●歴史的な起源であり、それから原型であるところまで遡ってみると本性がつかまえられ、また本性のところまで遡って把握されたものは本質的なものだ。
アダム・スミス
●「地主」と「資本家」と「労働者」の三者がどういうふうに会ったときにいちばん正しい〈物語〉といえるかといえば、三者が同じ「労働の量」に該当するだけの「価値」の分け前を受け取る形がとれたときである。
リカード
●商品はまっぷたつに、相容れない二つの価値形態に必ず分割することができ、その分割されたものはけっして混同されることはなく、いわばそれが葛藤・ドラマを演じる。
マルクス
●10円はそれ自体ではどうがんばっても15円にはならないが、中間に商品が介在し、 しかもそれが資本主義的な過程に入ると、10円が15円にもなってしまう。
G− W− G’の図式。
●本来、商品が正札を付けているというのは、商品の側からこのくらいの価格で売りたい、このくらいの貨幣でもって自分の価値を表現して売りたいという観念的で一方的な表現。いわゆる商品の貨幣にたいする一種のプロポーズである。
●聖書を売って貨幣を手に入れて、その貨幣でもってウィスキを買う。このように何に価値を見出すかは人さまざまである。
●封建時代を象徴するものは水車である。 資本主義を象徴するものは蒸気機関である。 そして現在の超資本主義を象徴するものは エレクトロニクス・ミルである。
●今や日本の資本主義は、生産を基軸にしてどんどん膨張していく社会だった頃の資本主義とは違う、第三次産業中心の、個人所得の50%以上を消費にあて、選択消費が必需消費を上回っている、一段上の先進資本主義である。
●資本主義興隆期のように、市民社会が強固な枠組みをもち、安定した市民階級が強固であればこそ教養主義は成り立つ。しかし現在、市民社会は様々な噴流を受けて乱気流の中にいる。だからそこではいつも教養主義のはかなさを感じさせられている。
●日本の第一次高度成長期の特色のひとつに、若い労働者がわりに低賃金で生産を支えたということがいえる。
●労働は本来 人間の喜びであり、 生きがいである。
●現在、だいたい90%の日本人がじぶんは中流だと思っている。日本のように貧富の差が少ない社会は世界でも例がない。
●明治の中頃、日本のたばこ産業は問屋制手工業から、工場制手工業へ、そして工場制工業へと移行した。資本を蓄積したたばこ商は近代的な会社形態をとり、より多くの商品を販売するために猛烈な宣伝合戦をくり広げた。特に東京の岩谷商会と京都の村井兄弟紹介の宣伝合戦は有名。
●「セチュアンの善人」の原題は、裏にドイツ語の同じ発音の「真の愛 die wahre Liebe」という意味を隠しもつ「商品の愛 die ware Liebe」である。