侍女が言うには、
「右馬頭さまは、人の妻を盗み出して、ある所に隠れていらっしゃいます。ひどくばかげたことだと、世間でもしきりに噂しているようです」  
 と。それを聞くとわたしは、
〈この上なくほっとする話を聞いた。七月が過ぎたら、どう言おうかしらと、思っていたから〉  
 とは思うものの、
〈結婚が迫っているに、わけがわからない〉  
 と、あの時、わたしは思ったことだろう。さて、また頭から手紙が来た。見ると、まるでわたしが尋ねたかのように、
「いやもう、とんでもないことです。心にもないことをお聞かせして、八月には結婚できないでしょう。こういうこととは別の関係で、助の君に申し上げることがありましたので、いくらなんでもお見限りには」  
 などと書いてある。返事は、
「『心にもないこと』  
 と、おっしゃっているのは、どういうことでしょう。
『こういうこととは別の関係で』  
 とかおっしゃるのは、わたしたちのことをお忘れにならなかったのだと思えて、とても安心しました」  
 と書いて送った。  
〔二五〕
 八月になった。世間では、天然痘が流行して大騒ぎである。二十日の頃に、この付近にも広がってきた。助が例えようもなくひどく患う。
〈どうしたらいいのだろう〉  
 と、音信不通になっているあの人に知らせようと思うほど重態なので、わたしはいっそうどうしていいかわからない。
〈でも、そんなことは言っていられない〉  
 と思い、あの人に手紙で知らせると、返事はひどくそっけないものだった。そして、口頭で、
「どんな様子だ」  
 と使いの者に言わせた。
〈それほど親しくない人でさえ見舞いに来てくれているようなのに〉  
 と思う気持ちも加わって、腹立たしくてならなかった。右馬頭も決まりが悪そうにしながらも、たびたび見舞ってくださる。九月の初め頃に助の病気は治った。八月二十日過ぎから降り始めた雨が、この月もやまないで、あたりが暗くなるほど降って、この中川も賀茂川も一本になってしまいそうなので、
〈この家も流されるのかしら〉  
 とまで思う。世の中のなにもかもが心細い感じである。門の前の早稲田もまだ刈り取りをしないで、たまの雨の晴れ間に、急いで稲を刈って、それで焼米を作るくらいがやっとだった。  
 天然痘はよそでも猛威をふるっていて、
「あの一条の太政大臣のご子息の少将が二人共、九月十六日亡くなった」  
 と言って騒いでいる。想像するだけでも本当にお気の毒でならない。この話を聞くにつけても、治ったあの子は本当に幸運だった。このように助は病気は治ったが、別に用事もないので、まだ外出もしない。二十日過ぎに、とても珍しいあの人からの手紙で、
「助はどうだ。こちらの人は皆治ったのに、
〈助はどうして姿を見せないのだろう〉   
 と心配でならない。あなたがわたしをひどく憎んでいるようなので、遠ざけているわけではないが、意地を張っているうちに時が過ぎてしまった。忘れることはないけれど」  
 と、心を込めて書いてあるので、不思議に思う。返事は、尋ねてきたあの子のことばかり書いて、端に、
「それはそうと、 『
忘れることはない』  
 と書いてあったのは、本当にそうでしょうね」  
 と書いて送った。  
 助がはじめて外出した日に、道で、あの手紙を送っていた女とばったり出会ったところ、どうしたのか、車の筒(どう)が引っかかって困ったというので、次の日、
「昨夜はまつたくわかりませんでした。それにしても、

年月の めぐりくるまの わになりて 思へばかかる をりもありけり
(年月が巡っている間に 昨夜 車の輪が引っかかったように 時にはこのようにお会いすることもあるのですね)」  

