『源氏物語』ウェブ書き下ろし劇場 三澤憲治訳『真訳 源氏物語』 『真訳 源氏物語』現代語訳キーポイント 『源氏物語』ここが素晴らしい!
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 ◇歌と物語に込められた紫式部の魂を語り継ぐ。広島の演出家、三澤憲治の「真訳 源氏物語」。原文に忠実に〈真〉を込めて〈訳〉したわかりやすく美しい画期的な現代語訳です。
三澤憲治プロフィール
三澤憲治訳 『真訳 源氏物語』
巻一試し読み
定価 本体4,630円+税
発売日 2014/10/17
判型/頁 上製本/545頁
ISBN 9784990819408
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巻二試し読み
定価 本体4,630円+税
発売日 2015/04/30
判型/頁 上製本/632頁
ISBN 9784990819415
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巻三試し読み
定価 本体4,630円+税
発売日 2015/10/23
判型/頁 上製本/606頁
ISBN 9784990819422
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三澤憲治訳『真訳 源氏物語』全体から本質を読み解く だから三巻になった。
三巻分冊の理由!
 『源氏物語』五十四帖を、三巻の分冊にしたのは、それぞれが物語の変容の分岐点になっているからです。
 巻一では、理想の地位と資質を持った美貌の主人公が、藤壺を慕うあまり、さまざまな女性を遍歴するという説話的な物語でしたが、巻二では、光源氏の〈反省〉と紫の上の〈受苦〉を物語の骨子にしながら、光源氏をはじめ、子息の夕霧や柏木の恋愛の座礁の物語に変貌します。
 そしてさらに巻三では、主人公の薫をはじめ、八の宮、大君、中の君、浮舟といった現世厭離の理念にとらわれた人たちの世界に変貌します。
一、本書は、小学館『新編 日本古典文学全集「源氏物語」校注・訳 阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男』の原文を基に現代語訳しました。
『新編 日本古典文学全集「源氏物語」
一、現代語訳で留意したのは、
①できるだけ原文と同じ長さの現代語にする。
例えば書き出しは、
 
 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひあがりたまえる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ。(原文100字)

 どの帝の御世であったか、女御や更衣が大勢仕えていた中に、最高の身分ではない更衣で、とりわけ帝の寵愛をえている方がいらっしゃった。はじめからじぶんこそはと思いあがっている女御たちは、この更衣を目ざわりだとさげすみ嫉む。(訳文109字)

 このように原文より訳文が9字多いだけです。


②敬語を忠実に訳さない。

 敬語を忠実に訳すと、読み手のリズム感が失われ、時として本文の意味が霧散してしまう。そういうわけで、敬語を忠実に訳さず、極力少なくしている。

③死語になっていなければそのまま使用。

 平安時代に紫式部が使った言葉が死語になっていなく、平成の今でも通じるなら、できるだけその言葉はそのまま使用しています。

④平安朝の知識をなるべく補足説明。

 作者の紫式部は、平安時代のとてつもない豊富な知識を駆使してこの作品を書いている。その平安朝の知識を現在の読者にもわかるようにできるかぎり補足説明している。特に和歌はなるべく全文を掲載しています。