 と言ったのを、あちらでは受け取って読んで、その手紙の端に、平凡な筆跡で、
「違います、わたしではありません。〱」 と踊り字(同じ漢字や仮名を重ねるときに用いる符号。「あゝ」の「ゝ」、「いろ〱」の「〱」など。重ね字。ここでは「違います、わたしではありません」を「〱」にした)を使って返してきたのは、やはり気のない返事である。
〔二六〕
 こうして十月になった。二十日過ぎの頃に、忌違えで移った家で聞いたのだが、あのわたしが嫌っている女の所では、
「子どもを産んだそうだ」  
 と人が言う。こんなことを聞いたら聞き流さないで、
〈ああ、憎らしい〉  
 と思うのが普通だが、気にもかけないでいた。宵の頃、灯りをともして、食事などをしている時に、兄弟にあたる人が近くに寄って来て、懐から、陸奥紙に書いて結び文にした手紙で、枯れた薄に挿してあるのを取り出した。
「変な手紙ね、どなたの」  
 と言うと、
「まあごらんなさい」
 と言う。手紙を開いて、灯りに照らして見ると、憎らしいあの人の筆跡にとてもよく似ている。書いてあることは、
「あの『いかなる駒か(「いまさらに いかなる駒か なつくべき すさめぬ草と のがれにし身を/今さらだれが寄りつくでしょう 馬でさえ喜んで食べない枯れ草のように 世を逃れてしまった年寄りのわたしなんかに」の歌)』  
 とあったのは、その後どうなりましたか、

霜枯れの 草のゆかりぞ あはれなる こまがへりても なつけてしがな
(霜枯れのように老いたわたしですが 妹〈弟の妻〉というご縁にあるあなたが「すさめぬ草」と嘆いていらっしゃるのがお気の毒でなりません わたしが若返ってあなたと親しくなりたいものです)  

 ああ、つらい」  
 とある。わたしがあの人に言った、悔しいと思っていた歌の七文字なので、不思議でならない。
「これはどういうこと」  
 そして、
「堀河殿(藤原兼通、兼家の兄)のお手紙では」  
 と尋ねると、
「はい、太政大臣さまのお手紙です。随身をしているある人が、お邸に持って来たので、
『ご不在です』  
 と言ったのですが、
『やはり、確かにお渡しください』  
 と言って、置いていったのです」  
 と言う。
〈どうしてあの歌のことをお聞きになったのだろう〉  
 と、考えても考えても本当に不思議でならない。そうして、まわりの人たちにこの手紙のことを相談していると、昔気質の父が聞きつけて、
「誠に恐れ多いことだ。すぐにお返事を書いて、手紙を持って来た随身に渡さなければならない」  
 と恐縮して言う。そこで、堀河殿をこんなにいい加減に思っていたわけではないだろうが、ひどく投げやりに、

ささわけば あれこそまさめ 草枯れの 駒なつくべき 森の下かは
(笹を分けて来られても わたしはますます離れて行くでしょう 馬も寄りつかない森の下草のわたしですから)  

 と申し上げた。侍女が言うには、
「この返歌をもう一度しようというので、大臣さまは半分まで詠まれたそうですが、
『下の句がまだできない』  
 とおっしゃっているそうです」  
 と。それを聞いてからずいぶん経つのに、そのままになってしまったのは、おかしかった。
〔二七〕
 賀茂の臨時の祭が明後日というので、助が急に舞人に召された。このことで、あの人から珍しく手紙が来た。
「支度はどうする」  
 などと書いてあって、必要なものをすべて届けてくれた。試楽の日、あの人からの手紙に、
「穢に触れて出仕しないで謹慎中なので、宮中に行くわけにもいかないから、そちらへ伺って世話をして送り出そうと思うが、あなたが寄せつけてくれないだろうから、どうしたらいいのだろう、とても心配だ」  
 と書いてある。はっとして、
〈今さら来てもらってもどうなるものでもない〉  
 といろいろな思いがこみあげてくるので、
「すぐに身支度をしてあちらへ行きなさい」  
 と言って、急がせて行かせると、自然と泣いてしまう。あの人は、助に付き添って、舞をひととおり練習させて、参内させた。  
 祭の当日、
〈ぜひ見たい〉  
 と思って出かけたところ、道の北側に、どうということもない檳榔毛(びろうげ)の車が、後ろも前も簾を下ろして止まっていた。前の方の簾の下から、きれいな掻練(かいねり)に紫の織物の重なった袖がこぼれ出ているようだ。
〈女車だ〉  
 と思って見ていると、車の後ろの方にあたる家の門から、六位の太刀をつけた者が、威儀を正して出て来て、車の前の方ひざまづいて、何か言っているので、
〈おや〉  
 と思って目をとめて見ると、その男が出て来た車のそばには、緋色の袍の五位や黒の袍の四位以上の人たちが、ぎっしり集まって、数えきれないほど立っている。さらによく見ると、
〈見たことがある人たちがいる〉  
 と気づいた。例年よりは、儀式が早くすんで、上達部の車や、連れ立って歩いてくる者は、檳榔毛の車を取り巻いている人たちを見て、あの人の車だとわかったのだろう、そこに止まって、同じ場所に車の前をそろえて止めた。わたしの大切な子は、急に舞人に召されて出たわりには、供人などもきらびやかに見えた。上達部が、それぞれ助に果物をさし出しては、なにか言葉をかけたりなさるので、誇らしい気がした。また、古風なわたしの父も、例によって身分の違いから上達部のそばにいることは許されないので、山吹をかざした陪従(楽人)たちの中に紛れていたのを、あの人が特に連れて来させて、あの家(※前述の車の後方の家)から酒などを運び出してあったので、父が盃をさされたりしているのを見ると、ただそのほんの一時だけは、満たされた気がしたことだろう。
〔二八〕
 さて、助に、
「いつまでも独身では」  
 などと世話をやく人がいて、助に親しくしたい女ができた。八橋のあたりに住んでいる女だろうか、はじめに、

葛城や 神代のしるし ふかからば ただ一言に うちもとけなむ
(葛城山の一言主神の霊験が 今もあらたかなものなら その名のとおり わたしの一言で打ち解けてほしい)  

 返事は、この時はなかったようだ。

かへるさの くもではいづこ 八橋の ふみみてけむと 頼むかひなく
(お返事は八橋の帰りに蜘蛛手の道で迷っているのでしょうか 手紙をごらんになっただろう と期待した甲斐もなく)  

 今度は返事が、

通ふべき 道にもあらぬ 八橋を ふみみてきとも なに頼むらむ
(通うことなどできない道なのに わたしが手紙を見たからといって なにを期待していらっしゃるのでしょう)  

 と、達筆の侍女に書かせてあった。また助が、

なにかその 通はむ道の かたからむ ふみはじめたる あとを頼めば
(どうして通えないことがあるでしょうか 踏み始めた足跡をたどるように 手紙を通い始めた二人ですから そのうち通えるようになります)  

 また、返事、

たづぬとも かひやなからむ 大空の 雲路は通ふ あとはかもあらじ
(お訪ねくださっても甲斐がないでしょう わたしのところへは 蜘蛛手ではなく 大空の雲路ですから 足跡など残ってないでしょう)  

 女が負けたくないと思っているようなので、また助が、

大空も 雲のかけはし なくはこそ 通ふはかなき なげきをもせめ
(大空に雲の架け橋がないのなら 通うことができないで嘆くでしょうが 大空には雲の架け橋があるのですから)  

 返事、

ふみみれど 雲のかけはし あやふしと 思ひしらずも 頼むなるかな
(踏んで通おうとなさっても雲の架け橋は危ないもの お手紙を拝見しましたが 通うことができないのをわからないで 期待していらっしゃるようね)  

 また、助が送る。

なほをらむ 心たのもし あしたづの 雲路おりくる つばさやはなき
(やはりこのまま待ち続けます 雲路から舞い降りる翼がないわけではありませんから)  

 今度は、
「暗くなったから」  
 ということで、それきりになった。  
 十二月になった。また助が、

かたしきし 年はふれども さごろもの 涙にしむる 時はなかりき
(衣の片袖を敷いて長い間独り寝をしてきたけれども 今までこれほど夜着が涙で濡れたことはありません)

「外出中です」  
 ということで、返事はない。次の日あたりに、返事をもらいに使いを行かせたところ、柧棱(そば)の木(にしきぎ)につけて、
「見た」  
 とだけ書いてよこした。助はすぐに、

わがなかは そばみぬるかと 思ふまで みきとばかりも けしきばむかな
(わたしたちの仲は疎遠になったかと思うほど 「見た」とだけ言って冷たくなさるのですね)  