⑤原文にはない主語を表記する。
 会話は「 」、内面の気持ちは〈 〉、和歌、漢詩、説明文は( )、文献は[ ]で示しています。

一、『源氏物語』は、万葉集や古今集などの和歌、白氏文集などの漢詩を多用している。本書はそれを本文中に( )として取り入れ、その現代語訳を歌意として示しました。
 光源氏は、じぶんを生むと亡くなった母に生き写しだと聞かされた藤壺を、幼少の時から慕うようになる。藤壺は源氏にとって亡き母の面影の代償である。やがて成人すると、この母性願望にエロス的な願望が重なって、源氏にとって藤壺は、母性的と女性的とが重層した至上の存在に聖化されてゆく・・・・・・
 桐壺から朝顔の巻までを一冊にまとめたのは、この20帖が光源氏を主人公とする物語だからです。
 『源氏物語』は、光源氏を主人公としている間は、藤壺に対する源氏の遂げられない慕情と、源氏との過失で源氏の子を帝の子として身ごもって生んだ藤壺の罪の意識と、源氏に対するエロス的な否認を軸に展開します。
 このいわば潜在的な〈藤壺物語〉といえる物語は、朝顔の巻で完結します。
 人によつては、光源氏を非常に不道徳な人間だと言ふけれども、それは間違ひである。人間は常に神に近づかうとして、様々な修行の過程を踏んでゐるのであつて、そのためにはその過程々々が、省みる毎に、あやまちと見られるのである。始めから完全な人間ならば、その生活に向上のきざみはないが、普通の人間は、過ちをした事に対して厳しく反省して、次第に立派な人格を築いて来るのである。光源氏にはいろんな失策があるけれども、常に神に近づかうとする心は失つてゐない。(折口信夫「反省の文学源氏物語」)

 この折口信夫の論稿が「婦人之友」に掲載されたのが、昭和25年。今から65年も前のことです。
 少女から幻までは、光源氏が夕顔の遺児玉鬘を養女として引き取って恋情を抱いたり、子息の夕霧の雲居雁との恋愛、太政大臣の子息の柏木の不倫と源氏の嫉妬など、さまざまな物語が複層していますが、主題は、折口の言う「光源氏の反省」と「紫の上の受苦」です。
 朱雀院は病気がちになり、出家をしようと、一番可愛がっていた、身よりも後見もいない女三の宮を、頼りがいのある人を婿にして預けようと、光源氏に苦衷を訴える。源氏が降嫁を受諾すると、紫の上はしだいに愁いに沈むようになる。女三の宮は幼稚で無邪気なだけで、紫の上の嫉妬に値する女性でないことがすぐにわかって、源氏は女三の宮を妻に迎えたことを後悔する。
 紫の上は、女三の宮が六条院に来てから胸の激痛に襲われるようになり、しだいに衰弱して現世への執着をなくしてゆく。紫の上は死期が近いと感じた日、可愛がった孫の三の宮(匂宮)にひそかに別れの言葉を告げます。

 紫の上が引き取って育てていらっしゃる三の宮が、大勢の皇子たちの中でも、とても可愛らしく歩きまわっていらっしゃるのを、紫の上はご気分のよいときには前に座らせて、人の聞いていないときに、
「わたしがいなくなったら、思い出してくれますか」  
 とお尋ねになると、
「とても恋しくてならないでしょう。わたしは、父の帝よりも母宮よりも、おばあさまがずっと好きだから、いらっしゃらなくなったらきっと機嫌が悪くなります」  
 とおっしゃって、目をこすって涙をまぎらわしていらっしゃる様子が可愛らしいので、紫の上は微笑みながらも涙を落とされた。
「あなたが大人になられたら、ここ(二条院)にお住みになって、この西の対の前の紅梅と桜とは、花の咲くときには心をとめて楽しんでください。なにかの時には、仏さまにもあげてくださいね」
 とおっしゃると、三の宮はうなずいて、紫の上の顔をみつめて、涙が落ちそうになったので立って行かれた。