 返事、

天雲の 山のはるけき 松なれば そばめる色は ときはなりけり
(わたしは雲のかかるはるか彼方の高い山の松ですから 冷たいのは常磐の松のようにいつものことです)  

 年内に節分をするので、助は、
「方違えはこちらへ」  
 などと使いに言わせて、

いとせめて 思ふ心を 年のうちに はるくることも 知らせてしがな
(あなたを思っている気持ちを年内にわかっていただき わたしにも春が来たことをお知らせしたいのです)  

 返事はない。また、
「わずか一夜ですから、こちらでお過ごしください」  
 などと書いたのだろうか、

かひなくて 年暮れはつる ものならば 春にもあはぬ 身ともこそなれ
(待つ甲斐もなく 今年も暮れてしまうなら 春にもあわないで 死んでしまうでしょう)  

 今度も返事がない。
〈どうしたのだろう〉  
 と思っているうちに、
「あの女には、いろいろ言い寄る男が大勢いるそうです」  
 と聞く。だからだろう、助が、

われならぬ 人待つならば まつといはで いたくな越しそ 沖つ白波
(わたし以外の人を待っているなら 先日の歌のように「まつ」などと思わせぶりなことを言って わたしを裏切らないでください)  

 返事は、

越しもせず 越さずもあらず 波寄せの 浜はかけつつ 年をこそふれ
(裏切るも裏切らないもありません わたしは今までずっと どなたにも同じように心を寄せて過ごしてきたのです)  

 年がおしつまって、

さもこそは 波の心は つらからめ 年さへ越ゆる まつもありけり
(あなたの心がそんなに冷たいとは 波だけでなく 年まで越して待っている人もいるのですよ)  

 返事は、

千年ふる 松もこそあれ ほどもなく 越えてはかへる ほどや遠かる
(千年も経た松だってあります まもなく年が越えて春なったらわたしも帰りますが それがそんなに遠いことでしょうか)  

 と書いてある。
〈おかしい、どういうことだろう〉  
 と思う。風が吹き荒れている時に、

吹く風に つけてもものを 思ふかな 大海の波の しづ心なく
(吹く風につけても思い悩んでいます 大海の波が騒ぐように 心が落ち着かなくて)  

 と書いて送ったところ、
「お返事を申し上げるはずの人は、今日のことにかかりっきりでして」  
 と、今までとは違う筆跡で、葉が一枚だけついた枝につけてあった。折り返し、
「あまりにも辛くて」  
 などと言って、

わが思ふ 人は誰そとは みなせども 嘆きの枝に やすまらぬかな
(わたしの思う人はほかならないあなたですが 今にも散りそうな一枚の木の葉のように わたしも深い嘆きで心が落ち着かないのです)  

 などと言ったようである。
〔二九〕
 今年は天候がひどく荒れることもなく、まだら雪が二度ほど降っただけである。助の元日の装束など、また、白馬(あおうま)の節会に着ていく物など整えているうちに、大晦日になってしまった。明日の元日の引出物にする布地を、折ったり巻いたりするのを、侍女たちに任せたりして、考えてみると、このように生き長らえて、今日まで過ごしてきたのもあきれるばかりで、御霊祭(みたままつり)などを見るにつけても、例年のように尽きることのない母の思い出にひたっているうちに、今年も終わってしまった。ここは京のはずれなので、夜がすっかり更けてから追儺(ついな・大晦日の日に悪鬼を追い払う行事)の人たちが門を叩きながら回って来る音が聞こえる。(とぞ本に※原文を書き写した人の注記で「もとの本にはこうなっている」の意)
巻末歌集
※原文に歌番号はついてませんが、検索しやすくするため番号をつけています。
 仏名会(ぶつみょうえ)を行った翌朝に、雪が降ったので、

1 年のうちに 罪消(け)つ庭に 降る雪は つとめてのちは 積もらざらなむ
(年内に積もった罪障を消したのだから 庭に降る雪は 仏名の勤行をすませた翌朝からは もう降らないでほしい)

 殿(兼家)が、遠のいて行かれてから、長く経って、七月十五日、亡き母の盆のことなどで、お便りがあった、そのお返事に、

2 かかりける この世も知らず いまとてや あはれ蓮(はちす)の露を待つらむ
(亡き母は わたしたちがこんなに冷たい仲になったとも知らないで 蓮の上で恵みの露を待つように わたしたちの盆の供養を今か今かと待っていることでしょう)

 四の宮の子(ね)の日のお遊びの時、殿の代作をして、

3 峰の松 おのがよはひの 数よりも いまいく千代ぞ 君にひかれて
(峰の松は じぶんの寿命より さらに何千年も生き延びるでしょう 宮さまのお手に引かれ そのご長寿にあやかって)

 その子(ね)の日の日記を、宮にお仕えしている人からお借りになったが、その年は、后の宮がお亡くなりになった忌服で、暮れてしまったので、次の年、春に、お返しになるというので、手紙の端に、

4 袖の色 変はれる春を 知らずして 去年にならへる のべの松かも
(袖の色が鈍色に変わっている春とは知らないで 去年と同じように緑色をしている 野辺の小松は)

 尚侍さまが、「天の羽衣という題で歌を詠んで」とお望みになったので、

5 ぬれ衣(ぎぬ)に あまの羽衣 むすびけり かつは藻塩(もしお)の 火をし消(け)たねば
(直訳―海人が潮に濡れた衣に天の羽衣を結びつけ 空高く舞い上がりました 藻塩焼く火を消さないで〔意訳―濡れ衣だと言いながら 恋い焦がれる火を消さなかったから 噂はすっかり広がってしまいました〕)

 父が、陸奥国(みちのくに)で、あちこちのおもしろい所を、絵に描いて、京に持って帰って見せてくださったので、

6 陸奥(みちのく)の ちかの島にて 見ましかば いかに躑躅(つつじ)のをかしからまし
(陸奥のちかの島で 実際にこの絵の景色を見たら どんなに躑躅の岡は素晴らしいことでしょう)

 ある人が、賀茂の祭の日に、娘を結婚させようとしたところ、男のほうから、「葵祭の日に逢う〈結婚できる〉とは嬉しい」と、言ってきた返事に、その娘に代わって、

7 頼まずよ 御垣をせばみ あふひばは 標(しめ)のほかにも ありといふなり
(「嬉しい」とおっしゃってもあてにしていません 神垣が狭くて葵の葉が外へはみ出しているように あなたにはわたしのほかに逢う人がたくさんいらっしゃるようですから)

 親の喪に服すために、同じ家に、兄弟姉妹たちが集まっていらっしゃったが、ほかの人たちは、四十九日が終わって、家に帰って行ったのに、一人後に残って、

8 深草の 宿になりぬる 宿守ると とまれる露の たのもしげなさ
(草深く荒れた家になってしまった家を守ろうと残っていると 草葉の露のように わたしもはかなく消えてしまいそうです)

 返歌は、為雅(ためまさ)の朝臣(あそん)(道綱母の姉婿)

9 深草は 誰も心に しげりつつ 浅茅が原の 露と消ぬべし
(あなたと同じように わたしの心も 深い草が繁るように悲しみは深く 浅茅が原の露のように儚く消えてしまいそうです)

 今上帝のご生誕五十日目のお祝いに、猪の置物を作った時に、

10 よろづ代を 呼ばふ山辺の 亥の子こそ 君が仕ふる よはひなるべし
(万代を呼び続ける山の猪こそ あなたがお仕えする皇子さまの尽きることないご寿命を祝っているのでしょう)

 殿(兼家)が八重山吹を送ってこられたのに応えて、

11 誰かこの 数はさだめし われはただ とへとぞ思ふ 山吹の花
(誰がこの山吹の花を八重と決めたのでしょう わたしはただ十重〔訪え〕がいいと思っています 山吹の花は)

 兄弟が、陸奥国の守になって任国へ下るのに、長雨が続いた頃、その下る日は晴れたので・・・その国には河伯(かはく)という神がいて、(兄弟が、)

12 わが国の 神の守りや 添へりけむ かわくけありし 天つそらかな
(わたしが行く国の神のご加護があったのだろうか あれほどの長雨も 河伯の神のおかげで 空が晴れ上がる気配がする)

 返歌、

13 いまぞ知る かわくと聞けば 君がため 天照る神の 名にこそありけれ
(今わかりました 雨が上がったと聞いたので 河伯とは あなたのために大空を照らす天照大神の別名だったのですね)