 受苦の人、紫の上の生命の凋落を表現した、源氏物語の優れた場面です。  
 『源氏物語』を訳し終えて、最終巻を刊行するまでに八年もかかってしまいました。
「まるで柿の種を蒔いて、実がなるほどの長い年月を要したな」
 と、つくづく思います。どうしてこんなに年数がかかったかといいますと、平安朝の紫式部の物語における想像力が、現代人のわたしの想像力をはるかに超えていて、その紫式部の想像力を理解し、納得するのに時間がかかったのと、『源氏物語』という物語はいわゆる劇的なものから程遠く、紫式部は〈平安の女のあわれの実態〉を執拗なくらい微細に描いていて、その微細さを忠実に、しかも、わかりやすい言葉で訳すのに、多大な時間を要したからなのです。
「『源氏物語』を訳し終えての感想は?」
 と聞かれれば、即座に、
「正真正銘、日本の最高文学、いや、世界の最高文学でもある」
 と答えます。学生時代、古今東西の文学作品を数多く読んでいましたが、三島由紀夫が亡くなった昭和四十五年あたりから、文学よりも戯曲や評論のほうに嗜好が傾いていっていたのを、日本の物語の劇化ということで、何十年ぶりに文学作品、しかも『源氏物語』という古典を読んで、平安朝の作家、紫式部の底知れない筆力に感銘を受けました。
 ところが『源氏物語』を、
「五十四帖の結末としてはつまらない幕切れである」
 と言う人がいます。だが、訳し終えたわたしとしては、当然の帰結だと納得しています。はじめから喪失の愛恋しかできなかった薫は、もともと失うべきものなど何も持っていなかったのです。作者はこの結末の伏線として、『総角』の巻でこう書いています。  

 中納言はそばにある低い几帳を、仏から見られないよう仏前との隔てにして、形ばかり大君に寄り添って横になられる。名香(仏前に焚く香)の匂いがとても香ばしく漂い、樒(しきみ)が強い香りを放っているので、人一倍仏を信仰していらっしゃる中納言は気がとがめて、
〈喪中の今、まるでこらえ性もなく軽々しく振舞うのは、俗世を厭い仏道を志した当初の気持ちにも反するからやめておこう。宮の一周忌が明ける頃には、いくらなんでも大君のお気持ちも、少しはやわらぐだろう〉  
 などと、つとめて冷静になろうとしていらっしゃる。秋の夜の風情は、こんな山里でなくても、しぜんと感慨深いことが多いが、ここではなおさら峰の嵐も垣根の虫も、ただもう心細く聞こえてくる。中納言が無常の世の中のことをお話しになると時々受け答えなさる大君の様子は、見るべきところが多く感じがよい。(中略)
 いつのまにか明け方になった。お供の人が起きて咳払いをし、馬のいななく声に、中納言は旅宿の朝の様子を人が話していたのを想像なさって、興味深く思われる。夜明けの光が射してくるほうの襖を押し開けられて、しみじみと心にしみる空の景色を大君と一緒にごらんになる。大君も少しにじり出ていらっしゃると、奥行きも狭い軒先なので、忍ぶ草にかかっている露がしだいに光り輝くのが見える。お互いに、とても優美な容姿をごらんになって、中納言が、
「何をするというのではなく、ただこのように月も花も、心を一つにして楽しみ、はかないこの世の出来事を話し合って過ごしたい」  
 と、とてもやさしい様子でお話しになるので、大君はしだいに恐ろしさもやわらいで、
「こんなふうに面と向かってではなく、物越しでお話しするのなら、ほんとうによそよそしくはしないのですが」  
 とお答えになる。  

  父の八の宮の一周忌のために大君は喪服を着ているが、喪服を着ているのはむしろ薫ではないかと思えるほど、薫の心は屈折し、エロス的欲望を遂げようとはしません。最愛の人とも、はじめから喪失の愛恋しか体感できないのです。
●『源氏物語』で引用の和歌・漢詩を 完全現代語化! 巻一は106首、 巻二は72首、 巻三は58首を現代語訳にしています。
●巻三の巻末に付録を掲載!
年中行事/月齢と月の形/用語索引/長恨歌
『真訳 源氏物語』現代語訳キーポイント!
『源氏物語』ここが素晴らしい!
装丁は、広島のデザイナー、サブローADの木原実行氏です。
折口信夫「反省の文学源氏物語」より
女優
中島千鶴さん
 三澤先生の真訳である源氏物語。読みやすくわかりやすい文体、なおかつ日本独自の情緒の美しさが心に響きわたります。読んでいるときも読み終えたあとも、官能的でドラマチックな世界に思いっきりとろけたいと素直に思いました。
 真の心を大切にしている人、源氏物語を愛している人にこそ読んでいただきたい一冊です。
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