 鶯が柳の枝にとまっているという題を、

14 わが宿の 柳の糸は 細くとも くる鶯は 絶えずもあらなむ
(わたしの家の柳の枝が糸のように細くても とまりにくる鶯は 糸を繰るように いつも絶えることなくやって来てほしい)

 傅の殿(ふのとの・道綱)が、はじめて女のところに、手紙を送る時に、わたしが代作して、

15 今日ぞと やつらく待ち見む わが恋は 始めもなきが こなたなるべし
(今日こそは 今日こそはと せつない気持ちでお返事を待つのでしょうか わたしの恋は 始めもわからないほどずっと昔から続いています)

 何度も手紙を送っても返事がなかったので、ほととぎすの置物を作って、

16 飛びちがふ 鳥のつばさを いかなれば 巣立つ嘆きに かへさざるらむ (直訳―ほととぎすは飛び回る翼を持ちながら どうして嘆いている雛のために 木にもどって卵をかえさないのでしょう 意訳―あなたは手紙が書ける手を持ちながら どうしてこんなに嘆いているわたしのために 返事をくださらないのでしょう)

 それでもなお返事がなかったので、

17 ささがにの いかになるらむ 今日だにも 知らばや風の みだるけしきを
(わたしの恋はこれからどうなるのでしょう せめて今日こそ知りたいものです 蜘蛛の巣〈わたしの心〉を乱す風〈わたしの手紙をごらになったあなた〉のお気持ちを)

 また、

18 絶えてなほ すみのえになき なかならば 岸に生ふなる 草もがな君
(なんの連絡もなく あなたと縁がないのなら 住吉の岸に生えているという恋を忘れる草がほしい)

 返歌、

19 住吉の 岸に生ふとは 知りにけり 摘まむ摘まじは 君がまにまに
(そんな草が住吉の岸に生えているとは はじめて知りました それを摘むか摘まないかは あなたのお好きなように)

 相手の女は、

「実方(さねかた)の兵衛佐(ひょうえのすけ)と結婚させることになっている」
 とお聞きになって、まだ少将でいらっしゃった頃のことだろう、

20 柏木の 森だにしげく 聞くものを などか三笠の 山のかひなき
(柏木の森〈兵衛佐〉にさえ頻繁に手紙を通わせていると聞いていますのに どうして三笠の山〈近衛少将〉にお返事もなく 思う甲斐がないでしょう)

 返歌、

21 柏木も 三笠の山も 夏なれば しげれどあやな 人の知らなく
(柏木の森も 三笠のも 夏なのでよく茂っています お二人から頻繁に手紙をいただきますが 無駄なこと わたしは知らないことです)

 女が返事をするのを、親や兄弟がとめていると聞いて、まろこすげ(菅の一首だろうが不明)に挿して、

22 うちそばみ 君ひとり見よ まろこすげ まろは人すげ なしといふなり
(こっそり横を向いてあなた一人で読んでください そちらではわたしのことを思いやりがないと言ってるそうですから)

 病気になられて、

23 みつせ川 浅さのほども 知られじと 思ひしわれや まづ渡りなむ
(三途の川の水深もわからないで 不安に思っていたわたしが 先に渡ることになるのでしょうか)

 返歌、

24 みつせ川 われより先に 渡りなば みぎはにわぶる 身とやなりなむ
(三途の川をわたしより先に渡ってしまわれたら わたしは水際で思い悩む身となるでしょう)

 女が返事をする時としない時があったので、

25 かくめりと 見れば絶えぬる ささがにの 糸ゆえ風の つらくもあるかな
(巣をかけたようだと見ると切れてしまう蜘蛛の糸のように お便りが来たと思うと途絶えてしまう 冷たいですね)

 七月七日、

26 たなばたに けさ引く糸の 露をおもみ たわむけしきも 見でややみなむ
(七夕の今朝 引き渡した五色の色が露の重みでたわんでいるように あなたが靡いてくれるのを見ないで死んでしまうのでしょうか)

 これは、後朝の歌、

27 わかつより あしたの袖ぞ 濡れにける 何をひるまの 慰めにせむ
(別れて帰りながら わたしの袖は朝露で いや涙で濡れました 袖の乾く昼間は なにを慰めに過ごせばいいのでしょう)

 入道殿(藤原義懐)が、為雅の朝臣の娘のところに通われなくなった後、 「日蔭の鬘を編んで」 と言ってこられたので、その娘に代わって、

28 かけて見し 末も絶えにし 日蔭草 何によそへて今日結ぶらむ
(末長くと心にかけて契った仲も絶えてしまったというのに この日蔭草を何になぞらえて今日結べばよいのでしょう)

 女院(東三条院詮子)が、まだ妃でいらっしゃった頃、法華八講を催されたその捧げ物に、蓮の実の数珠をお贈りするというので、

29 となふなる なみの数には あらねども 蓮のうへの 露にかからむ
(浄土で微妙(みみょう)の声をたてているという摩尼(まに)の水の波には及びませんが せめて蓮の葉に置く露の恵みにあやかりたいものです)※「其摩尼水、流注華間、尋樹上下、其声微妙[観無量寿経]による。 

 同じ頃、傅の殿が、橘をさし上げられたので、女院から、

30 かばかりも とひやはしつる ほととぎす 花橘のえにこそありけれ
(今までは これほどのお便りもいただけなかったのですが これも花橘 昔の人のご縁なのですね)

 返歌、

31 橘の なりものぼらぬ みを知れば 下枝ならではとはぬとぞ聞く
(橘の実は上枝にならないように 出世しない身の程をわきまえていますので 下枝にばかり飛ぶほととぎすのように わたしも下々の者とばかりつきあっていて 高貴なお方にお手紙をさし上げるのは恐れ多くて)

 小一条の大将が、白川にいらっしゃっていた時に、傅の殿に、「必ずお越しください」と言って、待っていらっしゃったのに、雨がひどく降って、お出かけになれないでいたところ、大将が随身を遣わして、
「しづくをおほみ(ほととぎす 待つとき鳴かず このくれや しずくをおほみ 道やよくらむ/ほととぎすは待っていても鳴いてくれない 木が小暗く繁っているあたりは雫が多いので道を避けているのだろうか[古今六帖]〈※この歌からここでは、誘いが多いので来ないのだろう〉)
 とおっしゃった返事に、

32 濡れつつも 恋しき道は 避(よ)かなくに まだ聞こえずと 思はざらなむ
(いくら雨に濡れても 恋しい道は避けたりしませんから まだ訪れないなどと思わないでください きっとお伺いします)

 中将の尼に、家を借りようとしたが、貸してくださらなかったので、

33 蓮葉(はちすば)の 浮葉(うきば)をせばみ この世にも 宿らぬ露と 身をぞ知りぬる
(あの世の蓮の浮葉が狭く露がたまらないように 家を貸していただけなくて あの世ばかりかこの世でも安住できないことがわかりました)

 返歌、

34 蓮にも たまゐよとこそ 結びしか 露は心を おきたがへけり
(み仏は 蓮の浮葉にも露〈魂〉が宿るように誓願を立てられたのです それなのに極楽の蓮の浮葉が狭いなどと それはあなたの心得違いです)

 粟田野を見て、お帰りになるというので、

35 花すすき 招きもやまぬ 山里に 心のかぎり とどめつるかな
(薄の穂がいつまでも招いている山里に すっかり心を奪われ 心のすべてをそこに残してきたみたい)

 故為雅の朝臣が、普門寺で千部の経を供養しにいらっしゃって、お帰りのときに、小野殿の桜の花がとても美しかったので、車を引き入れてごらんになって、お帰りになる時に、

36 薪(たきぎ)こる ことは昨日に 尽きにしを いざをのの柄は ここに朽(く)たさむ
(千部経供養は昨日で終わったから 今日は小野で 斧の柄が朽ちるまで花を楽しむことにしよう)

 競馬(くらべうま)の負けた方の品ということらしく、銀製の瓜の形をした破子を作って、院に献上しようとなさった時に、「この器にきざみたい」 と言って、摂政殿から、歌を詠むように言われたので、

37 千代も経よ たちかへりつつ 山城の こまにくらべし うりのすえなり
(千年も経てほしい 実から種 種から実へと繰り返しながら 山城の狛で仲間と成熟を競っていた最後に生まれた瓜よ)

 絵で、山里で物思いにふけっている女がいて、ほととぎすが鳴いている、そこに、

38 都人 寝で待つらめや ほととぎす 今ぞ山辺を 鳴きて過ぐなる
(都の人は 寝ないで待っているだろう そんなほととぎすが今この山のあたりを鳴きながら飛んで行ったようだ)

 この歌は、寛和二年の歌合にある。

 法師の、舟に乗っている絵に、

39 わたつうみは あまの舟こそ ありと聞け のりたがへても 漕ぎ出けるかな
(海に海人〈尼〉が乗る舟があるとは聞いていたが 法師が乗っているとは きっと乗り〈法(のり)〉間違えて漕ぎ出したのだろう)

 殿(兼家)が、通って来られなくなってから、「通って来る人がいるだろう」などとおっしゃったので、

40 いまさらに いかなる駒か なつくべき すさめぬ草と のがれにし身を
(今さらだれが寄りつくでしょう 馬でさえ喜んで食べない枯れ草のように 世を逃れてしまった年寄りのわたしなんかに)

 歌合に、卯の花、

41 卯の花の 盛りなるべし 山里の ころもさほせる をりと見ゆるは
(今が卯の花の盛りなのだろう 山里で白い衣を干しているように見えるのは)

  ほととぎす、

42 ほととぎす 今ぞさわたる 声すなる わが告げなくに 人や聞きけむ
(ほととぎすが今鳴きながら飛んで行く声が聞える わたしは知らせていないけれど あの人は聞いたのだろうか)

 あやめ草、

43 あやめ草 今日のみぎはを たづぬれば ねを知りてこそ かたよりにけれ
(端午の節句の今日 あやめ草を求めて水辺を訪れるとわたしたちの声を知っているのか こちらに靡いてくる)

 蛍、

44 さみだれや 木暗き宿の 夕されは 面照るまでも照らす蛍か
(五月雨が降り 木が繁って暗いこの家の夕暮れは 恥ずかしくなるほど明るく照らす蛍よ)

 とこなつ、

45 咲きにける 枝なかりせば とこなつも のどけき名をや 残さざらまし
(花が咲いている枝がなかったなら 撫子は 常夏〈いつも夏〉などというのんびりした名前を残さなかっただろうに)

 蚊道火(かやりび)

46 あやなしや 宿の蚊道火 つけそめて 語らふ虫の声をさけつる
(つまらないことをした 家の蚊遣火をたき始めたばかりに 気持ちよさそうに鳴いている虫の声まで遠ざけてしまった)

 蝉、

47 送るといふ 蝉の初声 聞くよりぞ 今かと麦の 秋を知りぬる
(「麦秋を送る」という蝉の初声を聞くと もう麦を収穫する季節になったのだと気づいた)※「五月ノ蝉声ハ送ル麦秋」和漢朗詠集をふまえる。

 夏草、

48 駒や来る 人や分くると 待つほどに しげりのみます 宿の夏草
(馬が草を求めて来るのではないか あの人が踏み分けて訪れるのではないかと待っているのに 誰もやって来ないで わたしの家は夏草がいっそう茂るばかり)

 恋、

49 思ひつつ 恋ひつつは寝じ 逢ふと見る 夢をさめては くやしかりけり
(あの人を恋しく思いながら寝るのはもうやめよう 逢った夢を見ても 夢から覚めるとかえって辛く 見なければよかったと悔やまれるから)

 祝い、

50 数知らぬ まさごにたづの ほどよりは 契りそめけむ 千代ぞすくなき
(数もわからない浜の真砂に立つ鶴の千年の齢に比べたら お二人が初めて約束された「千代にかけて」では不十分 もっと長いお二人の仲でありますように)

 あちこちのわからないところは、原本どおりに書いておいた。賀の歌は、日記にあるので書かなかった。
参考文献
●新編日本古典文学全集 蜻蛉日記 木村正中、伊牟田経久校注・訳 小 学館 
●蜻蛉日記全注釈 上巻 下巻 柿本奨著 角川書店
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